市岡政雄は山陰に向かうため、ファーストクラスに乗っていた。
当然のことながら、座席はいつも使うエコノミーより、ゆったりしていたし、機内食もグレードが違っていた。
そしてキャビンアテンダントたちの対応が違っていた。
国内ローカルの寂しい路線のせいか、ファーストクラスを見渡すと、客は、老夫婦がひと組、実業家らしき男がふたり、そして市岡だけである。
そこで市岡は美人のアテンダントに突然、苗字で呼ばれて驚いた。
「市岡様、ワインのおかわりをお持ちしますか?」
エコノミークラスでは苗字で呼ばれたことはない。
「どうして私の名を?」
「ええ、大事なお客様ですから」
そういって彼女は名刺まで差し出すのである。
「なんなりとお申し付けください」
その名刺には手書きでプライベートなメールアドレスまで書いてある。
しかも、それは彼女だけでなく、入れ替わりやって来るアテンダントが揃って個人アドレスを書き込んだ名刺をくれるのである。
しまいには、
「本津賀町に行かれるんですよね?」
と、キスするかと思うほど私の顔に唇を接近させて、私が訪問する町を言い当てるのだ。
ここへ至って、もしかしたら私の訪問先と理由について、彼女たちが嗅ぎつけたのかもしれないと推理した。
私は夢を売りに行くのだ、しかも高額で。
その地方で、かつてみっつの町のほとんどの土地を所有していたという大富豪が、私の夢を、とんでもない高額で買い取ってくれるというのだ。
アテンダントたちが、私に親しくしようとするのは、過去に東京からファーストクラスで招待され、大金を手にした男の玉の輿に乗ったアテンダントがいたからではないだろうか。
そうに違いない。
そう考えると納得がゆく。
この山陰地方行きのファーストクラスに、不釣合いの男、これが彼女らのターゲットなのだ。
私だって独身だったら、彼女らの甘い誘いに乗せられていたかもしれない。
しかし、私には家庭がある。
そして私の夢も家庭に大いに関係したことだ。
『夢買い』の話は偶然、インターネットで見つけた。
それは体裁としては『あなたの夢コンクール』という形で、自分の夢を原稿用紙五十枚にまとめて応募し、一等賞金は50万円となっていたのだ。
応募して半年以上過ぎて、応募したこと自体を忘れかけた頃、『あなたの夢コンクール』事務局の者という男から、先週の夜に電話があった。
テレビでニュース番組を見ていると、妻の宏美が電話の子機を持って聞く。
「あなたさ、『あなたの夢コンクール』事務局って知ってる?」
「なんだ……、ああ、あれか、思い出した」
私は、缶ビールをテーブルに置いて、食べかけのサキイカを飲み込んだ。
妻から子機を受け取ると電話の向こうの男が言った。
「実は、あなたの夢のお話に本津賀会長が大変興味を持たれまして」
「はあ?」
「それで、正式に買い取らせていただけないかと思いましてお電話いたしました」
買い取りという意味がわからなかったので、私は聞き返した。
「あの、一等になったんでしょうか?」
「いえ、一等は今回もありませんでした。
しかし、会長があなたの夢は面白いと言われまして、是非、買い取らせていただきたいのです」
「夢を買い取るっていっても」
「いえ、特別なことではありません、ただ会長にじかにお会いいただいて、夢の話をたっぷりと語っていただけばよろしいのです。
そうやって会長はあなたの夢を聞いて楽しむのです。
ただ、こちらもお金を出す以上、独占までは無理でしょうが、なるべくあなたの夢は口外しないでいただきたいのです。
それが買い取るという意味です」
私は、なんだかバカらしくなって言ってやった。
「私も忙しいんですよ」
すると電話の相手は私の答えを予期していたかのように、
「はい、当然です。
会長は外出できませんので、1日か2日、休んでこちらへ来ていただかねばなりません。 そこで、休業補償としまして100万円を一週前にお振込みいたします。
また往復と宿の手配等はすべて私どもでさせていただきます」
私は驚いた。
あの賞は、たしか賞金50万だった、それをあごあし付きで倍出すというのだ。
「もし、お仕事の都合がつけづらいということでしたら、お勤め先に、私どもから、強い要望をお願いすることも可能かと思います」
その自信満々の台詞にまた驚いた。
まるで政治家が私の勤務先に圧力をかけるような口ぶりだ。
「それから夢自体の買取価格なのですが、会長の感動によって若干上下いたしますが、大体、市岡様が現在お住まいの地域なら、4LDKの新築一戸建てに換算して、二軒分から五軒分の間の価格を見ていただいてよいかと思います」
「あっ」
私は危うく子機を落としそうになった。
夢の話をするだけで新築の家が数軒買える大金を払うというのだ。
いまだに毎月、家のローンの支払いでこづかいも思うにまかせない私にしたら飛びつきたい話だ。
いやいや、落ち着け、おいしい話には裏があるに違いない。
「ちょっと驚きました。
しかし、こんな言い方失礼だが、夢にそんなお金を出すとは、信じがたいですね」
電話の相手は落ち着き払って説明する。
「ええ、皆さん、最初はそう言われます。
しかし、会長は名前を本津賀文麻呂と申しまして、山陰地方の名士でして、知事を二期勤め、近県二名の総理の後ろ盾もなさった実力者でございます。
嫌味に聞こえたら申し訳ありません、会長は余っているお金がかなりございまして、老後の道楽で夢を買い取るということをなさっているわけです。
本津賀町のホームページを検索していただきますとすぐわかると思います。
漢字はブックの本に、津々浦々の津、賀正の賀です。
ただ、今日はもう遅いですので明日の昼にでも、町の代表電話なり、メールをいただけますか、会長の夢の話とおっしゃっていただけば、すぐに私にまわされますので、お話を続けさせていただきます。
また町のホームページのリンク先で本津賀町観光ガイドというサイトの企業で上から八つはすべて会長の会社ですので、そちらから連絡いただいてもかまいません」
「はあ」
私は、それほどの名士なら、道楽で夢買いもするのかもしれないと思い始めた。
「これはオフレコでお願いしたいのですが、会長は現在、かなり体が弱っておりまして、なるべく早く市岡様に来ていただいて夢のお話をいただきたいのです。
ここのところ、会長の楽しみはそれだけなものですから」
「……あなたのお名前は?」
「はい、会長の主席秘書官を務めております伴野と申します」
「まだ受けるとは決めてませんが、とりあえず確かめさせてください」
「はい、どうぞよろしくお願いします」
私はきっとこの秘書は電話口で本当に頭を下げてると感じながら、受話器を置いた。
「なんだったの?」
「うん、まだよくわからないんだ」
妻に子機を返した私は、狐につままれた気分で、とりあえずノートパソコンをつけて、本津賀町を検索してみた。
すると、本津賀町のホームページに、確かに、町の最大の功労者として本津賀文麻呂の名前と顔写真があった。
撮影された時は七十歳前ぐらいか、もう少し脂ぎった雰囲気かと予想したが、それよりは痩せ気味で貴族っぽい顔立ちだ。
リンクの本津賀町ガイドに飛んでみると、本津賀文麻呂が会長となっている企業八社が『あなたの夢コンクール』の共同主催者だったことがわかった。
まだ名士を騙る詐欺の可能性はあるが、何か提示された時点でぴしゃりと断れば、最初に振り込まれた百万はもらい得だ。
私は、翌日の昼に本津賀町町役場に電話を入れ、伴野秘書に応諾を伝えた。
§2
空港に出迎えてくれたのは大型のリムジンと伴野秘書だ。
こんなリムジンに安っぽい背広の男が乗り込めば、すぐ空港の噂になるわけだ。
私は妙に納得して、無駄に長い車内に乗り込むと、伴野秘書は向かいに控える。
「何かお飲みになりますか?」
伴野秘書の脇にミニバーのボックスがあるのだ。
「いや、車で飲む習慣がありませんから」
私は気になって聞いてみる。
「あの会長さんは相当具合が悪いのですか?」
「いえ、今すぐどうということはありませんが、もう外出は週に一度ぐらい車椅子で庭のごく一部を眺めるぐらいです。
ただ影響力の非常に大きな方ですので、外部には漏らさないでいただきたいのです」
「はい、わかってます」
うなづいた私は、もう一度、夢の話の念を押した。
「それで、私の夢の話でいいんですか?」
「もちろんです。
もともとあの賞は、会長がいろんな夢の話を集めるために始めたものでして、ただ最初から高額の賞金を明かしてしまいますと、賞金稼ぎのプロの方が応募してしまいます。
会長は偽りない本当の夢をお聴きになりたいのです。
そこでわざと低い賞金にして、会長がひとつひとつ吟味して、これはいいというものを選んで、こうしてお呼びするのでございます。
そのため、ご疑念をおかけしたこと、大変、申し訳なく思います」
「いいえ、そういう仕組みなら、仕方ないことですね」
私はそう言いながら、自分の夢が家何軒分に化けるかと思うと、胸が高鳴るのを押さえきれなかった。
二十分も走って、リムジンは門番のいる門をくぐった。
私がわりと近いんだなと思った瞬間、伴野秘書がこともなげに言った。
「あと十分ほどで着きますので」
門から玄関まで車で十分かかるというのだから、敷地の広さは大したものだ。
外を見るとゴルフ場がそのまま日本庭園になったような印象がある。
やがてエントランスに着くと、屋敷は築年数は経ていそうだが、がっしりしたコンクリート造りだ。
若い執事がドアを開き、伴野秘書に伴われて中に入ると、そこはやたら広い吹き抜けのホールで、幅が五メートルはある階段がある。
「なんか首相官邸みたいですね」
私が言うと、伴野秘書はうなづいた。
「ええ、このホールは旧首相官邸のホールとほぼ同じ設計になってます」
二階にあがり部屋をいくつか通り過ぎ、執事の立っているドアの前で止まり、伴野秘書が執事に問いかける。
「いかがだ?」
「はい、顔色もよく、楽しみにお待ちになっておられます」
うなづいた伴野秘書はドアを開けて、室内に一礼して「市岡様をお連れしました」
「うん」
小さく声が返った。
私が室内に入ると、大きな窓を背にしてベッドから上半身を起こした本津賀文麻呂の顔があった。
ホームページの写真より十年ぐらい老けて見える。
鼻に細いチューブをつけているのは酸素なのだろう。
この人物が私の夢の話を高額で聴いてくれるのだ。
私は深くお辞儀した。
「はじめまして市岡政雄です」
「よく来てくださった」
本津賀老人は手を差し出したが、手のひらを上に返す力はないようだ。
私は急いで歩み寄って握手した。
指には力がないが、見つめ返す目には力強さがあった。
伴野秘書が素早く、私の後ろに椅子を滑り込ませ、いつの間にか現れたメイドがサイドテーブルに紅茶を置いてくれた。
「ま、おかけになって」
私は椅子にかけて、紅茶に口をつけた。
「市岡さんの話は拝読しました。
あれはよかった、最近の中では一番楽しかった」
「ありがとうございます」
「市岡さん、あなたは文学部だったんですな」
「はあ、取り得のないところを出てしまいました」
「いや、わしも文学部に入りたかったが、親父に政治か経済のどちらかにしろと、やりんむりん言われてな、
わしは、(じゃなぜ文麻呂と名つけた)と食い下がったが、(文月の文じゃ)と一蹴されたでの、ハハハッ」
「そうですか」
「では、ぼちぼち、お願いしますか」
そう言うとメイドが窓のカーテンをおろし始める。
伴野秘書が市岡が応募した原稿を渡して囁く。
「市岡様、なるべくいただいた原稿の順序でお願いします。
市岡様も今入ってきた側の壁をご覧下さい」
原稿の順序ってどういう意味だと思いながら振り向くと、入ってきた壁面いっぱいに大きなスクリーンが降りている。
映像付きで夢を語れということかもしれない。
もちろん私にはそんな映像の用意はないから、本津賀家で原稿に合わせて用意した映像が順序よくスタンバイしているのだろう。
原稿に一瞬目を落としたが、今さら確認する必要はない。
何しろ家数軒分になる話なのだ、この一週間、暗唱できるほど何度も読み返して練習したから、こちらの準備も万全だ。
部屋が暗くなると、スクリーンに映像が流れだした。 (後編に続く)
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
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