銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。

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 その日、サトシは立て続けに嫌な事に遭っていた。
 まず昼に携帯の電池が切れてしまった。
 部屋に帰ってからは、カセットコンロでレトルトの中華丼を温めようとした。マンション備え付けの電気コンロは火力が弱いのでボンベ式のコンロを上に置いて使ってたのだが、そのガスボンベが点火してまもなく切れてしまった。
 仕方なく冷蔵庫にあった唐揚げをチンしたところ、今度はブレーカーが落ちて停電だ。
「今度は停電かよ」
 急に暗くなった室内を玄関の方に歩きながら、サトシは思ったよりも大きく開いていたドアに向こう脛を打ちつけて叫んだ。
「痛っ。たくっひどいな」
 手探りで下駄箱の上のブレーカーを入れたところで間髪を入れずにピンポンとチャイムが鳴ってサトシは思わず「ワッ」と声を上げてのけ反った。

 するとドアの向こうから女の声がした。
「サトシ、私、開けて」
 どうやらアカネの声のようだ。
「なんだ、アカネか、今、開けるよ」  
 サトシとアカネは徳心大学文学部の3年生で和歌のゼミで一緒なのだ。サトシは真実はともかく、アカネを「女」にしたのは自分だと思っている。

 ドアを開けると黄色いワンピースのアカネが泣きそうな顔で立っていた。
「どうしたんだ?」
「携帯落としちゃった」
「場所はわかってんのか?」
 サトシが聞くとアカネは頷いて説明した。
「ユッコと大学の図書館横の喫茶室で喋ってたら遅くなって、でもユッコが夕焼けがきれいだからちょっと寄り道しようよって言って、旧道の方から帰ったの」
 キャンパスは山を切り開いた高台にぽつんとあり、学生たちの住む町に帰るには新道か旧道を降りるのだが、旧道は曲がりくねって時間が倍以上かかるので学生はまず誰も利用しないのだ。
「でね、烏沢て看板に差し掛かったところに小さなトンネルがあって、ユッコがここってなんか出るらしいよとか変な噂を言うから私も怖くなってびくびくして歩いたんだけど、トンネルの真ん中を過ぎたところで」
 アカネはそこで思い出したように言葉を切りごくりと唾を飲んだ。

「見たの。切断された人の足」

「マジ?」
 サトシも思わず訊き返した。
「うん。足だよ。私もユッコもキャアーッて声を上げて走ったんだけど、その時に一度転んだはずみに携帯落として、でも取りに戻るのも怖くて、そのまま走って降りてきたんだけど、ユッコには追いつけずにはぐれちゃって」
「それでここまで歩いて来たのか。公衆電話でも見つけて電話すればよかったのに」
「うん、悪いけど一緒に携帯探してくれない」
「え、これからか?」
 時刻は午後7時半を過ぎて落し物を探すには暗い。
「だって、携帯ないと不便だし、明日探して見つかったとしても、きっと車に轢かれて壊れた後だよ」
 たしかにあの旧道もたまには車が通るからな。
 サトシは「仕方ないな」と呟いた。 

 ◇

 懐中電灯が登り道の路肩を照らし出していた。
 サトシは怪奇ものなんて信じない質だ。もし切断した足が本物なら警察に通報しなければいけないよなと冷静に考えながら歩いた。怖がるアカネはずっとサトシの左手をきつく握っている。
 旧道を登り始めて40分ほどで烏沢の看板がありトンネルが見えてきた。

 アカネは怖かった体験を思い出したと見えてサトシを掴んだ手がまた小刻みに震え出している。
「大丈夫だって。ただの足が人を襲ったりはしないよ」
 サトシがそう言い聞かせてもアカネは引き攣った顔のままだ。
「ねえサトシ、誓ってよ。絶対、絶対、永久に私の手を離さないって」
 アカネが手に力を込めてくるので、サトシもこいつはまだ子供みたいに可愛いところがあるんだなと思い、力を入れて握って言った。
「絶対、永久にアカネを離さないよ」
 もちろん本当に永久とまでの気はないが、この瞬間のサトシの気持ちはアカネへの愛しさに満ちていた。

 どこか遠くでカラスの声がカアカアと鳴って生ぬるい風が吹いた。
 サトシは懐中電灯を照らしてトンネルの中に入った。
 急に空気がひんやりとした。
 アカネはいよいよサトシの手をきつく握ってくる。
 サトシも緊張して道路の隅々を注意深く懐中電灯で照らしながら前に進んだ。
 すると20メートルほど進んだところで白っぽいものが路上にあった。
「キャーアッ」
「大丈夫だ、落ち着けって」
「イヤーッ」
 サトシは嫌がるアカネを引っ張ってさらに白っぽいものに近づいた。
 そして懐中電灯をあてて白っぽいものを凝視した。

 膝下と足首上で切断されたのだろうか、膝や甲の起伏はない。
 切断面は赤い血らしきもので覆われていたが、側面には膝側の端近くには緑がかったグラデーションがついている。そして側面の一箇所が小さな髭のように変形している。
 なんだ、この髭みたいなのは?

 まもなくサトシは思い当たって、一気に緊張を解いて笑い出した。
「ハハハッ、これは大根だよ。きっと誰かが大根の切り口を赤いペンキで塗って悪戯したんだ」
「だ、大根なのッ? なあんだ」
 アカネもやっと安心したようで笑った。

「さてと、後は携帯だな」
 サトシはアカネと手を繋いだまま先に進んだ。
「あ、あれかな」
 トンネルを出たところで懐中電灯が路面に落ちているピンクのものを照らした。
 サトシはピンクの携帯電話を拾い上げて開いてみた。するとプリクラで撮った、サトシとアカネが並ぶ待ち受け画面が正常に灯った。
「大丈夫、壊れてないよ」
「よかったあ」
 そう言いつつもアカネはサトシの左手を両手できつく握ったままだ。  
「もう離せよ」
「だって、約束したじゃない。絶対、永久に離さないって」
「ふっ、まるで子供だな」
 サトシは笑いながらアカネの手を引いて数歩進んだ。 
 トンネルを出たその地点で道はカーブし始めてガードレールが迫ってくるのだが、約5メートル先でガードレールの端60センチほどが完全に錆び落ちていて、ガードレールのない状態になってる。

 そこからサトシはそっと下を覗いてみた。
 谷底の小さな渓流まで30メートルほどあるようだ。
 目を凝らしたサトシはハッとなった。
 暗くてはっきりと見えないが、どうやら谷底に人らしき形が横たわっているのだ。服の色はわからないが雰囲気からすると女性かもしれない。

 瞬間、ぞぞっ、ゾーッ、と首から腕に鳥肌が駆け立った。
「まさか!」
 サトシはアカネを振り向いて叫んでいた。
「さっきユッコとはぐれたと言ったよな! あれはもしかして!」

「えっ、まさか!」
 アカネも一緒に身を乗り出して下を覗き込んだ。
 闇夜の底でカラスの声がカアカアと響いて、人の形にたかっているようだ。
「あれはユッコじゃないのか?」
 サトシは谷底の人の形を指差して怖ろしい推理を口にした。
 しかは、アカネはサトシを見詰めて大きな声で、
「あれは違うよ!」
 と、首を左右に振る。
「ユッコじゃない」

 即座に否定するアカネにサトシは疑問が湧いた。
「じゃあ誰だよ?」
 次の瞬間、ハッと嫌な直感が閃いた。
 ユッコじゃないのならまさかアカネ?
 じゃあこの目の前のアカネは、まさか幽霊?
 サトシは慌ててアカネの手を放そうとした。
 が、手が剥がせない。
 アカネの両手は一瞬で氷のように冷たくなりサトシの手に張り付いているのだ。

「あれは私だよ!」

 サトシを引っ張りながらアカネは微笑んでいた。
 ゾーッと鳥肌が全身を包む。
「ウワーッ」
 落下しながらサトシは全身が氷に包まれるように感じた。
「私、幸せだよ、サトシが永久に離さないって誓ってくれたから」
 風を切りながら、サトシは凄まじい速度で目の前に迫る死の恐怖とともに、しまったと後悔した。あの約束はアカネのささやかな呪いだったのだ。 

 ◇

 谷底に転がるアカネの携帯に、突然、ユッコからの着メロが鳴り響き、死体を啄ばんでいたカラスたちはびっくりして一斉に飛び上がった。
 大きな岩に激突し即死だった筈のサトシの手は、それより3時間も前に死んだアカネの手を、なぜか、しっかりと握っていた。   
 










徳心学園というのが神奈川にあるようですが、この話はフィクションです。
教訓 トンネル内の大根に注意。怖くても目をつぶったまま走らないこと。

舞さんの『怪談』競作リンクに参加してます。現在のエントリーは以下の作品

『怪談』 By ヴァッキーノさん
『夏休み』 By レイバックさん
『怖そうで怖くない少しも怖くない怪談』 By 矢菱虎犇 (ヤビシ・トラビシ)さん
『肝試し』 By りんさん
『ビビリなんです僕』 By 佳(けい)さん
『ついてねぇ』 By たろすけ(すけピン)さん
『本当にあった怖い話』 By 舞さん
『ケータイぷち怪談 3編』 By ia. さん

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 その夜も九尾恒樹(くおつねき)はいつものように拍手の中でセミナーを終えた。白髪の混じり始めた髪をオールバックにして、白いスーツの下に紫のシャツを着た九尾は見るからに只者ではないが、語り口は柔らかでメリハリもあり、面白い逸話を挟むのがうまく、要は口先が巧みなのだ。

 セミナーは渋谷のビルの会議室で毎日昼か夜に1時間半ほど行なわれている。内容はいわゆる自己啓発もので、入門コース、中級コース、特別コース、そして箱根での合宿コースがある。
 普段は常識や恥ずかしさから実行できないことを、みんな一緒だという特殊な状況下で実行させ、新たな気づきを体験させ、自己の人生を振り返らせ、次の目標を立てさせる。
 すると受講生たちは面白いように感激して、高率で上のコースを受講する。当然のように上に行くほど受講料は高額になり特別コースは50万と入門コースの10倍もする。
 そして最も上のコースを卒業した者たちはボランティアスタッフとして新たな受講生の獲得に走り、セミナーの手伝いをしてくれる。しかも、ネズミ講的商売のような決定的に悪の部分がない。受講生はそれなりに精神的な覚醒を得られるからだ。
 おかげで九尾は堂々とぽろ儲けできるのだ。

「先生、ありがとうございました。感激しました」
 近寄って来た受講生と握手を交わすのも利益に較べたら些細なサービスだ。
「やあ、自覚を持って頑張りなさい」
 一人の若いサラリーマン風の男性が質問をぶつけきた。
「自分は変わってきたと思うんですけど、相手はちっとも変わらないんです」
 たしか彼は上司と仲直りして認められたいとコミットしていたな。
 九尾は思い出して頷いた。
「ふむ。相手を負かそうという気持ちがあってはいけませんよ。相手も喜ぶウィンウィンの方法をじっくり探してみて下さい。大丈夫、君のように熱心な人はきっと幸せな解決を見つけ出します。頑張りなさい」
 答えと励ましを返してやると、若い男は目を輝かせて「ありがとうございます」と礼を述べて出て行った。
 やがて受講生たちは全員帰ったようだった。

 九尾が会議室から出て鍵をかけたところで給湯室でお茶の始末をしてた女性ボランティアスタッフが駆け寄ってきた。
「先生、鍵は私が事務室に返してきます」
「ああ、末松君か、いつも済まないね」
「いえ、お疲れ様でした」
「じゃあ、お疲れさん」

 九尾は一人でエレベーターに乗り込み、玄関を出ようとした。
 そこで中年の男性が声をかけてきた。
「お久しぶりです、先生!」
 吊るしの紺色のスーツを着た男は嬉しそうな笑みを浮かべて頭を下げた。
「私は去年受講させてもらった太木です」
「ああ、あの時の」
 普通の受講生なら忘れてしまうこともあるが、九尾はすぐにその男を思い出した。
 いつも眠そうにしていて実際セミナーが始まるやすぐに居眠りをしてしまい呆れられていた人物だ。隣の人と手をつないでの瞑想ができないため、二日目からは隅の机に移動させたのだがいびきがうるさく、最終日は返金して帰したという問題男だ。
 その問題男が切り出した。
「実は私、先生のセミナーでピンと来ましてね」
 九尾はそれだけで驚いた。
 いつも寝ていたのだからピンと来るような場面はなかった筈だが。
「それで工場を辞めて退職金で独立したんです。そしたらまもなく工場が潰れて、ハハハッ、先生のおかげで助かりました」
「ほお、それはよかったですね」
 言いながら九尾は訝っていた。
 寝てただけのこの男が私のセミナーに感じ入るとは思えない。
 九尾は何気なく訊ねてみた。
「今はどんな商売をされてるんです?」
 男はニヤニヤして答えた。
「野暮だな、先生のセミナーが勧めてくれたのに」
「いや、そんな覚えはないけどな」
「先生って案外鈍いんだなあ」
 男は軽蔑するような視線を投げかけてきて、九尾は少々ムッとした。

 男は得意そうに続けた。
「セミナーの項目にハイヤーセルフとかあったでしょ。それでピンと来て、個人タクシーを始めたんですよ」

 九尾は男の説明にすっかり固まってしまい、心の中で呟いた。
 ああ、君はハイヤーをタクシーと読み替え、セルフを個人と誤訳したのか。
 とにかく君は私の思いもよらない方法で最もセミナーを有効に利用した一人であることだけは間違いないよ。
 九尾は送っていこうかという男に手を振り苦笑しながら別れたのだった。   了




お金が有り余って他人に迷惑をかけない確信がある人以外は、セミナーにはご注意を! 
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 亜太郎は銭湯の番台のような席に向かって正座させられた。両脇から亜太郎の腕をきつく掴んでいるのは大きな赤い顔に赤い胸、赤い腕の鬼だ。
 番台の後ろには美しい山と花畑をのどかな村の景色が広がっている。
「ここは一体どこです?」
 亜太郎が訊くと赤鬼はジロリと睨んできた。
「閻魔庁に決まってるだろ」

 見ると番台の席に突然、三国志にありそうな冠と衣をつけたブルドッグに似た顔の男が現れ、鬼どもは「閻魔大王様、ご機嫌麗しう」と頭を下げた。
 亜太郎が驚いているうちに、閻魔大王が亜太郎の名前を読み上げた。
「その方、本屋で雑誌を立ち読みするうちに『水戸黄門うふっ入浴シーンだけ8時間』という付録DVDを万引きしたであろう、よってプール送り。以上」
「じょ、冗談じゃない、そんなつまらないDVDじゃ見る気もおきませんよ」
 声を張り上げて抗議したが、廷吏の赤鬼どもの腕力にはかなわない。
「さ、黙ってこっちに来い」
 亜太郎は赤鬼どもに腕を引っ張られてプールサイドに連れてこられた。

 広いプールの赤い水の中にはすでに受刑者がざっと数百人必死で浮いている。
「いいか、死にたくなければひたすら体力の続く限り泳いで浮いていろ」
 赤鬼はそう言うと、亜太郎は赤い水を湛えたプールに突き落とした。
 鼻をつく匂いと口に紛れ込んだ味は鉄さびた濃いもので、プールを満たしているのが水ではなく血であることを教えていた。
 亜太郎のすぐ後ろで水しぶき、いや血しぶきが上がり女の声が続いた。
「助けてーッ、私、泳げないの」
 亜太郎に続いて突き落とされたのはリクルートスーツの女性で彼女はバタバタと犬掻きをした。だがプールの中でもがいている数百人の受刑者の誰一人、それを笑う余裕などない。
「がんばれ、上着は脱いだ方が動きが軽いぞ」
 亜太郎は自分のスーツも脱ぎながら、そう声をかけることしかできない。
 水深、いや血深はどれほどかわからないが亜太郎の足が届かない深さはある。プールサイドには金棒を持った怖ろしい形相の赤鬼どもがずらりと立っている。

「ありがと、少し楽になった」
 就活の女の子は少し落ち着いたようだ。
「僕は亜太郎、君は?」
「アサミ」
「よろしく」
「こちらこそ。プールサイドに上がって休めないですかね?」
「だめだと思うよ、ここは休める雰囲気ないもの」
「ですよね」
 アサミは鬼どもの怖ろしい顔を眺めて頷いた。おそらく勝手にプールサイドに上がろうとすればあの金棒で突き落とされるのに違いなかった。

 このプールに突き落とされる間際、鬼は死にたくなかったらひたすら体力の続く限り泳いで浮いていろ、と命令した。
 しかし、体力が途切れたらどうなるんだ?
 亜太郎がふと疑問を思い浮かべたが、その答えはまもなく目のあたりにできた。
 亜太郎の五メートルほど前で弱々しく立ち泳ぎしていた一見ムキムキマッチョの青年が急に沈み込んだ。
 次の瞬間、マッチョは慌てて口から浮いて喉に流れ込んだ赤い血をいったんは噴水のように吐いた。だが、すぐに「あ、足が」と弱々しく叫んでまた沈んでいった。
 足が攣ったのかもしれないが、亜太郎は自分が浮いてるのが精一杯で何もできない。

 するとプールサイドで監視していた赤鬼どもが手を叩いて喜んだ。
「おお、溺れた、溺れた」
「浮いてみせろ」
「浮け、浮いてこいよ」
 しばらく赤鬼どもは金棒を突き鳴らし口々に騒いで待っていたが、マッチョが浮いてくる気配はない。

 どうにも浮いて来ないとみると中の一人の赤鬼が「チッ、仕方ねえな」と呟いてザブーンとプールに飛び込んだ。
 そしてマッチョが沈んだあたりで、深く潜行した。
 まもなく水面ならぬ血面にザバアと血しぶきの噴水があがった。
 肩まで浮いた赤鬼はマッチョの首を大きな手につかんで、ひょいとプールサイドに投げ上げた。
 そこで今度は赤十字のゼッケンをつけた、しかし形相は怖ろしい青鬼がマッチョの青く生気の失せた顔に唇をつけた。
「キャーッ」
 アサミは自分の近未来を想像し重ね合わせたのだろう、大きな悲鳴を上げた。
 青鬼はスーッとマッチョの口を吸ったかと思うと、横を向いてマッチョの飲み込んでた水、いや血をブブブーッと吐き出した。
 そして青鬼は50センチはありそうな青い舌をマッチョの口の中に再び入れた。
 するとどうだ。
 蒼ざめていたマッチョの顔に次第に赤味が戻り始めた。
 さらに青鬼は一升瓶から液体を口に含むとマッチョに口移しで飲ませた。
「ううーーん」
 マッチョは頭を振って生き返った。
「どうだ、体力が蘇っただろう」
 青鬼に訊かれて、マッチョは頷くしかなかった。
「は、はい、おかげさまで」
「うむ、戻ってよし」
 青鬼にドンと突き飛ばされたマッチョは再び血のプールに落とされて、虚しくもがき、再び立ち泳ぎを始めた。
 
「これじゃあ地獄だ」
 そう呟いて亜太郎はここが地獄だと改めて思い知らされた。
 アサミは思ったより粘っている。女性は体脂肪の点では男性より優位だから、案外体力消耗の少なそうな犬掻きとの組み合わせは有効なのかもしれない。
 とはいえ、この血のプールにいる者は、いずれ皆、体力が尽きて溺れ死ぬ。そして溺れ死んだところを、鬼どもに引き上げられ蘇生されて、また突き落とされる。その責め苦を延々とリピートし続けるのみなのだ。 
 
 なんとか脱出する方法はないのか?
 亜太郎は立ち泳ぎしながら、岩のドームになっているプールの天井を仰ぎ見た。
 岩のドームの中央には幅十メートルぐらいだろうか、ぽっかりと穴が開いていて更に上層階があるようだ。
 その時、キラッとなにやら光るものが目についた。
 なんだ?
 その光はツーと伸びるように次第にこちらに近づいてくる。
「あ、あれはもしかして」
 蜘蛛の糸かもしれない。そうだ、昔、教科書で読んだ蜘蛛の糸だ。うまく切り抜ければこれで助かるかもしれないぞ。
 亜太郎はさりげなく周囲を見回して、蜘蛛の糸の真下へとそっと移動した。
 幸い、皆は沈まないようにするのに必死で、今のところ蜘蛛の糸に気づいているのは亜太郎だけのようだ。
 蜘蛛の糸はぐんぐんと亜太郎の肩まで伸びて止まった。
 急がないとな。
 亜太郎は心に呟いてその末端を掴むと全身の力を込めてよじ登った。

 赤鬼どもは蜘蛛の糸をよじ登り始めた亜太郎に目ざとく気づいたようだ。
「おっ、始まったぞ」
「見ものだ、見ものだ」
「それ、皆、飛びつけ、掴まれ」
 鬼どもは邪魔はせずに手を叩いて見守る。
 たぶん皆が飛びついて、糸がぷつんと切れるのを楽しみにしてるのだろう。
 そうはいくか。

 亜太郎は1メートルほどよじ登ったところで蜘蛛の糸を左手で掴むと、右手を下に伸ばしてこちらは糸の末端を掴もうとした。
 すると近くにいたアサミが気づいて手を伸ばしてくる。
「私も、私も連れてって」
 アサミは蜘蛛の糸の末端を掴んできたが、亜太郎はアサミの手を叩いて払った。
「ひどーいッ」
 アサミは叫ぶが、亜太郎は言ってやる。
「蜘蛛の糸の耐久性を考えてみろよ。君は冷静に次の糸を待てばいいんだよ」
 亜太郎は糸の末端を引き上げ自分の肩にまきつけた。これでもう糸は誰にも掴めないだろう。
 アサミは悔しそうな顔はしたが、亜太郎の言い分も理解したように見えた。
 すると今度はさっきの蘇生で体力の蘇ったマッチョがジャンプして亜太郎の足にしがみついてきた。
「離せよ、この野郎」
 亜太郎は急いでベルトを外すと、ずり落ちるズボンごとマッチョを蹴り落とした。

 ワイシャツにパンツという格好の亜太郎はどんどん蜘蛛の糸をよじ登って、ついにドーム中央の穴から上層階に辿り着いた。
「芥川先生、ありがとう。あの話を知ってたおかげで助ったよ」
 亜太郎が呟いて立ち上がると、たくさんの人々が拍手して英雄を迎えてくれた。 

 ◇

「亜太郎さん、起きていいですよ」
 看護師の優しい声に揺り起こされて亜太郎は思い出した。
「そうか、就職試験の最終試験、危機対応のバーチャルテストを受けてたんですね」
 亜太郎が言うと、はしだえみを若くしたような看護師は微笑んで「そうですよ」と頷いた。バーチャルテストは試験官の設定したバーチャルな危機を半覚醒の夢の中で体験して対応能力を試されるというものだ。看護師は亜太郎の頭にいくつも付けられていた脳波モニターの端子をひとつひとつ外しながら声をかけてきた。
「私、顔を見ると結果がわかるんです。テストはうまくいったみたいですね?」
「ええ、ピンチをうまく切り抜けました」
「こちらの試験は終了です。面接室へどうぞ」
 亜太郎は上機嫌で靴を履いて脳波試験室から面接室へと向かった。

 面接室に辿り着くと丁度ドアが開いて、さっきバーチャルテストの中で見たアサミが出て来た。
「あ、貴方は亜太郎さん!」
「やあ、アサミちゃん! 君も試験が終わったんだね?」
「ええ、亜太郎さんが上着を脱げとか、次の糸を待てって教えてくれたから合格できました。ありがとうございました」
 アサミはペコリと頭を下げた。テスト中は緊張した顔しか見せなかったが、落ち着いたアサミはなかなか可愛いくて亜太郎は一気にトキめいた。
「いやあ、危機を切り抜けたのはアサミちゃん自身の実力だよ」
 そこで係官がドアから顔を突き出して亜太郎の名を呼んだ。
「僕の番だ。じゃあこの続きは入社式で」
「ええ、それじゃあ。あの、また会うのを楽しみにしてます」
 含みのある言い方をするアサミと笑顔で別れて亜太郎は面接室に入った。

 テーブルには五人の面接官が並んでいた。その中の一人が笑いながら言った。
「バーチャル試験お疲れ様でしたね。もちろん結果の方はリアルですよ」
「ええ、ありがとうございます」
 別の面接官の一人が声をかけてくる。
「貴方は機転を利かせて、よく危機を乗り越えましたね」
 亜太郎は得意に思ったが、言葉は「いえ、それほどでも」と謙遜した。
 そこで突然、面接官の口調が変わった。
「しかしながら仲間を蹴落としても自分ひとり助かろうという卑しい、さもしい精神は、当社は元より、人類にとっても百害あって一利なし。よって貴方の採否は」
 面接官は「否です」と言い、デスク上の大きなボタンをバンと押した。
 
 床板がふたつに割れて開き、椅子がまっ逆さまに向き、亜太郎は宙に放り出された。
「うわわあーっ」

 落下する先にあるのは赤い血のプールだ。

 大きな血しぶきが上がり、体を叩きつけられた亜太郎は落下の勢いのままいったん血のプールの底深く身を沈められた。
 必死でもがいて血面に浮き上がるとプールサイドに並ぶ鬼どもが笑っていた。
「やっぱりこいつは落ちてきたな」
「予想通りだ」
「俺も当たった」
「なんだ、全員当たりか」
「これじゃあ賭けの儲けがないな」
 鬼どもの笑いがドッと湧いた。

 亜太郎が呆然としながら立ち泳ぎをしていると、いつの間にかマッチョが亜太郎のそばに近づいてきて腰に手をまわた。
「よっ、新入り、仲良くしようぜ」
「なぜだあーっ」
 亜太郎は涙を流して叫ぶのであった。     了




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これは久しぶりに思い出した実話なんですが、タイトルすごい(笑)
いや、殺されかけたのに久しぶりに思い出す程度なのかと突っ込まれそうだ


殺されかけた話

 その頃、私は小学4年生だったと思う。
 当時、私は東北の比較的大きな街に住んでいた。その地方都市は地価の高い東京と違って土地の使い方が鷹揚で、私の住む社宅マンションにも友人の住む社宅マンションにも敷地内に子供が遊ぶのに十分な広場があった。
 私は小学2年の時、大学病院の医師に「手術しても治らない」と言われてショックを受けていた(高校になってから医学書を漁って自分の発作は脳内の乳頭と言われる部位のうっ血によるものだと判明したのだが)。とにかく小学2年以来、自分は死神の手に絡め取られているのだと深刻に考えて人生の短さを妄想していつでも先を急いで走っているような子供だった。毎晩、明日の朝には発作で死んでるのではという不安で寝付けないので睡眠時間はナポレオン並みに短かった。それでも日中眠いということもなく授業は真剣に聞いていたので成績はよかったと思う。

 ◇

 友達の社宅の広場は小学生の感覚で遊びのサッカーが出来るぐらいに広くて、雑草が芝生のように覆っていた。土筆が生えたり、四つ葉のクローバー探しができたりと都会からすると羨ましい環境だった。
 空は雲はあるものの晴れている部分もあり明るかった。
 僕と同級の友人二人とその妹が広場にいたのだが、本格的な遊びには人数が足らずもう少し人数が増えないかなと話をしながら待っている状態だった。
 僕が何か話しかけようとした時、そいつは突然に僕の横に現れた。
 なんだろうと見る間もなく、そいつは僕の肩を掴んできた。
 そいつの名前は知らないが、顔は見たことが何回かあった。
 広場のすぐ近くに幅1メートルほどの小川があり、その低くなっている向こう岸にトタン屋根の住まいがあった。その向こう岸から小川にかかる渡し板のあたりで登校途中に何度かそいつの顔を見かけた事があるのだ。
 そいつの顔は東南アジア系で、年齢としては中学生か高校生ぐらいなのだが、本当に学生かはわからない。

 そいつは僕の肩に手をかけて押し倒そうとしてきた。
 そいつは言葉を発することはなかった。
 いや、もしかしたら何か言ったのかもしれないがわからない言葉で、僕はそう感じたのかもしれない。
 とにかく僕は訳がわからなかった。
 小学4年生からしたらそいつの体格は圧倒的で、極めて不利な状況だった。
 僕は救いを求めるように友人を見たが友人は遠巻きにして眺めるばかり。
 いやそればかりか、むしろ僕の危機から一歩一歩と後ずさりしてゆく。

 僕はそいつに雑草の上に押し倒され、そいつは僕の首に手をかけ絞めてきた。
 もはや友人たちは視界から外れてあてにならなかった。
 僕は考えた。
 なぜ、一度も話したこともない相手に首を絞められなければならないのか。そいつの家には近寄ったこともないのだ。過去にほんの数回ちらりと顔を見ただけだ。
 どう考えても僕には少しも思い当たることがなかった。
 そいつの手は僕の首を絞め続けている。

 腕力ではもはや小学生の僕がそいつを跳ね返すことは無理に思えた。
 そこで僕は咄嗟に考えた。
 死んだふりをしよう。
 僕が死んだと思わせたらそいつも首を絞めるのをやめるだろう。
 実際に絞殺された場合にどういう過程を辿るかなんて知る筈もないから、自分の想像力による演技を決心して僕はすぐさま実行した。
 僕は目を閉じて、閉じた唇から唾をゆっくり吹いて泡をぷくぷくと立てた。
 そしてぐったりとして見せたのだ。
 薄目で見ているとそいつは僕の狙い通り首を絞めるのを止めて立ち上がった。

 やった。
 訳のわからない人殺しから僕は助かった。

 そう思ったら、急に安心して僕の顔に笑いが溢れた。
 運悪く声までちょっと漏れてしまった。

 立ち上がり去りかけていたそいつは、急に僕の顔を振り返って、怒った表情で再び僕の体に馬乗りになって僕の首を絞めてきた。
 もうだめだ。
 そう思いつつも、一度はまんまと人殺しのそいつを欺けたことで僕の笑いはもう止まらなかった。
 僕は知恵で人殺しに勝ったのだ。少なくとも一回は。
 それにお前に殺されなくても明日の朝には僕は死んでるかもしれないのだ。こっちは毎晩死ぬことを考えてるんだぞ。僕はお前なんか怖くない。
 僕は首を絞められながら、もう声を隠さずに笑っていた。
 
 そいつは僕が不気味になったのかもしれない。
 あるいはそいつは僕が人違いだと気づいたのかもしれない。
 理由はわからないが、そいつは不意に僕の首を絞めるのは止めると立ち上がった。

 僕はしばらくのんびりとうっすら青い空を眺めていた。
 そして思い出したように立ち上がった。
 そいつの影も、友人たちの影も、もうどこにも見えなかった。
 タンポポの羽がひとつ風に乗ってふわと流れて行くばかりだ。

 ◇

 これが私が殺されかけた話の全てである。
 久しぶりに思い出しながら、もしあの時、普通に抵抗するだけだったら本当に殺されていたかもしれないと気づいたりする。



話としてはひとつ盛り上がりに欠けますが、リアル話ですから仕方ないところ。
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これはヴァッキーノさんところの「穴」をテーマにしたショート企画で書いたものです。
ルールのようなものは
1 どこかの街に突然開いた穴に関すること。
2 大きな十字型の痣が手にある男がちょっとだけでも登場すること。
3 7月14日(水)まで募集! だそうです!


穴だけ売り

 朝の出勤時間帯。新宿の駅ビルを早足に抜けて会社へと急ぐOL倉本可奈の耳に竿竹売りのメロディーが聞こえてきた。

「……移動販売です。1回たったの百円。20年前と同じお値段です。はい、いらっしゃいませ」
 可奈は「こんな街中で竿竹売り?」と不思議に思った。さらに耳を澄ますとスピーカーから流れる竿竹売りのセリフは肝心な商品が違っていた。
「穴屋~、穴だけ~。穴屋~、穴だけ~。
 こちらは穴だけ売りの移動販売です。1回たったの百円。
 20年前と同じお値段です。はい、いらっしゃいませ」
 穴だけを売るってどういうこと?
 疑問符を抱えたまま可奈は、有名な占い師『新宿のママ』が昼頃から出店するビル前にさしかかった。
 すると新宿のママが出店する場所にボロをまとった中東系、長髪で口髭を生やした男が立っていた。背後の壁には大きな布がガムテープでカーテンのように貼り付けてある。穴だけ売りの呼び込みは男の足元のラジカセから流れているようだ。

 ふふッ、チョー胡散臭いなあ。
 可奈は微苦笑しながら脇を通り抜けようとした。
 すると長髪口髭の男が呼び止めた。

「そこを行く女優よ、待ちなさい。穴を買いなさい。穴に入る羊は幸いです」

 プッ、私が女優のわけないだろ。
 それでも可奈はちょっと嬉しくなって思わず足を止めてしまった。

「私は言われました。穴に入らない羊が幸せになる道は駱駝が針の穴を通るよりムツカシイだろう」
 長髪口髭の男は日焼けしており目ヂカラがあった。そして可奈を招くように差し出す手には大きな十字型の痣があった。
「穴ってどこにあるんですか?」
 可奈がなにげなく尋ねると長髪口髭の男はビルの壁に貼ってあるカーテンの裾を持ち上げて見せた。
 するとそこにはひと一人がすっぽり立って入れる穴が開いている。
「す、すごい! てか、ビルの人に叱られて捕まりますよ」
 長髪口髭の男は平然と言った。
「信じる者は救われます。穴に入った羊は魂の平穏と幸せを得るでしょう」

 そこへ可奈の背後から2年先輩の営業冴木匡男の声がした。
「倉本、こんなとこで何してるんだ?」
 可奈は冴木に説明する。
「あ、冴木さん、穴に入ると幸せになれるって言うんです」
「まさか!
 お前、インチキだろ?」
 冴木はハッキリと言ってやったが、長髪口髭の男は寂しそうに微笑んだ。
「信じる者は救われます。穴に入った羊は魂の平穏と幸せを得るでしょう」

 可奈は長髪口髭の男の寂しそうな顔にグッときて冴木に言った。
「どうせ百円だし、一回だけ入ってみます」
「やめとけよ」
 冴木が止める手を振り切って、可奈は長髪口髭の男に百円を払った。
 すると長髪口髭の男はカーテンの裾をめくって可奈の手を取って穴に入れた。

 なあんだ。
 中はただの暗い穴だ。
 だが、次の瞬間、可奈は気持ちが急に癒されるのを味わい思わず呟いた。

「なんだろう、これ、この癒される感じ!」
 
「はい、オシマイね」
 長髪口髭の男は可奈の手を引いて引っ張り出した。
「えーっ、もうおしまいなの?」
 そう不服を述べる可奈の顔には幸せそうな余韻が満ちていた。
「百円で1回5秒ね」
「もう1回」
 可奈がもう百円を払おうとすると長髪口髭の男は首を横にした。
「百円は最初のお試しだけ。2回目以降は30秒千円ね」
「ぼったくり」
 そう文句を言いながらも可奈は千円を財布から取り出そうとする。
「おい、倉本っ、どうかしてるぞ。お前、騙されてんだぞ」
 冴木は止めようとするが可奈は聞かない。
「ううん、中に入るとほんとに気持ちよくて幸せを感じるんです」
 
 千円を受け取った長髪口髭の男は再びカーテンの裾をめくって可奈を穴に入れた。

 そして30秒後に引っ張り出された可奈は癒されてうっとりしていた。
「ふわああ、幸せーっ。
 嘘じゃないから、冴木さんもちょっとだけ入ってみたら」

 そう言われた冴木も可奈のうっとりした顔を眺めながら、百円だけなら騙されてもいいかと決心して長髪口髭の男にお試し料金を払った。
 長髪口髭の男はカーテンの裾をめくって冴木の手を取って穴に入れる。

 中はただの暗い穴なのだが……。
「ははあ~、ほんとだあ、
 こりゃあいいな~」

 そう言いながら冴木は穴から引っ張り出された。
「温泉よりも癒される、どうしてだろ?」
 冴木が呟くと、長髪口髭の男は言った。
「迷える子羊よ、貴方は今まで恥ずかしい失敗をたくさん重ねました。
 恥ずかしい失敗の度に『穴があったら入りたい』と切実に思い、その気持ちが満たされないまま貴方の心に次々と溜まっていったのです。
 今、穴の中で、溜まりに溜まってた貴方の辛い思いが少しずつ溶けたのです。
 穴を与えられた羊は幸いです」
「そうか納得!」「素晴しい!」
 冴木と可奈は財布から千円札を取り出した。
「お兄さん、もう1回だ」「私ももう1回」
 すると長髪口髭の男は「オー、ゴメなさいよ」と断って「次のお客さんの番が来たのです。貴方たちは羊の列の最後に並びなさい」と後ろを指差した。 

 そこにはすでに50人ぐらいの行列が出来ている。
「オーマイゴッド! どうする冴木さん?」
「そろそろ会社行かないと遅刻だぞ」
「仕方ないですね」
 二人はあきらめようと決めたのだが、その直後、可奈は冴木の足元に目を止めた。

「あれ、冴木さんの靴、右は茶、左は黒って、根本的に違うよ!」 
「ワッ、やベーっ!」
 冴木は頬を染めて靴を手で覆い隠した。
「玄関の照明が切れててさ、暗いとこで手探りで履いたから間違ったんだな。俺ってこんなんでずっと歩いて来たのか、マジ恥ずかしッ、穴があったら入りたいッ!」
 そう叫んで冴木はハッとした。
「俺、やっぱり列に並んで癒された後に靴買ってから行くからさ。倉本は先に行ってっ、ていうか」
 そこで冴木は可奈の前髪についてるピンクのカーラーを指差した。
「倉本ったら頭にカーラーつけたままじゃないか」
 可奈は頭に手をあててカーラーの感触に悲鳴を上げた。
「キャーッ、今日はずっとイイ男たちに優しい笑顔で見つめられてラッキー、モテまくりと思ってたら、皆に笑われてたのね。
 もおー死にそーッ、穴があったら入りたいッ!」
 可奈は額から胸元まで真っ赤になってカーラーを取ると、携帯で上司に電話した。
「倉本です。おはようございます。さっき新宿駅は出たんですが途中に避けられない穴があって、ええ、なぜか穴があるんですよ。そこから出るのがすごい行列、じゃないや、ひどい渋滞してるんでかなり遅れると思います、あ、営業の冴木さんも穴にはまっててかなり遅れると思います、すみません」
 二人はいそいそと行列の最後尾に並んだ。

 この『穴だけ売り』はかなり好評らしい、近くで見かけたらお試しあれ。  了




企画のエントリーは次の皆さんです。まだ読んでない方は是非!

おさかさんの 『穴が開いた』
矢菱虎犇さんの 『穴』
りんさんさんの 『穴(サラリーマンの憂鬱)』
たろすけ(すけピン)さんの 『穴、はじめました。』
儚い預言者さんの 『穴』
ia.さんの 『穴 (怖そうで怖くない少し怖いホラー)』
レイバックさんの 『Hole』
ヴァッキーノさんの 『穴 ―The Hole― 』

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 翌日、朝早くから佐成は松丸の住む五条界隈の住人から話を聞き込んだ。
 この時代、下級官吏たちは小さな家を貸し与えられているのだが、そこでの松丸は親孝行な息子と大層評判がよかった。

 佐成は松丸の二軒隣に住む縫殿寮に出仕する女から話を聞くことが出来た。
「ああ、検非違使庁の松丸さんね、一度結婚したけど、可哀想にまもなく病で妻を亡くして、ずっと独り身なんですよ。しょっちゅう親の好きな甘葛(あまかずら)の餅を買ってきてたようです」
「そうですか、この頃、気のついた事はありませんか?」
 佐成が訊ねると女は答えた。
「そういえば、昨日の仕事帰り、立ち話した時に高価なお香の匂いがしてましたよ」
「高価なお香?」
「ええ、私は仕事で貴びとの衣を直すこともあるんですが、貴びとの衣はきつくお香を焚いて香りを染みつけてありますから、知ってるんです」
「それはつまり?」
「身分の高い方と会っていいことがあったんじゃないですか。あら、いやだ、私が言ってたなんて打ち明けないで下さいよ」
「それはもちろん。私が聞いてまわってることも内密に頼みます」

 佐成は女に礼を述べて、急いで検非違使庁に戻った。
 松丸の巡回する受け持ちが五条から九条の東側であることを確かめると、少志の橘明史に嫌味を背中に投げつけられるのも構わず再び町に繰り出した。
 内裏から少し離れた松丸の受け持ちに貴びとの館はそれほど多くはなかった。
 しかし、聞き込みを始めても、検非違使の下っ端の松丸など相手にしそうな貴びとの館はなさそうだった。
 佐成が歩き疲れた頃、六条のあたりで門の壊れた貴びとの館があった。中を覗いていると通りがかった男に声をかけられた。
「何をしてんだ?」
「いえ、ここは誰の館かと思って」
「諸倖中納言様だった」
「だったというと?」
「知らねえのか、半年も前にあの悪半月に押し入られて皆殺しだ。今じゃ誰も住んでないよ」
「そうなのですか」
「おっと、板でもかっぱらおうと思ったなら来るのが遅すぎだ。もう床板も壁板も残ってないぜ。こんな祟りでもありそうな館にいるのは狸か狐だ。化かされないうちに帰った方がいいよ」
 男はそう言って去って行った。

 佐成は門の中に踏み入ってみた。なるほど男の言った通り館の建物は柱と屋根だけになっていて、内側まで雑草が背丈を伸ばしている。
 たしかにこれでは人は住めないだろう。
 そう考えて立ち去ろうとした佐成の耳にかすかな女の声がした。
 佐成は東の対屋の方にそっと近づいた。

「少丞(しようじょう)が命を捨ててはならぬ、生きようとすれば御仏の救いは必ずあると申した通りになりましたね」
「勿体ない。私は当たり前のことを申したまで」
「少丞、あの殿方のくれた甘葛の餅はまだありますか?」
「はい、悠子(ゆうし)様」
「少丞もひとつお食べ」
「ありがとうございます。美味しうございます」
   
 佐成がそっと窺うと、柱と雑草の中に筵を敷いて、姫と侍女が座っていた。
 姫の服は萌葱色、浅葱色と重ねた襟の上に山吹色の野に梅が咲いた季節外れの表衣だったが、瓜実の顔は深雪の白さに、丹花のような唇、蝶舌のような睫毛、長い髪は漆の反物のように黒く輝いている。このような廃屋に絶世の美姫がいるというのは怪かしかも知れないと思いながら佐成は思い切って声をかけてみた。
「そこのお方。私は検非違使庁の案主佐成と申します。お話を聞かせてください」

 ◇

 悪半月の晒し首もあと一日で終わりとなった昼に松丸は検非違使庁に呼び返された。
 松丸はさては手柄の昇進の話だなと思った。看督長に出世すると噂が流れているらしいから松丸は有頂天だった。
 しかし、松丸は今までは許されていた板の間に入ることを許されず、廊下でいかつい放免に両脇をつかまれて平伏するしかなかった。
「松丸、そなたの手柄について佐成案主が詮議いたす。正直に申し述べるがよい」
 大尉の文室房善はじめ、少尉、大志が見守る中、少志の橘明史が苦虫を噛んだような表情で言うと、松丸は青ざめた。
 悠子から佐成が来たことは聞かされていたが、悠子が秘密を洩らす筈がなかった。

 佐成が言う。
「松丸、今一度訊ねる。お主が悪半月の晒し首を守ったというのは真か?」
「ま、真にございます」
 佐成は頷いて次の質問をした。
「さて、このところお主は廃館に通っていたようだな?」
 松丸はそれは隠さずに認めた方がよいと考えた。
「はっ、ご明察にございます」
 そこへ放免に腕をつかまれて山吹色の表衣の悠子が連れて来られて、廊下の松丸の隣に座らせられた。
 松丸は驚いて悠子を見詰めるが、悠子は目を逸らして松丸の顔を見ようとしない。
「松丸、お主の通う相手はその女だな?」
「はっ」
「悠子とやら、そなたはこの松丸を夫とするのだな?」
 佐成が訊くと悠子は首を横にした。
「め、滅相もない。怖くて断れないだけです」
「な、何を急に、しかと俺と言い交わしたではないか」
 松丸は仰天した。あの廃屋ではまずかろうと言うので昨夜からは松丸の家に住み始めたばかりだったのだ。

「ふむ。悠子、そなたは松丸にいつ知り会うた?」
「三日前の夜でございます」
「どこでだ?」
「六条河原にございまする。恥ずかしながら、わらわはさる少納言の妻でしたが、夫は二ヶ月前に失脚させられて今より十日ほど前に亡くなり、後ろ盾を失くして夫の葬儀も出来ぬまま食べる物もなくなり途方にくれておりました。そこで入水でもしようかと連れの少丞と夜の河原を歩いていたところを松丸に見つけられたのです」
 悠子は目を伏せたまま淡々と述べた。
「最初は、見張りの小屋に雑炊があるので差し上げようと言われて救われた心地でおりましたが、小屋まで一緒に来ると検非違使のお仲間は皆殺しになって、晒し首は既に奪われて台の上になかったのです」
 松丸は慌てて叫んだ。
「この女は気がふれております。女の申すことは出鱈目です。悪半月の晒し首はそれがしが見事に守り通したではありませぬか」
 佐成は松丸を「そなたは黙っておれ」と叱りつけた。

「悠子よ、話の続きをしてくだされ」
「それは申すも怖ろしいことでございます」
 悠子は袖を顔に運んで涙を拭う仕草をした。
「この松丸はわらわに向かい『そなたの夫は葬儀も挙げてないと申したな。その遺体をわしの出世に役立てよう。その代わりわしはそなたの夫となり一生そなたの面倒をみよう』と、悪鬼でさえ考えつかぬ怖ろしいことを持ちかけたのです」
 佐成はもちろん、上役たちは凍りついた。

「ち、違います。この女の言うのは嘘にございます」
 松丸は叫んだが放免が「黙れ」と脅す。
「悠子よ、続けてくだされ」
「わらわは恐ろしさのあまり断ることが出来ずにいました。そこへもう一人のお仲間が門の外から戻って来たのです。この松丸はこの仲間が生き残ってはまずいと考えたのでしょう。『松丸、お主を探しておったのだ』と笑いかけるお仲間を、まこと悪鬼のように松丸はあっという間に太刀で刺して前のめりに倒れるのをさらに斬ったのでございます」
 佐成は頷いた。
「松丸、この女の言い分は蓑丸の死体の様子と合致いたすぞ。蓑丸は小屋から遠いところで小屋に向かってうつ伏せに倒れて、抜刀はしておらず、胸から腹にかけて刺し傷と斬り傷がついていた。相手がお主なら蓑丸が抜刀するはずもない。油断しているところをお主が刺して斬ったのであろう」
「ち、違います。聞いてくだされ」
「ま、少しも言い分を聞かぬのも片手落ちゆえ、申してみよ」
 佐成が許すと、松丸は必死に述べた。

「晒し首を奪われてすっかり落胆してるわしに、この女が悪鬼のように囁いたのです。
 今でも耳の中に残っております。この鬼女はこう申しました。
『わらわによい考えがあります。わらわの殿の首を代わりにあの台に乗せなされ。もう蛆も湧いて顔もわからなくなっておるゆえ、顔が違うぞと上役にばれる心配もいりませぬ。そなたが一人で首を守り通したことにすればよい。さればそなたは出世でき、さらにわらわも手に入れるのですよ、ほほほっ』
 そう言ってこの女はわしの手を襟の合わせの奥に誘ったのです。わしは惚けたようになり気がつくとこの鬼女を抱いていました。
 まっことこの女こそ鬼女にございます。
 それから向こうから蓑丸が声をかけて歩いてくるとこの女がまた囁いたのです。
『一人も生き残ってはなりませぬ。さりげなく近寄り刺してしまいなされ。お前とわらわののためですよ』
 全てはこの鬼女の自分が生きるためだけの悪しき入れ知恵だったのです。わしはどういうわけか、ふらふらと鬼女の言うーわれるままのことをしてしまったのです」
 佐成と上役たちはいよいよ凍りついた。


 真実の経緯が松丸と悠子のどちらの言い分に合うかは知る術もない。
 ただ事実として松丸が無関係の殿の首を身代わりに出世を企んだことは明らかになった。
 まもなく松丸の首も晒し台に乗せられた。     了




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gingak
  • Author: gingak
  • 銀河 径一郎
    (ケイイチロー・ギンガ)
    好きな言葉は『信じる』。
    飛べなくても頭が悪くても
    地球人も宇宙人だ(笑)

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