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銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。


 明治38年、日露戦争で日本海軍が敢行した有名な戦法がある。
 敵ロシア艦隊は縦に二列並んだ陣形で進んで来た。すると東郷平八郎が指揮する日本艦隊は、突然、敵の前方を横切るように先頭の旗艦三笠から順次敵に横腹を向けて行くという捨て身の行動に出たのだ。
 ロシア艦隊は勝利を確信しただろう。船舶は縦向きより横向きの方が何倍も長いからそれだけ的が大きくなったわけでロシア艦はここぞと砲撃した。
 しかし縦陣形では後部の大砲は自分の艦橋や煙突が邪魔になりほぼ使えない。それに対して次々と横向きになった日本の艦は皆大砲を使える。
 ここに砲数の圧倒的不利が生じてロシア艦隊は惨敗したのだった。
 この戦法が世界から海戦史に残ると絶賛された「東郷ターン」である。


  ◇

 
 東郷は英雄となり国民から熱狂を持って迎えられ、指揮を執った連合艦隊は解散した。 大正2年に東郷は元帥に昇進した。
 大正3年には昭和天皇となる皇太子を東宮御所内で教育する東宮御学問所総裁となった。これは学習院初等科を卒業した皇太子に教育を施すため御所内に作られた特別学級の校長職である。
 東郷は授業にもよく顔を出し、皇太子を教育するため毎年、軍艦で国内各地を案内した。

 大正5年の夏は舞鶴から北陸、佐渡と回った東郷と皇太子は新潟に上陸した。68歳になっていた東郷は戊辰戦争の頃、佐渡から新潟、酒田、函館と転戦した事を思い出していた。この後は会津で戊辰戦争で亡くなった弟の墓参りをする予定になっている。いよいよ回想に浸った東郷は常に執事のようについてくる副官を呼んだ。
「一人で出かける」
「どちらへお出かけでありますか?」
「呑むのだ。弟の墓にはずっと行けずにおったからの今夜は泊まり込んで差し向かいで呑む心地じゃ」
「はっ。ですがお体は宜しいので?」
 東郷は3年前に結石の摘出手術を受けていたし、年齢も年齢なので副官は心配でならないのだ。
「呑むというとるが、車を呼べ」
 最近でこそアルコールは控えているが、若い頃は横須賀の料亭に頻繁に出入りし、時には三日続けて居座った事もある東郷なのだ。
 東郷は皇太子には内緒で日が暮れると旅館を抜け出し、一人で知事公邸から程近い料亭へ向かった。いつもの軍服に勲章は付けない格好である。

 東郷は創業が元禄期にさかのぼるという由緒ある料亭の門をくぐった。
 仲居頭が「申し訳ありません、一見さんは」と言いかけたのを女将が止めた。さすがに女将は軍服を着た男が新聞で見た東郷元帥その人とすぐわかったのだ。
「元帥閣下にお越しいただき光栄の極みで御座います。きれいどころもすぐに呼びますので」
 東郷が「一切要らぬ」と一言返すと女将は恐縮した。

 客間に通されるとまもなく仲居が先付けのかきのもとと酒を運んで来た。他の客もあったため東郷の担当になった仲居はふくという勤めてまだ半年しか経ってない赤らんだ頬の十八の娘だった。
 東郷はお猪口に酒が注がれると口に運んで唸った。よほど東郷の顔が旨そうだったのだろう、ふくは嬉しそうに声を上げた。
「海軍さん、ずいぶんと美味しそうに呑まれますねえ」
 久方ぶりの気兼ねの要らない酒だったから普段は意識的に口数を抑えている東郷も心を許した。
「うむ旨か。さすが米どころじゃな」
「最初、仲居頭がお断りしようとしてたのを女将さんがびっくりしてお入れなさったから海軍さんはよほど偉い大人物様なのですね」
 東郷は「歳の功かの」と苦笑した。
「ここはのう、西郷はんばお乗せした土地じゃって感慨深かよ」
戊辰戦争の折り、東郷は薩摩藩の軍艦春日に下士官として乗り込んでいたが、たまたま西郷隆盛を新潟から山形県の久保田まで送る任務が舞い込み、郷土の英雄と久しぶりに話を交わしたのだった。
 東郷は仲居が当然西郷隆盛について知ってると思い勢い込んで薩摩弁で言ったが、ふくは「あの西郷さんが」という言葉を上げることもなく、表情も少しも変わらなかった。それを見て東郷はああ、早や戊辰戦争も西南戦争も知らぬ世代がいるのだと悟り一抹の寂しさを感じた。


  ◇


 いつの間にか池面を雨が打つ音が聞こえてきた。
 料理長が挨拶に来て向付けに地元で上がったという鮪といかのお造りを出した。
「極上、極上」
 その甘さに舌鼓を打って、東郷はふくが注ぐ熱燗をあおった。ふくは先ほど東郷の言葉に何も返せず気まずかったので女将に東郷について聞いて来た。
「私も『東郷さん、東郷さん』いう歌を聞いたことがありますよ。海軍さんがあの歌の東郷さんなんですってねえ」
「歌はげんねでやめてほしかばいの」
「ずいぶんと名誉なことですよ、御自分の名前が歌になるなんて」
 
 やがて料理が出尽くし、ふくが告げた。
「そろそろお開きの時間になります」
 東郷は赤みの射した顔で返した。
「いや構わんから一升瓶で酒を持って来なさい。朝まで手酌で呑むからの」
 するとふくの童顔の眉間に皺が寄った。
「困ります、うちは旅館じゃなくて料理屋ですから。お客様をお泊めしない決まりなのです」
「ほれ、雨も降っとっ。ぬしゃ客を雨の中に放り出すとか?」
 東郷が文句を言うとふくも負けてない。
「お車を呼びますから濡れません」
「おいは横須賀ん料亭には三日続けて過ごしたこともあっんじゃぞ」
「料理屋はお客様をお泊めしないのが決まりなのです。警察に叱られて罰金を取られたら困るではありませんか」
 とうとう東郷は大声を上げた。
「こん頑固娘が、ゆ事聞かんか」
 びっくりした仲居は声を張り上げ泣き出した。

 近くの部屋にいた女将が様子を見に来ると東郷はばつが悪そうに言った。
「このふくさんに泊められんと言われての、怒ったら泣かれてしもたわ」
「そうでしたか。よろしゅうございます、元帥閣下なら特別にお泊め致しますよ」
 女将が言うと今度は東郷が聞かなかった。
「いや、いかん。それではふくさんの正義を曲げるこつなる」
「雨も降ってますし、どうぞお泊り下さいまし」
「うかつにもおのれが教育者いうんを忘れちょった。大反省じゃ」
「ふくには私からよく言い聞かせますので、どうぞお泊りを」
「そうはいかん。おいの今の肩書きを知っとるか? 惧れ多くも東宮御学問所総裁じゃぞ。些細な正義でも見過ごすわけにはいかんとよ」


  ◇


 女将と料理長、仲居たちが見送る中、車が動き出した。東郷が挨拶に手を上げると、それはあの東郷ターンの取り舵いっぱいの合図に見えた。    了

Togo_Heihachiro,1907
Afbeelding uit de biografie van Togo door C. Henderson 1951





 あっち(勝手に電波を流して金を取るヤクザ)が西郷ならこっちは東郷というわけで、明治政府の大博打に勝利をもたらした日本海軍元帥東郷平八郎のエピソードを紹介しました。仲居さんが泊まりたがる東郷元帥を返してしまった料亭は実在します。




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gingak
  • Author: gingak
  • 銀河 径一郎
    (ケイイチロー・ギンガ)
    好きな言葉は『信じる』。
    『地球人も宇宙人』。
    写真はッシェル・ポルナ
    レフの真似です

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