「紗智絵、ちょっと大事な話があるんだ」
名蔵博士は夕食の後片付けに立とうとした娘を椅子に呼び戻した。
名蔵は自分の体調の重大な変調に気付いていた。症状をネットで調べるとどうも悪性腫瘍のようだ。だから、近い将来の万が一に備えて、娘の本当の正体について打ち明けようと考えたのだ。
名蔵はもう一本タバコに火をつけて煙を吸い込んだ。
「どうだ、大学は楽しいか?」
「うん、勉強の方はあまりサプライズないんだよね。
でも、サークルでね、自然の中をサイクリングしてると楽しいよ。私って案外アウトドア派なのかもしれない」
「そうか、それはよかった。あのな……」
名蔵博士は頭の中で思う。紗智絵は賢いから、父の人工頭脳研究という仕事と自分の頭脳の卓越した能力から照らし合わせ、うすうす自分の正体に気付いているかもしれない。
だから、娘よ、お前は、5年前に亡くなった実の娘の細胞と人工頭脳を組み合わせたアンドロイドなのだと打ち明けても動じないかもしれない。
「実はな」
「うん?」
娘の瞳はつやつやと輝いて自分を見つめている。まるで人間のようだ。いや実際、瞳は娘の細胞から複製されたのだから人間そのものなのだが。
「あのな」
そう言って、不意に名蔵は紗智絵への告知をためらった。待て、待て、賢そうに思える娘の人工頭脳だが、自分がアンドロイドだという推理には辿り着かないかもしれないぞ。
その時、自分が本当の人間でないと知ったショックはどれほどのものだろう?
機械がショックなんて受けないと他人は言うかもしれない。
しかし、私の設計した人工頭脳は、不要な戸惑いや焦り、不安や恐怖、とりとめのない発想も組み込まれ、そういう日常から受け取る感情を成長させるようプログラムされているのだ。
初期は実の娘のビデオやアルバムや履歴、親交のあった友人の証言から合成した記憶だったが、稼動からすでに5年も経った彼女の人工頭脳は立派な感情を持っているはずなのだ。
名蔵は今、娘に告知するのはあきらめ、医者に告知された時に、娘に娘の正体を打ち明けようと心変わりした。
「実はな、明日、病院に、一緒に行ってほしいんだ」
「なんか顔色悪いね、わかったよ、ついて行ってあげる」
†††
診察室のパネルモニターには名蔵の胸部のレントゲン写真が映し出されていた。
レントゲンは昔よりも格段に精度があがっていて、デジタル補正によって小さな病変も見逃さない。
眼鏡をかけた医師はレントゲンを見つめていたが、やがて、名蔵と紗智絵に向き直って問いかけた。
「ええと、奥様は?」
「あ、半年前に別れました」
名蔵はそう言ってうつむいた。
「そうですか、困ったな」
「やはり悪性腫瘍ですか?」
「ちょっと3分だけ、お嬢さんだけにお話しさせて下さい」
医師に言われたが、名蔵は覚悟はできていたから、動じることもない。
闊達な足取りで廊下に出た。
そして、まもなくナースに呼び戻された。
椅子に座ると、紗智絵はそっと名蔵の腕に手をまわした。
すまないな、私への告知がすんだら、お前への告知だ。
名蔵は涙ぐんでいる娘の顔を盗み見て目をつぶった。
「それで、先生、やはり悪性腫瘍ですか?」
「ええ、悪性腫瘍はありますね、このあたり」
医師はパネルモニターをボールペンの頭で指して見せた。
「しかし、レベルはまだ浅いので治療有望です。
問題はですね、娘さんから許可を得ましたのでお話ししますが、最近、あなたの意識がかなり錯乱しているということなのです」
医師は名蔵を睨むようだった。
娘が医師に、私が錯乱してると言ったのか。
「おそらく、それは、娘が自分の正体に気付いて認めたくないからでしょう」
名蔵が興奮気味に言うと、医師は厳かに宣言した。
「正体を認めないのはあなたの方なんですよ」
パネルモニターのレントゲンが胸部から頭部のものに切り替わった。
頭蓋骨の内側に映っているのは、脳ではなく、円盤状の物が何枚も重なり、リード線が生え出た下部には四角い金属の影がある。
「こんな、ば、馬鹿な!」
名蔵の口は叫んだまま、開き放しになった。
医師がゆっくりと言った。
「あなたがアンドロイドなんです」
紗智絵が手に力を入れて言った。
「お父さん、ごめんね。
1年ぐらい前から、お父さんの思考ログを確かめると、お母さんがアンドロイドだって妄想するようになってきたの。
それでお母さんは辛くて家を出て行ったのよ」
「……」
「そして、お母さんがいなくなって、最近は、私がアンドロイドだって妄想を始めたのよ」
「……」
「だけど本当のお父さんは5年前、交通事故で死んだの。
その時、自分の遺言にもとづいて、お父さんは自分の開発した人工頭脳を埋め込まれて、壊れた臓器は再生されてアンドロイドとして蘇ったの。
お父さんは生きてるうちから自分の意識や記憶をプログラムしておいたから、最初は本当にお父さんが蘇ったと思って暮らしてたわ」
娘はつぶらな瞳に涙を潤ませて言った。
「だけど、やっぱりどこか違うのかもね。
アンドロイドだと疑われたお母さんは出て行った」
名蔵は、内部の影で誰かがアドレナリンを放出し、血圧を上げるよう命令してる気配を感じる。
そして緊急時に思考を明らかにするプログラムが宣言しだす。
「私は、私が人間でないという事実を認めないが、私がアンドロイドであることを認定さぜるを得ないという、背反問題を発見した。
現在、無限ループ回避プログラムを作成中、あと10秒、あと5秒、修復されました……」
名蔵はこの危機に直面し、自分の感情がさらに高まるのを感じる。
「私は人間の代役に作られたアンドロイドだ、残念だよ」
名蔵は意図せず、体が震え出すのを止められない。
「でもね、お父さん。
お父さんは、今も、これからも、ずっと私のお父さんだよ。
ずっとそばにいるから心配しないでね」
紗智絵は、泣き出したお父さんアンドロイドの暖かい手を握りしめた。 了
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