銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。

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 朝食後、食事を終えた人々と後片付けの使用人が退出してゆく食堂で天野が貴子を呼び止めた。
「貴子さん、阿南真登子さんはどういう方です?」
 貴子は椅子に座り直して答えた。
「ですから、前にも話したように同級では活発な方ですわ。
 毎週薙刀の稽古をしていたんですから」
「ええ、たとえば最近、悩んでいる様子などは見かけませんでしたか?」
 そう問われた貴子は瞳を斜め上に上げてから答えた。
「さあ、特には気づきませんでしたわ。
 念のため、申し上げておきますけど、殿方という種族は、女学生はいつもころころと笑い転げていると思い込んでおりませんか?」
「い、いえ、そのようには」
「私の通う聖蹟女子大学では、女学生といえども世情や経済を議論し、静かに思い耽ることもありますのよ。
 私だって好きな方を心配する時もありますから、それを同級の者が見て苦しい悩みがあるのかと訊かれることはありますわ」
 天野は思わず訊き返す。
「あ、それは貴子さんが私を思って同級の方に心配されるということですか?」
 貴子は給仕の者たちが下がったのを確かめて頬を染めた。
「そうなりますわ、私の好いた方は天野様だけですから」
 天野は貴子の手を握って「貴子さん」と呼んだ。そして接吻しようと顔を近づけた時に、ドアの開く音がした。
 天野は慌てて貴子の手を離し、身を引いて振り向いた。
 入って来たのは、関東大震災の館倒壊時に救われて以来、天野を敬愛してやまない貴子の母徳子である。
「あら、天野様、まだおいででしたの?
 朝食が足りなければ、何か作らせましょうか?」
「いいえ、毎日、十分にいただいています」
 天野が答えると、徳子は嬉しそうに微笑んだ。 
「貴子、早く準備なさらないと、車が出ますわよ」
「お母様、今少し、天野様と打ち合わせがありますの」
「そう、では運転手にそう伝えさせましょう」
 徳子は天野に会釈して、ドアの外に消えた。

 しかし、また徳子が戻ってきそうな気もして接吻することは躊躇われて、天野は咳払いをひとつしたのみだ。
「貴子さんは、阿南さんの家が神田にあると言ってましたね」
「ええ」
「実は、私は本日、休講なのです。神田なら歩いていける距離ですし、かの阿南さんの家を訪ねたいと思うのですが」
「では何かひらめいたのですか?」
 貴子が尋ねると天野は頭を振った。
「いいえ。見当がつかないからこそ、阿南真登子さんの家で話を聞いてみようかと思っているのですよ。真登子さんの出歩く範囲に、犯人と接触する機会があるはずですからね、もし殺人事件だとすればの話ですが」
「なるほど、それも推理の糸口になりますね。
 今、地図を描いて差し上げますわ」

 貴子の手による地図は、麹町の伏見官邸のそばの漆原宮の館から、東に歩いて半蔵門に出て、皇居のお堀を四分の一ほど北にまわり、神田に出る道を示していた。

 天野は地図に沿って歩き、途中で果物を求め、市電の通りを横断し神田の古書店街に入った。明治末期に、この辺りに学生が多いのに目をつけた中西屋が古書店を始め、それが大当たりしたのが街の始まりである。
 天野は新刊書の三泉堂書店の前を左に曲がり、少し進むと右手の小路を通り抜けて、阿南石鹸本舗に辿り着いた。
 表戸は開け放たれて、入ると石鹸の匂いが漂っている。
 シャツにネクタイ、法被という格好の番頭がもみ手をして近づくと、天野は帝国大学の名刺を渡した。
「帝国大学物理学教室?」
「はい、天野と申します」
 天野が真登子さんの同級生に聞いて焼香に来たのだと説明すると、番頭は涙ぐんだ。
「これはご丁寧にありがとうございます。
 私にもそりゃあ優しい姪っ子で、家族も店の者も未だに信じられないんですよ」
「そうですか。男性とお付き合いは?」
 天野が訊くと、番頭は強く頭を振った。
「そんなのありゃしませんよ。毎日、顔を合わせ食事して、店の手伝いもしてくれるんですよ。もしいたら気付きますって」
「じゃあまったく変わった様子はなかったんですね?」
「ええ、だから真登子が起きてこないとなったその日は日曜でしたが、私もここに住んでますので、上へ下へのてんやわんやでした。
 今すぐ、兄の社長を呼んで参りますので、そちらにおかけください」
 天野は椅子にかけて、机で事務をとる中年女性や、一段高くなった畳に腰掛けている男の作業員二人と目を合わせ会釈した。
 まもなくやって来た髪を七三に分け、左顎に痘痕のある社長は深々と頭を垂れた。
「わざわざありがとうございます」
「この度はお気の毒なことでした」
 社長は探るように訊ねた。
「真登子の同級生から聞かれたとのことですが」
「ええ、私は漆原宮家に世話になってまして、貴子さんから聞いたのです」
 天野がその名を告げると、社長は大きく頷いた。
「ああ、そうでしたか、漆原宮のお嬢様には仲良くしていただいて、翌日にもすぐ駆けつけてくださって、感謝しております」 
 社長に連れられて行くと、店の奥は住まいらしく全体が細長い造りになっていた。
 天野は座敷に案内され、仏壇を拝んだ。
「貴子さんから聞いたのですが、お嬢様は薙刀もなさる活発な方だったそうですね?」
「そうなんですよ、毎週、薙刀の稽古に通ってましたから」
「では、病気もなかったのでしょうな」
「そうです、幼い頃のおたふく風邪ぐらいで、医者にも滅多に掛かりませんでした」
「では今回は突然で驚かれたでしょう?」
「ええ、朝食に起きて来ないので、家内が二階の部屋に上がってみたら冷たくなって……」
「お辛いことでしょう」
「ええ、そりゃもう。警察が死因が不審だとのことで、娘を調べてくれたんですが、まだ原因がはっきりしないのです」
「ええ、貴子さんも心配されまして、もしご家族がよろしければ、私に調べてくれと申しておったんですが」
 社長は物理学助教授という肩書きが死因解明の役に立つと誤解したらしく、
「それはありがたいです。是非、調べてください、お願いいたします」
 頭を下げられた天野は内心苦笑しながら訊ねた。
「お嬢様のお部屋は二階ですか?」
「ええ、そうです。二階は真登子の部屋と弟夫婦の部屋と、倉庫に使ってる部屋がいくつかあります。ご案内いたします」
 社長は廊下の端にある階段に連れて行った。
「階段はここだけですか?」
「いえ、店側にもあります」
 階段を上がると、廊下になっていて片側は手すりで一階と吹き抜けになり、反対側に部屋が並んでいる。
「玄関は?」
「玄関も店側と住まい側のふたつです」
「鍵はかけてますよね?」
「もちろん夜はいつもかけてます」
「当日はいかがでした?」
「うちは問屋ですから日曜は店の玄関は開けません。家の方は朝開けたと思いますが。
 ここが娘の部屋です。そのままになってます」
 社長が引き戸を開くと、六畳ほどの部屋に文机と本棚と小さな箪笥が並んでいる。
「当日、この引き戸の鍵は?」
「開いてました。身内だけですからね、着替えでもする時は用心にかけていたかもしれませんが、基本的に鍵はしなかったと思います」
「窓を開けてみていいですか?」
「ええ、どうぞ」
 天野は文机の上のガラス窓を開いて、首を外に出した。
 隣の商家の壁が七十センチほど向こうにあり、境界には丸太が斜めに立てかけられている。
 この部屋からだと高さがあるが、端の部屋の窓からならば丁度真下に丸太があり楽に足が届く。
「二階のあちらの端は何の部屋です?」
「倉庫です」
「鍵は?」
「いえ、面倒ですからね」
「ふうむ」
 天野は頷いた。
「それから、お聞きしづらいのですが、血の痕はありましたか?」
「警察にも聞かれましたが、なかったです。それから警察は家中を念入りに調べましたが、どこにも血の痕はなかったようです」
「それはまた不思議ですな」
 天野は本棚に並ぶ本の題を指でなぞった。夏目漱石、尾崎紅葉、樋口一葉の小説がずらりと並んでいる。
「書き置きのようなものはありませんでしたか?」
 遺書のことを婉曲して訊ねると、社長は頭を左右に振った。
「警察も探したようですが、ありませんでした」
「そうですか」
 天野は文机に置かれている本を手に取った。それは夏目漱石の『行人』だった。
 ページをめくって書き置きがはさまれてないかと探したが、何もない……、と、一瞬、何かの書き込みが視界を過ぎり、天野は慎重にページを戻してみた。すると、

死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない

 その一文、死ぬか、気が違うか、宗教に入るか、という言葉に傍線が引かれて、死ぬかはさらに楕円で囲まれている。ちょっとした覚書のための強調の印かもしれないが、もしかしたら死の決意の痕である可能性もかすかにある。
 だとしたら、阿南真登子は自殺なのか?
 いや、そうとしても自分の血を蒸発させるように消して死ぬなど不可能ではないか?
 天野はしばらく考え込むのだった。

(吸血鬼ドラキュラ5 に続く)




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コメント

うーん。部屋のつくりにもヒントがありそうなのですが、まだわからないですね。
最後の意味深なメッセージも。
魅力的な謎が多くて目移りしそうです(笑)
天野助教授と貴子の会話、ほっこりしますね。

  • 2008/09/02(火) 21:32:45 |
  • URL |
  • ia. #-
  • [編集]

◆ia. さま ありがとうございます。

部屋の造りはあまり気にしないでもいいかもです。
自分で死んだ可能性は失血という死因と現場の痕跡からして、なさそうですね。とすると……?

  • 2008/09/03(水) 17:28:29 |
  • URL |
  • 銀河系一朗 #DhVq6Ht6
  • [編集]

あらっ!この店にも怪しいやつ、発見。もう、皆、怪しい。
街の佇まいや家屋の描写がうまいなあ。雰囲気がとってもよく伝わります。

  • 2008/09/03(水) 23:52:31 |
  • URL |
  • つる #-
  • [編集]

◆つるさま ありがとうございます。

怪しいですか(笑)
褒めていただいて嬉しいです。
下のリンクは明治・大正の東京都心の写真が見れます、数は少ないけど雰囲気はわかる
http://www.ndl.go.jp/scenery/map/map_o/index.html

  • 2008/09/04(木) 21:48:29 |
  • URL |
  • 銀河系一朗 #DhVq6Ht6
  • [編集]
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    飛べなくても頭が悪くても
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