銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。

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  起


 その年十月、高雄山寺にあった空海は嵯峨天皇より急なお召しを受けた。

 四年前、遣唐使の任を果たし唐から帰国したこの僧は、知識、法力とも並ぶものなく、そのうえ詩書にも明るく筆も立つため、書を好む帝に重用され、まもなく官寺の別当に任ぜられてめきめきと頭角を現した。
 帝は大事な仏教修法が必要な時は、まず空海に命じるようになっていた。今回もそのような用であろうかと空海は考えながら、唐で口伝された密教の占法で用件を探ったが、鎮護国家の徴も、病気祓伏の徴も出ない。
「このたびは気楽な用じゃ」
 空海は従者に言ってのんびりとした心地で宮中に参内した。

 しかし、紫辰殿に上がった空海は、昼の御座所の前ではなく、奥の御寝所の傍らに通された。
「おお、別当、よく来たな」
 齢三十を過ぎたばかりの帝は嬉しそうに言い、身を起こすと御簾を巻き上げさせた。
 ひとまわり年長の空海は畏って言上する。
「これはこれは。
 予め占を立てた時は病の気配は見えませなんだゆえ、驚きました……」
「別当、さすがであるの。
 まわりがうるさいゆえこうして隠れておるが、格別病などではないのだ。
 時に、別当もあの迦具夜姫のこと、どこぞより聞き及んでおろう?」
「はい、天子の隻眼と坊主の地獄耳は本朝の誇るぺきものにございます」
 空海が言うと帝は笑みを洩らした。
「うむ。どうも、あの姫が月に帰ってしもうて以来、朕は食が細り気味で、何もする気が起きぬでな。
 いかなる縁あってか皇子に生まれつき、今日まで恋の実らぬことなく、産ませた子も手足の指の数より多いこの身だか、迦具夜姫のおかげてようやく恋に悲しむことを覚え、美しい面影に涙する毎日なのだ……」
「お察しいたします」
「そこでこう思い立ったのだ、
 かの姫のこと、どうせ忘れようとして忘れられぬことならば、誰ぞにいい加減な噂を広めらられる前に、先手を取って、書き残しておきたいものだとな。
 それも形式張った記録ではなく、いかなる噂にも乗じられる隙のない、美しい話として残したいのだ」
「なるほど」
「姫に心寄せた者も多いが、それらの者だち皆の慰みにもなるような物語を残して、後世まで伝えたい」
「なかなかの思いつきでごぞいます」
「そこで、唐土の高僧に舌を任せたそちの文才を頼みたいと思うがどうだ?」
「手前の拙文でよろしければ」
 空海が承知すると帝は頷いてさらに付け加えた。
「ただし、くれぐれも朕の名は出してくれるな。
 美しい話にうつつの名は興が醒める。
 既に公の記録からも迦具夜のことは削らせてある。
 書き手が別当であることも悟られぬようにせよ。
 そうじゃ、女房どもの好く仮名書きにするがよい。
 出来上がったものも、内裏へ奉るには及ばない。
 どこぞ朕の耳の届きそうなところへ流してくれればそれでよいのだ」
「承知いたしました」
 空海は平伏して御寝所から下がった。

 橘の植え込み脇の渡り廊下を歩きなから、空海はさてどのように話を組立てようかと思案した。
 袖の内の数珠をつまぐり半眼にした空海の瞼にあの強盗の容貌か浮かんだ。
 できることならおぬしの話を取り入れてやりたいが、そうなると全てを明かさねはならない。
 ここはやはりおぬしの事はおくびにも匂わせず、吐蕃の『斑竹姑娘』や我が国の竹取伝説、天女伝説、富士伝説をからめて夢物語のごとく書くしかあるまいな。
 低く垂れこめる雲を見上げた空海はそう決めながらも、かえって心中に、あの強盗と、かぐや姫の恋物語の仔細を想い巡らさずにはおられなかったのだ。



 一 強盗


 大同五年(810年)、唐の長安に倣らって整然と整理された平安京の町並みが賑わいだしたところに、平城太上天皇の変(薬子の変)が起きた。
 桓武天皇の息子である天皇兄弟が平安京と平城京に二人いるという異常事態に一時騒然となったのだが、これは弟嵯峨天皇の迅速な采配で収束し、嵯峨天皇の命令により空海が鎮護国家の修法を行うと、町は落ち着きを取り戻し、平安の都はいよいよ平和な繁栄を見せたのであった。

 
 黒面広忠と呼ばれる凶悪強盗が出没したのは、それから数年後のことである。

 この黒面広忠、六尺に届こうかという上背があるうえ、荒くれ男の図太い腕をもへし折る怪力、大きな牛を一撃のもとに殴り劇す拳、馬を追いかければ馬の方が根負けする強靭な脚力をすべて合わせ持つ怪物であった。
 そのうえ、強盗の手口も残忍を極めた。
 堂々と家に乗り込むと、立ち向かう家人の命を蚊のごとくに潰し、腰を抜かした女を慰みの道具のように弄び、鉄の堅牢な錠前を素手で抉じ開け、気紛れに金品を選んで持ち去るのだ。
 家筋などはおよそわからぬが、最初押し入った時に、誰何されて「ひろただ」と答えた名と、後に月の逆光に紛れた彼の容貌を見止げた生き残りが恐怖を込めて黒い面構えと伝えたことから姓がつけられ、黒面広忠と呼ばれたのである。
 朝廷も威信にかけて黒面広忠追捕の命を発し、懸命の市中見回りと近郊捜索を重ねたが、広忠は嘲笑うように捕り方を振り切り、どうしても補まらなかった。


 その晩、広忠は、朝廷でも有力派閥に属する大臣の屋敷に侵入した。
 いや侵入などという、こそこそしたものではない。
 広忠は憶病な貝のごとく閉じらている正門を平手で鼓のごとく叩いた。
 突然響いた、聞いたこともない音に門番は驚いた。
「何者じゃ?」
 すると広忠はにやりと口に笑みを浮かべて、
「黒面追捕の探索である、この門を開けよ」
 と偽りを叫んだ。
 門番は少しだけ門を開いて聞く。
「黒面が出たのか?」
「そうとも、俺が黒面じゃ」
 様子を伺おうとした門番に声を上げさせる暇も与えず、黒面広忠は門番の喉をひと突きにすると、悠然と敷地に入った。
 
 黒面広忠は太刀を片手にぶらさげ、堂々と寝殿造りの正殿の内に上がり込んだ。
「お楽しみじゃのう」
 そう声をかけられた、酒を飲んでいた大臣と客人は、誰だろうかと酔いにかすむ目をしばたたかせた。
 ようやく抜き身の太刀に気がついた時には命運は極まっていた。
 一瞬、ヒェッと声にならぬ声が上がったかと思うと客人の狩衣から血が染み出した。
 客人が前のめりに倒れると同時に、広忠の眼尻に寄った黒光りが大臣に定まる。
「ひ、黒面広忠じゃあ、出やれ」
 床を這うように逃げてゆく大臣の声は情けなくかすれていたが、脇の板戸が開いて三人の武者が飛び出してきた。
 しかし、広忠は血の滴る刀を片手にぶらりと持つだけで構えもしない。
 武者の一人が「ヤー」と叫んで斬りかかる。
 と、黒面広忠の刀がビュンと風切り音を立て、瞬間、かん高い音が響き、鋼がぶつかる火花が光るや、武者の太刀はあさっての方角に吹っ飛ぶ。
 次の瞬間、武者は床に広がり出した血の海に蛸のように手足を広げた。
 広忠が血走った目で睨みつけると、残る二人はほとんど戦意を失っている。
 中でも一人は股間から脹脛にかけて漏らし小便で袴を染めている。
「それ、二人でかかれ」
 大臣が言うと、もう一人の武者が半ば白棄になって突っかかった。
 しかし、広忠はこれをサッとかわして相手の脇腹を突き返した。
 そして、刃のこぼれてきた己の刀を捨て、武者の無傷の太刀を奪い取る。
 そして振り向くや、逃げ出しにかかっている漏らし武者をダッと追って戸口の手前で斬り殺した。
 またたく間に、用心棒の武者を始末した広忠は大臣に向き直った。
 大臣はなぜかまだ酒の瓶子をしっかり手に握ったまま腰を抜かして、顔を真っ青にしている。
 黒面広忠は大臣の手から酒の瓶子を取り上げると野太い声で命令した。
「やい、主、飯を用意しろ」
「わ、わかった、誰ぞ、飯じや。
 早う、飯じゃ」
 ちょうど物音に様子を伺いに来た家司は、切追した主の声と姿に出くわし「たっ、ただいま」と叫び、どたどたと走り去った。

 広忠は瓶子にそのまま口をつけ酒を飲み干すと、大臣に尋ねる。
「姫はあっちか?」
 大臣は恐怖の底から声を奮い立たせて懇願した。
「そればかりは許してくりょ。金は幾らでもやるに」
「ほほお、よい心掛けじゃな」
 広忠は笑った。
「聞いてくれるか?」
 藁にもすがる心地の大臣が喜びかけた。
 が、広忠はあっさりと大臣の期待を裏切る。
「だが金の前に、姫を抱きたいんじゃ」
 広忠が対屋に渡ろうとするのに大臣はすがりつく。
「のう、姫だけは許してくりょ。
 姫よりよい女をいくらでも世話するに。
 お願いじゃ、姫は東宮と縁談を進めている最中なんじゃ」
 大臣はどうやら出世の種大事さに必死のようだが、広忠が心変わりするはずがない。
 広忠は斬るのも面倒で「うるさい」と大臣を渡り廊下から蹴落とした。

 対屋に入ると姫は侍女二人と何やら夢中で喋り合っていてなかなか広忠に気付かなかった。
「女、相手しろ」
 広忠が床に太刀を投げ出して言うと、ようやく三人は踏みつけられた猫のような悲鳴を上げた。
 広忠は耳を裂く声に少しも構わず、一番いい着物を着ていた姫をつかまえるとニ藍の桂とその下の単と袴を剥ぎ取り、裸にして己の胸に抱きかかえるとそのまま胡坐をかいて座った。
 全裸となった姫はぶるぶると震えながら、やっとの思いで言う。
「い、命ばかりはお助けくだされ」
「ふふ、怖いか?
 もっと震えろ」
 広忠のあまりの恐ろしさに姫は素直に素直に「はい」と返事した。恐怖から全身に走る震えは命令されずとも止まる気配はない。
「俺が嫌いか?」
 さすがに姫は素直にうなづけず涙目でかぶりを振る。
「わしはおなごは殺しはせぬことにしとる。
 言うてみろ、わしが嫌いだと、命令だ」
 姫は仕方なく気の進まぬまま小さく答える。
「嫌いじゃ」
「鬼のようだろ?」
「鬼のようじゃ」
「わっははは」
 広忠は、己が恐怖の的であるということを確かめると豪快に笑った。
「それでよい、そうこなくてはのう」

 まもなく飯が運び込まれてきた。
 広忠は震えてむせび泣く全裸の姫を膝に乗せたまま、食事にかかった。

 その夜の広忠はいつにも増して大胆だったか、そうまで悠然とされれば、いかに足の遅いお上でも間に合う。
 衛府の中将は今宵こそ威信回復と意気込み、戦並みの大人数五百人を率いて大臣の屋敷を取り囲んだ。
 食事に満腹した広忠は、姫の震える膝を枕に敷いてのんびり酒を飲んでいた。

 そこへ、突然、四方の戸板が破られ、三十人ほどの武者がなだれ込み、あっという間に姫を引き離して、広忠に縄をかけてぐるぐる巻きにする。
 追捕の宣旨を読み上げる中将を、広忠は片目で一瞥すると鼻から息を抜いた。
「ふん」
「黒面広忠、おぬしの悪運も尽きたな」
 中将は勝ち誇ったが、広忠は眠そうな声で「酒を邪魔されてはの」と呟き、背の後ろで縛られていた手に力を入れると、手首の縄が千切れた。
「まったく気分が悪いわ」
 そう言うと、今度は胸を巻いていた縄を糸のごとく引き千切った。
「お、おのれ」
 武者の一人が振りかかる刀を、広忠は徳利で受けて、その武者の手を逆にねじった。
 さらに、広忠は武者を軽々と人形のように持ち上げたかと思うと中将に投げつけ、中将はその場に倒れ込んだ。
 同じように次々に斬りつけてくる武者も人形のように他の武者に投げつけて、またたくまに部屋中に倒されてた武者とその呻き声で満たされた。

「ふぁあーあ」
 広忠は対屋から悠々と歩み出て大きな欠伸をした。
 庭で待機していた鎧姿の武者達ほ、まるで何事もなかったように現れて胸を掻いている広忠に唖然となった。
 捕り方は息を呑んで、誰も飛びかかれない。
 そこで、広忠は袴の紐を緩めると己れの一物を取り出し、しばらく虫の音と競うように小便の音を立てた。
「おのれ、我等をなめおって」
 一人が叫んで斬りかかった。
 酔いで動きの鈍くなっていた広忠は刀を避けきれず、音もなく右腕に傷口かぱっくり開いた。
 しかし、斬りつけた武者がやったと思えた時は殆どなかった。
 すぐに、広忠の凄まじい睨みに震え上がったのだ。
 広忠は袴の紐を結び直すと、次の瞬間、左腕で武士の大刀を奪い、鎧の上から胸と腹をまっぷたつに斬り離した。
 怯える武者どもを睨み渡した広忠は、やにわに猛烈な勢いで走り出した。
 もはや、闘志の萎えかけた武者はあろうことか身を引いて、広忠に道を開けてしまう。
 広忠はあっという間に塀によじ登り、向こう側に飛び降りた。

「何をしてる、追え、追うのだ!」
 ようやくのことで対屋から這い出てきた中将が声を張り上げると、武者たちは我に返ったように、再び広忠を追いかけ出した。
 広忠は着物の袖を裂くと右腕の傷に簡単に巻きつけ、それから、西へひと晩、ひと昼、走りづめ、山を幾つか越えた。



2怖れぬ目


 丹波の山麓集落にある家で、美しい姫が胸騒ぎに目覚めて襟を押さえ体を起こした。

 その家は丹波地方の元郡司が建てた家で、今はその母系の老夫婦が住まいしていた。
 姫は膝立ちに蔀戸に近寄り、上半分を引き入れて上げる。
 すると、蔀戸の外には竹林が広がり、その上に楕円の月が輝いている。
 姫は巾着袋を開き、揃えた両手程の大きく丸い鏡を取り出した。
 その鏡の微妙な凹面は光を集めるに優れ、紙燭の僅かな光でも大きな篝火の明かりのように眩ゆく反射することができた。
 姫は室に差し込む月光を受けて眩しく光る鏡面をそっと眺めた。
 

 その時、戸板を怪力でたわませて家に入り込んだ広忠は、土間で水甕を見つけると傷を負った右手で柄杓を持って、乱れた息を潰すようにごっくごっくと水を飲んだ。
 そして一息つくや広忠は今度は鍋の中を調べた。
 なにしろまる一日何も口に入れていなかったから、腹は敷物の毛皮のごとく潰れている。
 鍋の中に煮物の冷めた残りを見つけた広忠は、鍋に口をつけて頭を反らせ、手で残り物を喉にかき込んだ。
 すっかり平らげて指をしゃぶると、次は鉢の中から妙り豆を見つけて口に詰め込み、詰め込み噛み砕く。
 そうしてるうち、置き方がまずかったらしく、鍋がずり落ち、それが甕に当たりかん高い音が響いた。

 すると、奥の室から澄んだ細い声が間いかけてきた。
「父上?母上?」

 広忠は一瞬、腰に差した太刀に手をやり、すぐに戻した。
 広忠のねぐらにしている洞穴はあとひと山だ。ここで騒ぎを起こすと、ねぐらまで探索の手が迫るかもしれない。いくら怪力の広忠でも寝る時は無防備だから、万が一そこに踏み込まれるのは面倒だ。
 広忠はこの女は脅して静かにさせようと決めた。
 姫は眺めていた鏡を床に置いて、白い汗袗(かざみ)の上に、萌黄の衵(あこめ)を羽織って戸口に歩み寄る。
 広忠は戸口の外にそっと忍び寄り身構えた。
 姫は土間に降りようと戸を開けた。

 瞬間、待ち構えていた広忠は体当りするように姫を部屋の中に押し戻した。

 部屋の中は月光を反射する鏡のせいで意外に明るい。
 広忠は右手で素早く姫の口を塞ぎつつ、左手で姫の腹を押さえた格好のまま、数瞬、姫と目を合わせた。
 姫はあまりに突然で怯える間がなかったのだろうか。
 目を凝らして顎の輪郭を髭が縁取るいかつい広忠の顔をじっと見詰めている。
 何か言おうとして広忠に押さえられている唇を動かしはしたが、それも止めた。
 広忠はじっと見返してくる恐怖心のない美しい瞳と、手のひらにある柔らかな唇の感触に、不思議とどぎまぎした。
 そして妙に高揚した気分になり、広忠も手を引いて姫を見詰めた。
 僻村にはおよそ不釣り合いな姫の麗しさに驚いた点もあるかもしれない。
 しかし、それはまことの理由ではない。
 広忠は初めてだったのだ、自分を恐怖以外の目で見つめる女に出会ったのが。
 だから、この女は一体どういうつもりかと姫を見つめたのだ。
 それは端から見たら、奇妙な光景であったろう。
 真夜中、美しい姫と、腰に刀をぶらさげた凶悪強盗が見詰め合ったまま、黙り込んでいるのである。

 やがて、広忠は思い出したように「声を立てるな」と囁いて、姫の首をつかみ、刀を抜いてかざした。
 すると姫は小声で言う。
「その刀をおしまいください。
 益荒男が手弱女に刀を向けたとあっては笑い草となりましょう。
 決して騒ぎませぬから下げてくださいませ」
 広忠は一瞬、姫の言葉に頷きそうになったが、小娘の口車に乗せられてなめられては、と思い直し、姫の口を再び強く塞いだ。
 そうされながらも姫はしっかと広忠を見詰め返してくる。
 やはり恐怖を帯びた目ではないのだ。
 姫の澄んだ目だけで、広忠は胸の奥底をかき回されるように感じ始めていた。
「な、なんだ、その目は……、お、俺が怖くないのか?」
 姫の命を掌中に握っているはずの強盗が、逆にまるで問い詰められているかのように小声で聞き返した。
「では、怖い方なのですか?」
 姫も囁いて聞くと、広忠も囁いて答える。
「お、おう、ひと目でわかるだろうが」
「申し訳ありません、怖い方は初めてなのです」
 姫がそう謝って、広忠の角張った顎を縁取るぼうぼうの髭や、汗の滲んだ高い鼻を見詰めていると、広忠は切れ長の下の、よく見るとつぶらな瞳を苛立たしそうに動かし小声で叱った。
「人の面をじろじろ見るんじゃねえ」
 姫は、いかつい男が恥ずかしがる風情がおかしくて笑みを洩らしそうになったが、さすがにそれは本気の怒りに遭うと悟り、すぐに噛み潰した。
 広忠は姫をじっと睨んで小さい声で脅す。
「いいか、やがて追っ手が来よう。
 おそらく家の者は叩き起こされ、お前も何かひとつふたつ聞かれるやもしれん。
 しかし俺のことは一言も喋ってはならねえ。
 手振りで示してもいけねえ。
 もしおかしな真似をしたらお前も家族も皆殺しだ」
 声は小さいが、すっかり凶悪な色に染まっている広忠の言葉に、ようやく姫も恐怖をひしひしと感じた。
「断っておくが、俺は追っ手が恐くてこんなことを言うんじゃねえ。
 今日はもういささか人殺しに飽いてしまっての。
 そこで、ここは静かにやりすごそうと決めたんじゃ。
 だが、お前が騒ぐ気を起こすなら、またひと暴れするまでのことだ」
 広忠が脅して睨むと、姫は黙って頷いた。


 まもなく広忠の言った通り、たくさんの馬の脚音といななき、そして武具が甲冑にすれる音が響き、家の門が激しく叩かれた。

 広忠は姫を睨んで「よいな」と念を押し、姫のお気に入りの蘇芳の帳子(かたびら)が掛かっている几帳(きちょう)の陰に隠れて太刀を構えた。

 武者の声が響く。
「ここを開けよ」
 さらに、追捕の中将が自ら大声で怒鳴った。
「お上の命により強盗の探索をしておる衛門の中将惟匡である」
「何の御用でございます?」
 離れの小屋から飛び出た下男が戸を開けながら尋ねると、武者の掲げる松明の中から中将が大雑把に説明して聞かせる。
「都を騒がす凶悪強盗がこのあたりに逃げ込んでおるやもしれん、変わりないか?」
「はい、静かにございます」
「うむ、主人に問いたいゆえ案内いたせ」

 下男が家の戸口を叩くと主人が戸口に現れた。
「強盗の探索をしておる衛門の中将惟匡である」
「これはお役目ご苦労さまにございます」
 追捕の中将は松明に照らされた主人の顔色を仔細に見ながら言う。
「うむ、都を騒がす凶悪強盗が逃げておるのだ。
 主、何か気のついたことはないか?」
「都の強盗ですか?
 ここは都からは馬でも二日かかりますが」
 主人は不思議そうに言うが、中将が説明して聞かせる。
「並みの足の男ではないのだ。
 馬と駆け比べしても、ばてぬ男なのだ」
「はあ、それはそれは」
「それだけでない。
 とんでもない凶悪な大男でのう、怪力をいいことに、今日だけで十数人もひとを殺めておるのじゃ」
 中将が言うと主人は絶句した。
「……なんとまあ、恐ろしい」
「それらしき姿を見たり、足音を聞いたりせなんだか?」
「いいえ、手前はいっこうに」
「そうか。主の他に家族はいるか?」
「あそこに控えてますのが手前の女房です」
 主人が振り返って言うと、中将は板間に控える女に尋ねる。
「どうだ、お前は怪しい者は見なかったか?」
「いいえ、そのような大男は見かけませんでした」
「家族はこれきりか?」
「あとは奥の部屋に娘が寝てるきりです」
「うむ、姫にも答えてもらおう」
 中将が主人に姫の室の戸を開けるように言うと、几帳の陰の広忠は、息を止めて五感と剣先に神経を張りつめた。
「姫よ、起きただろう。
 お役人様の質問に返事を申し上げなさい」
 主人はそう言いながら姫の室に近寄り戸を開くと、紙燭の炎の光が揺れた。

 姫は扇で顔を隠して「はい」と返事した。
 中将が尋ねる。
「夜分、済まぬな、凶悪な強盗が逃げておるのじゃ。
 怪しい音や姿なぞ見かけなんだか?」
 几帳の陰の広忠は、いつでも飛び出し、斬りつける心構えで、耳をそばだてた。
 すると、姫は落ち着いた声で、
「部屋より一歩も出ませんでしたので、生憎とそれらしき姿も音も」と答えた。
 中将はうなづいて言う。
「くれぐれも気をつけられよ」
 広忠は緊張を解いて太刀を下ろした。

「強盗が捕らえられるまで外を出歩かない方がよいだろう」
 中将は主にそう言い残して立ち去った。

 それから、几帳の陰の広忠は、追っ手の一行が集落から完全に遠ざかるのを待つことにしたのだが、さすがの広忠も山越えを重ねた疲労には勝てないと見え、やがて眠気の波状攻勢に上体を揺らし始めた。
 次第に揺れは大きくなり、しまいに広忠は上体を板敷きの床に倒して眠り込んでしまったのだった。



 広忠が目を開けると既に蔀戸が上げられ外は明るみ始めていた。
「目が覚めましたか」
 女の囁く声に、はっとして上半身を起こした広忠は、すぐ傍らで徴笑んでいる姫を見つけ一瞬、息を呑む。
 姫も顔を隠そうとして思いとどまった。
 透けるような白い肌と艶々とした大きな瞳の姫は、広忠が今まで目にしたどの女より美しく輝いていた。
 姫から目をそらした広忠は白分が姫の家に忍び込んだまま寝入ってしまったことに思い至り、己れの体にかけられている良い匂いの表衣を眺めてふうと安堵の溜め息を吐く。
 さらに右腕の傷を縛っていた汚い布が絹に替えられているのにも気付く。
「どうしてだ?」
 広忠が右腕を見たまま呟くように聞くと、姫は小声で、
「何がです?」
 と聞き返した。
「何故、俺を密告しなかった?
 このようにされても気付かぬほど深く寝入ってる時なら、いかに間抜けな追っ手でも俺の寝首を捕らえることができたろうよ」
 姫ほ、ほほっと息を洩らして囁く。
「寝顔が童子のようにろうたげでしたゆえ、そなたが悪人であるのをすっかり忘れていました」
 そう言われた広忠は羞恥で額から首の付け根まで真っ赤になったが、不思議と荒々しく返す言葉は出なかった。
「まあ良いわ。
 俺も男だ、受けた恩は恩とはっきりさせておきたい。
 おんな、何か欲しいものかあれば言ってみろ。
 必ずくれてやろう」
 広忠が聞くと姫は聞き返した。
「必ずですか?」
「必ずじゃ」
 姫は囁いた。
「では悪事をお止めくださいませ」
 広忠はびっくりして言う。
「悪事は俺の天職じや、
 やめるわけにはいかわえ。
 そういうことではなく、何か形ある物にしろ」
「生きてるうち悪事ばかり働いていては、死んでから地獄に落ちます。
 そして来世はよくても、犬、猫、鶏くらいにしか生まれないのですよ。
 そなたも人に生まれついた今こそ、良いことを成さねばならないのです」
 姫が真剣に論すと広忠は鼻から息を吹いて笑った。
「俺に説教とはお笑いだ、
 俺がどんな悪事を重ねてきたかたっぷり話してやろうか」
 しかし、広忠がすごんでも姫の態度はびくともせず、
「そなたにだって善いところがある筈です。
 生まれついての悪人などこの世におりませんから」
 姫が自信を込めて断言すると広忠は呆気に取られて口をぽかんと開いた。
 極悪非道とか冷酷無情と言われたことは今まで数限りなくあったが、善いところがあるなどと言われたのは生まれて初めてのことだ。
 そんなところがないことは己れが一番よく知っていたが、この姫に言われてみるとなにやら照れくさくもしかしたら少しはなどと感じるから不思議なものだ。
「まったく、お前はおかしな女だな。
 まあ、よい。
 とにかく今度ごの家に通りかかることがあれぱ、お前に土産を持って来てやろう」



三 強盗の恋心


 追捕の手を逃れた広忠は、姫の家からひと山越えた渓谷にある、ねぐらに戻った。
 ねぐらは、広忠が材をかついで運び、大きめの洞窟いっぱいに柱を突き立て、戸板を無理やりはめ込み、力任せに造ったいびつな小屋だった。
 広忠が帰ると、奥にいた女がまるで亭主を迎えるように迎えた。
「お帰りなさいまし。
 御苦労様でした」
 女は、三流とはいえ貴族の家に生まれ、高貴な姫君に仕えていた侍女であったが、数年前のある夜、強盗に入った広忠にさらわれ、ここに連れて来られたのだ。
 そして広忠に「ここから出てはならぬぞ、女が歩くと飢えた熊が出て食うでな」と脅されると、たとえ広忠がニ、三日留守にしても、自分から険しい渓谷を降りて逃げようとはしなかった。
 さらわれた時、侍女はもはやわが命も長いことあるまいと覚悟した。
 それが少しでも長く生きる道だと信じて、広忠の怒りを買わぬよう、短気をうっかり刺さぬよう注意を払って、飯を作ったり、洗濯をしたり、時には気紛れな広忠の欲望に喜ぶ素振りを見せたりして、飯盛り女として努めてきたのだ。

 今、帰った広忠を見ると、いつものような戦利品を携えてないばかりか、どうやら腕には布を巻いて傷まで負っている様子。
 さては追っ手に痛い目に遭わされたのかもしれぬ。
 広忠の性格を知りつくしていた女は、これはうかつに何があったのかなどと聞いては、かえって生命取りになりかねないと心得て、目をそらしたまま問いかける。
「何か召し上がりますか?」
 しかし、広忠は何も答えず、見向きもしない。
 それでも、返事がないからと気を利かさずにいて殴られたことがあったのを思い出す。
 そこで、女は、かまどで、干し肉と有りあわせの野菜で鍋を作り、酒と共に出してやる。
 すると、広忠は黙ったまま全部平らげた。
「もう少し、御酒をどうぞ」
 女が言うと、広忠は黙って杯にしてる椀を持ち上げた。
 椀に酒を注いでやったが、広忠はそれを宙に持ったまま、沈んだ目をして黙り込んでいる。
 おや、この悪党の目が死んでるようだよ、不気味だこと。
 女の心配をよそに、広忠は酒に口もつけず、さっさと横になり寝てしまった。

 それから数日、小止みなく細い雨が降り続いた。
 その間も広忠はおかしかった。
 雨の日にはよくある、気紛れに女を押し倒すこともせず、強盗にも狩りにも出掛けず、日がな一日、筵に寝そべって雨を眺めているのだ。
 そうして、時々、大きな溜め息を洩らしている。
 これはかつてないことなので、女にはどうしたらよいか、わかりかねた。
 それでも食い糧が心細くなったので、そのことをおそるおそる口に出すと、広忠は頷きもせず、死んだような目つきのまま外へ出かけ、夜遅くに猪を二頭を担いで帰ってきた。

 翌日、ようやく雨がやみ、晴れあがった。
 女は小屋のすぐ外に置いた大樽に十分な雨水が溜まっているのを確かめると、洗濯を思い立ち、右肘を枕に寝ている広忠に言った。
「今日は天気もよいし、その着物を洗濯いたします。
 さあ、脱ぎなされ」
 黒く汚れた狩衣を脱がせにかかると、広忠は素直に従って袖を抜かせた。
「その汚れた布も洗いましよう」
 女はそう言って広忠の右腕に巻かれた、茶に変色した布を外そうとした。
 すると、広忠は突然、雷の如く、鼓膜が裂けるほどの大声で
「勝手に触るなっ」
 怒鳴って、女を激しく突き飛ばした。
「お前のような醜女など要らん、
 とっとと失せろー」
 女は突かれて内の骨にひびが入ったかもしれぬ胸を押さえて言い返す。
「そ、そのように突然、失せろと言われても困ります。
 熊が巣をつくる険しい谷をおなごに降りられる筈はない、と言われたのは貴方様ですよ」
「うるさい、ならばこの場で始末してくれようか?」
 広忠が傍らの太刀に手をかけると、女は慌てて、
「ひいーっ」と叫びを上げて、逃げ出した。
 すると広忠は床に太刀を放り出し、大きな溜め息を吐いたかと思うと、右腕の汚れた布を撫でて、それを枕にまた横になった。


 この時、広忠は、この国一番の怪力と嘴いてきた己れを打ち負かしかねない強敵を相手にしていたのだ。
 そいつはふとした瞬間に、広忠の喉の奥から洩れ出て来る怪物で、溜め息を洩らしたが最後、心の正面に可憐な水仙の花のように立ち現れて像を結び、柔らかな微笑みを投げかけ広忠の力を全て奪ってしまう。
 広忠は見えない鋼の糸で魂をかんじがらめに絡め取られたようになり、うっとりとそいつに見惚れる。長く黒い髪、白く透ける肌、艶やかな瞳、愛くるしい唇、そして暖かいいたわり。
 あの姫には、今までカづくでものにしてきた女達にはなかった、広忠を引きつける何かがあった。さらに不思議なのは、美しい容貌を細かいところまでくっきりと思い出せるのだが、そういう外見とはまったく別の何かが強烈に広忠を惹きつけるのだ。

「まったくわからん」
 広忠はあの姫が巻いてくれた絹布を撫でながら何度も溜め息を吐いた。
「まったくわからん」
 思い返してみると、あの家で姫に出食わした時から広忠はおかしかったのだ。
 騒がれなかったからよかったものの、姫を見た瞬間、広忠はすっかり見惚れてしまってしばらく声も出せなかった。さらに忍び込んだ家で騒ぎそうな女を殴りもせず、手篭めにもせず、果てはその脇で前後不覚に眠り込んでしまうという間抜けたことなど、以前の黒面広忠には全く考えられなかった。
「まったくわからん」
 広忠は、また姫の面影に向かってふうーと溜め息を洩らした。
 ふとあの姫を手篭めにすることを考えてみた広忠は慌ててその思い付きを払いのけた。
 今の広忠は己れの肉欲を満たすだけで、この不思議な感情が満ち足りるとは思えなかった。もしそんなことになれば、あの姫は涙を流して広忠を罵るだろう。
 あの姫の涙、それは今や広忠がこの世でもっとも見たくないものとなっていた。
 広忠は不意に悟った。
 かつては、女どもを怖がらせたり泣かせたりして面白がっていたが、実は広忠の心はそこにあるのではなかったのだ。自分を恐怖の相手ではなく、一人の男として正面から見据えてくれる女を探し求めていたのだ。だが、大きすぎる体といかつい顔がいつもそのかすかな期待を打ち砕いてきた。
 そこであの姫に出会ったのだ……広忠を怖れることを知らぬ姫。
 もしかしたら、あの姫こそが広忠の求めていた女なのかもしれぬ。
 そこで広忠は口に出してみた。
「わしは、あのおなごに惚れた」
 そう言って広忠は一人で照れた。
 今、広忠の心は、男と女が真に心と心を通い合わせた時だけに掬える胸の奥底にある何かを、あの姫の輝く微笑とともに掴むことを熱烈に求めている。
 凶悪で知られた強盗黒面広忠も三十路を半ば過ぎて、ようやくまともな恋を知ったのである。

 広忠は、姫に美しい布でも贈って好いたことを告げようかと考え付いたが、姫の答えを考えると、わだわだと胸を震わせた。
 こちらが姫を好くのはよいとしても、あちらの美しい姫が凶悪な強盗のこちらを好く筈はありえないのだ。
 密告こそしなかったが、なにやら気の強そうな姫なのである。
 広忠を怖れはしない。だからといってそれは好いてるということではないのは広忠にもわかっていた。
 きっと、広忠が口説いたら、あの姫は自分の嫌う気持ちを、はっきりと正直に言って寄こすに違いない。
 今の広忠には、それががたまらなく恐ろしいのだ。
 分厚い胸板の毛を掻き毟った広忠は、乳母が火にかけていた猪の丸焼きを持ち上げると渓谷の奥深く投げ飛ばした。
「うおおーっ」
 広忠は熊も怯えるような怒鳴り声を上げた。

 こんなわけで広忠に言い寄る勇気はないものの、姫の麗しい姿をひと目だけでも見たい気持ちは次第に昂まり、狩りや強盗仕事の合間にちょくちょく出掛けては生け垣越しに姫の部屋を覗いてみるのだが、なかなか姫の愛くるしい姿を拝むことはできない。
 姫を見れない代わりに、広忠と同じ目的の男たちが垣に張りついているのに出食わすことはあった。
 しかも、その男どもの数は次第に増えてゆくようなのだ。
 そんな折、広忠はこいつら叩き斬ってやろうかと荒ぶる気持ちを起こすのだが、一方で、いやいや、そんなことをして、もし姫に知れてしまったら、ますます嫌われてしまうぞと気付いて思いとどまり、そっと身を隠すのが常であった。



四 強盗の妻問い


 ある晩の真夜中を過ぎた頃、寝つけない広忠が山の頂きに出てぼんやり虫の歌を聞いていると東の山並みにようやく月が昇り出た。
 溜め息を洩らし、姫のことを想いながら月を眺めていると、昔、笑い飛ばした話にあったように、本当に半月が姫の横顔に見えてきた。
 広忠はむしょうに姫に逢いたくなった。
 己れのような野暮ったい悪人が恋を打ち明けたら気丈な姫は笑うかもしれない。さらにすがりついて口説こうとしたら、お前のような凶悪な化け物など嫌いに決まってますと断られるに違いない。
 その時は、太刀で自分の背を突いて胸を破り、そのまま姫の胸から背まで突き通して、二人串差しにして無理死にしよう。
 そんな凄まじいことも考えながら、広忠は盗み貯めてある美しい布地から五本ほどを背負うと姫の家に急いだ。

 広忠が姫の家の垣に近づくと、まだ帰らぬ男が一人立っていた。
 広忠が近づいて、でかい手でその男の口を塞いで睨みつけた。
 月明かりの下で突然髭ぼうぼうの大男に睨みつけられたらたまったものではない。
 広忠がその男の手を口に運んでやると、その男は自分の手で口を押さえたまま、走って逃げ出した。
 垣から姫の部屋を覗くと、運よく蔀戸が開け放たれ、姫が空を眺めている。
 その黒髪の細やかな線を束ねて月光を宿す輝き、空を見上げる瞳の潤んだ艶やかさ、頬からうなじへかけた柔肌の仄かな目眩ゆさ……広忠は久しぶりに目にする姫の、追憶を裏切らない美しさに感激した。
 しかし、声をかける決心まではつかぬまま、もう少し近くで姫の姿を見ようと、広忠は音も立てずに垣を飛び越えると庭の植え込みのもとに潜んだ。
 不意に姫は目を閉じ、青竹色の衵(あこめ)の袖から半分ばかり覗く白魚のような手を揃え合わせて何事か神仏に祈り始めた。
 微笑んでいる顔もよいが、真剣に祈る姿もまた凛々しい美しさがあった。広忠は仏像なんぞじっくり見たこともないが、女菩薩という仏像はきっと姫の祈る姿に似ているのだろうと思った。

 姫は合掌したまま、目を開いて呟く。
「まことに、あの盗賊は今頃どこにおるのでしょう。
 また悪事などはたらいておらねばよいが」
 広忠は姫の言葉に我が耳を疑った。
 この山奥はそうそう盗賊が来る土地でない。とすると姫の言う盗賊とはこの広忠のことに違いない。
 ということはだ、姫はこの広忠の身を案じてくれているのだ。
 これは見込みがあるかもしれんぞ。
 込み上げる喜びに広忠は胸を熱くした。
 もちろん身を案じたからといって好いてるという話にはならないのだが、久しぶりに姫に会えただけで舞い上がり、自分を案じているというので、さらに舞い上がった広忠にはそんな理屈はどうでもよくなっていた。
 すぐ返事をしようかとも思ったが、それではきまりが悪いので、広忠は垣の外に一旦そっと跳ね出た。
 そうして、姫が和歌をひとつロずさんだ直後に、その前に大きな音を立て飛び降りてみせた。

 姫はびっくりして身を引きかけたが、すかさず広忠が言う。
「俺だ、この間の約束通り土産を持って来てやった」
 そう言うと、姫は安堵して徴笑みを浮かべた。
「ちょうどそなたが悪事をはたらいてないかと案じていたのですよ」
 姫にそう明かされ見詰められた広忠は嬉しさに赤くなりながら縁のすぐ際に近寄って言う。
「そのように案じられては、こっちの仕事にけちが付くじゃねえか」
「まあ、悪事がなんで仕事でしょうか、のちのち罰を受けるのは、よいですか、そなた御自身なのですよ」
 そう言われると広忠はむっとなったが、それは腹に納めて背中の荷物を開いてやる。
「少ないがちょいとした代物を持って来たぞ」
 広忠が布地を出すと、梔子(くちなし)、東雲色(しののめいろ)、撫子色(なでしこいろ)、秘色(ひそく)、勿忘草色(わすれなぐさいろ)が川のように広がった。月明かりの下でもその布の色鮮やかなことはひと目でわかる。
 広忠はさぞかし喜ぶだろうと考えながら姫の様子を伺った。
 案の定、姫は「なんと素晴らしい……」と呟いたのだが、次に出たのは広忠に対する非難の言葉だ。
「そなたは他人様からこのような高価なものを盗んで平気なのですか?」
 姫に睨まれると、広忠はうかつに地面に跳ね出た鯉のようにあたふたと口を動かした。
「どうなのです?」
 姫に問い詰められた広忠は出任せを言った。
「あ、いや、これは盗んだものではない。そ、そう、都で買うたものじゃ」
「そうですか。
 ならば、絹を買った代金はどこで手に入れました?」
「そ、それは、蒔絵などを売ってだな」
「では、その蒔絵はどこで手に入れました?」
「そ、それはだ、そう、刀などを売ったのだ」
「では、その刀はどこで手に入れました?」
 姫がしつこく問い質すので、広忠は言い逃れをあきらめて開き直っだ。
「もうよい、ああ、たしかにその絹は盗んだものじゃ。
 そんな恐い顔をするな」
 姫は真正面から広忠を睨んでさらに詰問する。
「そなたは物を盗むだけでなく、もっとひどい、口に出すのも憚かられることをなすとか、人づてに聞きました」
「それは向かってくる者から身を守るためじや、好きでしておるのではないぞ」
「そなたの親がそなたの悪事を知ったらなんと思われることでしょう。
 親の心を考えてみたことはないのですか?」
「ふん、親など知ったことか。
 俺はな、生まれて間もなく、その親の手で川に流されたんじゃ。
 それがどういう運のめぐり合わせか川下で橋のたもとにひっかかり、線香臭い糞坊主に拾われて育ったんじゃ」
 広忠が身の上を明かすと姫は「えっ」と言ったきり絶句した。
「だからのう、俺には殺してやりたい親はいても、人並みに慕い慕われるような親はいねえんだ」
 広忠はそう言って、唾を吐き捨てた。
 姫は衵(あこめ)の袖を目元に運んだ。
「そなたには、そのような辛い出来事があったのですか」
 姫は広忠の身の上につまされて涙声になっていた。しかし、続く姫の言葉は意外なものだった。
「実は、かく申す私も捨て子なのです」
 姫がそう打ち明けると、さしもの凶悪強盗広忠もあっと息を呑んだ。
「ほ、本当かよ?」
「はい、先の都遷りの頃、長岡京の朱雀門(すざくもん)の脇に置かれていたそうです。
 それを郡の御用で、門の新京移築に来た養父が見つけてくださったのです。
 養父は四十路になりながら、子供に恵まれずにおりましたから、私のことを神よりの授かりものと思いなし、喜んで引き取り育ててくださいました。
 その時、私の傍らには手鏡ひとつと、着物の内には砂金もあったそうです」
 姫が言うと、広忠は愛しい姫の生い立ちにうなづいた。
「それはきっと高貴な奴が、訳ありで捨てたんだな」
「今は、この丹波の山に住んでおりますが、養父はもともとは讃岐の豪族の出でしたから、その流れの女神様の名を勿体なくも私につけてくださり、母様は私を我が子のように大事に育ててくださいました。
 おかげで、今は立派な殿からもいろいろとお誘いいただくのですが、呑気にかまえるたちの私は、まだどなたもお迎えしていないのです」
 通い婚の時代であるから、姫が家にこもっていても夫がいないとは限らない。今の姫の言葉で、広忠は安堵して喜んだ。
 だが、次に口をついたのはふてくされた言葉だ。
「なるほど、捨て子は捨て子でも、悪がきは悪の道、姫の出は姫の道、運命は変わらぬもんだな」
「そのような言い方はよくありません、
 運命の惨い仕打ちがそなたを悪の道に導いたので、本当のそなたの心根は清いのです。
 そなたも悪事を慎み、ひたすら魂を磨けば必ずや尊い人物になれるのです」
 姫は涙声にカを込めて諭した。

 広忠は、ここは自分と姫が同じような身の上だということをうまく言えばよいのだとようやく頭がまわった。
「尊い人物なんぞ、けつが痒くてなりたくもねえが、親を知らない姫とわしは、ほれ、なんだ、同じ穴の熊かもしれねえな」
「はあ?」
「いや、熊がいやなら同じ穴の狸でも、同じ穴の猫でもいいんだぞ」
「ほほ、面白いたとえですね」
 姫が笑うと、広忠は姫の心をとらえたように錯覚して、ここで一気に口説いててみようと決心した。
「ところで、あのだな」
 言い出して広忠は喉で息がもつれてしまった。
「ひ、姫に、ち、ちょいと尋ねたいことが、あ、あるんだが」
 突然、どもりながら切り出す広忠を、姫は何事かと見詰める。
「どんなことでございますか?」
「わ、わしが、ひ、姫のもとに通うてはいかんか?
 わしが、ひ、姫のお、おっ、夫ではおかしいか?」
 広忠の突然の求婚に、姫は頬を仄かに染めて聞き返した。
「もし、断ったらどうされます?」
「その時はだ……」
 と息を詰めた途端に(その時は姫を道連れに串刺しにして死ぬまでだ)という脅し文句はどこかに引っ込んでしまい、代わって広忠がしたのはみっともない懇願だ。
「姫の考えが変わるまで通いつめるまでじゃ、
 なあ、俺の願いを聞き届けてくれ。
 そもそも顔を俺に隠さんということは、俺に気を許してるという意味ではないか、
 俺の妻となってくれえ」
 広忠は表情の微妙な変化のひとかけらでも見逃すまいとじいっと姫の顔を凝視めた。

 ふと風が気まぐれにやんで、しばらくの間、虫の声か高鳴るように響いた。

「よいでしょう」
 姫の声がすると、広忠は大きくまばたいて聞き返す。

「い、今、なんと言った?」
「よいと言いました、そなたの妻になりましょう」
 広忠は信じられない心地で聞き返す。
「ほ、ほんとうに?
 いやではないのか?」
「いやと言ってほしいのですか?」
 姫が悪戯に言うと、広忠は慌てた。
「だ、だ、だめじゃ、言い直したらいかん。姫はわしの妻になるのだ」
「ええ」
 姫は領き、「その代わり」と続けた。
「今後は悪いことをしないと約束してください。
 約束できないなら妻にはなれません」
 決然とした姫の言葉だったが、思いがけない奇蹟に広忠は狂喜しそうな勢いだ。
「姫が妻になってくれるなら是非約束したいが、体に染み付いた天職じゃ、なかなかきっぱりとは断ち切九ねえかもしれん。
 でも八百万の神に誓って、いつかはきっぱりと足を洗うから、当面はそれで許してくれねえか?」
 姫は広忠の答えに溜め息を洩らしてから頷いた。
「甲斐性のない約束ですね。
 でも、そういう答え方がまた、そなたの正直さの顕われなのかもしれませんね」
 広忠は縁に上がり蔀戸を越えると、姫の袖を捉えて手を探った。
 探し当ててみると姫の細い手はかすかに震えている。
 しかし、次の瞬間、姫は広忠の腕の布に気付いて笑った。
「まあ、その腕の絹が真っ黒ではありませんか。そんなになるまでつけっ放しだったのですね」
「ああ、これか、これは利き腕だから自分ではうまく換えられん。姫にまた換えてもらおうと思ってのう」
「はい、わかりました」
「俺は広忠じゃ。姫の名は?」
 広忠が囁くと、姫は恥じらいながら答える。
「かぐやと申します」
「おう、かぐやか、よい名じゃ。
 俺は先日逢うて以来、かぐやの面影が忘れられず胸の焦げる思いだったぞ。
 こんな俺だが、かぐやにだけはやさしい心持ちになれるんじゃ、安心しろ」
 そう言って広忠はかぐやを抱きしめた。
 かぐやは過去に抱いたどんな女よりも柔らかい肌をしていた。そして過去に抱いたどんな女よりも熱い肌になった。
 広忠は好き合った者同士で肌を合わせる幸福に酔い痴れた。



五 求婚者たち


 かぐやと契る前の広忠は、溜め息とともに喉の奥から洩れ出て来る怪物に押しつぶされそうであった。
 それが、今や、運命の神の手違いのせいで、かぐやと契るという奇蹟を掴んだ広忠は新たな病に盗り憑かれていた。
 そいつは広忠が目を斜め上に向けるや、すうっと忍び込む病で、そうなると広忠の目は正面に戻っても、眼前の風景ではなく、月明かりの下で輝くかぐやの微笑みを見詰めたままになるのだ。
 そいつはいつでもところかまわず襲ってくる。
 今も、広忠は油を商う店に強盗に入って主を脅したところだったが、主が床下に隠している壺から金を取り出す間に、そいつが襲ってきた。
 そうなると不気味な独り言が洩れるのである。
「へへへ、かぐや、おまえは可愛いのう」
 広忠は口を指が三本入るぐらいの大きさに開いて、にやけて緩んだ唇の端からは、だらしなくよだれまで垂れ出す始末である。
「ははは、かぐやに、だんな様などと呼ばれるとこそばゆいのう」
 脅された主は、あらぬ方に向いて、にやにやと独り言を洩らす広忠を不気味に思いながらも、しかし、そこは気まぐれに襲われたらひとたまりもない身の上、その手に金の袋をしっかりと握らせると「どうかこれでお引き取りを」と頼み込むのであった。
 すると、広忠はにやけた顔のまま、おとなしく店から立ち去るのである。

 一方、かぐやは、広忠と契ったといっても親には秘密である以上、当然ながら姫に求婚する者が減ることはなかった。
 老父母はすっかり子供をあきらめた頃に、突然、神からの授かりもののように拾ったかぐやが可愛くて可愛くてならず、かぐやの煮えきらない態度と相まって、なかなか姫に婿を迎えようとしなかった。
 しかし、体が疲れやすくなり無理がきかなくなってくると、父母はようやく老い先が長くないことを悟り、すると急に『子の次は孫を』の気持ちが勝ってきた。
「なあ、かぐやよ」
 老父母は夕餉の席で改まって姫に向かった。
「なんですか、父上、母上」
「おまえは、まだ髪をあげたての娘のように若々しく美しいことです」
「我らも若返る思いで嬉しい限りなんじゃ」
 かぐやは黙って袖で顔を隠して羞じらう。
 父親は顔を崩して照れながら切り出した。
「しかし、どうじゃ、かぐやも、そろそろ夫を迎えては?」
 大きな袖のこちらで、かぐやは顔を強張らせた。
 母親も笑顔で父親の後押しをする。
「かぐや、そうなさいな。
 いくらなんでももう結婚なさる年齢ですよ」
「先月は国の司まで訪ねて来たのだから、相手に不足はあるまい。
 姫が一番いいと思う方を迎えなさい」
 そう勧められても、かぐやは押し黙った。
「どうしたの、急に勧めたから驚いたのね」
 母は姫の気持ちを慮って聞くが、かぐやは首を振る。
「そうではありません。
 かぐやはどなたもお迎えしたくありませぬ」
 かぐやの頑くなな言葉に父母は苦笑する。
「ははっ、またそのように童女の台詞を言う」
 母は笑みを絶やさずに姫に諭す。
「かぐや、よいですか。
 女というのは年頃になれば殿方を恋し、迎えるのが自然なことなのですよ、
 そして恋の悲しみを知り喜びを知り、玉のような子供を授かり、この世の幸せというものを知るのです。
 それに良い殿方を迎えるのは娘の親孝行ですよ」
「お許しください、かぐやは婚ぎません」
 親に一瞬も目を合わせず拒絶するかぐやに、母親はどこか異様な気配を感じて聞いた。
「姫は、もしや、親に内緒で誰かと契っているのではないですか?」
 かぐやはびくっとして息を詰め、顔を左右に小さく揺すった。
 そんなかぐやに父母はにこやかに言う。
「もし、そうなら、それはそれでもいいのよ、
 ただ、きちんと私達にその方を紹介なさいな」」
「ああ、相手は誰でもよいのじゃ、
 我らは、お前の産んだ可愛い孫を抱かせてもらえれば、それだけでいいのだよ」
「契った人がいるなら正直に仰いな」
 そうは言われても極悪非道の強盗広忠が相手だと答えたら、仲を裂かれるのは火を見るよりも明らかだ。
 かぐやは背筋を昇る震えを押し止めると、強い口調で言い放った。
「そんな相手はおりませぬっ!
 吾を、親に隠れて男と契るような娘とお思いですか!」
 老父母は、かぐやの怒りに驚いた。それまで見たこともない、かぐやの、ぎらりとした瞳の光が、恋しい男を守る女の刃だとは、とんと気付かず、老父母はあらぬ疑いをかけたことを重ねて謝り、その晩は縁談の話題を取り下げた。


 とはいえ、父母は折りにふれてかぐやに熱心に縁談を勧めるようになった。
 しかし、密かに広忠と契っているかぐやはその都度、にべもなく父母の願いを断る。
 そんなやりとりが幾度か繰り返されるうち、いよいよかぐやの美貌の噂が高まり、色好みの都の殿上人までが次々と求婚に訪れるようになっていた。

 雪のちらつく昼下がり、広忠はかぐやの家に向かう途中、道で牛車にすれ違った。
 牛車の中から振られた殿上人なのだろう、憤慨の声がする。
「まろが文も受け取らぬとはたいした礼儀よ。
 どれほど美しいかは知らぬが、たかが思い上がった田舎娘ではないか」
 そう言うと、なぜか節をつけて歌い出す。
「くたびれ損とは丹波のかぐやよ」
 殿上人の牛車をしり目に、広忠はかぐやの家にたどり着いた。
 すると広忠は家の垣から数十歩離れた茂みに向かう。
 そして、巨体の広忠でもひと抱えある大きな岩を持ち上げてずらした。
 姫を案じる老父母や、熱心に垣に貼りついている男達に見つからずに通うため、広忠は怪力にものを言わせ、その岩の下からかぐやの部屋の床下まで地下道を掘って、そこからかぐやの部屋に出入りしていたのだ。

 広忠がいつものように床板を上げ忍び込むと、かぐやは格子も妻戸も固く閉ざした部屋で紙燭の明かりを灯して眩ゆい鏡を眺めていた。
「かぐや、また鏡を見ているのか」
「まあ、広忠様、いつの間に?」
「たった今さ。
 床板を外す音にも気付かねえとは、よっぽど物思いに耽っていたんだな」
 広忠が言うと、かぐやはうなづいた。
「ええ、ちょっと」
「それにしても見事な鏡だ、
 紙燭の僅かな光を朝日の如く変えるのだからな。
 ちょいと見せてくれ」
 広忠はかぐやから鏡を借りると己れの髭面を映してみる。
 かぐやの美しさの対極にある、己のいかつい凶悪な顔を眺めていると、今まで何度もかぐやにぶつけてみた疑問をまた持ち出した。
「かぐやよ、どうしてお前は俺のようなひどい悪党に身を許す気になったのだ?」
 広忠が問いかけるとかぐやは頬を染め微笑んで答える。
「当の男女に恋の理由などわからぬものです。
 宿縁と言うより他はないでしょう。
 それに広忠様は御自分で思われるよりずっと良い方です、かぐやが言うのですから嘘ではありません」
 そう言われると広忠は決まって嬉しいような、それでいて恐いような不思議な気持ちになるのだった。
 それ以上問うこともないから、広忠は鏡をかぐやに返した。
 かぐやは黙って眩しい鏡を巾着袋にしまう、そのいつになく沈んだ様子を見て広忠は尋ねる。
「で、かぐやの気にしてるのは、どんな心配ごとだ?」
「はい、実は都の貴ぴとが何人か求婚してきて、父上も母上もたいそう乗り気なのです」
「そういやこの寒さの中、牛車が数台止まっていたな」
「今、その五人の貴ぴとが揃ってしまい、向こうで父母と話をしているのです」
 姫が言うと、広忠はどんな奴らか見たくなった。
「ちょっと覗いてよいか?」
「覗くだけならよいですが、決して飛び出たり、怒ったりしてはなりませんよ。
 もしなさったら、広忠様とのこと考え直しますよ」
「心配するな、こう見えてもわしはかぐやの言いつけは守るでの」
 広忠が戸板を指一本分だけ開くと、老父母の背中と、その向こうにあでやかな着物の貴公子が五人座っているのが見えた。

 広忠は思わず小声で言った。
「なんて気味悪い奴らだ。男のくせに、女みたいな鮮やかな色の衣を着てやがる」
「し、静かに、声を立てないで下さい」
 かぐやに注意されて、広忠は黙って話に聞き耳を立てた。
 貴びとは、大伴皇子(おおとものみこ)、葛原皇子(かずらわらのみこ)、右大臣藤原園人(ふじわらそのひと)、大納言春日御行(かすがのみゆき)、中納言菅原麻呂(すがわらのまろ)の五人である。
「のう、ここに集うた我ら五人より高き位の者が訪れることはなかろう」
 一番左に座っている大伴皇子が言うとかぐやの父はかしこまった。
「まったく畏れ多いことでございます」
「ここで我らが争うとまことの戦になってしまうが、それは賢いこととは言えぬでの。
 そこでじゃ、姫に我ら五人から一人を選ばせるがよい。
 それが誰になろうとも、我らはその一人に姫を譲るのだ」
「ははあ、畏れ多いことでございます」
「皆もそれでよかろう?」
 大伴皇子が横を向いて言うと、葛原皇子がかしこまる。
「まことに大伴皇子様のお考えは賢明です」
 すると、その隣の右大臣藤原園人がかしこまる。
「まことにお二方の皇子のお考えは争いを避ける手本と心得ました」
 大納言春日御行、中納言菅原麻呂も平伏して同意する。
「では、それぞれ歌をしたため、姫に贈るといたそう」
 大伴皇子が言うと、五人の貴びとは短冊と携帯の墨を取り出し、しばらく考えながら歌をしたため、かぐやの父に差し出した。
「では、姫に見せて参ります」
 かぐやの父が、こちらに歩いてくると、広忠は慌てて几帳(きちょう)の陰に隠れた。
「姫よ、入ってもよいか?」
「はい」
 かぐやは扇で顔を隠して答えた。
 戸口の向こうではなんとか顔を拝めないかと貴びとが首を伸ばして、かぐやの方を覗いている。
「あちらの偉い方々から歌を賜った。早速返事をしなさい。但し、一人はそなたの夫として迎えるように返事を差し上げなさい」
「父上、急に言われましても、私のような田舎の娘に、すぐに立派な歌を返すのは無理がございます。ここは三日ほど日にちをいただいてくださいませ」
「しかし、ここまで来ていただいたのに」
「私の一大事です、いずれも立派な方ばかりゆえ、軽はずみに答えは出しかねます。
 しっかり時間をかけて思案させてくださいませ」
 かぐやは扇で顔を隠したままお辞儀した。
 父は小さく溜め息を吐くと、戸を閉めて、貴びとの前に戻った。
「大変、申し訳ありませぬ。
 姫が申すには、いずれも立派な方ばかりなので、軽はずみに答えは出しかねます、しっかり考えてみたいと、三日のご猶予を賜りたいと申します。
 都に上がったこともない田舎娘ゆえ、お聞き届けください」
「それは無理もないことじゃ、皆のもの、よいな」
 大伴皇子が言うと、葛原皇子が「然るべく」と答えた。
 続いて右大臣藤原園人、大納言春日御行、中納言菅原麻呂がこだまのように「然るべく」と答えた。
「では帰るといたそう」
 大伴皇子が言うと、葛原皇子が「帰るといたしましょう」と答えた。
 続いて右大臣藤原園人、大納言春日御行、中納言菅原麻呂が「帰るといたしましょう」と答えた。
 大伴皇子が左足を立て、右足を立て、くるりとまわり下がると、葛原皇子が左足を立て、右足を立て、くるりとまわり下がった。
 続いて右大臣藤原園人、大納言春日御行、中納言菅原麻呂が左足を立て、右足を立て、くるりとまわり出て行った。
 かぐやの父は平伏して見送った。

 広忠はもったいつけて退出してゆく貴びとを戸の隙間から見て呟いた。
「あほくさい奴らだな、まとめて俺が叩き斬ってやろうが」
「なんということを言われますっ」
 かぐやが怒ると広忠は笑った。
「冗談、冗談だ」
「かぐやが困っているのに冗談など言われますか」
 かぐやはそう言って袖を顔に運んで泣くふりをしてみせた。広忠は姫の肩を抱いてあやまる。
「悪かった、かぐや、泣くな」
 かぐやは五本の短冊を眺めて溜め息を吐く。
「五人の方、どなたも選ぶわけにはいきません。
 どうやって断ったらいいものか」
「そんなこと、たやすいもんじゃ」
 広忠は任せておけとばかりに己れの胸を叩いた。
「よい思案がありますか?」
「うむ、俺と手合わせして勝てば姫と逢わせるというのはどうだ、誰も俺に勝てる筈がないから安心だ」
「広忠様、そんなこをしたら大騒ぎになります」
「駄目か?]
「ええ。
 でも、そのような無理難題を出すというのはいいかもしれませんね」
「無理難題というと、どういうことじゃ?」
 広忠は、かぐやに聞き返した。
「たとえば優曇華(うどんげ)の花のように、噂には聞いてもこの世にありそうもない物を持って来たら、よいと言うのです」
 広忠は感心して笑みを浮かべた。
「なるほど、それなら、あの腑抜けどもに姫を取られる心配もないな。
 姫は形がいいだけじゃなく、おつむもよいのお」
「では無理難題を出すとしましょうか」
 かぐやはにっこりと領いて言った。
「さて、そうと決まると広忠様にお願いがあります」
「なんじゃ?」
「高雄山寺に唐土帰りの偉いお坊様がいると聞きます。
 広忠様は、その方のもとへ行って、この世にありそうで絶対ありえない珍品を五つ聞いて来てください。
 その五つの珍品を五人の貴びとに出題することにいたしましょう」
「なるほど、わかった。
 高雄山寺の坊様に聞けばよいのだな」」
「偉い方なのですからくれぐれも乱暴な真似をしてはなりませんよ」
「わかった、わかった」
 広忠は相槌を打ちながらかぐやを抱き寄せた。



六 難題


 寝床の傍らに、何者かがぬっと立つ気配を感じて空海は瞼を開いた。
「坊様よ、起きてくれ」
 低い声に空海は暗がりの中、薄い掛けものを取り、灯明をともした。
 すると、切れ長の目に隠せない殺気を帯びた山賊風情が一人、それでも抜刀はせずに立っている。
「取り次ぎも介さず、勝手に寝所に忍び込むとは非礼なことだの」
 空海が恐れず言うと、山賊風情の男、広忠はかすかに頭を下げた。
「許せ、その手が苦手でな」
 空海は黙って広忠を見つめた。
「確かに、そのように見受ける。
 して何用かな?」
「この世にありそうで絶対にない珍品を五つばかり教えてほしいのだ」
 すると空海は口の端に笑みを浮かべた。
「見かけによらぬ、おとなしい用だの。
 如何なる仔細があって、そんなものを知りたがる?」
 空海が尋ねると、広忠は照れながらも理由を説明して聞かせた。
「俺には、表沙汰にできぬ、それは可愛い妻があるんじゃ。
 その妻がのう、都の殿上人どもに求婚されて弱り果てておる。
 そこで断る口実に難題を出したいと申すのじゃ。
 坊様は唐土にも渡った当代一の知恵者と聞く。
 どうか五つほど珍品を教えてほしい」
 広忠は砂金の入った袋を置いて頼んだ。
 空海は墨をすり、紙に五品をすらすらと書きつけた。
 そして広忠に向き直ると紙を差し出して言った。
「ここに五つ、品を書き付けた。
 はるか吐蕃という土地の伝説の中にも、主人公の娘が難題の品を出しておるが、それを真似て書いてみた。特徴も詳しく記しておいたから役に立とう」
「ありがたい」
 広忠が礼を述べ、置いたままにされてる砂金を再び押し出すが、空海は戻した。
「代金は要らぬ、お前と妻の餞別にくれてやる」
「俺と妻の、餞別とはどういう意味じゃ?」
 広忠が聞き返すと、空海は礫のように言葉を投げつけた。
「お主、その妻とは生き別れることになろう」
「な、なんだとう」
 広忠は逆上して声を上げた。
「なんて出鱈目を言いやがる、承知しねえぞ」
 そして太刀を、鞘から抜いて空海の肩先に突き出して睨みつける。
 しかし、空海の穏やかな目は広忠の怒気を吸い取るようだった。
「密教の法力で、お主の未来が見通せたのだから本当だ。
 妻の願いは、お主が、悪から清くまっさらに足を洗うことじゃろう、違うか?」
 空海はかぐやのことを鋭く看破され、広忠はうろたえた。
「そ、それがどうした、お、俺が悪から足を洗えないと言うのか?」 
 広忠は空海の襟をぐいと掴んで凄んだが、法力の宿った空海の目はひるみもしない。
「すべては宿命ゆえあきらめよ、せいぜい悪事を謹んで淡々と生きよ」
 広忠は、なぜか胸の奥深いところを刺されたように感じ、しばし木彫の像のように動けなかった。


 広忠は走りづめでかぐやのもとへ戻り、空海の書いてくれた紙を見せた。
「どうじゃ、かぐや」
「ええ、さすがは空海様、いい知恵を授けていただきました。
 広忠様もご苦労様でしたね」
 かぐやに礼を言われると広忠は唇をゆるめた。
「空海様は、他に何か言われてましたか?」
 すると広忠はあの言葉を思い出して、慌てて首を左右に振る。
「い、いや、なんも言うとらんぞ」
 かぐやは紙に見入って五つの品を誰に出そうかと考えて述べる
「大伴皇子さまには、仏の御石の鉢をお願いしましょう。
 これはお釈迦様が四天王の奉じた鉢を重ねてつくった鉢だそうです。
 葛原皇子さまには、蓬莱(ほうらい)の玉の枝をお願いしましょう。
 これは蓬莱山に生える輝く枝で、不死の薬の材料だそうです。
 右大臣藤原園人さまには、火鼠の皮衣を、お願いしましょう。
 これは唐土の伝説の火鼠からつくった衣です。
 大納言春日御行さまには、龍の頸の玉を、お願いしましょう。
 これは龍の頸の中にあり、口を開くと牙のところへ現れる五色の玉です。
 中納言菅原麻呂さまには、燕の子安貝を、お願いしましょう。
 燕が誰も見ていない時にだけ産むという子安貝です。
 どうです、広忠様?」
 かぐやが微笑むと広忠は大きくうなづいた。
「おお、どうせ、いずれもこの世にないものじゃろう。誰も手に入れることはない。
 かぐやはわしだけの妻じゃ、そうだな?」
「ええ」
「いつまでもわしの妻だな?」
「ええ」
「それを聞いて安心したわ」
 広忠が強く抱きしめたので、かぐやは笑いながら言う。
「そんなに力を入れては息ができませぬ」
「ああ、すまんすまん、お前があまりに可愛いでの」
 広忠は安心して言った。


 三日後、歌の返事をもらうため、再び、かぐやの家に五人の貴びとが集まった。
 かぐやは扇で顔を隠したまま、父の隣に座り、二人は深々とお辞儀した。
 父が言う。
「わざわざおいでいただいて恐悦至極にございます。
 さて、五人のやんごとない方々に想いのこもった歌をいただいて、娘もたいそう感激しておりましたが、この中から夫一人を選ぶのははなはだ難しいと申します。
 そこで、娘の方から皆様に手に入れていただきたき物を申し上げ、それを手に入れた方を夫としてお迎えしたいなどと、心得違いを申します。
 父の私から見ても生意気この上ない態度で、これはもう私が娘の躾けを誤ったために相違なく、申し開きもございません。
 こんな田舎者の娘の世迷言に気を悪くなさった方がいましたら、どうぞ、すぐにもお帰りいただき、娘のことはお忘れいただいた方がよろしいかと思われます。
 さような方はおられましょうや?」
 かぐやの父の問いかけに、五人はしんと静まり返った。

 大伴皇子が、静寂を破り、ほほっと笑って言う。
「心配めさるな、我ら、おなごに物をねだられるのは馴れておるゆえ、いささかも心苦しうないぞ、のう皆もそうであろう?」
 大伴皇子が横を向いて同意を求めると、四人は同時にうなづいた。
「まったくでございます、心配めさるな」
 それを受けて大伴皇子が言う。
「聞き及んだであろう、苦しうない、姫、ねだりたきものを申してみよ」
 するとかぐやは父に目配せして、自ら言う。
「お心遣いありがとうございます。
 それでは私より申し上げます。

 大伴皇子さまには、仏の御石の鉢をお願いいたします。
 これはお釈迦様が四天王の奉じた鉢を重ねてつくった鉢だそうです。

 葛原皇子さまには、蓬莱(ほうらい)の玉の枝をお願いいたします。
 これは蓬莱山に生える白金に輝く枝で、不死の薬の材料だそうです。

 右大臣藤原園人さまには、火鼠の皮衣を、お願いいたします。
 これは唐土の伝説の火鼠からつくった衣だそうです。

 大納言春日御行さまには、龍の頸の玉を、お願いいたします。
 これは龍の頸の中にあり、口を開くと牙のところへ現れる五色の玉だそうです。

 中納言菅原麻呂さまには、燕の子安貝を、お願いいたします。
 燕が誰も見ていない時にだけ産むという黄金の子安貝だそうです。

 わがままな願い、叶えていただけたら幸いに思います」
 かぐやは深くお辞儀して、麗しい黒髪をたっぷりと見せた。

 五人の貴びとはかぐやの黒髪に嘆息しつつも、思いがけない難問に考え込む。
 どうみても手に入れるのが難しそうな物ばかり、いや、そもそもこの世にあるかさえ疑わしい物ばかりなのである。
 しばらく沈黙の間が流れた。

 しかし、右大臣の藤原園人が他の四人を出し抜いて言った。
「あいわかった。きっと姫を喜ばせてみせよう」

 すると、「待て」と声がかかる。
 負けてはならじと大伴皇子、葛原皇子、春日御行、菅原麻呂も同じように繰り返した。
「では、姫、一番早くに品物を持ちよった者が夫でよいな?」
 大伴皇子が念を押すと、かぐやは頷いた。
「はい、その時は必ず夫にお迎えいたしましょう」
「おお」と五人からどよめきのような感嘆が洩れた。
 
 部屋に戻ったかぐやに、広忠が小声で尋ねた。
「どうだ、うまくいったか?」
「はい、五人の貴びとにそれぞれ難題の品をお願いいたしました。
 皆、呆れた様子でしたが、一人が『きっと姫を喜ばせてみせよう』と言い出すと、他の四人も必ずと約束して帰られました。
 しかし、いずれも元よりこの世にないもの、これであきらめてくださるでしょう」
 かぐやが言うと、広忠は「うんうん」と領き、続いて、にやにやして懐に手を入れ探ると櫛を取り出した。
 と、途端にかぐや迦具夜は厳しい目つきになって叱った。
「広忠様、また悪事を働きましたね?」
 かぐやは、広忠が悪事をはたらくと、たいてい鋭い勘で見抜くのであった。
 広忠はいつものように苦しい言い逃れを始める。
「い、いやいや、この櫛はだな、猪を十頭ばかり獲って、売った代金で買うたのじゃ。
 坊様の書いた珍品とはいかぬが、どうだ?
 なかなか不思議な木地の櫛であろう」
 広忠が笑いながら言うと、かぐやは立って厨子から簪(かんざし)を取り出して見せた。
「これはどうです?」
「棒みたいな詰まらぬ簪だな。
 もう少し細工のしようはないかのう」
 広忠は知ったかぶりにけちをつけた。
「それは先ほどの殿上人の一人がこの前、土産に置いて行ったものですが、同じ材で出来ているでしょう?」
「ああ、そうだな」
「それは象という天竺の大きな動物の牙で作ったもので、銀五貫もするそうです」
「げっ、そんなにするのかよ」
「ですから、その櫛の方は銀十貫以上します。猪など百頭売っても買えませぬ」
 かぐやが断定してみせると、広忠は慌てて姫の手を握りしめて謝った。
「すまん、かぐや、わしが悪かった」
「どうしてそんなに悪事ばかりなさいます」
「ただ、かぐやを喜ぱせたかっただけなんじゃ。
 家司に騒がれたが、かぐやの言葉を思い出し一人も殺めていない。
 どうか今回は許してくれ、のう?」
「情けない、他人様から盗んだ物など貰って、かぐやが嬉しいとお思いですか?
 そろそろ悪事からきっぱり手を引いてくだされ」
 かぐやが涙を浮かべて頼むのを見ると、広忠は空海の予言を思い出した。
 予言の通り、かぐやに惚れながら生き別れするとしたら、その原因は広忠の悪事の為に違いない。そう思うと広忠は家司を張り倒して物を奪った時の楽しみが急に失せてしまうのを感じた。
 ここはかぐやの言う通り、そろそろ思い切ろうかと考えた。
 そして広忠はかぐやを喜ばせようと言葉を選んで誓った。
「そうだな、俺たちに可愛い赤子が出来たら、それを合図にきっぱりと悪事から足を洗ってみせる、本当だ、八百万の神にかけて誓うぞ」
 広忠は笑みを浮かべてかぐやの顔を見詰めた。
 姫はびっくりして広忠を見つめた。
「かぐや、どうじゃ?」
「は、恥ずかしいこと、けど嬉しゅうございます」
 かぐやは遅ればせに笑みを返した。
「そうか、でも嘘ではない、誓ったぞ」
 広忠はそう言うと、かぐやの唇を吸って、二人はひとしきり睦み合った。



七 火鼠の皮衣


 蔀戸の庇の先では雨が縁を打つ音がしている。
 母が、ふと縫い物の手を休めて溜め息を吐いた。
 かぐやは傾げた頬から仰ぐようにして、めっきり皺の目立ってきた母の顔を見返す。
「母上、どうなされました?」
「かぐやが貴なる方々に難題を出して、はや一年あまり」
 またお小言の始まりかと、かぐやは覚悟を決める。
「あっはい、そうなりますね」
「貴なる方々も最初は『その品、きっと取って来よう』と意気込んでおられましたが、
あれからさっぱり見えません」
 そこまで言うと、母は急にかぐやにいざり寄った。
「かぐや、そろそろ意地を張るのは止めたらどうです?」
 かぐやは心の中であやまりつつも、きっぱりと言う。
「意地ではありません」
 母は呆れ顔で聞く。
「かぐやが都で、なんと噂されているか知ってますか?」
「知っています。
 貴びとを困らせて喜んでいる底意地のわるい田舎娘でございましょう、
 誰ぞの文に書いてありました」
「まあ、よくそんなことを自分の口から。
 おかげでめっきり縁談の数も減ってきて、心配なことです。
 とにかく、貴びとたちに謝りの文でも差し上げて御機嫌を繋ぎとめるようになさいましよ」
「母上、かぐやは殿方を迎えたくはありませぬ」
「またそのような強情張りを。
 親の身にもなってくだされ。
 父上も最近では滅法老け込んできたし、ここらで親を喜ばせてくだされ」

 その時、急に門が叩かれ、外が騒がしくなった。

 まもなく門番が母屋に駆け込んで言う。
「右大臣の藤原園人さまがおいでです」
 向こうの室の父が大きな声を上げる。
「おお、もしや難題の品を手に入れられたか?」 
「そのようでございます」
「至急、お通ししてくれ」
 父は母とかぐやのいる前に来て言う。
「右大臣藤原園人さまが例の品を手に入れたようじゃ、早うお会いする支度をせよ」
 母はもうおろおろとして右に左に歩く。
「まあ、かぐや、どうしましょう。
 私の化粧はどうしましょう、いえ、あなたはご自分の化粧をなさいな、そんな眠そうな顔では失礼ですよ」
「母上、何かの間違いですから、慌てないで結構です」
 かぐやは落ち着き払って化粧を確かめた。

 右大臣藤原園人が座ると、扇で顔を隠したかぐや姫と父母は平伏した。
「姫、父殿、母殿、待たせ申したな」
 父が平伏したまま言う。
「これはこれは、右大臣様、よくぞお越しくださいました」
「うむ、どうやら他の四人はまだ来られぬようじゃな」
「はい、ありがたい縁を戴いた心地です」
 父の言葉に右大臣はたるんだ顎を撫でた。

 右大臣の付き人が山吹色と珊瑚色の見事な珊瑚の置物を差し出した。
「まずは父殿へ、これは南の海の珊瑚じゃ」
「これは結構な物をありがとうございます」
 右大臣の付き人が台に載せた銀の簪と櫛を差し出した。
「母殿へは銀の簪(かんざし)と櫛(くし)じゃ」
「まあ、私にまでなんと礼を申してよいやら」
 続いて付き人は、蜜柑色、山吹色、浅緑、水色、菫色、白緑、柿色などの反物を八本乗せて差し出す。
「さて、姫には衣じゃ」
「ありがとうございます」
「ふむ、姫ならどんな衣を着ても似合うじゃろうて。
 わしが一番とは嬉しい限りじゃ。
 もっとも他の四人の困りようは風の便りに入って来ておったが」
「ほお、さようでございますか」
「うむ、大伴皇子殿は、印度というはるか遠い国まで使者を十名も送り、仏の御石の鉢を探しておられるようだ。
 葛原皇子さまは船を二艘出して、自ら乗り込み蓬莱を目指されたようだがの。
 大納言は龍がどこにおるのか調べているが、まだ居所すらわからぬようじゃ。
 中納言は八方にさまざま手を尽くして、黄金の子安貝を産む燕の噂を集めておるようじゃが、まだよい知らせはなさそうだ。
 わしは運がよかったかもしれぬ、ほほほっ」
 右大臣は貴びとしかしない甲高く細い笑いを上げた。
 
「それでは火鼠の皮衣を手に入れたのですか?」
 かぐやが聞くと、右大臣は扇子をヒタと音を立てて閉じた。
「もちろんじゃ、姫」
 付き人の手で大きな台が箱ばれてきた。
「それ、とくと見るがよい」
 右大臣が言うと、上にかけられていた白い布がめくり取られ、その下に茶色の蓑(みの)のような布が姿を現した。

「どこで手に入れられたのでしょうか?」
 かぐやが問うと、父は鋭くたしなめた。
「これ、姫、失礼じゃぞ」
 それを右大臣は笑って止める。
「よいのじゃ、父殿。
 これは唐土の都にて手をつくして探させたのじゃ。
 大きな声では言えぬが、賄賂を贈り、禁城の倉庫の目録まで調べさせたのじゃ。
 その結果、禁城の倉庫にはなかったが、隋の時代の王宮商人の末裔がどうやら火鼠の皮衣を持っているらしいと探り出したのじゃ。そこで売りしぶる商人から大金をはたいて買い求めたのが、この火鼠の皮衣じゃ。ほほほっ」
「これが、まことの火鼠の皮衣ならば、火をつけてもよいはず。
 確かめてよろしいですか?」
「うむ、試されるがよい」
 右大臣は余裕綽々である。

 かぐやは門番の下男に命じる。
「その火鼠の皮衣を土間に置き、火をつけてください」
 下男は言われたように、火鼠の皮衣を土間に置き、細い松明の火を押し付けた。
 すると、どうしたことか、その皮衣はどんなに松明の火を押し付けても、少しも火を寄せ付けない。
「おお、この衣は燃えませんぞ!」
 下男はびっくりして言った。
「ほお、これが火鼠の皮衣か」
 かぐやの父も感心する。
「どうじゃ、姫、得心されたであろうて、ほほほっ」
 右大臣は高い声で笑った。
 しかし、それを、かぐやはがっかりした声で返した。
「右大臣さまともあろう方がまがい物を掴まされるとは。
 私もようやく決心しかけましたのに、なんとも残念なことでございます」
「な、何を言うか?
 これぞ火鼠の皮衣に間違いない」
 右大臣がいきりたつと、かぐやが言い放つ。
「はて、火がつかないならば、誰が火鼠などと呼びましょうか?」
「う、う、そう言われると……。
 しかし、これは大金を積んでの」
「はい、まことに残念ですが、右大臣様に大金を積ませて騙したのでしょう。
 火鼠とは、常に炎に包まれている鼠にございます。
 当然、一度火をつければ、いつまでも尽きることなく、燃え続けるのが、まことの火鼠の皮衣。
 もう右大臣様の胸に飛び込むつもりでいましたのに、なんとも残念でなりませぬ。
 どうか一刻も早く、まことの火鼠の皮衣を手に入れてきてくださいまし」
 かぐやはそう言うと、振り向きもせず自分の室に引き上げてしまった。
 右大臣は大きな溜め息を吐くと、帰って行った。



八 蓬莱の玉の枝


 その夜、かぐやから右大臣の話を聞かされた広忠は声を上げて笑ってしまい、すぐにかぐやにたしなめられた。
「声を下げてくだされ、父上、母上が起きます」
 広忠は小さい声であやまる。
「すまんすまん、しかし、それは見ものだったのう、わしのいる時に来てくれればよいものを」
「ええ、見せとうございました」
「なあ、かぐやよ、この家を出て俺と二人きりで暮らさないか?」
「急にどうしたと言うのです?」
 かぐやは広忠を見上げた。
 広忠はかぐやの肩を強く抱きしめて続ける。
「こう声をこらえておるのも疲れる、それにかぐやと一時も離れたくないんじゃ、よいだろう?」
 かぐやは顔を嚇らめながら言う。
「お気持ちは嬉しうございます。なれど、かぐやは父上母上を悲しませるわけには参りません。
 娘はいつまでも親の元で暮らすのがこの世の習わし、
 まして血の繋がりもないかぐやを我が子以上に大切に育ててくれた父上母上です。
 裏切ることはできませぬ」
「ふむ、そうか」
 広忠は相槌を打ちながらも、かぐやと二人で暮らす家を探そうと決めた。

 広忠はいまだ強盗から足を洗ってなかった。猪や鹿を売ってえる稼ぎなどたかが知れている。ちょっと酒をたらふく飲み、小遣いを手にしようとすれば、強盗の方がはるかに手っ取り早い。確かに空海の予言は気にかかったが、その後何ヶ月すぎてもかぐやとの仲が裂かれる兆しはどこにもない。となると、気が大きくなって昔の悪癖が頭をもたげてきたのだ。そして少しずつ蓄えもできてきたのである。
「広忠殿、悪事はおやめくだされ」
「な、なんじゃ、急に」
「時々、小遣い稼ぎに悪さをしておるでしょう?」
 広忠は慌てて心に呟いた。まったくかぐやの勘の鋭いこと、神通力のようだわい。
「いや、もう殆どないも一緒じゃ。
 それより、かぐや、赤子はまだできんか?」
 すると、かぐやは寂しそうな顔になり、
「まだでございます。
 こればかりは、私や広忠様の気持ちだけではどうにもなりませぬ」
「まあ、焦らずともよいわ。
 わしは赤子を合図にきっぱり悪事をやめるとの誓い忘れておらぬぞ」
 広忠が言うと、かぐやはうなづいた。


 それからひと月ほどしたある日、かぐやと広忠の平穏な日々にまたもや暗雲が垂れ込めた。
 牛車三台に従者を十数人引き連れて葛原皇子が、かぐやの家を訪れたのだ。

「父殿、例の品を手に入れたゆえまかりこした」
 皇子が言うと、かぐやの父がかしこまる。
「これはこれは、御足路、恐悦にございます」
「うむ、まずはささやかな貢ぎ物を受け取ってくれ」
 引き出されたのは、黄金の仏像が一体、目にも鮮やかな反物が二十本あまり。砂金が五袋、金銀紅白の糸数十束、酒が三樽、ニ尺もありそうな鯛が一尾、米が五俵、そして見事な焼き物の壷や、向こうの透けて見える不思議な水差しなどがずらりと並べられ、父は貢ぎ物のあまりの多さに目を白黒させた。

 最後に葛原皇子は綾織錦繍(あやおりきんしゅう)の布を掛けた長櫃(ながびつ)を、父の前に置かせ、紐を解かせた。
 すると中にひと抱えほどの大きさの鉢に、白金に輝く枝が三本差してあった。

 父はその目眩ゆい輝きに感嘆した。
「なんともまあ、この世の物とも思えぬ美しさでございますなあ!」
「これが蓬莱の玉の枝よ」
「噂には皇子様自ら船に乗られて蓬莱を目指されたと聞いておりますが」
「うむ、おかげでずいぷんと難儀な目に遭うたぞ。
 早く手ずから姫に見せてやりたいが」
「はっ、ただ今、呼びます」
 母に従い、そろりそろりと扇で顔を隠したかぐやが入ってくると、葛原皇子は微笑みかけた。
 皇子は鉢をかぐやの前にずらすと目信たっぷりに言う
「姫、御覧なされ、
 これぞ、そなたの言われた蓬莱の玉の枝」
 かぐやは一瞥するなり疑いをかける。
「まことの品と言い切れますか?」
「もろろんのことじゃ」
 皇子は山羊鬚をつまんでうなづいた。
 皇子は右大臣が偽物の火鼠の皮衣を見抜かれたことは既に知っていた。
 しかし、皇子の難題は白金の枝である、本当に白金で作れば偽物とされるはずがなかった。もちろん唐土の細工師を捕らえて白状でもさせれば別だが、そのようなことはまず無理だ。
 皇子は自信たっぷりに言う。
「さて、今度は姫が私に約束を果たす番ですぞ」
 かぐやは扇で顔を隠したまま言う。
「まことに、蓬莱の玉の枝とお聞きして安堵いたしました。
 このように霊験あらたかな不死の薬を私ごときが持ちては不遜となりましょう。
 この蓬莱の玉の枝は天子様に献上いたすことといたします。
 よろしいですね?」
 そう言われると皇子は急に困りはてた。
 天子、つまり今の嵯峨帝に、自分が手に入れた不死の薬を献上するということは、嵯峨帝に不死を献上し、自分は永久に帝になるつもりはないと公言したと取られても文句が言えないのだ。それは困る。そして、蓬莱の玉の枝が不死の薬でないことはいずれ知れる。その時、先立って兄帝と争い、これを破ったという気の強い嵯峨帝が、自分にどんな罰を用意しているか想像するだに恐ろしい。
 思わず皇子は言う。
「姫よ、何も帝に献上せずともよいではないか」
「なぜ、そのように言われますか?」
「……」
「献上できぬのは、この蓬莱の玉の枝が偽物だという証しでございますな」
「ううむ」
 葛原皇子はかぐやの機転の前に、すっかり言葉を失った。

 しかし、そこへ思いがけない助け船が現れた。
 父が強い調子でかぐやを叱りつけたのである。
「姫。いい加減になされ。
 そのように尊い方をやりこめて、貴方には畏まるという心がないのですか?」
「しかし、約束は約束でごさいます」
「約束と言われるが、最初から無理な難題を押しつけいるではないですか。
 尊い方々の心を弄ぷようなことをして恥ずかしくないのですか?」
 思いがけない事の成り行きに、かぐやは蒼ざめて言う。
「しかし、まことでないものをまことと偽る方に嫁ぐなど……」
「姫はもう婿を迎えるべきお年なのですよ。
 たとえ偽物だとわかっていても、相手が自分のためになされた苦労の並み並みならぬことを思い知れば、次第に惹かれる気持ちの起きてくるのが、人の心というものです。
 それを、いつまでも聞き分けのない童女のごとき有り様で、父も胸つぶれる心地です。 いい加減になされよ」
「そ、それは」
 かぐやがなんとか言い訳を始めようとする。

 と、父は床を平手で鋭く叩き、かぐやは雷に遭ったように息を詰めた。
「姫も今は聞き分けのないことは控えて、皇子との結婚を承知しなければなりません」
 かぐやは必死に断る方策を思案したが名案は見当らない。
 葛原皇子は余裕の笑みを取り戻して言う。
「父上、そのように責められては姫が可哀想ですぞ。
 姫とて、あまたの男から婿一人を選ぶに困りはてた末に、かくなる難題を出されたのですから、姫の心根が悪いのではありますまい。
 強いて言えば姫が美しすぎることが罪なのですから、きついことを言われるな。
 私は、姫に納得いただけるまで、時間をかけて説得しましょう」
 父は「それには及びませぬ」と平伏する。
 そして上げた顔をかぐやに向けると言い放った。
「姫よ、もうお断りはできませんぞ。
 身分も志もこれほど立派な皇子を夫にお迎えできるとは、おめでたいかぎりです。
 今宵こそ、そなたは皇子と結ばれるのです」
 かぐやは、もはや皇子を断れない成り行きに追い詰められてしまった。


 皇子が父と夕餉を共にして、すっかけ打ち解けた様子で談笑する隣で、かぐやは震えていた。広忠だけにと誓った身をまもなく皇子に任せなければならないのかと考えると気が気ではなかったのだ。
 やがて母が勧める。
「おふたりはそろそろ寝所に入られたらどうです」
 広忠が来るのはもっと遅い時刻だ。できればそれまで引き伸ばしたい。
 かぐやはなんとか抵抗を試みる。
「まだ早うございます」
 かぐやが言うと、母が言い返す。
「もう、よい頃ですよ。
 姫は男女の道はよく知らぬのですから、優しい皇子さまによく教えてもらいなさいませ」
 かぐやはさらに抵抗を試みる。
「皇子さまは一度ご自分のお屋敷に戻られてから来るべきではございませんか」

 本来なら、皇子はいったん帰って、かぐやの室に三日間、通うのが普通の手順なのだ。
 そして、父母は三日間、それに気付かないふりをした後で所顕し(ところあらわし)の宴会を催す。

「かぐや、めでたいことなのだから、そのように形に捉われなくてもよいではないか」
 ほろ酔い加減のかぐやの父が言うと、皇子も「では、父殿のお言葉に甘えるとしましょうか」とご機嫌である。
「さ、かぐや姫」
 皇子に明かした名を呼ばれ、かぐやは涙を流しながら手を引かれて寝所に入った。

「かぐや姫、そなたは、ほんに麗しいのう」
 そう誉めて皇子が抱き寄せようとする腕を、かぐやはするりとかいくぐって几帳の陰にまわる。
「そのように恥ずかしがらずともよい。
 さあ、おとなしく側においでなさい」
 皇子が捕まえにかかると、かぐやはさらに逃げた。
 しばらく几帳や燈台のまわりでのんびりした追いかけっこが繰り広げられた後、ようやく皇子はかぐやの袖を握って捕まえた。
「はは、妻が夫の気持ちに背いてはいけませぬぞ」
 そこで皇子がやさしく肩を胞き寄せる。

 すると、かぐやはそれを力を込めて突き放した。
 そうなると、さすがの皇子も真っ赤になってかぐやを叱りつける。
「そなたは余を侮辱するつもりか?」
 それから皇子は気を取り直して、ひとしきりかぐやに男女の仲を諭して聞かせた。

「なにも恐がらずともよいのじゃ、余が優しう手ほどきするゆえの」 
 皇子は笑みを浮かべながら、今度は逃げられないよう力を込めて強引にかぐやにのしかかってきた。
 表衣を取られ衵(あこめ)を剥がされ、汗袗(かざみ)一枚となったかぐやは覚悟の涙をこぼした。
 そして、みっつ瞬きするほどの間があって、急にのしかかっているはずの皇子の重さがなくなった。

 かぐやが不思議に思って目を開いて見た。

 そこには、いつの間にか広忠が皇子を組み敷いて姫に徴笑みを送っている。
「だ、誰じゃ、放せ」
 皇子は足をばたつかせて喚いた。
 かぐやは嬉しさを満面に広げると、素早く頭を勧かせて、広忠に黙っているよう口を押さえて目くばせした。

 そしてさりげなく皇子に聞く。
「皇子さま、どうされました?」
「誰かが余の体を締めつけておるのじゃ」
「私には見えませんが、もしや、何か出ましたか」
 かぐやが怯えたふりをして言うと、皇子は聞き返す。
「出たとは、なんじゃ?」
「はい、実を言いますと、私は、三年ほど昔、殿方を迎えたことがあったのですが、その時、鬼が出たそうで。
 いえ、私の目には何も見えなかったのですが。
 ちょうど今、皇子さまと同じことを今は亡き殿方が申してたのでございます」
「なんじゃと!」
「最初の晩、鬼はまもなく消えたそうでございますが、すぐれた大徳の調伏も効果なく、ひと月後の晩、殿方はとうとう取り殺されてしまったのです」
 かぐやが打ち明けると、皇子は恐怖に声を引き攣らせて言った。
「ひ、卑怯ぞ、
 そんな怖ろしい話を隠して余を迎えるとは卑怯ぞ」
「しかし、私には一向に心当りはなかったものですから」
「心当りもなく鬼が出るものか、あ、痛っ」
 広忠はここぞとばかり皇子を締めあげた。
「鬼よ、許せ。
 どうか、命ばかりは助けてたもれ」
 皇子が懇願すると、広忠は、ことさら低い声を作って皇子を脅かした。
「よおし、二度と姫に近づくんじゃねえぞ、
 その時は手足をもいで、胴を鍋で煮て食ってやるからな」
 広忠に背中を蹴飛ばされた皇子はかぐやを振り返りもせず、這う這うの体で部屋から逃げ出した。
「広忠様の乱暴も役に立つことがあるのですね」
 かぐやはそう言って広忠に笑いかけた。
 まもなく、父が驚いた声で室の外から聞く。
「かぐや、皇子さまが慌てて帰られたぞ、何があったのだ?」
「さあ、なんでも鬼を見たとか申されて」
 かぐやが言うと、広忠は口を押さえて笑った。



九 勅使 


 翌くる文月の七日のことであった。
 昼すぎ、家の門が叩かれたかと思うと、まもなく、門番の下男が「ヒー」と声にならない声を上げて走る音がした。

 それからややあって父と母が慌てふためいてかぐやの部屋に駆け込んで来た。
「かぐや、た、大変な、こ、ことになったよ」
「どうしたんですか、お二人ともそんなに慌てて」
 かぐやは父母の目があまりに大きく見開いているのでおかしくて笑った。
「慌てるも何もないよ」
 父が言いかけるのに間を与えず、母がものすごい早口でまくしたてた。
「いいかい、よくお聞き、
 今、天子様のお使いが来られて、天子様がかぐやに会いたいと仰せなんだよ、
 どういう意味かわかるだろう?」
「えっ」
 かぐやには、どういう意味か飲み込めなかった。
「会いたいとはどういうことです?」
 かぐやが聞くと、今度は父が早口で言う。
「天子様が会いたいというのは、畏れ多くも、この国第一の大王がかぐやを妻として御召しになりたいということだ」
「なんとも、ありがだいことですよ」
「このかぐやに帝の妃になれと言うのですか?」
「そうだよ、こんなにおめでたいことはないよ」
「今、この室に勅使を呼ぶから『謹んでお受けいたます』とお答えするんだよ、よいな?」
 父母はすっかり恐縮して受諾しようと考えている。
 この前の葛原皇子には蓬莱の玉の枝を天子様に献上しようと言ってやりこめたが、その天子様の方が自分を召し出すというのだから、これはもしかしたら天から罰が巡ってきたのかもしれない。
 しかし、広忠の妻であるかぐやからすれば、警護厳重な内裏に囲われる妃になるなど、何にもまして避けたい事だ。
「お断り申しあげます」
 かぐやが言い放つと、父母は目玉を落としそうな勢いで驚いた。
「何を言われます?」
「天下第一の帝の妃を断るなど考えられないことだ」
「どうしてそのように聞き分けがないのです?」
「勅使を断ったら、父や母は大王に背いているとして捕らえられるかもしれないよ」
 父母は口々にかぐやを説得しようとするが、かぐやは泣き声になって言う。
「大王に背こうとかぐやは内裏には参りません」
「どうしてなのだ、訳をちゃんと言ってごらん」

 さらに尋ねられたかぐやは大きな声を上げて泣ぎ崩れてしまった。さすがに姫に大声で泣かれれば父母がどう取り繕おうとも、勅使も事情を掴めた。結局、返事を得られないまま勅使は引き返して行った。


 その晩、かぐやから帝の求婚について知らされた広忠は即座に言った。
「そうなると、ここは俺と駆け落ちするか」
 かぐやは俯いて言う。
「それはできれば避けたいことです」
「しかし、このままでは、いずれ無理矢理にでも内裏に違れてゆかれてしまうぞ」
「そんなひどいこと、かぐやは広忠様の妻ですよ」
「ならば、俺と駆け落ちするしかあるまい」
「でも、かぐやは恩厚い父上母上の家を出るわけにはゆきません」
「他に方策はないだろう。
 帝の妃になっても家は出ねばならないのだ、それより俺と駆け落ちする方がよいではないか」
「ですが。
 突然、かぐやが姿を消せば、父上母上は裏切られたと感じておおいに悲しみます。
 せめて同じう悲しませるにしても、父上母上がこれならば仕方ないと、かぐやをあきらめてくれるような手立てはないものでしょうか」
 かぐやは悩みに沈み込んだ。
「やれやれ、難しい問題だの」
 広忠も考え込み頭を掻いた。


 次の晩、空海の寝所に、再び広忠が忍び込んだ。
「坊様よ、起きてくれ」
 広忠の声に、空海はすぐに思い出した。
「おお、いつぞやの悪党じゃな」
 空海は身を起こし、灯明をともした。
「していかがした?」
「この前の難題はうまくいったぞ、礼を言ってやる」
 空海は口の聞き方を知らぬ広忠に笑みを見せた。
「まだ、別れてなかったか?」
 広忠はじっと睨みつけた。
「俺はな、貴様の思うとおりにはならん」
「それで、こたびの用はなんじゃ?」
 空海が尋ねると、広忠は理由を聞かせる。
「俺の妻にの、帝が勅使とやらを寄こしたのだ。妻にしたいということらしい。
 しかし、かぐやは俺の妻じゃ。渡すわけにはいかん。
 断る口実を教えてくれ」
 空海は、嵯峨帝は賢いが女好きの度がすぎるのが玉に傷だなと心の中で思った。
 皇后、女御、更衣があまたさぶらう中、さらに宮中の侍女にも手をつけてゆかれる。
 そして、どこかから噂を聞きつけ、かぐやとやらも召し出そうということらしい。
 空海は広忠に問いかける。
「どのような妻なのだ?」
「どのようか、ううむ、この世のものとも思えぬほど暖かく柔らかい女じゃ」 
「そして、悪党のお前を夫に迎えた。変わっておるの」
 広忠はむっとなって睨んだ。
「なんじゃ、その言い方は」
「まあ、まことだからよいではないか。
 うむ、こう考えたらどうじゃ」
 空海が切り出すと、今度は広忠は思わずかしこまって耳を傾けた。
「よいか、姫は阿弥陀如来の化身だと答えるのじゃ。
 それゆえ、時が満ちれば、あちらの世界に帰らねばならぬ。
 その時が満ちたゆえ、おいとまするという話にしてはいかがじゃ」
「おう、それはよい話を授かった」
 広忠は喜んで帰ろうとして歩き出し、ふと、また空海に向き直った。
「しかし、待てよ。
 都の者どもときたら、中身のない仏像ですらありがたがるのだぞ。
 かぐやが阿弥陀如来の化身では、それこそ、逃げられぬようにお堂に閉じ込められて拝まれるだけではないか。
 それでは困る。もっと他の策はないのか?」
 広忠がせがむと、空海は叱った。
「こら、他人に一から十まで頼るものではないわ。
 そうでなくても、坊主には毒の、のろけ話を聞かされて迷惑したわ。
 後は自分で考えよ」
 空海は明かりを吹き消すと、とっと寝床に入ってしまった。
 広忠は小さく息を吐くと空海の寝所から引き上げた。



十 名案


 広忠が、空海の、阿弥陀如来の化身のふりをしてはどうか、という言葉を伝えると、かぐやも溜め息を吐いた。
「それではかえって、拝みに来る者が増えましょう」
「俺もそこには気付いた。何しろ育てられた寺で、仏像をありがたがる奴らをたくさん見てきたからの」
「そうでしたか」
「そこで、あの坊様に、もっとよい策はないかと尋ねたのだが、あのけちな坊様は、一から十まで他人に頼らず、自分で考えろと叱られてしもうた」
「では考えてみるより他にないですね」
 かぐやはそう言って考え込んだ。

 勅使は毎日のように訪れていたが、かぐやはいずれも会わずに泣いて断っていた。

 そんなある日、嵯峨帝は須磨の塩焼きを身に行くと口実をつけて、途中、丹波のあたりで気分がすぐれぬと言い出し、かぐやの家に御輿を留めさせた。

 まさか、かように辺鄙な土地を、天子様が突然に訪れるとは夢にも思わなかった父母は、恐縮のあまり胸を潰される心地で帝を家の中に通した。
 帝は板敷の床に敷物を敷かせ胡坐を組み、従者に大きな扇をあおがせて言う。
「先日、朕が使いを娘に会わせず空しく帰したこと、非礼なふるまいであろう」
 帝に咎められた父は床に鼻を押し付けてあやまった。
「は、非礼の段は、幾重にもお詫び甲し上げます。
 なにぶん山奥育ちの頑なな娘でして、この老いぼれ以外にはまったく男の姿を見たこともなく、男を鬼か何かのごとく避けておるのでございます」
「今日は会えるだろうな?」
 帝は笑みを浮かべて催促した。
「天子様のお望みとあらば、会うことは会わせましょうが、
 まこと頑なな娘につき、はたして畏れ多い無礼をはたらかぬかと心配でございます」
「かまわぬ、案内せよ」
 帝が命ずると母がかぐやの室に通した。

 かぐやは几帳の陰に隠れている。
「かぐや、天子様がわさわざお越しになられたんだよ」
 帝はまわりこんでかぐやを覗き込もうとするが、かぐやは慌てて扇で顔を覆う。
「姫、その扇、取って、顔を見せよ」
「かぐや、父母のためだと思ってどうか御無礼をはたらかないでおくれ」
 母にそう言われると、かぐやはやむなく扇を下げた。

 すると帝は息を呑んだ。
 噂に勝る、かぐやの美貌を目にして、帝はたちまち激しい恋心を覚えた。
「これは、そちは朕のどの妃よりも美しい」
 帝はそう言ってかぐやをつかまえようと近寄ってくる。
「お寄りにならないでください」
「駄々を言うでないよ」
「私には鬼がついております」
「ふむ、朕には高尾山寺の空海がついておるし、
 そちの美しさを手にするためなら鬼も恐くはないそ」
 帝はかぐやに微笑みかけて近づく。
「お許しください」
「逆らうでないよ」
 帝の手が肩に触れようとすると、かぐやはこういう時に備えていた匕首(あいくち)を取り出して白分の胸に向けた。
「それ以上近づかれたら死にます」
 かぐやの凄まじい拒絶に会うと、さすがの帝もそれ以上近づこうとはしなかった。

 帝は父母に微笑んで見せた。
「姫の無礼、気にするな、またまかる」
 そう言い残して満たされない思いのまま内裏へ帰った。
 その後も再三に渡り求婚の勅使が遣わされ、かぐやと両親の相反する悩みは深まるばかりだった。


 十日過ぎた夜、広忠は嬉しそうな顔をしてやって来た。
「良い案が浮かんだぞ」
 かぐやも微笑んで聞く。
「どのような案でございますか?」
 広忠は顔を近づけて囁いた。
「かぐやは月に帰ると嘘をつけ」
 広忠の突拍子もない思いつきにかぐやは口を開いてびっくりした。
「月に帰る……どうしてそのような突飛なことを思いつかれました?」
「うむ、いつものように猪を待ちながら、ふと脇の大木にある巣を眺めていたんじゃ。
 すると一匹、また一匹と蜂が巣に帰るのが見える。
 そうして巣を見るうちに、急にその巣が月の形に見えての、これだと閃いたんじゃ」
 かぐやはまだ口を開いたままうなづいた。
「かぐやの養い親はかぐやの実の親が誰なのか知らない、そうだな?」
「……ええ」
 かぐやは相槌を打つと俯いた。
「そこでひと芝居打つのだ。
 かぐやは実は月の人間で、次の満月には月から迎えが来てどうしても帰らねばならないと告白する。
 だから、たとえ帝の求婚でも受けられないのだと断れ」
 かぐやは疑わしそうに問いかける。
「そのような嘘であきらめてくれましょうか?」
「いや、あきらめないだろう。
 きっと帝は、軍勢にものを言わせても、かぐやを月からの迎えに渡すまいとするはずじゃ」
「しかし、そもそも嘘ですから、月からの迎えなど来ないでしょう?」
「うむ、そこで俺が月の迎えを作って飛ばすのじゃ。
 軍勢がニセの月の迎えに見とれている間に、俺がこの床下から、かぐやを攫ってしまうのだ。
 されば父母も、帝も、かぐやは月に帰ってしまったと信じて、あきらめてくれるぞ。
 どうだ、うまい計略だろうが」
 かぐやは不安そうに言う。
「うまくゆけば良い策ですが」
 すると、広忠は自信たっぷりに胸を叩いた。
「きっと俺がうまくゆかせてみせるぞ」



十一 月よりの迎え


 数日後の晩、丹波の里の空に半月が昇る頃、かぐやは頭を垂れて、両手を揃えて床につき、切り出した。
「父上、母上に申し上げたいことがあります」
 父や母は不思議に思い問いかける。
「なんだい、かぐや?」
「あらたまって、どうしたんじゃ?」
 すると、かぐやは急に涙をこぼしながら身の上を告白した。
「長い間、まことの娘より大事に育てていただき感謝の言葉も言い足りません。
 今となっては全てを包み隠さず申し上げなくてはなりませぬ。
 実は、かぐやはこの地の人ではなく、もともと月の都にいた者なのです」
 父母は胸を突かれたように驚いた。
「何を言い出すのだ!」
「嘘でしょう?」
 かぐやは黙ったまま首を横に振った。
 父は言って聞かせる。
「たしかに初めは朱雀門の下に捨てられてあったが、我と女房して大事に世話し、育ってゆかれし様子は、まっこと普通のおなごでしたぞ。
 いや、子のない我らが言うだけなら間違いもあろうが、手伝いに来てくれた者たちも、よいお子じゃ、初めてにしては育て方を心得てなさると、口々に褒めてくだされたからには間違いはありませんぞ」
「いいえ、かぐやは月のお上より、この世にて為すべきことを申しつかり、その為すべきことをずっと覚えたまま、赤子の体に戻されて、この地に遣わされたのでございます。
 為すべき事も成った今は、来たる満月の晩に月よりの迎えが参ります。
 その迎えに導かれ、私は月に帰ります。
 ここまで育てていただいた父上母上にも、残念ながらお暇を申し上げねばなりませぬ」
 かぐやは頭を垂れてあやまった。
「そのような嘘を言うてくれるな。
 天子様の勅使がいやでそのように言われるのだな?」
「いいえ、そうではございません。まことに月の者なのでございます。
 嘘でない証拠に来る満月の晩には、きっと月よりの迎えが参ります。
 どうぞ、信じてください」
「そのように言われても、俄かに信じられようか」
 父は納得いかない様子だが、母は感じるところがあったらしく、
「あまりに強情に殿方を拒みなさるから、何か言えぬ理由があるのではと思ってはおりましたが、なるほど、そのような訳があれば、殿方を迎えることができなかったのですねえ」
 そう言うとその場に、よよと泣き崩れた。
「育てられた恩を忘れて、我等を見捨てると言われるか?」
 父が詰じるように言うと、かぐやも床に打ち伏して声を上げる。
「そのように言われては、かぐやはいっそここで死んでしまいとうございます。
 本当に大事にしていただき、月の親よりもありがたく恩い寄す父上母上です。
 どうして恩を感じないことがありましょうか」

 かぐやはさめざめと泣いて、後はもう声にもならない。

「ここまで孫をほしくて育ててきたのですぞ」
「どうか、この婆を哀れと思うなら月には帰らぬと言ってくだされ」
 父母は涙声に責め立てたり、あるいは懇願するけれど、かぐやは首を縦に振ることはなかった。


 翌日の昼下がり、大内裏に戻った勅使の参議小野岑盛(おのみねもり)は急いで帝の御座所に入ると平伏した。
「おお、帰ったか、姫の機嫌はいかがじゃった?」
「畏れながら、一大事と覚えまする」
「一大事とな?」
「は、かの姫の父が申しますには、かの姫はまことは月の姫なりと」
 帝は驚いて、腰を浮かせた。
「な、なんと、かの姫は月の姫なのか?」
「仰せのごとく。
 月の姫なれば、次の満月には月に帰ると申して泣き明かしておるそうです」
 帝は扇をピシャと音を立てて閉じた。
「面妖な、それはまことか?」
「疑いはまことに月よりの迎えが来れば明らかとなろうと、かの姫は申しておるようでございます」
「あいわかった。
 それで、朕が命を断る謎が解けたわ」
 そう言うと、帝は自ら御簾をめくり上げて命令した。
「衛府の中将をただちに召し出せ。わが軍勢を姫の館に差し向け、月よりの迎えを追い返すのじゃ」
 兄帝の戦においても、そのように取り乱して御簾を跳ね上げた様を見たことがなかった参議小野岑盛はびっくりして、返事が遅れた。
「か、かしこまってございます」


 衛府の中将が参内するや、帝は来たる満月の夜には内裏の衛士の三分の一をかぐやの家に差し向けることを命じた。
 同時に近隣の諸国に力自慢の者や武術の達人を臨時に招集する宣旨を下す。
 都の大エも召し出され、来たる満月までに、姫の屋敷のまわりに巡らされている垣を、内裏のそれより高くて堅固な土塀に築き変えるように命じた。
 こうして万全の準備が進められた。

 当日になると朝のうちから、兵士たちが、かぐやの家に続々と集結した。
 騎馬に乗ってやって来た衛府の中将は、馬から降りると真っ先にかぐやの父に挨拶する。
「帝より姫の警護に千人の兵を賜りました」
「まことに畏れ多いことです」
「いかなる迎えが来ようとも、姫の部屋には近づけませんゆえ、安心召されい」
「はい、ありがたいことです」
 父はひしめく兵たちを見て安堵した。

 昼になると、ある兵たちは屋根に昇り、ある兵たちは改築された土塀に上がり、ある兵たちは庭に並び、残りの兵は土塀を囲むように並び、屋敷はすっかり守り固められた。
 夕方には勅使が到着した。
 勅使が懐から大きな紙を取り出して見せると、衛府の中将以下が畏まって膝まづいた。
「姫君を守り通した暁には、もれなく恩賞を遣わす」
 宣旨が読み上げられると、衛府の中将が答礼する。
「ありがたき仰せ、承りました」
 衛府の中将は立ち上がると、振り向いて部下たちに言う。
「皆の者、姫を守りとおさば、主上より、恩賞を頂けるそうじゃ。
 心してあたれ、決してぬかるな」
 すると「おお」と、どよめきのような歓声が上がった。
 兵士たちの士気はいやがうえにも高まったのである。
 父母はこれならかぐやを取られることはあるまいと安心した。

 やがて宵闇が垂れ込めて東の空に月が昇った。

 塀の内外には煌々と篝火が焚かれて、ニ千のいかつい眼が、欠けるところのない美しい満月を睨みつけた。
「見逃すな。
 空をよぎるものはたとえ蚊一匹といえども矢を射かけるのじゃ。
 決して屋敷に近づけるな」
 衛府の中将が怒鳴ると、兵士達は矢を弦にかけ、大刀を抜き、空を見張った。
 父は蔀戸を堅くおろしたかぐやの室の外縁に腰をおろし、使い方も知らない刀を腰に差していた。
 そして、時々、室内に詰めている朝廷から差し向けられた女官や、妻、かぐや本人に向かい「大丈夫か、安心せよ」と声をかけていた。

 やがて夜も更けた子の刻(ねのこく)であった。
 交替のため屋根に昇ってきた兵士が叫んだ。
「なんだ、あの光は!」
 南天の満月ばかりを睨んでいた兵士達は、叫び声に北の空を振り返ってあっと驚いた。
 そこには、満月とは、別の小さな菱形の光るものがいつの間にか浮かんでいたのだ。
 それは大きさこそ満月にははるかに及ばぬものの、明るさは見劣らない。
 しかも、なにやら菱形の上部の左右に、銀色の目がきらりきらりと光るのである。
 兵士たちは今しがた洩れかけていた眠気を一気に払った。
「それっ、射落とせー!」
 号令一下、夥しい数の矢がヒュンヒュンと音を立てて放たれるが、菱形の光には一本も届かないようだ。
 しかし、菱形の光の方もそれ以上屋敷に近づくと、矢に当たるのが恐いのか、近づきもせずに宙空に留まっている。
 それから延々と兵士と菱形の光との睨み合いが続いた。
 ところが、寅の刻(とらのこく)を過ぎた頃だろうが、忽然と菱形の光は消えてしまった。
「やったぞ、怪しの光は恐れをなして逃げ去ったぞ」
 兵士達は恩賞が近づいたと大歓声を上げる。
「皆の者、引き続き気を緩めるでないぞ」
 衛府の中将は兵士たちに注意する。
 それから中将はかぐやの室の縁に陣取る父に怪しの月が消えたことを告げに近寄った。 夜風に白い髪をなでられ、うつらうつらしてる父の肩を中将が揺り起こそうとする、まさにその時、かぐやの室の中から「あれー」と女官の悲鳴が上がった。
「何事ぞ?」
 中将は蔀戸の外から怒鳴る。
「姫様が、姫様が消えました」
「ほんの僅か、目を離した隙に消えてしまわれた!」
「黒い鬼のような影が見えました!」
 女官達の叫び声に、中将は無礼を承知で室内に踏み込んだ。
 女官の右往左往する閨にかぐやの姿はなく、傍らにいた母は姫の表衣を掴んだまま失神している。
「姫君が盗まれた、屋敷の内外を急いで探せ」
 中将は大声で外に叱咤した。
 兵士たちは一斉に動き出す。
 兵士は、かぐやの室の床下にも這い入り調べたが、そこにはとても人力では動かせない大きく平たい石があるのみだ。
 かぐやの父は妻をゆすぶる。
「どうした、お前がついていながら、かぐやを盗られてしもうたか?」
 母はかぐやの姿がないのに気付くとばたばたと這いまわった。
「かぐやは、かぐやはいずこ?」
 父は肩を落として答えた。
「どうやら月の迎えに盗まれたようじゃ……」
「ああ、ずっとかぐやの手を握っていたのに、急に目を塞がれ腹を突かれてしもうて」
 母はそう言うとかぐやの表衣に顔を埋めて号泣した。


 その頃、広忠は林の中に降ろした大凧を持ち上げた。それは二枚の菱形の大凧がニ尺ほどの骨組みを挟んで向き合う形で、広忠は大凧から三枚の手鏡を外すと、大凧をぱらぱらに壊して土に埋めた。
「まこと、かぐやの鏡はよき鏡よの、
 おかげで、裏の凧に仕掛けしたかぐやの鏡が照り返す月の光で、表の凧は月に負けぬほど輝き、表の凧の脇につけた小さな鏡はくるくるまわって、まるで、闇にふたつの目がある光る魔物が浮かぶようだったぞ」
 広忠が鏡を返しながら、嬉しそうに言ったが、かぐやは答えない。 
「さあ、かぐや、急ごう」
 広忠はかぐやの手を引くが、かぐやは涙で濡らした頬を、篝火に浮き上がる家に向けて動かない。
「かぐや、こんなところでのんびりしてると探索の追っ手が来るぞ」
 広忠が急かすと、かぐやは頬の涙を拭って頷きぽつりと眩いた。
「いずれは別れるのが、この世の定めですものね」
「ああ、では行くぞ」
 広忠はかぐやを軽々と背負うと、都を挟んで反対の山麓地にある新しい住まいに向けて獣道を駆け出した。



十ニ 忍び寄る影


「さあ、かぐや、着いたぞ」
 広忠がそう言って、かぐやを家の門で背中からおろした。
 都の街中ではないが、かといって不便な山奥でもない、里を少し入ったあたりに建つその家は、かぐやの前の家よりも立派な造りだ。
「ここは誰の家です?」
「わしらの家じゃ」
「広忠殿に家を買う代金がありましたか?」
 かぐやがきつい目で問うと、広忠は慌てた。
「あ、そうではないぞ、盗んだのではないぞ、なんとかいう大臣の別荘じゃ、わしが、毎月、猪を届けてやるから、小さい家を借してくれと持ちかけたら、そういえば大原の先の別荘が使わずにあるから自由に使えと貸してくれたのだ」
 かぐやは呆れた。
「それは、広忠殿の猪が目当てなのではなく、広忠様が恐ろしくて貸したので、まともな貸し借りではありませぬ」
 かぐやに叱られると、大男の広忠がうろたえる。
「そ、そうか。ではどうすればよい?」
「いつぞや広忠様の家は山の洞窟だと聞いてましたが」
「ああ、あそこは大雨で崩れて、入り口が塞がって住めなくなったんじゃ。
 俺はかぐやがどこに住みたいと言えば、どこへでも行くぞ」
 広忠はそう言われても、かぐやに住まいのあてがあるはずもない。
「仕方がないですね、しばらくこの家に住まわせていただきましょう」
 かぐやがそう言うと、広忠は喜んだ。
「そうか、それがよい。
 ここなら水を汲みに行かずとも屋敷の中に小さい川が流れておるし、庭にもかぐやの好きそうないろんな花の木があるんじゃ」
 広忠は広忠なりに、かぐやのことを気遣ってくれているのだ。
 そう思うとかぐやは微笑んだ。
 
 当初は慣れない炊事に戸惑うかぐやだったが、ひと月もせぬうちに飯炊きも包丁使いも上達し、鮮やかな衵の上に襷をかけた奇妙な姿もさまになってきた。
 広忠の方は猪を追ったり、雉子を射落としたり、川魚を獲ったり、畑を耕したりして、二人が食べてゆくのに充分な食糧は楽々と得ることが出来た。
 獲物が余れば都に向かう行商人に売り、銭に替えることも覚えた。
 しかし、獲物を大量に獲って商う才覚まではないので、いったん家を出た後に何か食いたい、酒を飲みたいとなると、広忠はかぐやの目が届かぬのをいいことに、旅人を脅して金を巻き上げる悪癖を続けていた。
 その日も広忠は山を越えた街道で追い剥ぎを働いたが、かぐやに悪事を悟られるような土産は買わずに、何げない顔を作って帰って来た。

「あら。お帰りなさい。
 今日は行商の方からお酒を買って、用意しましたよ」
 そう言って笑顔で出迎えたかぐやを見た広忠は、ロを開いてびっくりした。
 姫はいつもの艶やかな絹の衣ではなく、庶民の着る鼠色の小袖の帷子(かたびら)を着ているのだ。
「かぐや、その汚い衣はどうした?」
「広忠様のおさがりを手直ししたのです。
 なかなか動きやすいですよ」
「なぜ綺麗な装束を脱いだんだ?」
「わたしたちはもう世間並みの夫婦なのですからね、つましく暮らさねばならないのですよ」
 広忠は納得ゆかない。
「しかし、ない物ならともかく。似合っているものをわざわざ脱ぐこともあるまい」
「いいえ、絹などすぐに傷んで惨めになるだけです。
 だいたい裾を引きずる衣では一歩も外へ出られません。
 これからはかぐやも少しは畑仕事も覚えて広忠様の役に立ちたいのです」
 広忠は頭を横に振った。かぐやがどんな道理を立てようとも、ずっと絹装束を着ていてほしかった。
「いいや、かぐやが畑仕事なんぞすることはない。
 かぐやには麗しい絹が似合うんだ。
 新しい衣ぐらいはなんとかするから、行く末など心配せずに絹を着ろ」
 広忠がいらだって命令すると、かぐやば鋭い調子で釘を刺した。
「世間並みの実入りでどうして絹が着られます?
 広忠様はまさか盗みで行く末を賄うおつもりなのではないでしょうね?」
「そ、そういう訳ではないが」
 かぐやは広忠が猪を一頭ぶらさげただけなのを見て言う。
「今日は獲物が少ないですね、広忠様ともあろう方が一日じゅう歩いてこれだけという筈がありません。
 どこで何をなさってたのです?」
「うん、ほ、ほれ、干し肉がだいぶあったろ、だから今日はのんびり昼寝をしたんだよ」
 かぐやは動揺した広忠に近寄り、懐に手を差し入れようとする。
 広忠は素早くその手を払ったが、その拍子に背負っていた矢立てから矢がぱらぱらとこぼれ落ち、その矢を拾おうとかかんだ。すると今度は旅人から巻き上げた財布が懐から、こぼれ落ちてしまった。

 かぐやは、広忠のものではない、その財布を素早く拾い上げ鼻先に突きつける。
「これはなんです?」

「あっ、そ、それはのう」
 かぐやは礫(つぶて)のような勢いで言葉をぶつけた。
「なんと情けないこと、
 かぐやがこんな格好になったのも広忠様に悪事をやめてほしい一心なのですよ。
 それがわかっていただけませぬか?」
「つい、出来心でな、すまんかった」
 広忠は照れ隠しに頭を掻いて謝った。
「いつになったら悪さが治まるのです?」
 なおもかぐやが厳しく迫ると、広忠は姫を抱き寄せて無理やりに唇を吸った。
 姫は広忠の体をカの限り押し返して怒る。
「いつもそうして話をうやむやにされる。
 どうして改心してくださらぬのです?」
 目尻を弛ませて聞いていた広忠は答える。
「そのうち改心するさ」
 そして、広忠は今度はかぐやの懐に手を滑り込ませようとした。
「やめてくだされ」
 かぐやは広忠の手をピシャリと叩いた。
 広忠はムッとして言い返す。
「お前は俺の妻じゃ、文句を言うな」
「かぐやはきちんと話をしてほしいのです」
「俺はかぐやにちゃんと約束してるぞ。
 とっとと赤子を産んでみせろ。
 されば俺も誓い通り、きっぱり足を洗ってやるわ」
 広忠が怒鳴りつけると、かぐやは空を食むように口を動かし、どっと涙を溢れさせると、身を翻して、逃げるようにして奥の室に駆け込んだ。
 広忠は瞬時に後悔した。
 かぐやとて心から子供を欲しているに違いないのだ。それが果たせないのは少しもかぐやの罪ではない。広忠は言い過ぎを悟って大きな足音を立てて姫の後を追いかけた。
「かぐや」
 呼びかけると、かぐやは鍵を下ろした妻戸の向こうで鴫咽を上げたままで答えない。
「おい、かぐや」
 再び呼んだが、かぐやは答える気配がない。
 言い過ぎを詫びる気でいた広忠だったが、二度三度とかぐやの返事がないと生来の短気から腹が立ってきた。
 結局、やさしい言葉の代わりに、
「勝手に泣いてろ」と言い捨てて寝所に入った。
 そしてふて寝を決め込んだ広忠だったが、愛しいかぐやと喧嘩してみると、おもむろに空海のあの予言が思い返されてきて、なかなか寝つけなかった。

 ようやく眠りにつけたと思ったら今度は明け方になって実に嫌な夢を見てしまった。

──追い剥ぎをはたらき予想以上の大金を手に入れて、ほくほくして家に帰ると、かぐやが艶やかな絹を着て微笑んでいる。
 広忠も笑みを浮かべて「今日はたんまり儲けたぞ」と言うと、姫は徴笑んだまましなやかに床に両手をついて
「ようございましたな、かぐやもこれでようやく広忠様にお暇を申し上げる決心がつきました」と広忠に別れを告げるのだ。
 広忠はびっくりして「行くな、行かないでくれ」と懇願して追うが、姫は笑いながら闇に消え入ってしまう。
 広忠は手を伸ばそうとするが、見ると両腕がなくなっており、空しく絶叫する。
 どっと汗をかいて広忠は目を覚ました。
 慌てて床を出てかぐやを探すと、かぐやはいつものように朝飯の支度をしており、広忠は、ほっと息を吐いた。
 しかしながら、膳につくと、もはや様子は昨日とは違っていた。
「もうひとつ」
 広忠が椀を差し出すと、かぐやは無言で受け取りお代わりをよそって、無言で返す。
 やはり、昨日のことを怒っておるんじゃな。広忠はそう感じて、思い切って照れる台詞を吐いてみる。
「うまいのう、かぐやのこさえた飯を食える俺は幸せもんじゃ」
 しかし、かぐやは自分の飯を黙々と食べるだけで、広忠の言葉に答えない。
「行ってくるぞ」
 そう言って広忠が腰を上げても振り向きもしない。
 もう何を言っても聞いてくれぬのか。
 広忠は溜め息を吐いて、ひっそりと支度を整えると狩りに出かけた。

 

十三 広忠の改心


 その朝も、広忠は無言のかぐやに給仕され朝飯を食べてから猟に出掛けた。
 実は朝飯を終えた時、土下座してでもかぐやにあやまろうかと思ったのだが、あと、わずかというところで果たせなかったのだ。
 秋空は青、雲は白にくっきりと晴れ渡っていたが、広忠は暗欝たる黒雲を背負った気分で山に分け入り獣道を歩いた。
 この日の広忠は。麓で鹿が角を鳴らす音にも、枝を渡る猿に驚いた雉子が立てるけたたましい羽音にも見向きもしなかった。いつもなら二十間先の茂みの奥に猪が潜んでいても野生の勘で見抜ける広忠だが、今日は五間先を鹿が横切っても目に入らないのだ。
 広忠はただひたすらにかぐやのことを思っていた。
 かぐやの明るい微笑み、かぐやの澄んだ声、かぐやの柔らかな体がなけれぱ、己れの膂力によりこの世の富を全て手にしたとしても、広忠は生きた心地がしないのだ。
 広忠を受け入れてくれるかぐやが傍らにいてくれるからこそ、盗みがばれて叱られることさえちょっとした愉しみだった。しかし、この数日間、かぐやは笑みも見せず口すら聞いてくれず、広忠の分厚い胸の内はずっと凍える思いだった。
 なんとかしてかぐやとの仲を元に戻したいものだと考え考え歩くうち、広忠は昼を過ぎる頃には山をふたつ越えて街道に突き当たった。

 道端の石の上に腰をおろし、かぐやが無言で渡してくれた握り飯を喰らっていると、都の方角から馬に乗ったいい身なりの男が下男に手綱を引かせてやって来るのが見えた。
 反射的に広忠はその気を起こした。
 少しばかり面白いことを働くか。
 もちろん、大金を捲き上げて高価な絹を買ったところでかぐやが喜ぱないのははっきりしているのは、広忠にもわかっていた。
 しかし、うまい菓子とちょいと小奇麗な小袖でも土産にして謝ったならば、かぐやも受け取って仲直りしてくれるのではないか。
 それくらいの土産ならこの三日の稼ぎを貯めたと言って信じてくれるに違いない。
「そうしよう、俺もうまい酒にごぶさたしてるしな」
 広忠は握り飯をゆっくりと食いながら待った。

 山鳩の絶え間ない鳴き声に、郭公が合いの手を挟む中、次第に獲物達が近づいてくる。
 広忠は獲物に己れの鋭い眼を見せぬよう反対の方角に顔を向けて待った。
 さっきまでかぐやを思いながら衰えていた五感は、今や研ぎ澄まされている。
 俺が迫ると下男は刀を抜くかもしれないが、その時は石で刃を折ってやろう。
 駆け逃げたら馬の首の後ろに飛びついて首を折ってやろう。
 主人は黒面広忠と知ると真っ青になって命請いするだろうが、俺が僅かばかりの金で許してくれたら狐にばかされたような顔をするに違いない。
 はっははっ、愉快だ。

 笑みを噛み殺すと、獲物達は間近に迫っている。
 広忠は足元の石をそっと掴むと、気合いを入れて立ち上がろうとした。
 その時、三十間先のひとつの木の脇を何か小さなものが落ちるのが、広忠の目に捉えられた。
 なんだろう。
 次の瞬間、額を一滴の汗がたらりと流れた。

 広忠は、はっと悪夢を思い出した。
 瞼の奥で、かぐやは両手をつき「これでお暇いたします」と宣言する。
 広忠は慌てて首を振った。
 そうだ、もしこの悪事がばれたら、かぐやは呆れ返って俺と別れる気を起こすやもしれない。
 いや、きっと別れると言い出すに違いない。
 それはまずい、どうしてもまずい。
 確かにちょいと他人を殴りつけて金品をせしめるほど面白い仕事はないが、今の俺にはどんな悪事の楽しみよりもかぐやの笑顔の方が大事なのだ。

「あの糞坊主の予言通りには運ばせんぞ」
 広忠はそう叫ぶと、木の脇を落ちたものを確かめようと立ち上がった。
 そしていい身なりの男一行の先を横切る形で、脇の林に入り何かが落ちたあたりをゆっくりと探した。
 小さい何かは意外にもあっさりと見つかった。
 なぜなら、それはぴいぴいと必死に親を呼んでいたからだ。
 広忠は近くの杉の、十間ほどの高さの枝に巣を見つけた。
 これが堅い地面ならひとたまりもなかったところだったが、いくつかの違う草や羊歯が葉を重ね合わせ、落ちてきたカケスの赤子を柔らかく手渡ししたから無事だったのだ。
「よかったのう。
 お前、まだ目も開いておらぬのか」
 広忠の手のひらにすくわれたカケスの赤子は広忠を親と思ったか、ますますぴいぴいと声を上げる。広忠は赤子の愛らしさに微笑んだ。
 カケスの赤子を握り飯を入れてきた布にそっと包み、よじ登る邪魔にならぬよう首のうしろにくくりつけ、広忠は木をよじ登った。
 そしてカケスの巣に赤子をそっと戻すとまた微笑んだ。
「お前もわしやかぐやのように親とはぐれるところだったのだぞ。
 これからは気をつけよ」
 広忠は生まれて初めて味わう爽快な喜びにひたった。
 そして物心ついて以来いつも自分を支配してきた悪の心を、すっかり捨て去る決心をした。
 広忠は大声で叫んだ。
「よし、かぐや、決めたぞ。
 今こそ誓うぞ。
 この広忠、生涯二度と悪事は働かん」
 カケスの赤子は何事かと驚いて黙り込んだ。
 広忠が振り返って見遣ると、いい身なりの男一行は道の遥か先にあり、馬上の影は広忠の声を追って杉の梢を振り返ったようだっだ。



十四 あらたなる約束


 夕闇が静かに山々を呑み込もうとしていた。

 広忠は猪を二頭肩にかけ雉子を五羽背負いながら、身も浮き上がる心地で家路を急いだ。
 今日は、カケスの赤子を救い、また悪事をやめることを誓った。
 思い返せば、他の生き物を救い、他人のために己れを抑えたのは生まれて初めてだ。
 それがこのように清々しい気持ちになれるとは考えもしなかった。
 かぐやの喜ぶ姿を思い描きながら、どうして俺は今までこの簡単なことに気がつかなかったのだろうと広忠は不思議に思った。
 かぐやは最初に何が欲しいと尋ねられた時から、広忠に悪事を止めることを願っていたのだ。
 それを長い月日を重ねないと成し遂げられなかったのは、いつも広忠が悪の出来心に負けてきたからだ。
「弱いのう」
 広忠は己れが膂力はあっても、実は心の弱い男だということをようやく認めると、苦笑いを満面に押し広げてどっと大笑いした。

 駆け込むように家に入った広忠が、獲物を土間に投げ出すと、かぐやは戸を開けて微笑んで出て来た。
「お帰りなさい、今日は真面目に働きなされましたね」
「かぐや、口を聞いてくれるか?」
「はい、私とて黙ってるのは辛うございます。
 広忠様が真面目に働いてくだされば黙っておられましょうか」
「実は今日は良いことをしたのじゃ」
 広忠は足を洗うのも忘れ、板の間に上がってかぐやの手を両手で包んだ。
「はい」
「街道のあたりで、間抜けな面の金持ちが馬に乗ってやってきたのだ。
 俺は、つい、ちょっとこづかい稼ぎをしようかと思いたった」
「まあ、それのどこが良いことなのです?」
 かぐやはまた怖い顔になったが、広忠は急いで続ける。
「いや、そうではないのだ、聞いてくれ。
 ふと、向かいの林で小さなものが落ちるのが目に入った。
 それから、ここで悪事をしては、かぐやに捨てられると思った。
 そこで俺は、追いはぎはやめて、向かいの林で落ちた小さいものを探しに行って、そいつを見つけたのじゃ。
 なんだと思う?」
「さあ、なんでしょう?」
「カケスの赤子じゃ、俺の親指ほどの赤子がぴいぴい鳴いておった。
 俺は近くの杉に巣を見つけて、よじ登ってカケスの赤子を返してやったのだ」
「それは、それは、良いことをなさいましたな」
 かぐやは目に涙を浮かべて、手の甲で拭うようにした。
「おう、俺も気持ちがよかった。
 俺が助けてやらねば親にはぐれたまま腹を空かせて死んでただろうよ。それを俺が助けてやったのだ。
 それから俺はもうひとつ良いことをしたのだ。
 今までしようという気持ちはあっても出来心に負けてかなわなかったことじゃ。
 わかるだろう?」
 広忠が聞くと、かぐやは察しがついたとみえ、いよいよ涙を溢れさせて声も出せずにうなづいた。
「かぐやにずっと頼まれていたことじゃ。
 俺は、二度と悪事を働かんと誓ったのじゃ」

「ぉおぉぉ」
 かぐやは声にならない声を上げて、そのまま広忠の胸に顔を埋めた。

 広忠は、今までは、胸のうちに、かぐやと不釣合いだというわだかまりがあった。しかし、今、そのわだかまりがかぐやの涙ですっかり溶けてゆくような気がした。
「かぐや」
 広忠もかぐやの背中をやさしくさすって言う。
「ははは、そんなに泣かなくてもよいではないか。
 さては、かぐや、よほど俺が悪から足を洗えぬと思っておったな」
「ち、違います、嬉しうて」
 かぐやの嗚咽はしばらくやまなかった。

 それから、広忠とかぐやの生活は前にもまして喜びに溢れていた。
 広忠はかぐやと屋敷の庭に畑を作り始めた。
 力仕事なら広忠にはたやすいことだ。屋敷を流れる小川から水撒き用の小さな水路を通した。
 そして、広忠が畝を作ると、かぐやが種を蒔いてゆく。
「よい畑ができたの」
「ええ、手前が大根。池に近いあたりが茄子、塀の近くは芋がなりましょう。
 食べきれない分は行商の方にお願いして都で売れば、お金になりますよ」
「そうか。かぐやはおつむがええのう」
「広忠様、ほんに悪事をやめてくださり、ありがとうございました」
「うん、悪事などなさずとも、このように楽しく暮らせるのじゃ。もう考えもおきんようだ、ははは」
 かぐやは嬉しそうに広忠を見つめた。しかし、不意に涙を溢れさせる。
「どうした、かぐや」
「父上、母上のことを思い出したのです。今頃、どうなされているでしょう」
「ああ、かぐやが月に行ったと信じて、思い出語りなどしてるだろうな。
 こうするしかなかったんじゃ」
 広忠はかぐやの肩を抱き寄せた。
 

 その日、広忠が狩から帰る頃には、夕焼けが闇に飲まれ天に丸い月が輝いた。
 広忠は家が近づいてくると今宵の睦み事を考えた。
 最近は、広忠が仕向けると、かぐやも求めるように力を入れてくる、それが可愛いくてたまらないのだ。
 広忠はつい鼻の下を伸ばしながら、家の門をくぐり、土間に獲物を投げ出してかぐやを呼んだ。
「かぐや、遅うなって心配かけたの、今、帰ったぞ」

 しかし、返事はない。
 広忠はおかしいと思いながら、適当に足を拭いて、奥の室の戸口を開けた。
 かぐやは蔀戸を跳ね上げて差し込む月光を眺めていた。

「かぐや、そこにいたか、遅うなって心配かけたの」
 かぐやは振り向いて微笑んだ。
「お帰りなさいませ、広忠様」
「ん、その格好は、どうしたんじゃ?」

 この夜のかぐやは、汚い小袖の帷子ではなく、衵を鮮やかに重ねた上に蘇芳(すおう)の表衣を付け、さらに裳までつけた盛装である。
 しかし心舞い上がる広忠は、微笑むかぐやの目に真っ赤に泣きはらした跡があることに気付かなかった。
「ははあ、俺の好みの衣装をしてくれたか?」
「そうであればよいですが。
 今日はかぐやにとって最も悲しい日でもございます」
 広忠は訳がわからず首を傾しげた。
「何を言っておるんじゃ?」
 広忠が尋ねると、かぐやは膝の前に静かに両手をつき揃えて言った。

「今宵限り、かぐやは広忠様にお暇申し上げなければなりませぬ」
 その光景はずっと前の悪夢にそっくりであった。

「ば、馬鹿なことを言うな、
 俺はかぐやの願い通り、悪事をすっかり止めたんじゃぞ」
 広忠は笑って言いながらも、かぐやの堅く思いつめた表情に、内心の動揺を大きくしていく。
「仰せの通りです。
 広忠様の誓い、かぐやも間違いなきこと確かめ、何よりも嬉しく思いました。
 だからこそ、かぐやはお別れせねばなりません」
 かぐやが繰り返すと広忠は大声で怒鳴った。
「何を言ってるんじゃ、
 悪事を止めて、かぐやに逃げられては道理が逆だ」

 広忠の苛立ちに静かに頷いたかぐやは、
「本当のことを申し上げます」と告白を始めた。


「実は、かぐやはまことに月の都に住む者なのです」
 かぐやの言葉に広忠は一瞬、呆気に取られ、すかさず怒る。
「ば、馬鹿な、それは俺の吹き込んだ猿芝居ぞ」
 しかし、かぐやは静かに続ける。
「芝居ではありませぬ。
 かぐやは、まことに月の者なのです」
 広忠を見詰めるかぐやの瞳は今にもこぼれそうな涙をようやくこらえている。

「御存知ないかと思いますが、月の都というのは、こちらの地上にて一千万歳の前世を生まれ変わり、数えきれない徳を積んだ果てにようやく入れる世界でして、こちらの方は極楽などと呼びますが、実際は信じられぬほど厳しいところなのです。
 いかに厳しいか申しますと、たとえば親が自分の子を他人の子よりも大事に扱うだけで大罪なのです。
 そこは神の律令の支配する、ひとかけらの私心も赦されない世界なのです」
 両手をついて打ち明けるかぐやの頬から、光のしずくが、きらり、またきらりと床にごぼれ落ちた。
 広忠は腕力のありったけを使ってもかぐやの告白をやめさせようと手を伸ばした。
 しかし、かぐやは、高貴な輝きに包まれていて、別世界のカで広忠の手を押し戻してくるのだった。

 かぐやは言葉を続けた。
「かぐやはその月の都で、数十万歳前の前世の自分の親に偶然に巡り合い、愛しく思いなし、他の方に配るよう割り当てられていた、音楽を奏でる石をつい差し上げたのです。
 その前世の親は、これは他人に配るものではないのか、と尋ねてくれたのに、私は違いますと嘘まで申しました。
 そのため私は月の大神の司直に捕らわれたのです」
「たった、それだけのことでか?」
「はい。月の律法は厳しいのです。
 そして、私は罰として、こちらの地でもっとも寂しい夫婦を慰め、もっとも凶悪な悪人を改心させるように言いつかって、赤子の姿に戻され、なすべき務めは、しかと覚えたまま、この地に降ろされたのです」
「な、なんだとお」
 叫んだ口を開いたまま、天空の月を一瞥すると、広忠は胸の縮みゆく思いで虫の音のように呟いた。
「俺の妻になったのは、そのためだったか?」
 かぐやは懸命に首を左右に振った。
「いいえ、そのためだけではありません。
 正直に申しますと、確かに最初は広忠様のことを恐ろしいとも思いました。
 なれど、この地に体を持ち生きるということは、様々の愚かな、しかしそれ故に強く激しい情を持つということです。
 それは律法ばかり気にする月の民がとっくに忘れておる心なのです。
 かぐやが広忠様のためにひたむきになれたのは、まっことに広忠様のくださる情を嬉しく思い、心底お幕い申した恋のカのおかげです。
 それだけは決して疑ってくださいますな」
 かぐやが答えると、広忠はその言葉尻を掴んだ。
「そうであるなら俺の元に留まってくれ。
 俺はかぐやなしには、もはや生きた心地せん。
 お願いじゃ、行かないでくれ」
「そう言われると、もう胸裂く心地がいたします。
 広忠様が改心された時に、私が激しく泣いたのは嬉しいからではございません、別れるのが辛すぎて泣いたのです。
 しかし広忠様が見事に改心なされたからには、かぐやは月の都に帰らねばならないのです。勝手に地上に留まることはなりません」

 かぐやはそう言うと袖に顔を埋めて号泣した。

「いやじゃ、かぐやは渡さん、絶対、月になど帰さんぞ」
 広忠は姫を強く抱き寄せようとしたが、かぐやははっと空を振り向いた。
「広忠様、かぐやはそろそろ月の司直に引き戻されるようです」

 広忠はかぐやを押さえようと思ったが、不思議な力が働いて、指一本動かすことができない。
「いかん、かぐや。
 俺の傍にいてくれ、なあ、思い留まれ」
 童子のようにねだる広忠に、かぐやが月を指差す。
「もう留まれません、あれが迎えです」

 見ると、月に純白の光の塊が生まれ、こちらに向けて一筋の光を伸ばす。

 広忠はかぐやを失う恐怖に身の毛をよだて身震いした。
「来るなあ、かぐやは渡さんぞ」
 広忠は一筋の光を眈みつけ大声で叫んだ。
 その光は滑るように降りて、空に残る少ない雲を突き抜けて、地上へ地上へと向かって眩しさを増してくる。
 すると風もないのに庭の木の葉は渦を巻いて舞い上がりだす。
 広忠は一筋の光の眩しさに目を細めつつかぐやに懇願した。
「かぐや、行くな、
 俺はまだまだ悪党だ。明日にも悪さをするかもしれんぞ。
 お願いだ、この世に留まってくれ」
「広忠様こそ、多くの徳を積まれて、早う月の都においでください。
 そこでお逢いしたあかつきは、辛い物語も楽しい思い出も心ゆくまで言いかわしましょうぞ」
 かぐやが言う間にも一筋の光はどんどん近づいて釆る。
「この世の数え方では遠い先かもしれませぬが、またお逢いできる時は必ずまいります」
「必ずか?」
 吹き上げる強風の中で、広忠が涙を流しつつ聞ぎ返すと、かぐやは屋根の上まで迫っている一筋の光を袖で遮り、強い調子で頷いた。
「はい、きっと月で一緒になりましょう。
 今度は私が広忠様に約束いたします」

 広忠はかぐやを見つめたが、すぐに首を横に振った。

「……いいや、そんなのは当てのないのと同じだ。
 俺はずっとかぐやを離したくないんじゃあ」
 叫びながら広忠はありったけの力を奮って、かぐやの手を掴んだ。

 しかし、次の瞬間、眩しい光がかぐやの頭上に降りた。
 そしてかぐやのまわりに緑に輝く五尺ほどのひと形の光が降り立った。
「さあ、参ろうぞ」
 緑に輝く者の声が響いた。

「かぐや、行っては駄目じゃ。俺はかぐやなしには生きてゆけん」
 広忠のみっともない言葉に、かぐやが緑に輝く者に問いかける。
「司直さま、私がこの地に留まることはなりませぬか?」
 かぐやが尋ねると、緑の光に黄色い光が混ざった。
「何を愚かなことを言う。
 このような野蛮な地に留まってなんとする」
「私はこの方に添い遂げたいのでございます」
「これは、この地でも最も恐ろしい人間、最も卑しき人間じゃぞ」
「それが見事に改心なされたのです。この方がこれから歩む行方を間違わぬよう、一緒について差し上げたいのでございます」
 かぐやが言うと、緑の光に赤い光が混ざった。
「よいか。そなたが月に帰れる機会はこの夜限り。
 これを逃せば、あとはこの地の卑しき者どもと同じように、一千万歳生まれ変わり、一から功徳を積まねばならぬのだぞ。
 すでに十分に積まれた功徳を無にするなど月の大神が許すと思うか。
 それ以上、逆らうと言うなら、月にて新たな裁きを致すしかないぞ。
 月の大神の命に従うのだ!」
 そう言われるとかぐやはうつむいて覚悟を決めるようだった。
 しかし、広忠が叫んだ。
「どうしてもかぐやを連れてゆくならば」
 広忠が太刀を抜くと、かぐやは大声で制した。
「広忠様、おやめくだされ、月の大神様ご直参の司直様です、畏れ多いこと」
 広忠は咄嗟に考えて、太刀の刃を自分の胸に向けた。
「かぐやを連れてゆくならば、俺は生きていても意味もない。
 もともとかぐやが認めてくれなければ、まともな心もない、人の形をしたただの獣じゃ。
 ここで俺とかぐやと、二人突き通して果てて見せるわ」
 司直は吐き捨てる。
「け、汚らわしい、吐く言葉の全てが忌まわしいわ、さ、姫、参るぞ」
 司直の言葉だが、かぐやは従おうとしない。
「お待ち下さい」
「なんじゃ?」
「私は月に帰るより、この男の刃にて共に死ぬることを選びます」
 緑の光が紫に点滅した。
「ゆ、許さんぞ、今の忌まわしき言葉、月に帰りても大神様もお許しにならんぞ。
 そのような言い様、心の芯まで汚れて腐り果てたか」
 しかし、かぐやは司直から広忠に向き直る。
「広忠様、どうぞ、私の覚悟はなりましたぞ」
「おお、かぐや、よいのだな?」
 広忠がそっと太刀を自分の胸に突き立てようとし、切っ先から血がわずかばかりぴゅっと噴き出し、緑の光の方へ飛んだ。
「グゥゲッ」
 月の司直は吐き出すような声を上げ、かぐやは急いで広忠の手がそれ以上進まぬよう止めた。
 緑の光はかぐやの頭上の光に吸い込まれると、大きな白い光は逃げるように空を昇り、天に引き返した。 
「かぐや?」
 広忠は予想外のなりゆきに目をまばたいた。
「ようございました。司直様には広忠様の血の汚れがよほど恐ろしかったのです」
「では、かぐやはずっと俺の傍にいてくれるのか?」
「はい、約束いたします。
 広忠様、私が添い遂げますゆえ、これからはいかなる悪さも許しませぬぞ」
 かぐやが笑みを浮かべ見つめると、広忠はにやにやとして頭を掻いた。

 仰ぎ見れば仲秋の満月、実に静かな夜空である。



結 物語の祖(おや)


 その日、嵯峨帝は、高尾山寺の空海を参内させると、先の疫病の広がりを密教の修法により収めた功績を称えて褒美を授けた。

 引き統いて帝は清涼殿に渡り、詩吟の宴の席に空海を加えた。
 漢詩の朗唄がひと区切りつくと、帝は列座する臣下たちに何か面白いことはないかと問うた。
「畏れながら」
 参議小野岑盛が一拝して発言を乞うた。
「もはや御前に持ち出す話ではないやもしれませぬが、先に正史よりお削りあそばした、月に帰られたかぐや姫について話がありますが」
 帝は杓で膝を打って「うむ、構わぬ」と発言を許した。
「先日、いずこより屋敷の女房に、竹取物語と題する仮名書きの綴じ本が届けられまして、これが本朝の様々な伝説を巧みに取り入れた物語の中に、かの姫のはかなくも麗しい様子が見事に記されており、感心いたしました」
「ほおー」
「それは趣き深いこと」
 帝をはじめ、難題に敗れた大伴皇子、葛原皇子、右大臣藤原園人、大納言春日御行、中納言菅原麻呂なども並ぶ一座は相槌を打って興味を示す。
「ここにその本をお持ちしました」
 参議小野岑盛は蔵人を通じて帝に本を献じた。
 帝は本にしばらく目を通すと言う。
「まるほど、養父を竹取翁に見立てておるようだな。
 筆も文才もなかなか見事な様子、書いたのは一体。誰じゃ?」
 聞かれた参議小野岑盛は慌てて平伏した。
「申し訳ございません。
 使いの者が約束の品と言えばわかると申したため深く問い質さず、どこの誰ともわかりません」
「誰ぞ、書き手を知る者はないか?」
 帝に聞かれた一堂は、互いに顔を見合わせると静まり返った。
 帝は微笑んで、わざと空海の木像然としている顔に向かう。
「別当、そちなら知っておるだろう?」
 空海は上体を前に倒してしらばくれる。
「畏れながら、山に棲む坊主は麗しい姫の話など噂すら聞いたことがございません」
「ふふ、そうか、別当も知らぬか」
 帝は満足そうに頷くと声を高めて呟いた。
「されば、月の者が我らを慰めるためによこしたものかもしれぬの」
「なるほど」
「まことにそうかもしれませんな」
 臣下達は帝の着想を楽しんで頷いた。
「よし、皆揃って『竹取物語』の写本を作り、かの姫を偲ぽうではないか」
「御名案にございます」
「では、早速に写本の順番を決めましょう」
 一座は籤つくりに浮かれた。

 空海は、あの悪党広忠のことを思い返していた。
 広忠はあれから、もう一度、空海の寝所を訪れ、様々なことを語った。
 月の都はこの世を一千万歳生まれ変わって、徳を積んで入れる極楽であることと、かぐやがまことに月の都の者であったこと、そしてかぐやがこの世に遣わされた理由が、この世で一番凶悪な自分を改心させるためであったこと。
 広忠が悪から足を洗うと改心したことで、かぐやは月に帰りかけたが、司直と言い合ううちに、月に帰るより自分を選んでくれたこと。
 最後に、広忠は「坊主、礼を言うぞ。この通りじゃ」と言うと、空海の足元に殊勝に頭をすりつけてから、帰ったのだった。
 これでよかろうて。
 空海は浮かれる一座を眺めてつぶやいた。
 かくして『竹取物語』は世に流布した。

 しかし、かぐや姫がこの世に降ろされた理由や、強盗広忠との恋の顛末、そしてその後も続いた平穏な生活は、決して世間に出ることはなかったのである。     了





 ご愛読いただきまして、ありがとうございました。

 前々から、竹取物語で、かぐや姫が罪を犯して地上に遣わされたことになっているのが気になっていました。しかし、どんな罪でどんな罰かは全く明らかでない。そして無理難題で貴びとをやりこめる徹底ぶり。月の迎えの超然たる態度。
 そこから私なりにイメージをふくらませたのが、この『姫盗り物語』です。
 至らぬ点もあったかとは思いますが、想像の飛躍を楽しんでいただけたとしたら、幸いです。


 f_02.gif プログ村

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コメント

またまた一気読みさせていただきました。
ベースとされた「竹取物語」も動的で不思議なストーリですが、それをさらに膨らませて二転三転するストーリーが読み応えたっぷりで、とっても面白かったです。
特に偽装・月への帰還のエピソードが好きでした。
悪党が少しずつ改心していくのも自然な感じで良かったです。
謎めいた僧である空海の存在もピリリと効いていましたね。

そう言えば原作(?)には姫が地上に遣わされた理由が書かれていませんね。
他の異質な者にはそれなりの目的が書かれているのに。
先日の「駈け落ち」といい、やはり物語を書かれる方は着眼点がユニークですね。

私も昔から不思議だと思っていた物語があるんですよ。
例の「浦島太郎」。どうして最後に「タマテ・バコー」なんだろう?
蓋を開けると鶴になるというバージョンもあるんですよね。怖すぎますっ!

  • 2009/09/18(金) 00:22:47 |
  • URL |
  • ia. #DQukzmQA
  • [編集]

◆ia. 様 ありがとうございます。

偽の月への帰還は、原作の裏側を描くということで、自分でも面白かった部分です。
改心が自然てのはすごく嬉しいです、ちょい気にしてました。

竹取物語もさすがに現代の物語としては、心理や展開に物足りなさと感じます。そして解決されてないかぐや姫の謎にひとつの形をつけてみたいという気持ちで書いてみました。

浦島、あれは以前、考えてみたけどこじつけ難しそう。浦島のトーテムが亀とか文化人類学のセンセが書いてたけど、私には意味不明。
えっ、鶴!になるのは初耳です。
キャバクラ竜宮城で落とすネタは書かないぞ、と宣言しておきます(笑)

  • 2009/09/18(金) 01:56:06 |
  • URL |
  • 銀河系一朗 #7VZ5bVfM
  • [編集]

いいなぁ、キャバクラ竜宮城(笑)
最後に玉手箱ならぬ請求書を渡されて、頭が真っ白になるというオチですね。

冗談はさておき、私もなにか時代物の新説・異説が書きたいなぁと思って思案中なんですけど。
( ̄ヘ ̄)。o0○
毛利元就が三人の息子に言いました。
「この三本の矢を折ってみよ」
「ははは、父上。簡単ですよ。
このように三本を縛って、背中にくくりつければ……。
ほら、三本の矢を"負って"みました」
「あっぱれ、とんち息子よ。
……ってアホか!」
うーん。ネタパロっぽい話しか思いつかないww

  • 2009/09/18(金) 22:38:46 |
  • URL |
  • ia. #DQukzmQA
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◆ia. 様 ありがとうございます。

そう、ちらっと検索したら、キャバ竜宮城の話は山ほどあるみたい。

毛利の三本の矢、うまい!落語みたい(笑)
時代物は正史自体があいまいだから、新説はかなり作れそうです。
家康なんか本当は三方ケ原で武田軍に殺されてて、それを隠すために情けない話を流し、影武者の肖像画を書かせたのかも。
短い話なら、大岡越前が越前クラゲを飼っていたとか、銭形平次は投げた銭をちゃんと糸で引き戻していたとか(笑)

  • 2009/09/18(金) 23:25:39 |
  • URL |
  • 銀河系一朗 #7VZ5bVfM
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こんばんわ(*^_^*)

こんばんわ。
読ませていただきました。
おもしろい着想ですね。かなりの長さお疲れ様でした。
かぐや姫が下界に使わされたわけはおもしろいですね。
懸命に姫を愛し、こたえようとする盗賊がかわいいです。
最後月に行ってしまうのならこんな残酷な姫はないと思ったのですが、さすが共に死ぬ覚悟。
納得です。
「月の都はこの世を一千万歳生まれ変わって、徳を積んで入れる極楽である」死んでも行きたくないですね(笑)

銀河系一朗さんいつもコメントありがとうございます。レスを書いていますのでいつかご覧になってください。

  • 2009/09/19(土) 02:35:54 |
  • URL |
  • KOZOU #-
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◆KOZOU様 ありがとうございます。

最後は強引に連れ去られるのか、それとも残る方法はないか悩みましたが、こんなふうに解決(笑)

>死んでも行きたくないですね
転生から悟りへは仏教の王道ですから、と言いつつ、自分も閻魔大王の方が身近に感じます(爆)

  • 2009/09/19(土) 16:32:19 |
  • URL |
  • 銀河系一朗 #7VZ5bVfM
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    飛べなくても頭が悪くても
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