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銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。

 ラーメン屋で昼食を済ませた松川隼人は同僚の花岡剛史と街のメインストリートである伊佐坂銀座を歩いていた。

「あーあ、午後も番号貼りかよ、やってられねえなあ」
 納品したチラシの電話番号が間違っていたのである。夕方のイベントで配られるチラシなので営業職の隼人も番号貼りに駆り出されている。
「まあ、わが社営業部のアイドル笹沢さんのミスだから手伝うしかないだろ。美人は得だよな」
 隼人は内心でニヤリとした。実は隼人は笹沢絵里香と密かにいい仲になっていた。
 あれはAKB48のコンサートに行った帰りだった。大島ゆうこたんを生で見れた幸福感と両隣のどじょう総理みたいなやつに両脇から圧迫され続けた疲労感というアンビバレンツな意識の中でふらふらと歩いてゆくと、繁華街の一角で笹沢絵里香と偶然に出会ったのだ。笹沢絵里香はそれこそAKBに入っても遜色ないようなアイドル顔で街を歩けば男の半数は振り返る魅力的な女性だ。その彼女はハイヒールの踵が折れたらしく膝も擦りむいていた。その時の隼人はハイテンションだったので遠慮する笹沢をいきなりおぶってタクシーに乗せ自宅のマンションまで連れてやった。その後笹沢からお礼にと食事に誘われ二人は急速に親しくなったのである。
 隼人は伸びそうな鼻の下を抑えて言った。
「まあな。そもそも原稿が間違ってたらしいじゃないか。でもあそこの社長はアホだからな。校正ゲラを読み合わせした時に地元の市外局番に気付かない笹沢さんが悪いんだと逆ギレしたってんだから、そんなの相手にしたら営業はやってられないぜ」
「まったくだ」
 二人でクライアントの悪口を言いながら伊佐坂銀座を歩いてゆくと喫茶店のテラス席に黒いチャイナ服に金縁の眼鏡をかけた老人の姿が見えた。
「あの爺さん、またいるよ」
「いつもいるよな」
「いつも暇で羨ましいよ」
 昼間はあの喫茶店のテラス席で過ごし、夕方になると居酒屋の待ち人用の椅子に座ってるので、何度かこの銀座を通ればいやでも記憶されてしまう名物爺だ。
 目を合わせないように通り過ぎようとした時、思いがけずあちらの老人からおかしな日本語で声をかけてきた。
「そこゆく者、止まるあるね」
 隼人が目を合わせると老人は隼人と同僚の間の延長上に左手をたてて隼人の側に右手を入れて手招きする。
 隼人は思わず自分の顎を指さして歩み寄った。

 ◇

「大事な話ね。私、有名な占い師ある。社長、政治家、芸能人、皆こっそりコキフリみたいソロソロ来るね。秘密たけと、この前もどじょう総理もそうたん来たあるよ」
「すみません、急いでるんですよ」
「大事な話ね。ふたん私のそうたん料は一けん百万円ね。でも今回はひと助けたから、十万円にまけとくあるよ」
 とんでもない占い師だ。隼人はぴしゃりと断ろうとした。
「結構です」
「私、滅多にひと助けしないね。たぷん五年に一人ね、あなたとても運いいあるよ」
 食い下がろうとする老占い師に隼人は言ってやる。
「だから十万円なんて払えませんよ」
「では不幸から逃れられた後にすきなたけ払えばいいあるよ」
 助かった後と聞くと気になるのが自然な反応だ。
「不幸って俺は何に遭うんだ? 事故? 事件?」
 隼人の問いかけに、老占い師はさらに手招きをした。
 隼人が顔を寄せると老占い師は隼人の耳を両手で覆うようにして囁いた。 
「あなたは目をつけられてるね。その男は漫画のケケケの鬼太郎に出てくる灰色男みたいな服、たたし黒色のを着てるね」
「ああ、ネズミ男ね。それが何をするって言うんですか?」
 老占い師は勿体をつけて深呼吸して告げた。
「生死に関わることを起こすあるよ」
「せ、生死に?」
 そこでようやく占い師が人助けと告げた意味が見えてきた。隼人は唾を飲み込んでから聞き返した。
「それってもしかして死神?」
「わしの国にはおらんからどうよぷかは知らないある」
「そいつはいつ現れるんです?」
「もう近くに現れてるかもしれないあるよ。うっかりしてると気つかないある」
「どうしたらそいつを見つけられますか?」
「そうね。こうして座ってたらまるで眠りに落ちるように頭をかくんと落とすね。その時目は薄目を開けてかんぱるとその姿見えるある」
「どうしたら逃げられますか?」
「百メートル逃ける、フローレンス・チョイナー10秒49、ウサイン・ポルト9秒58、あんたは何秒?」
「うーん、25秒以上かかるかな」
「ふっ、そいつは0秒。逃げるなんて無理あるね。そいつはたぷんこの世の者てはないある。そいつのせいであんたは恋人と永遠に別れることになるね」
「そんなあ、どうすればいいんです?」
「恐れる必要はないあるね。堂々と構えていれぱあんた未来開けるね」
「そんなの少しも助けてないっつーの」
「信ちることね。信ちる者は救われるね」
 老占い師は自信ありそうな笑顔を見せ隼人の手を握った。

 ◇

 会社に帰った隼人は半信半疑の気分で番号貼りの作業中に何度か居眠りに落ちるふりをして薄目で注意を払ったが死神の姿は見えなかった。
 やっぱりな。死神なんてあのインチキ占い師の嘘だ。
 隼人は死神の話をもう忘れようと決めた。
 仕事を終えて隼人が1DKのマンションに帰ると、30分ほどして納品を済ませた笹沢絵里香がやって来た。
「隼人さん、今日は迷惑かけてごめんね」
「お疲れ。あの社長はどうだった?」
「うん、昨日は取引断絶だとか言ってたのに、今日は機嫌良くてね、猫撫で声でこれからもよろしく頼むよだって、カメレオンみたいなんだから」
「当然だよ。こっちに落ち度はないんだもの。落ち度があれば刷り直してたわけだし」
「ごめんね。隼人さんまで番号貼りさせちゃって」
「いや、たまにはデスクワークも気分転換になってよかった」
「優しいのね」
 絵里香は微笑み、隼人は絵里香を抱き寄せてキスした。

 明かりを消したベッドで絵里香は隼人の肩にしがみついて小さな寝息を立てていた。隼人は絵里香の髪を撫でてあくびをしながらふと部屋の片隅を薄目で見た。点けっ放しだった隣のダイニングの照明が差し込んでいる。次の瞬間、隼人の背筋を悪寒が駆け上がった。部屋の隅の床に黒っぽい影が蹲っているのだ。
 目を凝らした隼人はいよいよ震え出した。
 そいつはフード付のマントのような黒い服に身を包み大きな金属質の棒を斜めに抱えていた。その棒の先は黒光りする楕円の弧を描いている。
 死神!
 隼人は心臓が止まるのではないかと感じた。震える唇ともつれる舌で「助けてくれ」と叫んだがそれはまともな音にならなかった。
 フードの下の死神の顔は欧米人のような雰囲気で悪意を剥き出しているようには見えなかったが、はっきりと隼人に聞こえるように舌打ちをした。
 隼人は反射的に逃げようとしたが、絵里香が寝ぼけ眼で腕を掴んで「どうしたの」と聞いてきた。
「し、死神だ」
 隼人の指さす片隅に絵里香も目を向けた。しかし、絵里香の口から洩れてきたのは意外な間延びした言葉だ。
「な~んも見えないよ」
「いるじゃないか、天井に届きそうなでかい鎌。黒いフード付のマント。不気味な目つきの死神だ」
 隼人は見えるままの死神の姿を伝えたが、絵里香は首を振る。
「見えないよ。隼人さん、大丈夫?」
 そう言って絵里香は少しも恐れることなく立ち上がって蛍光灯を灯けた。
「ほら、なんもいないってば」
 しかし、隼人の目にはいよいよ明かりに照らされた死神の姿がはっきりと見える。隼人は叫んだ。
「離れろ。危ない、鎌の刃にぶつかるぞ」
「何もないってば」
 絵里香が腕を水平に振り回すのを死神は無表情に眺めている。
 隼人はいよいよ蒼ざめた顔で呟いた。
「お、俺にしか見えないのか」
 すると死神は答えるようにひとつ頷いた。
 絵里香は畳み掛けるように詰問する。
「隼人さん、寝ぼけないで」
「寝ぼけてなんかいないよ」
 隼人が反論すると絵里香は怒った顔になった。
「隼人さん、まさか、私に隠れて覚醒剤とか怪しい薬を飲んでるの?」
「まさか、薬なんて」
「でも死神が見えるなんて普通じゃないよ」
「そ、それは」
 しばらく沈黙した後、隼人は力なく頷いた。そして部屋の片隅を指さし隼人は微笑を作りながら演技した。
「あれ、よく見ると何もいないな。あはは、夢の残像だったのかな、さっきはそこに見えた気がしたんだけど」
「やだ。突然、死神なんて言うから隼人さんが壊れたのかと心配したよ」
 絵里香は安堵して再びベッドに入ると寝息を立て始めた。部屋の隅には微笑している死神の姿がまだあった。隼人は声を殺して死神を睨み続け、まんじりともしない夜を明かした。

 ◇

 翌朝も死神は部屋の片隅に座り込んでいたが、隼人は絵里香の手前、平静を装い部屋を出た。
 その晩は部屋に帰らずに隼人は同僚の花岡の部屋に泊めてもらったが、真夜中にふと薄目を開くとどうしてわかったのか部屋の隅に死神が座っていた。
 翌日はビジネスホテルに泊まったが、時計が零時を回るといつの間にか部屋の隅に死神が出た。ふと瞼を開くとデスクの上に腰をおろし薄気味の悪い微笑で隼人を眺めていたのだ。こう続いてそう怖くない微笑で出られるとこちらも恐怖だけでなく慣れも出てくる。思い切って隼人は問いかけた。
「お前は俺が死ぬ時がわかるのか?」
 すると死神は首を横に振った。
「じゃあどこからか命令が来てから俺を殺すのか?」
 死神は再び首を横に振った。
「いつかはわからないけど見張ってるってことか?」
 すると死神は首を縦にした。
「いつまで見張るつもりだ?」
 すると死神は指を三本立てて見せた。
「あと三日か?」
 すると死神は首を横に振った。
「三週間も」
 すると死神は首を横に振った。
「まさか三ヶ月」
 今度は死神は首を縦にした。
 今は九月の末だから十二月の末までの生命ということなのか。
「冗談じゃないっ。お前みたいに気色悪いやつに三ヶ月ずっと張り付かれるなら死んだ方がましだ」
 隼人はそこで自分が勢いで言った言葉に笑った。
「ま、お前はそれを待ってるわけだがな」

 隼人は警察に通報しようとも考えてみたが、それこそ薬物中毒を疑われるだけなのは明白だからそれは思いとどまった。不思議なのは死神は寝首を掻くのではなくただ黙って隼人の様子を見守るだけのつもりらしいことだ。いや、そうやって不意を突いて殺しにかかるつもりかもしれない。しかし、それを警戒し続けたら隼人は連日寝不足で早晩倒れるのは時間の問題だろう。
「頼みがあるんだけど、なるべく俺の目に入らないところにいてくれないか。ゆっくり眠れないんだ」
 隼人が言うと死神は頷いてベッドからは死角になるドアの方に移動してくれた。
「ありがとう」
 思わず礼を言ってから、いや礼を言うべき相手ではないと気づいた。

 ◇

 その翌日はカプセルホテルに泊まった。ここなら狭くて大きな鎌を持った死神は入れまいと思ったのだが夜中にトイレに起きるとカプセルの列の狭い通路にそいつは静かに蹲っていた。

 隼人は営業廻りの途中で伊佐坂銀座に立ち寄った。今日も喫茶店のテラス席には占い師が鎮座している。
「あんたの言うとおり死神が出たよ」
 隼人が言うと老占い師はにやりとした。
「ほお、ては料金を払いに来たか?」
「ふざけるな。こっちは殺されそうなんだぞ」
「私、そいつが近づくと聞かせ、私の話、当たった。あなた、料金払うぺきね」
「払ってほしければ助かる方法を教えろよ」
「せんかい、話したあるね」
「聞いてないぞ」
「話したね。堂々と構えていれぱあんた未来開けるあるよ」
「そんなのじゃなくて。俺が必要としているのは例えば、ニンニクのスープをかけるとあいつが逃げてくとか、頭の周囲に百八個小さな鏡を貼り付けるとやつが近寄れないとか具体的で効果のある方法だよ」
「私、占い師ね。祓い師と違うある」
「こっちは死神に付き纏われているんだぞ。よくそんな暢気なことが言えるな」
「私、嘘言わないね。そいつがいても堂々と構えていれぱあんた未来開ける。わたし十万儲かるあるね」
「もういいよ」
 隼人は落胆の息を吐いた。

 夕方、隼人はその日最後の営業先を出ると絵里香に電話した。絵里香は会社で会っても隼人から目を逸らすようになっていたが、隼人はなんとか修復したかった。それに今夜泊まるところも確保しなければならない。
「俺だけど今話せる?」
「手短に」
「ちょっと話したいんだ。今晩さ、そっちの部屋に行っていい?」
「そのことだけど、隼人君とのこと冷却期間を置いた方がいいかなって考えてるんだよね」
「冷却って?」
「あなたが本当に薬をやめるならいいけどやめられないなら……」
「ちょ、ちょっと待てって。俺は薬なんかひと粒もやってないって」
「じゃあこの間のおかしな話はしらふだったわけ。なら、なおさら危ないじゃない」
「だから、ちょっと寝ぼけてただけだよ」
「ううん。あの時のあなたは真剣に死神に怯えていたわ。そこにリアルに死神がいるように叫んでたもの。悪いけどもう個人的な電話は寄越さないで」
「待てよ、絵里香、待てったら」
 
 隼人は気を取り直して心当たりの知人に電話をかけまくったが、どういうわけかくれる一人も泊めてくれる者がいなかった。
 隼人は自己嫌悪を感じながら久しくかけていない番号にかけてみた。それは絵里香と知り合うまで付き合っていた入沢史恵の番号だ。
「やあ久しぶり、隼人だけど元気してた?」
「隼人さん、どうしたの?」
「うん、ちょっと史恵の声を聞きたくなってさ」
「嬉しい。隼人さんは元気?」
 隼人は困った時だけ縋ろうとしている自分の身勝手を恥じながら答えた。
「それがちょっと悩みがあってさ」
「ほんとに? よかったら聞いてあげるよ。うちに来ない?」
「聞いてくれるか?」
「もちろん。隼人さんだって私の悩み聞いてくれたじゃない。遠慮しないで」
「ああ、じゃあこれから行くよ」

 ◇

 史恵は隼人からの電話の後、急いで手料理を作ってくれたらしく暖かい夕食で隼人を迎えてくれた。そして食器を片付けるとグラスに水割りを作って出してくれた。
「それで。電話で言ってた悩みって何?」
「う、うん。それがなあ」
 隼人は部屋を見回して死神がいないか確かめた。まだ来ていないようだ。しかし、史恵も死神なんて言葉を聞いたら嘘だと決め付けるかもしれない。そうしたら自分は一人の理解者もなく死を迎えることになるのだろうか。隼人はグラスを呷った。
「水くさいじゃない。私の悩みを聞いてくれた隼人さんが私に悩みを打ち明けられないなんておかしいよ」
 史恵は鼻の脇に黒子があって前はそれで容貌が割り引かれているように考えていたが、今、こうして優しくされるととても愛嬌のある魅力のひとつと感じられてくる。
「そうだなあ」
 史恵は水割りのお代わりを持って来た。
「ま、無理にとは言わないけど」
「史恵って、トンデモ話って大丈夫?」
「うん、大体大丈夫だと思うけど」
 隼人はそこで思い切ってその言葉を出した。
「じゃあ死神って実際にいると思う?」
「うーん、わかんないけど、死神だったらいても跡を残さなそう。だから誰にも見つからないかも。て、まさか、隼人さんの悩みは死神ってこと?」
 史恵は吹き出しそうな笑みをこらえた表情で隼人の目を覗き込んだ。隼人が笑いを返せないでいると史恵は真剣な目になった。
「死神が出たの?」
「はっきりわからないけど、それっぽいのが見えるんだ」
「それっぽい?」
「うん。フードのついたマントを着て体より大きな鎌を持ってる」
「ほんとに?」
「ああ。ただ、その同僚は見えないって言うんだ」
「やだっ。それが本当の死神だとしたらつまり隼人さんの生命が危ないってこと?」
「そうかもしれない。死神は話はしないんだけどこちらから質問すると頷いてくれて。俺は来年までは生きられないかもしれない」
「そんな、そんなのいや。私、信じていたの。絶対、隼人さんは私のもとに戻ってくるって。だけど戻ったのにすぐ死神に奪われるなんていやよ。私は隼人さんを絶対失いたくない」
 史恵は隼人の肩に覆いかぶさるようにして隼人を抱き締めた。
「隼人さんも怖いでしょう。でも心配しないで。私が精一杯隼人さんを守ってあげる。もし、万が一守れなかったら隼人さんが寂しくないように私も隼人さんと一緒に死神に連れてってもらうからね」
 隼人は幸福感で胸が温まるを感じた。たしかに外見を絵里香と比べたら史恵は見劣りする。しかし、本当に自分のことを思ってくれるのは史恵の方だ。
「ありがとう。その言葉だけで十分だよ」
 隼人は史恵の唇を奪った。それはディープなキスとなり、二人は衣服を脱ぎ捨て互いを激しく求めた。俺はもう死ぬんだ。そう思うと史恵の温もりは永遠の生命のように感じられて隼人は史恵の熱を貪るように交わった。

 おそらく時刻としては午前三時頃だろう。ふと目が覚めた隼人は習慣のように薄目で部屋を見渡して死神の姿を探した。予想した通りそいつは部屋の片隅にいた。
 死神は隼人に微笑を送ってきた。
 どうとでも好きにしろ。
 隼人は死神を無視して目を再び瞑り、眠りに落ちた。
  
 ◇

 余命三ヶ月の隼人は史恵と同棲を始めたが、明日はクリスマスイヴ、最後の三ヶ月も終わりに近づいていた。三ヶ月の間、死神に張り付かれてきた隼人はもうすっかり諦めの悟りを開いている。
 史恵はいつものように繰り返した。
「隼人さんが寂しくないように私も隼人さんと一緒に死ぬから」
 隼人は決まって首を横に振った。
「それは駄目だ。史恵はずっと生きるんだ。そして元彼の俺のことを覚えていてほしい。そうすれば俺は史恵の記憶の中でずっと生きられるじゃないか」
「そんなの辛いからイヤ」
「運命は素直に受け入れないといけない。俺が死に、史恵は生きる」
「イヤ」
 まだ抗う史恵を隼人はキスで黙らせた。
「明日のクリスマスイヴが楽しみだな。普通の一般人なら一生泊まらないスイートルームを予約したし」
 隼人は貯金の半分をスイートルームに注ぎ込むことになるが、来年以降の出費はないのだから心配なかった。
「そうね。三人でクリスマスパーティーだね」
 史恵が言うと隼人は聞き返した。
「三人で?」
「ほら死神さんも毎晩来るじゃない」
「死神なんかに『さん』なんか付けるなよ」
「うん。だけどそんなに悪い人に見えないよね。私に手を振ったりして」
「えっ、今、なんて言った」
「だから死神さんは私に手を振ったりして悪い人に見えないって」
 隼人は愕然とした。
「史恵に死神が見えるってこと?」
「うん、見えるでしょ、毎晩夜中に部屋の隅に座ってるんだもの」
「まずいよ、それ」
「そうなの?」
「当たり前だろ。俺の同僚や同級生には死神の姿は見えなかったんだ。たぶん死神は普通の人間には見えないんだよ。見えるのは死んでゆく人間だけなのかもしれないんだぞ」
 隼人が怒ったように言うと史恵もハッとなった。
「つまり私も死ぬってこと?」
「い、いや、そうと決まったわけじゃない。たぶん、いや絶対に違うよ。とにかく君のことを聞いてくるよ」
「誰に聞くの?」
「僕に死神が現れるって予言した爺さんがいるんだ。有名な占い師らしい。その人に聞いてくる」

 ◇
 
 隼人は伊佐坂銀座の老占い師の元に走った。 
「大変なんだ、俺の彼女にも死神が見えるって言うんだ。なんとか助けてくれよ」
 隼人が自分と史恵の分の二十万の金を差し出すと老占い師はにやにやとと鬚を撫でて受け取った。
「そうたん料を貰うのはいいか、わしは祓い師と違うある。助言は前に言った通り。堂々と構えていれぱあんたにも彼女にも未来開けるあるよ」
「自分の事はあきらめがついてる。けれど彼女まで死神に取り憑かれるなんて納得いかないよ。僕一人で十分だろう」
「ほぉっほぉっ、彼女を愛してるあるか?」
 そう聞かれて隼人は声に力を込めた。
「ああ、愛してるさ。だからなんとしても彼女だけは守りたいんだ」
「それで十分あるね。堂々と構えていれぱあんたにも彼女にも未来開けるある」
「そんな勿体つけないでなんとかする方法を教えてくれよ」
「もう大丈夫あるね」
 その時、隼人の携帯電話が鳴り響いた。隼人が電話に出ると相手の女は事務的な口調で言った。
「松川隼人さんでしょうか」
「はい」
「こちらは四菱記念病院ですが、ご家族の入沢史恵さんがたった今、救急搬送されて」
 隼人は心臓が止まるかと思った。叫ぶように聞き返す。
「ふ、史恵がどうかしたんですか?」
「急いでこちらに来ていただけますか」
「すぐに行きます」
 携帯をしまった隼人は老占い師に振り向いて「手遅れなのか」と口走った。
「大丈夫あるね。信ちることね」
 老占い師は微笑んだ。
 
 ◇

 隼人と史恵はクリスマスイヴをスイートルームではなく病室で過ごすことになってしまった。
「おおげさよね。ちょっとお尻から出血しただけなのに」
 史恵が言うと、隼人がたしなめる。
「そうはいかないよ」
 そこへあの黒マントの男が続ける。
「隼人の言う通りだ。もう自分一人の体じゃないんだからな」
 黒マントの男の言葉に史恵は満面の笑みを浮かべた。史恵は便秘の痛みが極限に達して自分で救急車を呼び、そこで偶然妊娠していることが判明したのだった。
 隼人が文句をつける。
「また偉そうに。子供が出来るなら初めからそう教えてくれりゃいいんだよ」
「そうはいかん。厳格な規則だからな」
「大体、なんでそんな大きな鎌を持ち歩いてるんだよ。それじゃどう見ても死神だ」
「これは鎌じゃない。我々のように波動の高い者がこの汚れた星に留まるためにどうしても必要な碇だ」
「隼人さん、死神さんをいじめちゃ駄目よ。私たちの縁結びの死神さんなんだから」
「いや、私は死神じゃなくて生神だって。何度言ったらわかるんだね」
 黒マントの男の言葉に史恵は「失礼しました、生神さま」と謝った。
「それにしてもあの占い師、ヘボだよな」
 隼人がけなすと史恵が疑問を投げかけた。
「もしかして隼人さんの方が勝手に死神だって思い込んでたんじゃないの?」
「そんなことないよ、あの爺、生神のことを生死に関わるなんて言いやがっ」
 隼人はそこまで言ってやられたと気づいた。すかさず史恵が突っ込みを入れる。
「それ、間違ってないから」
「あはははっ、本当だ」
 三人の笑い声がイヴの病室にこだました。        めでたしめでたし 


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gingak
  • Author: gingak
  • 銀河 径一郎
    (ケイイチロー・ギンガ)
    好きな言葉は『信じる』。
    『地球人も宇宙人』。
    写真はッシェル・ポルナ
    レフの真似です

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