司会者が有紀の持ち込んだ陶磁器の鉢を見ながら聞く。
「これはどういうお宝なんですか?」
「ええ、丁度、家の近くに、珍しく金魚売りが来たんで、娘と一緒に見に行って、買おうとしたんです。
その時に、いろいろあって、金魚売りの方がこの鉢をくれたんです」
あれは不思議な出来事だった。
あの出来事に秘められた真実を知りたい、それが今回応募したひとつの理由だ。
鑑定家が鑑定を始めると、有紀はあの金魚売りと会った日を思い返していた。
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有紀は2歳になる娘優衣と昼食を済ませると、エアコンのきいた部屋で昼のテレビ番組を観ていた。
サイコロを転がして出たテーマについて、ゲストに呼ばれた芸能人が体験談を語るというバラエティー番組だ。
ハハハッ
テレビの収録スタジオの笑い声と自分の笑い声がだぶって、それが収まった時、不意に物売りの声が小さくした。
夏にこの街で物売りと言えば、竿竹売りぐらいだ。もちろん、あれは竿ではなく台を押し売りされたり、安い竿は錆びるからと結局、高い竿を奨められたり、竿を切ってサイズを合わせる工賃がぼったくりだったりする。
しかし、この時、耳に飛び込んできたのは竿竹売りのスピーカーの声ではなく、肉声だった。
有紀は慌てて、テレビのボリュームを落として、物売りの声を確かめた。
えー、金魚〜、ええ、金魚〜。
金魚売りだ。
金魚売りの生の声なんて、生まれてこの方、聞いたことなんかない。テレビドラマの時代劇で数回聞いた気がするだけだ。
珍しいことがあるものだ。
「きんぎょって?」
優衣が尋ねたので、有紀は答える。
「小さくて真っ赤なお魚だよ」
「ポニョ?」
「ポニョじゃないけど、ポニョの種類かな。
ちょっと行って見せてもらおうか?」
「うん!」
有紀は金魚売りのもの珍しさに優衣の手を引いて、外に出た。
すると、アスファルトの上を、時代劇から飛び出してきたような、紺色の法被にさらしの股引姿で、ねじりはちまきをした金魚売りのお兄さんが天秤棒を担いで近づいて来る。
えー、金魚〜、ええ、金魚〜。
その声のなんともいえないノスタルジックな響きが一瞬暑さを忘れさせてくれる。
「金魚ですか?」
有紀は、こんなに珍しい金魚売りに会えたんだから一、二匹は買ってもいいやと思いながら、声をかけた。
「へい、金魚でござい」
三十歳くらいに見える金魚売りのお兄さんは天秤棒から下げた寿司桶みたいな桶を地面にそっと降ろし、桶の蓋に乗っている奥行きのあまりない円筒の木製枠にガラスをはめた金魚鉢みっつごと蓋をずらした。
すると桶の中を金魚たちが気持ち良さそうに泳いでいる。
「わあ、ポニョだ、ポニョだあ」
優衣は大喜びだ。
有紀は財布を開きながら言った。
「ひとつ、いえ、みっつもらおうかしら」
「ご内儀、お好きなやつを指差して下さい」
「じゃあ、この大きいのと」
「御目が高いね」
金魚売りのお兄さんはそれを素早く陶器の鉢ですくう。
「あと、こっちの、とこっち」
金魚売りのお兄さんは三匹の金魚を陶器の鉢ですくった。
「この金魚箱はいらねえかい?」
立派な木製の金魚鉢はかえって高いに違いない。たしかスーパーでプラスチックの水槽があったような気がする。あの方が絶対に安い。主婦の直感がそう判断した。
「金魚箱はよかったわ」
「へい、では金魚みっつで、五十文いただきやす」
そう言われて、有紀は戸惑った。
五十文というのは五十円というわけではないだろう。それでは安すぎる。とすると五十文は五百円のことだろうか。
有紀は財布から五百円玉を出して、金魚売りのお兄さんに渡した。
すると、金魚売りのお兄さんの顔が曇った。
「ご内儀、からかっちゃいけませんぜ。
こんなニセの銀貨でたぶらかそうとは、立派なご内儀のすることとも思えません」
「じゃあ、お札で」
有紀が千円札を出して渡すと、金魚売りのお兄さんの顔がますます険しくなった。
「ご内儀、こんな紙切れでごまかそうってのかい?
耳を揃えて五十文払ってもらおうじゃねえか」
真剣に怒る様子は冗談とも思えない。
有紀は自分の思いつきを頭の中で言葉にしてみて、眩暈のようなものを感じた。
まさか、この金魚売りのお兄さんは今のお金を知らないのではないのか。この、どこからみても時代劇としか見えない格好はいったいなんだろう。
もしかしたら、この金魚売りのお兄さんは何かの間違いでタイムスリップしてきたのではないだろうか。そう考えると一応の納得がいくのだが……。
だとして、どう応対したら、怒りを収めてくれるのだろう。
有紀は懸命に考えて切り出した。
「あいにく五十文がなくて、申し訳ないけど、お米か何かで払うってことにできませんか?」
すると、険しかった金魚売りのお兄さんの顔が穏やかになった。
「まあ、たまたま、手持ちがねえってのは俺も覚えがあるからな。
かまわねえぜ、ご内儀、米を持ってきな」
「ありがとうございます。
今すぐ、お持ちしますから」
有紀は優衣の手を引っ張って、家の中に駆け込み、ストッカーから米を四合ほどタッパーに入れて金魚売りのお兄さんのもとに戻った。
「これぐらいでいいですか?」
「おう、こりゃあ五十文じゃ多すぎやしねえかい?
じゃあ、こっちもその鉢をつけてやろうじゃねえか」
「それじゃあ悪いわ。
金魚より高いじゃないですか?」
「いいってことよ。
おう、娘子、おっかさんの言うこと聞いて、金魚を大事にするんだぞ」
金魚売りのお兄さんはそう言って優衣の頭を撫で、桶に蓋をして、天秤棒を担ぎ上げた。
えー、金魚〜、ええ、金魚〜。
そう声を上げながら、ゆるい坂道を登ってゆく金魚売りのお兄さんの後ろ姿は、アスファルトから昇り立つ熱のゆらぎにゆらめいて、だんだん小さくなってゆく。
有紀が金魚を抱えたままずっと金魚売りのお兄さんの後ろ姿を見送っているので、優衣が飽きて肘を引っ張った。
「ちょっと待ってよ」
一瞬、優衣に振り向いて言い聞かせて、視線を戻すと金魚売りの姿は跡形もなく消えていた。
今の金魚売りは夏の昼下がりの幻だったのか?
いや、金魚と金魚を入れたきれいな絵柄の鉢は有紀の手の中にちゃんとある。
やはりあの金魚売りは江戸時代からタイムスリップして現れたのか?
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鑑定家の中乃島清助は、有紀の持ち込んだ鉢をルーペで眺め、裏返し、軽くはじいて音を聞いて真剣な表情だ。
司会者が間を埋めるように問いかける。
「お米四合でこれが高価だったら、嬉しいですね。
だけど、こういうパターンはだいたい偽物なんですよね」
「え、ええ」
司会者の突っ込みにたじたじとなりながら有紀はボードに希望価格を書き入れた。
有紀が8万円と書いて掲げたボードが、アシスタントの手で中乃島清助に渡され、鑑定値段が書き入れられて、有紀に見えないように裏返して渡される。
「ここでまっすぐ上げて下さいね、時々、途中でひねって逆さにされる方がいますので、まっすぐ上にお願いします。さあ、いきますよ」
司会者の「さて、鑑定結果はいくらだったでしょう。せーの、ジャカジャン」という掛け声がかかる。
有紀がボードを頭上に掲げると、会場から「オオーッ」とどよめきが上がった。
「100万円〜ッ!」
司会者の声も興奮気味だ。
いや誰よりも有紀が興奮している。お米四合が100万円に化けたのである。
中乃島清助の解説も熱を帯びている。
「これは江戸初期、1650年頃の初代柿右衛門の有田焼の鉢に間違いございません。
磁器といえば中国の景徳鎮が世界的に有名なんですが、17世紀に入ると政治的混乱によりヨーロッパに輸出できなくなってしまったんです。
そこで1659年、有田の美しい色絵磁器を中国磁器の代替に輸出したんです、それが大変な好評を博して有田焼は世界的に有名になるんですね。
この鉢は小ぶりですが、その当時の色をしっかり残してますねえ。
いやあ、素晴らしいものを見せてもらいました」
司会者が有紀にマイクを向けた。
「すごいことになりましたね、今のご気分は?」
有紀は答えた。
「また金魚売りのお兄さんに会って、もうひとつ鉢をもらいたいです」
さすが主婦である。あの金魚売りがタイムスリップしてきたかなんて、もうどうでもよかった。 了
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