銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。

ニ 怖れぬ目

 丹波の山麓集落にある家で、美しい姫が胸騒ぎに目覚めて襟を押さえ体を起こした。

 その家は丹波地方の元郡司が建てた家で、今はその母系の老夫婦が住まいしていた。
 姫は膝立ちに蔀戸(しとみど)に近寄り、上半分を引き入れて上げる。
 すると、蔀戸の外には竹林が広がり、その上に楕円の月が輝いている。
 姫は巾着袋を開き、揃えた両手程の大きく丸い鏡を取り出した。
 その鏡の微妙な凹面は光を集めるに優れ、紙燭(しそく)の僅かな光でも大きな篝火の明かりのように眩ゆく反射することができた。
 姫は室に差し込む月光を受けて眩しく光る鏡面をそっと眺めた。
 

 その時、戸板を怪力でたわませて家に入り込んだ広忠は、土間で水甕を見つけると傷を負った右手で柄杓を持って、乱れた息を潰すようにごっくごっくと水を飲んだ。
 そして一息つくや広忠は今度は鍋の中を調べた。
 なにしろまる一日何も口に入れていなかったから、腹は敷物の毛皮のごとく潰れている。
 鍋の中に煮物の冷めた残りを見つけた広忠は、鍋に口をつけて頭を反らせ、手で残り物を喉にかき込んだ。
 すっかり平らげて指をしゃぶると、次は鉢の中から妙り豆を見つけて口に詰め込み、詰め込み噛み砕く。
 そうしてるうちに、置き方がまずかったらしく、鍋がずり落ち、それが甕に当たりかん高い音が響いた。

 すると、奥の室から澄んだ細い声が間いかけてきた。
「父上?母上?」

 広忠は一瞬、腰に差した太刀に手をやり、すぐに戻した。
 広忠のねぐらにしている洞穴はあとひと山だ。ここで騒ぎを起こすと、ねぐらまで探索の手が迫るかもしれない。いくら怪力の広忠でも寝る時は無防備だから、万が一そこに踏み込まれるのは面倒だ。
 広忠はこの女は脅して静かにさせようと決めた。
 姫は眺めていた鏡を床に置いて、白い汗袗(かざみ)の上に、萌黄の衵(あこめ)を羽織って戸口に歩み寄る。
 広忠は戸口の外にそっと忍び寄り身構えた。
 姫は土間に降りようと戸を開けた。

 瞬間、待ち構えていた広忠は体当りするように姫を部屋の中に押し戻した。

 部屋の中は月光を反射する鏡のせいで意外に明るい。
 広忠は右手で素早く姫の口を塞ぎつつ、左手で姫の腹を押さえた格好のまま、数瞬、姫と目を合わせた。
 姫はあまりに突然で怯える間がなかったのだろうか。目を凝らして顎の輪郭を髭が縁取るいかつい広忠の顔をじっと見詰めている。何か言おうとして広忠に押さえられている唇を動かしはしたが、それも止めた。
 広忠はじっと見返してくる恐怖心のない美しい瞳と、手のひらにある柔らかな唇の感触に、不思議とどぎまぎした。
 そして妙に高揚した気分になり、広忠も手を引いて姫を見詰めた。
 僻村にはおよそ不釣り合いな姫の麗しさに驚いた点もあるかもしれない。
 しかし、それはまことの理由ではない。
 広忠は初めてだったのだ、自分を恐怖以外の目で見つめる女に出会ったのが。
 だから、この女は一体どういうつもりかと姫を見つめたのだ。
 それは端から見たら、奇妙な光景であったろう。
 真夜中、美しい姫と、腰に刀をぶらさげた凶悪強盗が見詰め合ったまま、黙り込んでいるのである。

 やがて、広忠は思い出したように「声を立てるな」と囁いて、姫の首をつかみ、刀を抜いてかざした。
 すると姫は小声で言う。
「その刀をおしまいください。
 益荒男が手弱女に刀を向けたとあっては笑い草となりましょう。
 決して騒ぎませぬから下げてくださいませ。」
 広忠は一瞬、姫の言葉に頷きそうになったが、小娘の口車に乗せられてなめられては、と思い直し、姫の口を再び強く塞いだ。
 そうされながらも姫はしっかと広忠を見詰め返してくる。
 やはり恐怖を帯びた目ではないのだ。
 姫の澄んだ目だけで、広忠は胸の奥底をかき回されるように感じ始めていた。
「な、なんだ、その目は……、お、俺が怖くないのか?」
 姫の命を掌中に握っているはずの強盗が、逆にまるで問い詰められているかのように小声で聞き返した。
「では、怖い方なのですか?」
 姫も囁いて聞くと、広忠も囁いて答える。
「お、おう、ひと目でわかるだろうが、」
「申し訳ありません、怖い方は初めてなのです。」
 姫がそう謝って、広忠の角張った顎を縁取るぼうぼうの髭や、汗の滲んだ高い鼻を見詰めていると、広忠は切れ長の下の、よく見るとつぶらな瞳を苛立たしそうに動かし小声で叱った。
「人の面をじろじろ見るんじゃねえ。」
 姫は、いかつい男が恥ずかしがる風情がおかしくて笑みを洩らしそうになったが、さすがにそれは本気の怒りに遭うと悟り、すぐに噛み潰した。
 広忠は姫をじっと睨んで小さい声で脅す。
「いいか、やがて追っ手が来よう。
 おそらく家の者は叩き起こされ、お前も何かひとつふたつ聞かれるやもしれん。
 しかし俺のことは一言も喋ってはならねえ。
 手振りで示してもいけねえ。
 もしおかしな真似をしたらお前も家族も皆殺しだ。」
 声は小さいが、すっかり凶悪な色に染まっている広忠の言葉に、ようやく姫も恐怖をひしひしと感じた。
「断っておくが、俺は追っ手が恐くてこんなことを言うんじゃねえ。
 今日はもういささか人殺しに飽いてしまっての。
 そこで、ここは静かにやりすごそうと決めたんじゃ。
 だが、お前が騒ぐ気を起こすなら、またひと暴れするまでのことだ。」
 広忠が脅して睨むと、姫は黙って頷いた。


 
 f_02.gif プログ村

【故事メモ 紙燭(しそく)
灯火で二種あり、宮中で使われた松木の先端を尖らせ油を染み込ませ灯したものと、油にひたしたこよりに灯したものがある。
【 汗袗(かざみ)、 衵(あこめ)
汗袗は字から想像できるように汗とりの下着、衵も本来は肌着である。

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コメント

出会いは最悪なかんじですね。

ただ、すこし広忠はいつもと違う感覚に戸惑っているよう。

ここからどう恋愛に発展していくのか・・・・。
興味津々です。

応援ポチット

  • 2007/11/22(木) 23:00:23 |
  • URL |
  • 奈緒 #-
  • [編集]

こんばんはー。

ロマン、ですね~。
うん、このお姫様、かなり私好みです……(笑)

続き、楽しみにしています。
ファブィ。

  • 2007/11/22(木) 23:35:50 |
  • URL |
  • もみじ #KKhd1Ueo
  • [編集]

◆奈緒さま ありがとうございます。

ええ、最初はこんなですが、今後の展開にご期待ください。

◆もみじさま ありがとうございます。

そうですか、最後までもみじさん好みだといいですね。

  • 2007/11/23(金) 00:09:06 |
  • URL |
  • 銀河系一朗 #-
  • [編集]

 おはようございます。
 性の狩人ではなかったですね(こちらも銀河様流をちょっと拝見してみたいですが)
 広忠の変貌振りに注目したいと思います。以外と可愛い素顔だったりするのかな・・・。
 あとひとつ、お願いが――時代考証に値する調度品等には仮名を付けて頂けないでしょうか。過去遊びまくっていて未だ磨かれていない頭なので、読めないものがあります。わたしだけなら致し方ないですが――☆ご一考願います。応援ポチッと。
 

  • 2007/11/23(金) 08:28:12 |
  • URL |
  • 紗羅の木 #EBUSheBA
  • [編集]

◆沙羅の木さま ありがとうございます。

広忠は可愛い筋モノかも(笑)
考証ですが実は私も読めなかったり?ちょっとだけフリガナと終わりにメモつけてみました。

  • 2007/11/23(金) 12:17:02 |
  • URL |
  • 銀河系一朗 #-
  • [編集]

こんばんは。まさに
目は口ほどに物を言う
ですね。
視線てほんと大事と思います。
更新が楽しみです。
>【故事メモ】
助かります。
現代語に訳してしまうとつまらないですもんね。
昔の「色」の表現とか好きです。

  • 2007/11/23(金) 20:51:55 |
  • URL |
  • つる #-
  • [編集]

◆つるさま ありがとうございます。

口で言わないから目が言うんですね。
多彩な伝統色カラーチャート というページがあって、多彩な古い色名がわかりますよ。

  • 2007/11/23(金) 23:09:09 |
  • URL |
  • 銀河系一朗 #-
  • [編集]
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gingak
  • Author: gingak
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    (ケイイチロー・ギンガ)
    好きな言葉は『信じる』。
    飛べなくても頭が悪くても
    地球人も宇宙人だ(笑)

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