不快な思いのある方は、ご配慮をお願いします※
万華鏡
静かな夜中、蛍光灯を灯し、覗き窓に目をあてて、覗き込む。
すると、そこには摩訶不思議な幾何学的かつお絵かき定規のような模様が現れる。
魔法の呪文を唱えて、少し筒を回転すると、模様が変わる。私はうっとりと微笑んでしまう。
この万華鏡は、今から6年前、高校1年のクリスマスイブ、私のヒーローだったジョーさんこと棚代城也がくれたプレゼントだ。
私は万華鏡を、くるっ、くるっ、と回転して楽しむうちに「あっ」と声を上げた。
万華鏡の中、青の菱形がひしゃげた中に、一瞬、ジョーさんの顔が映ったような気がしたのだ。
私は、しばらく身動きもせず、そこを凝視した。
1
高校に進んでからも、私にとって暗黒の時代が続いていました。
もう中学から知ってる同級生はほとんどいないのに、まるで中学から申し送りがあったかのように、新たなクラスメートによる私へのイジメが始まったのです。
入学して1週間もするとイジメっ子たちがグループを作り、イジメられっ子を目ざとく見つけるのです。容姿も冴えず性格も暗めの私が目をつけられるのはハイエナが足を怪我したシマウマを見つけるように自然のなりゆきなのでしょう。
最初はお手柔らかに、上履き隠しから始まりました。
体育の授業で校庭に出て、校舎に戻ると上履きがなくなっていたのです。
ああ、やっぱりここでもイジメられるんだ。
もしかしたら高校でもそうかもと思っていた通り。
私はその時点ですでに観念してしまい、背中から剥がれかけていた「イジメて下さい」という看板を自分で付け直した気分でした。
私は先生には訴えずに、購買部で新たな上履きを買いました。
これを遠くから見て、イジメっ子たちは、私をイジメられっ子の暫定リストから定番リストに格上げしたのかもしれません。
おとなしくて、先生に訴えないコほどイジメ甲斐があるからです。
翌日からは教科書をゴミ箱に捨てられました。
次の週は、今度は通学靴の方を隠されました。
私は上履きで下校して、自分の部屋にこもるとベッドの中に入って泣きました。
これからの三年間も耐える日々が続くのです。
その日は美知ってコが昼の休憩時間に私に声をかけてくれました。
「那絵ちゃん、私の隣さ、外出して空いてるから、一緒にお昼食べよ」
私をイジメてるグループに属さないコだったので、私は警戒を解きました。
「うん」
入学最初の週はすぐ隣のコと一緒にお昼を食べたのですが、一週間ぐらいで、そのコも私がイジメられっ子だと知ると、自分へのとばっちりを怖れて私と完全に距離を置くようになってしまいました。
メールを送っても返事も来ません。
きっと今は心の中で申し訳ないと思いつつ、シカトしてるのでしょう。
《でも私にとってユウちゃんとちょっと笑いながらお弁当食べた数日間が高校の最高の思い出なんだぉ〜、感謝してんだぉ〜、本当だぉ〜v(*⌒▽⌒*)v》
私は最後に送ったメールの文章をふと思い出しました。
それが今日再び、美知ちゃんが一緒にお弁当食べようと言ってくれたのです。
私は心の中がウキウキするのを感じながら、お弁当を持って美知ちゃんの席の隣に座りました。
「那絵ちゃん、誰が作ってくれるの?」
「お母さん、お弁当作るの好きみたいなの」
「いいなあ、うちはさ、冷凍チンそのまま、手抜きなんだ。
那絵ちゃん、おかず半分ずつ交換してくんない?」
「うん、いいよ」
私と美知ちゃんは揃って弁当箱の蓋を開けました。
瞬間、私は凍りつきました。
ご飯が捨てられ、土に入れ替えられているのです。
タイミングよく前の男子坂口が振り向いて声を上げました。
「ナエ、なんだ、お前の弁当、土じゃないか」
「どうしたの那絵ちゃん」
そう言う美知の目は笑っていました。
新しいイジメグループが私を標的にしたのです。
他の男子渡辺が覗き込んで追い討ちをかけてきます。
「ハハハッ、雑草と石ころもちょっと入って栄養のバランス考えてんだな」
「那絵ちゃん、やっぱ、私、おかず交換しなくていいや」と美知。
「どうやって食べる?食べるとこ、撮影してやるからな」と坂口。
私は涙を流しながら、箸箱から箸を取り出しました。少しでも食べればイジメっ子の欲望が満たされることを知っていたからです。逆に無視したら、別の攻撃が始まることも知っていたからです。
その時でした。
「お前ら、そういうイジメはやめろ!」
誰かが叫んで寄って来ました。
それが棚代城也さんでした。
初日の自己紹介の時、城也さんだけはみんなと格が違いました。
えー、棚代城也、昨年、ちょっと教師数名を泣かせたり、サボったの多くて、今年も一年生やります。授業は、教師がやりにくいと思うから、最初の出席確認だけの時が多いと思うけど、もし顔を見かけたらよろしく。
みんなが、こいつはオッカねえ、という印象を持ったんです。
その城也さんは、私の土と石と雑草の弁当を、美知の弁当箱の上でひっくりかえして、どかんとあけて、それを男子の顔に突き出したんです。
「てめえで、食えるか食ってみろ!」
すると、途端に、坂口と渡辺は、
「ただのジョークですよ」と逃げるように教室から出て行きました。
私は、それでも迷いながらおそるおそる言いました。
「ありがとうございます」
「お前もイヤならイヤと言っていいんだぞ」
城也さんはそう言ってクラスに向かって顔を上げて大きな声で、
「他人をイジメることで自分が優越感に浸るって遊びは、卑劣で情けない人間のクズのすることだ。
お前らもこういうの見かけたら正義の鉄拳制裁してやれよ!
学級委員江崎、吉田、風紀委員今井、お前らは特にそうだ。知らんぷりするならお前らを制裁するぞ」
私のことをこんな風に守ってくれる男子がいるなんて。
私は経験したことのない喜びにしばらく心を温められました。
2
城也さんの一言は絶大な効果がありました。
相変わらず、たまに教科書や上履きを隠されたり、「深海女、バイ菌女」とか陰口を叩かれたりしましたが、イジメは明らかに減りました。
ある日の放課後、私は図書館で調べものをしようと、ふだんは近づかない事典コーナーに入ったのです。
その時、事典コーナーの大きな書架がコの字に並ぶ内側に、大判の新聞を余裕で開ける大きなテーブルがあることを初めて知りました。
と思ったら、その一角に城也さんが座って勉強していたのです。
私はびっくりしながら小声で「こんにちは」と挨拶しました。
「うん、最近は大丈夫か?」
城也さんは笑って小声で聞いてくれて、それがとても優しい感じでした。
イケメンというより、少し歳上で落ち着いた感じで、それも安心感がありました。
「おかげさまで。
でも驚きました、てっきり城也さんて不良で、勉強なんかしないひとかと……。あ、すみません」
「いいんだよ。
ちょっと息抜きしたかったんだ、外で話そうか」
私は恋愛の経験も野望もないので、ここはときめくところだってのが今ひとつわからなかったせいか、わりと平常心で城也さんについていきました。
城也さんは図書館の柱の脇のドアからバルコニーに出たのです。
バルコニーの下は中庭が広がって気持ちいい風が吹いていました。
「こんなところにバルコニーあったんですね」
「うん、いいだろ。俺はみんなに不良だと思われてるみたいだな」
「あ、ごめんなさい」
「いいんだよ、そのつもりで自己紹介したし、おかげで、お前みたいなのを守るのに都合よかったしな」
私の胸に切ない何かが震えました。
「城也さん」
「ジョーでいいよ」
「ジョーさん、どうして私なんかを守ってくれるんですか?」
「だって、クラスメートだろ」
どうってことない言葉ですが、私にはとても、とても暖かく響きました。
「私、同級生にかばってもらったの小学校以来でした」
「そうか、ちょっとジジイの同級生だけど」
「そんなこと」
「お前、親にもイジメを話してないだろ?」
ジョーさんに秘密をぴたりと言い当てられ、私はうなづきました。
「はい。でも、どうして先生を泣かせたりしたんですか?」
「いやあ、俺がしつこく質問するもんだから、答えられなくて泣き出したんだよ。教師のくせに俺より勉強してないのがいけない」
「そうだったのかあ、てっきり暴力で泣かせたのかと思ってた」
「ふふ、イメージって怖いな。
お前もイメージより、ちょっと可愛いな」
私はジョーさんが何を言い出してるのか理解できませんでした。
「ジョーさん、目がかなり悪いでしょ、私、ブスだもん」
「可愛いってのはな、外見だけじゃないんだ、あんなにイジメられてもきちんと学校来るお前が健気でさ、そこがなんか可愛いんだよな」
私は急にのぼせた感じで、その後なんて自分が言ったのか覚えてませんでした。
3
しかし、私へのイジメは完全になくなってなかったのです。
ある休み時間のこと、私がトイレの外のドアを開けると、イジメグループ幹部格の余詩子が洗面で手を洗っていました。
私は尿意に迫られていたので、他の階のトイレにしようとは考えず、ドキドキしながら小走りに個室に入ろうとしましたが、どれもふさがっていました。
嫌な予感がしました。
手を拭いた余詩子さんは出て行けばいいのに、戻ってきました。
「あら、ナエ、おしっこなの?」
「違います」
私はさっとトイレから逃げ出そうとしましたが、その手を余詩子が一瞬で掴まえ、痛いぐらいに握りました。
「したいなら、すればいいじゃん、別に邪魔しないよ」
「だって空いてないから」
「じゃあ、空くまで待てば」
私は仕方なく、
「は、はい」
しばらく時が過ぎ、もう休憩時間が終わるという頃、余詩子は私の手首をつかんだまま、個室のひとつをコンコンとノックします。
「入ってまーす、恥ずかしいけど大が出なくてさ」
すると、余詩子と他の個室から同時に笑いが弾けます。
余詩子は隣の個室の前に移動し、コンコン。
「わりい、私も便秘と格闘中」
またもや、余詩子と他の個室が爆笑します。
私の尿意はすでに限界に近づいていて、トイレに響き渡る笑い声すら、拷問のように私のお腹に響きます。
その時、始業のベルが鳴りました。
余詩子は隣の個室の前に移動し、コンコン。
「ごめん、タンポンが膨張して出てくんないの」
またもや、余詩子と他の個室が大爆笑。
余詩子は私に二者択一を迫ります。
「ナエ、当分、空きそうもないわ、どうする?
教室に戻って洩らす?
それともここで洩らす?」
男子もいる教室で洩らすなんて私でも絶対イヤです。
私は小さく「ここで」と答えました。
「ナエが自分で言ったよ、ここで洩らすってさ」
余詩子が言うと、個室のドアが一斉に開いて、中からイジメグループが出て来ました。
私は無理だと思いながらも、「空いたから」と個室に入ろうとして引き戻されます。
余詩子がここぞとばかり言います。
「ナエは自分でここで洩らすと言ったんだ。
美知、観客に男子たちを呼んで来な!」
バタバタと美知が走ってゆくと、もう私はパニックでした。
余詩子は私の背中にまわり、私の腕を両側からつかんで逃げられないようにしていました。
「離して下さい」
私は虚しく叫びました。
その時、足音が近づいてきました。男子たちの興味本位の顔を想像した私は、最後の抵抗を試みてやはり身動きできないとわかると、観念して俯きました。
勢いよくドアが開き、次の瞬間、ジョーさんの声が響きました。
「こら倉桐余詩子、那絵をすぐ離せ!」
余詩子はびっくりして私を離し、私は個室に駆け込み、水を流しながら用を足しました。
その時、ビシッとすごい音が外で響きました。
「痛〜いっ、訴えてやる」
「はっきり言っておく、那絵は俺の女だ!
二度とこんな真似してみろ、お前をぶっ殺すからな!」
私はジョーさんに「俺の女」なんて言われてどぎまぎしました。
余詩子が去ってゆく足音がしました。
ジョーさんの声が響きます。
「那絵、大丈夫か?」
私は「うん」と短く答えました。
「よかった」
「ジョーさん、ありがと」
ジョーさんはそれに答える前に去って行きました。
4
その翌日、ジョーさんは図書館のバルコニーで私に言いました。
「もし、お前が懲らしめてほしいて奴がいたら教えろ」
「そんなの、一杯いすぎてわかんないです」
「一番、ヤなやつは?」
「今は余詩子かな」
「そうか、俺があいつ殺してやるよ」
「ほんとに?
でも、そんなことしたらジョーさんが警察に捕まっちゃう、やだよ」
「なあに、ほんの五年から八年で社会に復帰だろ。
ちょろいから」
「うふふ、じゃあお願いします」
私が言うと、ジョーさんはうなづきました。
「よっし」
もちろん、復讐殺人の約束なんて冗談に決まってました。ジョーさんはそんな馬鹿げたことは実行しませんでした。
その年のクリスマスは私にとって夢のようなクリスマスでした。
去年のイブ、中学のイジメっ子たちに「食べてみろ」とハートのケースに入った泥を押しつけられ「ナエはこの世で一番クリスマスに必要ない人間だ」と言われてたのが嘘のようです。
イブの日、ジョーさんに呼び出された私は手を引っ張られてデートに出かけました。
私はイジメっ子に出くわすのが少し怖かったけど、ジョーさんがエスコートしてくれてるんだから怖がる必要は何もないんだと言い聞かせました。
イタリアンレストランで彼はパスタ、私はリゾットで食事しました。
「俺、あんまりプレゼントしたことないんだよね。
これって見えるものが常に違って面白いかなって思ったんだけど、どうかな?」
そう言ってジョーさんのプレゼントを開けると万華鏡が出てきました。
私はジョーさんにマフラーをプレゼントしました。
それからジョーさんは私を好きだって言ってくれて、素敵なキスをくれました。
ジョーさんのお部屋に行って、ソフアでジョーさんの胸に頬をつけて、DVDの映画を観ました。
「怖いんです、こんなに幸せなのが怖いんです」
私は余計なことだとわかっていたけど、黙ってられなくてそう言いました。
「大丈夫だよ」
ジョーさんはそう言って私を抱いてくれました。
その後の高校生活は充実したものでした。
私とジョーさんはいろんな面で成長できたのだと思います。
もちろんそれまでイジメで縮こまっていた分、成長の幅は私の方がはるかに大きかった筈です。
卒業すると、私は短大に進み、ジョーさんはアメリカの大学に進むことになりました。
空港のロビーでジョーさんの目は希望に輝いていました。
「じゃあ、しばらく離れ離れだけど、元気でな」
「うん、ジョーさんも」
「お前、いつまでたっても俺のことサンづけだな」
「だって、ジョーさんて響きが心地よいんだもの」
ジョーさんは私の唇に素早くキスすると、笑いながら手を振って去って行きました。
§
この世で一番悲しい知らせは、エアメールで、唐突にやってきた。
joya tanashiro は東部標準時9時10分頃14日7月にラコーダ湖に車ごと転落して死亡した。彼の、万が一の場合の依頼により、ここにあなたに通知すると共に…
やっぱり、あの時、と私は思った。
時差を調べてみると、万華鏡の青い菱形の中にジョーさんの顔を見つけた、まさにその時刻に、彼は死んだのだ。
私は思ったほど泣かなかった。予感していた分、気持ちの準備が出来ていたせいかもしれない。手紙の英文じゃ、死という実感が湧かなかったせいかもしれない。
でもそれほど泣かなかったからといって私の喪失感が少なかったという訳にはいかない。
立ち直れるのか自信はなかった。
ただ、私は昔のようなイジメられる時代は既に卒業していた。
§
ジョーさんが死んで2年が過ぎようとしていた。
私は万華鏡の胴体の端の部分にカッターで切れ込みを入れていった。
万華鏡の中には大きめのビーズがたくさん入っているが、いつもひとまわり大い緑色の四角い紙が混ざっていて、それが模様を少し邪魔していた。
ようやく思い立って、それを取り除くことにしたのだ。
胴体は薄いとはいえプラスチック製だったのでかなり力が要った。
カッターが胴体を一周すると、端は蓋のように外れて、中からビーズが溢れた。
そして緑の四角い紙を取り出した私は、おやと気付いた。
中に収まっていた時は気付かなかったが、緑の四角い紙はセロテープで閉じられている。
私はカッターで紙を開いてみた。
すると、そこには『緑町南公園 西ベンチ 左端外30センチ深さ15センチ』と小さく書かれてあった。
私は顔をほころばせた。
これは、ジョーさんの秘密のプレゼントだったんだ。
もっと早く気付けばよかった。
私は園芸用の小さなシャベルを持って緑町南公園に急いだ。
幸い、公園には鉄棒のところに小学生が数人いるだけで、大人に注意される心配はなかった。私は微笑みながらベンチの外側30センチをシャベルで掘り起こした。
やがてシャベルが金属にあたった。
すぐロゴマークが現れ、クッキーの四角い缶とわかる。
私は穴を広げて、クッキーの金属缶を掘り出しベンチに乗せた。
わりと重さがある。
私は缶の砂をきれいに払い、外周のビニールテープを丹念に剥がして、そっと蓋を開けた。
本体を包んでいる灰色の布を広げると、そこには黒光りする鉄の塊と紙の小箱があった。
「エッ…!」
私の全身に鳥肌が立った。
中指より長い銃身、それだけ切り取ったら飾りのような引き鉄、流れるような曲線のグリップ。美しいフォルムとは裏腹に、全てが禍々しい凶器、拳銃。
小箱の蓋ははねていて金色の銃弾の先端が覗いている。
私は高校時代、図書館のバルコニーでジョーさんが語った言葉を思い出した。
――俺があいつ殺してやるよ
私をイジメる者に対するジョーさんの怒りが本気であったことを初めて思い知る。
私は思わず口にした。
「ジョーさんて、」
そして私がうかつにも「お願いします」と答えたにもかかわらず、怒りにたぎりながらも実際にはこれを使わなかったジョーさんの思慮の深さに感じ入った。
やっぱり、あなたは、私の最高のヒーローだ。
私はひとり呟いて、しばらく涙をこぼし続けた。 了
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