銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。

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 †††

 地方の男爵の出であるという五棟耕三の家は小石川区にあった。
 広い敷地に和式建築の大き目の一軒家である。
「こういう林の中のお家は静かでいいですわね」 
 着物に袴の女学生姿の貴子が廊下から庭を眺めて言うと、五棟は照れ笑いを浮かべた。
「ええ、静かなところだけが取り柄です。
 もっとも、少し歩くと、高速地下電車が計画されてる道まで出ますよ」
「ほお、この辺りも高速地下電車が通りますか」
「土地が足りないわけじゃなし、何も地下に潜らなくてもよいと思うのですが」
 天野助教授と貴子は、五棟から帝国大学犯罪小説倶楽部の例会を開くと聞いて、それに参加するために五棟の家を訪ねたのだ。

 廊下から部屋に入ると和室の上に絨毯が敷いてあり、その上にテエブルと椅子がある。
 天野が椅子に掛けながら訊ねる。
「五棟さんのご出身はどちらです?」
「山口です。祖父が御維新で功を上げ、男爵になったのです」
「そうでしたか。
 五棟さんは何人兄弟です?」
「五人です。兄が二人に弟と妹が一人ずつ。兄は二人とも陸軍将校で、一番上は陸軍省勤務なので牛込区に住んでおるのです」
「ほお、兄上は陸軍将校でしたか」
「そうなのです。山口の本家では私もその方面に進んでほしかったのが、医学に進んだものだから気に入らんようです」
 五棟は打ち明けて笑った。
 天野助教授が提案する。
「医学者で小説が好きなら、森鴎外を真似たらいかがです。軍医で小説家なら、ご実家も文句は言いますまい」
「はあ、小説を読むのは好きですが、書くのは面倒ですからそこは結構です」
 五棟が豪快に笑っていると、障子戸が開いて、着物を着た若い女性が盆を持ってきた。
 一礼する女性を五棟が紹介する。
「許婚の木野みすずです」
 鼻筋が通って、目が切れ長で、洋服を着せたらなかなかのモガ※になりそうである。
「ようこそおいで下さいました」
 天野助教授と貴子は自己紹介して、みすずからお茶を給仕された。
「みすずさんはこちらの方ですの?」
 貴子が訊くとみすずは襟の前で手を払った。
「私も五棟様と一緒で、山口の出身です」
 貴子は微笑んだ。
「では、馴れ初めも山口ですのね、伺いたいわ」
 すると、五棟が答えた。
「みすずは母が本家の奉公人だったのです。
 ですから、貴子様のお気に入るような馴れ初めはないのです。
 格式ある家なら使用人の娘など許婚にしませんが、取るに足らぬ武家の三男ですから」
 五棟はまた大笑いした。
 貴子はみすずを見つめて言う。
「女にしたら幸せなことです、みすずさんが羨ましいわ」
「貴子様」
 みすずは二の句が継げずに照れた。
 
 玄関の開く音に「五棟さん」と呼ぶ声が続き、みすずが足早に応対に出た。
 二人の男の足音を引き連れて、みすずの足音が戻ってくると、五棟は「きっと芥川君と堀井君ですよ」と予告した。
「堀井君は冊子出版の事務方を引き受けてくれているのです」
「ほお、そうでしたか」
 障子戸がみすずの手で開いて、「やあ」と言いながら、長髪を後ろに流した眉毛の細い学生と角ばった輪郭に丸眼鏡をかけた学生が入ってきた。
「やあ、芥川君に堀井君。こちらは物理学の天野助教授と漆原宮貴子さんだ」
 芥川は小さく会釈して貴子を見、丸眼鏡の堀井は訊ねた。
「どういうオブザーバーです?」
「僕のところで解剖した女学生の死因について疑問を持たれてね。
 たまたま犯罪小説案内に『吸血鬼ドラキュラ』を載せたじゃないか。
 傷痕や失血など、あれと似ているところがあるものだから話を聞きたいそうなんだ」
「よろしく、天野助教授、貴子女史」
 堀井が挨拶し、芥川の口もかすかに動いたように見えた。
「あの吸血鬼の小説は芥川さんが原典から翻訳されたそうですな?」
 天野助教授が訊くと、芥川はテエブルを見つめたまま顎を人差し指と親指で支えて考え込むのかと思われた。が、そこで視線を動かさぬまま口を開いた。
「お断りしておきますが、あれは小説ではなく案内です。
 完全なる訳出ではなく、抄訳なのです。
 あれが吸血鬼ドラキュラの全てだと思われては、吸血鬼に失礼です」
 そう言うと芥川は完全に黙り込んだ。
「あれは西洋の伝説の存在と五棟君に聞きましたが、そうなのですか?」
 すると、芥川はじろりと天野助教授を眺めて、すぐテエブルに視線を戻して言う。
「15世紀、ワラキア公国の暴君ヴラド・セペシュ公の話です。人は現実にあると考えるのがおぞましい時、伝説という形で伝承するのかもしれない」
「では、芥川君は吸血鬼は現実の話だと?」
 すると芥川は顎を支えていた手をテエブルに置いて握った。
「物理学助教授ともあろう方がなぜ、そのような論理のカタストロフに落ち込むのです。
 私は吸血鬼が現実だなどとは微塵も言ってません」
 芥川の口調に抗議の響きが勝っていたので、五棟が微笑を浮かべて割って入った。
「まあ、芥川君、興奮しないで大丈夫だよ。
 天野助教授は当初、吸血鬼が現実にいるのではと想像していたようだから、つい芥川君も同意見かと思ったのだろう。
 そうですよね、助教授?」
 天野助教授は安堵して「ええ、そうです」と頷いた。
 芥川はまた手を顎に戻して言った。
「一体、私は起きてしまった犯罪自体にはまるで興味がないのです。
 私が惹かれるのは、人間が犯罪者に変わる、まさにインスタンテノスの心理なのです」
 そこで貴子が訊いた。
「今の言葉は、芥川様ご自身が犯罪者に変わることに興味があるわけではないのだと響きましたが、そうですの?」
 天野助教授は貴子を向いて唇を開いた。芥川は驚いた表情をしたが、すぐに笑みに変えた。
「貴子女史は面白いことを言われますね。
 一応は自分は除外です。ですが他人のインスタンテノスの心理を眺めるうちに自分もそうなることに興味を持つかもしれません」
「私は友人の死因を納得したいのですが、今のところ事故とも事件ともはっきりしません。よろしければ芥川様も推理していただきたいですわ」
 芥川は苦笑した。
「さっきも類似して言ったように、私は犯罪の謎には興味がないのです。犯罪者が捕まってから、こういう心理なのだろうと推理することにはずいぶんと食指が動きますが」

 そこで、突然廊下の障子戸が開いて、着物の男が片手で蓬髪を掻きながら「遅くなりました」と言いながら入って来た。
「あ、山川芳円さんです。
 芳円さん、こちらは天野助教授と漆原宮貴子さんだ」
 五棟の紹介には応えず、山川は貴子を見つけると微笑んだ。
「やあ、君、僕のモデルをしませんか」
 そう言いながら背負っていたリュックからスケッチブックを取り出して、貴子の素描を始めた。
「突然、言われましても困ります」
 貴子はまとわりつくような山川の視線に迷惑そうに言うが、山川はまったく意に介さず言い放つ。
「着物の上から察するに、乳の形はよさそうじゃないか。
 何、恥ずかしいなら、腰巻は取らなくても結構だからモデルになりなさい」
 その言葉に天野助教授が大きな声を発した。
「君、女性に失敬じゃないか。
 そうでなくてもこの方は高家のご令嬢だ」
 しかし、山川は天野の言葉に噛み付く。
「高家なんぞにどんな意味があるのです?
 人間の一生は歴史の大海の中の一瞬のまたたきですぞ。
 美しいものを美しいうちに留める。
 それこそが芸術がある理由なのです」
 山川は持論を述べたが、貴子はそれを振り払うように椅子から立ち上がった。
「五棟様、私はそろそろお暇いたしますわ」
「そうですか、山川君の言葉が気に障ったら許してやってください。
 山川君は芸術に純粋なのです」
 五棟はそういう間も山川はいよいよ貴子の素描に熱中している。
「気にしてませんわ」
「何もおかまいもしませんで恐縮です」
 すると天野も腰を上げかける。
「では僕も帰りましょう」
「一人で帰りますわ。天野様は今しばらく皆さんとおしゃべりを楽しまれたらいいでしょう」
 貴子がそう言って素早く目配せしたので、天野は「わかりました」と着席した。
「玄関までお送りします」
「いえ、結構です。私、方向に疎いので、みすずさん、案内をお願いしますわ」
「あ、はい」
 貴子はみすずに先導されて、部屋から立ち去った。

(吸血鬼ドラキュラ4 に続く)

※モガ 大正時代、モダンガールの略として流行った言葉



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北京オリンピックの男子マラソンも終わった。
各メディアで獲得メダル数が踊ることだろう。
しかし、大国がどんなもんだと上位に並ぶのは気に入らない。

人口が多けりゃ優秀なアスリートも多いに違いない。
て、ことで国別に1万人あたりの金メダル数を出してみた。
(見づらくてすみません。画像やhtmlも試し、かなり苦戦しました)

順位   国 名   金  人口(万人) 金メダル/1万人
1  ジャマイカ  6個   271万人  0.02214
2  バーレーン 1個    68万人  0.01471
3  エストニア 1個   134万人  0.00746
4  オーストラリ 14個   1991万人  0.00703
5  ニュジーラン 3個   427万人  0.00703
6  グルジア  3個   469万人  0.00640
7  ノルウェー 3個   474万人  0.00633
8  スロバキア 3個   542万人  0.00554
9  スロベニア 1個   201万人  0.00498
10  ラトビア   1個   231万人  0.00433
11  オランダ   7個   1632万人  0.00429
12  ベラルーシ 4個   1031万人  0.00388
13  デンマーク 2個   541万人  0.00370
14  モンゴル  1個   275万人  0.00364
15  パナマ   1個   300万人  0.00333
16  イギリス   19個   6027万人  0.00315
17  チェコ    3個   1025万人  0.00293
18  スイス    2個   745万人  0.00268
19  韓国     13個   4860万人  0.00267
20  ハンガリー 2個   1003万人  0.00199
21  ドイツ    16個   8242万人  0.00194
22  フィンランド 1個   524万人  0.00191
23  ルーマニア 4個   2236万人  0.00179
24  キューバ  2個   1131万人  0.00177
25  ロシア    23個  14289万人  0.00161
26  ケニア    5個   3202万人  0.00156
27  ウクライナ  7個   4773万人  0.00147
28  イタリア   8個   5806万人  0.00138
29  ブルガリア 1個   752万人  0.00133
30  カザフスタン 2個  1514万人   0.00132
31  アゼルバイジ 1個   796万人  0.00126
32  アメリカ合衆 36個  30001万人  0.00120
33  スペイン   5個   4320万人  0.00116
34  ドミニカ共和 1個   883万人  0.00113
35  フランス   7個  6447万人   0.00109
36  チュニジア 1個   997万人  0.00100
37  ベルギー  1個  1034万人   0.00097
38  ポルトガル 1個  1052万人   0.00095
39  カナダ    3個  3251万人   0.00092
40  北朝鮮   2個  2330万人   0.00086
41  ジンバブエ 1個  1267万人   0.00079
42  ポーランド  3個  3863万人   0.00078
43  日本     9個  12729万人   0.00071
44  カメルーン 1個  1606万人   0.00062
45  エチオピア 4個  6785万人   0.00059
46  アルゼンチ 2個  3914万人   0.00051
47  中国     51個  132442万人  0.00039
48 ウズベキスタ 1個  2641万人   0.00038
49  タイ     2個  6487万人   0.00031
50  メキシコ   2個  10496万人  0.00019
51  ブラジル  3個  18410万人  0.00016
52  トルコ    1個  6889万人   0.00015
53  イラン    1個  7027万人   0.00014
54  インドネシア 1個  23845万人  0.00004
55  インド    1個  113104万人  0.00001

やはり人類最速ウサイン・ボルトを擁する1位ジャマイカはすごい!
国民1万人で金メダルの2パーセントを共有?できる計算だ。

2位バーレーンの金メダリストは他国出身者、さすが産油国だ。
4、5位にオセアニアが入った。
旧ソ連から派生した国々も強いな。
イギリス、韓国も人口の割りに金メダル多い。

いやいや、日本の選手だって感動を与えてくれた。
中国より上位なんだからすごいことだ。
(メダルに届かなくたって)頑張った選手たちに拍手を送ろう!
ただ○○ジャパンと呼ばれるチームは総じて目標を下回ったような…。
やはり日本はニッポンという言霊を大事にしないといけないのだな!

尚、人口はwikipediaを参照したが間違いがあるかもしれません。
計算も間違いがありましたらお知らせください。m(_ _)m



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 †††

 漆原宮家の執事が二人の男性客を応接室に通した。
 すると貴子が立ち上がって会釈し「叔父様、御足労、ありがとうございます」と礼を述べた。
 八の字形の口髭をたくわえた漆原宮清親がうなづく。
「うむ、貴子嬢、この度は同級の方が残念でしたな」
「はい、新聞を見て気が動転してしまいました。昼に弔問してきましたが、ご家族もひどく落胆されてましたわ。
 叔父様、そちらの方は?」
「こちらは帝国大学法医学教室の五棟君だ」
 五棟はすっと腕を前に出し足を半歩引いてお辞儀をした。
「五棟耕三です、どうもはじめまして。
 本来はうちの教授が説明にうかがうべきところなのですが、多忙のため体調がすぐれず、私が代役を仰せつかりました」
 そつのない挨拶から平民の出ではなかろうと知れる。
「はじめまして。よろしくお願いいたします。
 五棟様のお家は伝統がありそうですわね?」
「いえいえ、漆原宮家と比べたら、足元にも及ばない田舎の男爵家です。
 貴子様は高貴な家のご令嬢にふさわしい麗しさで、私は目がつぶれそうですよ」
「まあ、恥ずかしい。五棟様はお口もお上手ですのね」
 貴子はそう返しながら、天野様にもこれぐらいの台詞が言えたらよいのにとつい心の中で嘆いてしまった。  
 清親が五棟を伴った事情を明かした。
「手ぶらでは貴子嬢に厳しく詰問されるに違いないと、先手を打って、五棟君のところでその同級生の遺体検分を火急に実行したのだよ」
「まあ、叔父様、まるで私が性格のきつい西太后のような言われ方ですわ」
「ふふ、貴子嬢が赤子の時から知ってるのだから、当たらずといえども遠からずだろう」
「まあまあ、叔父様にそのように言われると困りますわ。
 けれど、叔父様、早速のお手配、ありがとうございました。
 たしかに、警察が何もしなければ、叔父様に無理を言って腰を上げていただこうと思ってお呼びたてしたのです。
 さあ、お掛けくださいな」
 執事とその部下が椅子を引いて、三人は着席した。
「兄君はまだご帰宅ではないようだね?」
「ええ、父は遅くなるそうです」
 それで、五棟様、阿南真登子さまの死因はわかりまして?」
「はい。教授の診たてによりますと、失血死であろうとのことです」
 その時、部屋の外で執事が誰かと挨拶する声が響いた。
 先を切った葉巻にマッチで火を灯し吸い出した清親がつぶやく。
「お、兄君のお帰りかな?」
「そうかもしれませんわ」
 まもなく扉が開いて入って来た人物は、当主の成親ではなく、天野助教授だった。
「天野様、ずいぶんお待ちしてましたわ」
 貴子に言われて天野は頬を撫でた。
「やあ、えらく遅くなりました。
 これは清親閣下、お久しぶりです」
「うむ、天野君の研究は進んでますか?」
「ええ、おかげさまで進んでいます。
 や、五棟君までいらしてましたか?」
「助教授、先ほどは冊子お買い上げありがとうございました」
「ええ、実は、あれが面白くて、読み耽って遅れてしまったのですよ。
 貴子様には秘密ですが」
 天野はそう言って悪戯っぽく貴子を見やった。
「まあ、私には秘密ですの?」
「実はですね、この五棟君が西洋の犯罪小説案内の冊子を発行してるのです。
 研究室でそれを読んでいたら、時の経つのを忘れてしまいました」
 貴子は天野のそういう性格は嫌いではなかったから、微笑を浮かべた。

 天野は着席するや尋ねた。
「時に、阿南さんの死因はわかりましたか?」
「失血死だそうですの」
「なんですと?」
 天野が大きな声で叫んだので、一同はびっくりした。
「これは失敬」
 天野は興奮を抑えて五棟に尋ねる。
「五棟君、阿南さんの失血のさらなる原因は、いかなる事から引き起こされたのですか?」
「それがいささか謎なのです。
 外見、内臓は詳しく調べましたが致命的な大出血の痕は見当たりませんでした。
 ただ、大きな外傷はありませんが、首元に大きな虫が刺したような傷痕がふたつ発見されたのです」
 天野はうなづいた。
「教授は毒のせいかとも言われてましたが、失血だったのですね?」
「ええ、首の傷は助教授もご覧になりましたよね?」
 天野は思わず咳払いをした。自分が解剖室から逃げ出したことを思い出し、五棟が貴子に伏せてくれるのを願ったのである。
「いや、その、私からは少し距離があったので」
「教授の言った虫は大きな蜂か蛭のようなつもりだったようです。
 僕が傷口を調べたところ、傷の側面は歯による崩れのない、きれいなものでしたから、蛭ではなく、巨大な蜂の針によるのではないかと思います。
 ただ、蜂の場合は免疫の急激なる反応で死ぬる場合はあるようですが、失血はせぬのが通例です。蜂は人間の血を吸いはしませんからね。
 逆に蛭は血を吸いますが、傷の側面は崩れますし、失血死するほど大量に吸うことは蛭の体の大きさから言って不可能なのです」
 葉巻の煙を吐いて清親がうなった。
「ふうむ、それは謎ですな」
 貴子が確認する。
「では、事故とも病気とも事件とも、まだ判定できないのですね?」
「そうなりますね。
 もう少し調査してみませんと結論できません」
 五棟が言うと、天野が鞄から小冊子『世界犯罪小説案内』を取り出した。
 その頁をめくり、口絵を開いて一同に見せる。
「これを見てください。
 この小説の主人公『吸血鬼ドラキュラ』は首元に噛み付き、血を吸うのです」
 その口絵は紙の質が悪いため発色の鈍い彩色版画だが、しっかり目を閉じた金髪の美女のうなじに、高い鼻と冷たい目をした男前が口からはみ出た二本の鋭い歯を突き立てているという、おどろおどろしい図である。
「僕がこの冊子『世界犯罪小説案内』を読みながらずっと考えていたのはこの一致です。 『吸血鬼ドラキュラ』の傷と真登子さんの首元の傷は位置と数が一致しています。
 さらに死因は『吸血鬼ドラキュラ』の特徴と同じく失血である。
 かかる現象の一致は、ふたつの事例になんらかの物質的もしくは精神的な引力が及んでいると考えると整然とします。
 真登子さんが吸血鬼ドラキュラに殺されたという可能性もあるのではと思います」
 貴子の口があっと開き、清親の目が点になった。
 五棟は軽蔑するような視線だ。
 貴子は笑いながら言った。
「天野様、何を言い出すんです、それは遠い西洋のお話でしょう。
 その犯人がわざわざ遠路はるばる東京までやって来て、真登子さんの血を吸って殺したと仰るのですか?」
「死因はまだ謎なのでしょう?
 だとすれば、あらゆる可能性を検討してもよいかと思われます」
「しかし、貴方は仮にも帝国大学物理学助教授ですのよ、まだ殺人事件とも何とも決まってないのに、西洋の小説の犯人がそのまま東京で私の同級生を殺したなどと主張されるのは軽率かと思いますわ」
 貴子がたしなめると、五棟も加わる。
「あの小説は現実に起きた犯罪ではなく、伝説なのです。
 犯罪小説という範疇から外れるのを、芥川君が面白そうだと無理に入れたのです。
 小説と今回の事件を結び付けるには無理があります」
 そう聞くと天野は少しがっかりした表情になって、まだ発言してない清親を向いた。
 清親は葉巻を口から外すと述べた。
「ふうむ、確かにあらゆる可能性を検討するのは捜査の基本です。
 しかし、ひとつの可能性にこだわりすぎては他の可能性がおろそかになる。
 捜査は淡々と広い視野で進めます。
 天野さんは社会的に影響力があるのですから、外には今の推理を公表せぬ方がよいでしょうな」
「ご忠告ありがとうございます」
 天野は清親に礼を述べて、五棟に向き直った。
「ところで五棟君、この犯罪小説案内は他人の手に何部渡ったのです?」
「それは微々たるものです。
 まず献呈した分が私が一部、芥川君が二部、売ったのは私が助教授以外に教室で四部、芥川君が文学部で二部です」
「お手数だが、その名簿を書いて私にくれませんか」
「はい、造作もありません」
 五棟は貴子から西洋紙を受け取ると、一、二度ふと視線を上げて手を止めたものの、すらすらと九人の名前を書き並べて天野に渡した。
「この九人に僕と五棟君と芥川君の三人ですね?」
「あと、口絵画家の山川芳円さんですね。芳円さんは東京日々新聞などでも事件物の錦絵で人気なんです」
 天野は名簿に山川芳円まで書き足すとつぶやいた。
「なるほど」

「さて、貴子嬢、注文がなければわしは五棟君を送って帰りますぞ」
 清親が言うと、貴子は頭を下げた。
「叔父様、お忙しいところを恐れ入りました。
 原因究明の方、よろしくお願いいたします。
 五棟様もどうぞお願いいたします」
「きっと原因を明らかにしますよ」
 五棟はそう宣言して立ち上がった。

 清親と五棟が公用車に乗って去ってゆくのを貴子と天野は見送った。
「叔父様がすぐ動いてくれたのは有難いけれど、原因究明が難しいのは思いがけなかったですわ」
「吸血鬼ドラキュラが伝説の存在なら現実の犯人ではあり得ない。
 しかし、だとしたら、さっきの名簿の中に犯人がいるように思います。
 日本で吸血鬼ドラキュラの特徴を知っているのはあの名簿の者だけです。
 小説を読んだ人間があの犯罪を真似たかもしれません」
「それも怖いお話ですわ」
「そう怖いです、私も名簿に載ってますぞ」
「ご冗談はおよし下さいな」
 貴子はふざける天野の腕をはたいて微笑んだ。

(吸血鬼ドラキュラ3 に続く)



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 †††

 女学生、痰をば詰めて死せるか

 帝都日々新聞に小さく出ている、昨日日曜の朝、自室で寝た姿で死んで発見された女学生の死亡をめぐる記事を、漆原宮貴子が指差して言った。
「天野様、この記事を見ましたか?」
「今、初めて見ました。これが、どうかしましたか?」
 天野辰彦は電磁場相研究の援助者である漆原宮(うるしばらのみや)家の館に寄宿していた。
 それが今朝早く、相思相愛の仲である令嬢貴子によってドアを叩かれ、起こされたのである。
「この死んだ被害者ですが、私の同級の阿南真登子(あなんまとこ)さまなんです」
「それはそれは……。
 貴子さんの年齢で同級生が亡くなるとは思いもよらないことでしょう。
 ご愁傷様です」
「私は、ただ級友の死が受け入れがたいだけでなく、この新聞の書く死因はおかしいと思うのです。
 真登子さんは毎週、薙刀の稽古をされて、私などよりずっと活発な方ですもの。
 かような、あたかも老いた病人のような死因はあり得ません。
 天野様、なんとかして下さいまし」
 たしかに同級の友人の訃報を新聞記事で知り、死因に疑いを持つのは無理からざるところだが、しかし、何も私を叩き起こさなくてもよさそうなものだ。
 朝食にはまだ早いテエブルに組んだ手をつき、天野辰彦は恋人のいつもの調子の要求に辟易していた。
「そう言われても僕は一介の学者ですよ。
 加うるに、専門がだいぶんに違うではありませんか」
「一介の学者ですって?
 帝国大学物理学助教授ともあろう方が、このようないい加減な死因を看過してよろしいと言われますの?」
「僕などより、警視庁の刑事局長の叔父上に頼まれたらいかがです。
 叔父上なら専門でしょう」
「もちろん叔父にはすでに電話で頼んでありますわ。
 夕方には見えると思います」
 貴子はじっと天野を見つめた。どうやら叔父上も叩き起こされた口のようだ。
「や、そうでしたか、これは恐れ入りました」
「しかし、警察が本気になってくれるかどうか。
 今のところ、この記事では事件ではなく自然死とされてるようです。
 ここは是非とも天野様にも協力いただいて、叔父を説得していただきたいのです」
 ここまで詰め寄られてはうっちゃりは望むべくもないので、
「わかりました。
 といっても私はかかる方面の知識が不足してますから、帝国大学の法医学教室にでも行って、そちらで話を聞いてくるとしましょう」

 †††

 帝国大学医学部の学舎に入った天野辰彦は山高帽を持ち上げて、受付に座る事務方の男に会釈した。
「物理学教室の天野辰彦と申します。
 法医学教室の教授にお会いしたいのだが」
「これは、ご苦労様でございます。
 法医学教室は右手の突き当りを曲がって一番奥になります。
 不在の場合は解剖中かもしれませんので暫時お待ちください」
 解剖という単語に天野は寒気を覚えつつ、平気で微笑を浮かべる受付の男に「ありがとう」と礼を述べて歩き出した。
 
 廊下を進むと突き当たりになにやら貼り紙をしている白衣の男がいた。
 天野は近づいて、その文面を覗き込んだ。


 世界犯罪小説案内 
 
 横行する残虐な犯罪を客観にて描く西洋の犯罪小説を
 紹介せる、世界法医学者必携の小冊子なり
 
         帝国大学犯罪小説倶楽部篇


「ほお、なにやら面白そうな冊子ですな」
 天野に声をかけられた白衣の男はびっくりして振り返った。
「やあ、突然、声をかけられて驚きました。
 そうです、文学部に芥川辰之助という小説好きがいまして、そいつと倶楽部を興したのです。
 ようやく、いくつかを翻訳したので、その告知です」
 横に分けた前髪の先が上向きに巻いている白衣の男が説明してくれると、天野は山高帽を取って会釈した。
「初めまして、私は物理学教室助教授の天野辰彦です。
 あなたは?」
「私は法医学教室の助手、五棟耕三です。
 天野助教授はどちらに御用です?」
「丁度、法医学教室に行こうとしていたのですよ。
 五棟君、案内してくれませんか?」
「お安い御用です」
 五棟は廊下を歩き出しながら尋ねる。
「しかし、物理の助教授が法医学とはかなり分野が違いますね?」
「ええ、知り合いが帝都日々新聞の記事を見て、同級の女学生の死因がおかしいと言い出したんです。そこで基礎知識を仕込みに来たのです」
 天野が説明すると、五棟は眉間に皺を寄せた。
「帝都日々新聞ですか、あそこは若い女性が死ぬとなんでも記事にするのです。
 ところがむさ苦しい人足の、頭と胴と足が百間ずつ離れて見つかったってなかなか記事にならぬのです」
「なるほど、そうでしたか」
 次第に濃くなる消毒のアルコオルの匂いに息を詰めて、天野は尋ねる。
「こちらに検分にまわされてくる数はどれぐらいあるんです?」
「東京市と近辺の殺人事件はすぐまわってきますが、まず、不自然な死に方だと病院から警察に連絡が入り、警察が事件と睨めばこちらにまわってきます。
 週にしたら数件というところですか」
「その程度ですか?」
「普通はそうです。
 ただ、満月の頃は事故も事件も増えるような気がします」
「ほお、それは興味深い。
 満月は人間の注意力や感情に影響するのですか?」
「残念ながら、因果関係は証明されてないようですが。
 ああ、こちらです」

 五棟が真鍮のノブをまわしてドアを開けると、そこは机が並んだ教室だった。
 学生たちはノートを見ながら班ごとに相談しているようで、教壇の上に白髪を後ろに撫でつけた人物が書物に目を通していた。
 五棟が天野に手のひらを向けて、教授に紹介してくれる。
「教授、こちらは物理学教室の天野助教授です。
 なんでも、帝都日々新聞の記事を見て、女学生の死因に疑問を持たれたとか」
「初めまして、天野辰彦と申します。
 これから警察の幹部の方に死因の見直しをお願いしなきゃならないのですが、なにぶん門外漢なものですから、基礎知識を知りたいと伺った次第です」
「帝都日々の記事ですか、遺体の名前は?」
 被害者という言い方ではなく、遺体と呼ぶあたりが法医学の流儀なのだろう。
「ええと、たしか阿南真登子とか」
「あなん?
 林田君、さっき警視庁から連絡があったやつじゃないかな?」
 教授が教壇の脇にいた助手を振り向いて尋ねると、助手は嬉しそうに答えた。
「たしかそうです、発見が昨日で、いったん自然死と思われたのが、警視庁が不審を持ったらしいです。遺族も納得いかなかったようですぐ合意した模様です。
 もう着く頃ですよ」
 天野は驚いた。貴子に電話で迫られた刑事局長がすばやく手回ししたのだろう。
「丁度、実物を見ながら説明できますよ」
 教授に言われた天野は蒼ざめた。そんなつもりで来たわけではないのだ。
「いえ、私は知識だけで結構で、」
「ははは、大丈夫、遺体はもう死んでます。襲いかかったりしませんから、安心して見物して下さいよ」
 教授の声に、教室の学生たちまでが揃って笑った。
 天野はここから逃げ出せないかと真剣に考えた。
 
 †††

 教室のすぐ隣が解剖室だった。
 大きなテエブルが解剖台とすぐ知れた。
 脚に小さな車輪がついた簡易ベッドがテエブルに寄せられ、布を被った遺体が学生たちの手でテエブルに移される。
 天野はまわりを学生たちに囲まれ、目だけはきつく瞑って、解剖台に乗せられた阿南真登子の遺体を見ないようにしていた。
「天野さん、だいぶ死後硬直が進んでいるが、きれいな遺体ですよ。ほら、大きな外傷はなさそうだ」
 声に目がうっかりうすく開き、教授が遺体の腕を持ち上げて観察してるのが見えた。
「お、これはなんだ?小さな傷がうなじの付け根にあるぞ」
 助手と五棟が覗き込むのを見て、天野はまた目をきつく瞑った。
「虫に刺された傷に似てますね」
「あ、教授、3センチほど離れた背側にも同じ傷があります」
「ふうむ、天野さん、これは一見虫に刺されたようにも見えますな。その虫が毒を持っていたかもしれません。
 早速に内臓を切り開いてみましょう」
 教授がそう宣言するや、天野は「いや、私はここで失敬」と叫び、ドアに駆け出した。

(吸血鬼ドラキュラ2 に続く)




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 有紀は、家に眠る骨董品を有名な鑑定家に鑑定、値付けしてもらうという、人気番組の公開録画に出場した。

 司会者が有紀の持ち込んだ陶磁器の鉢を見ながら聞く。
「これはどういうお宝なんですか?」
「ええ、丁度、家の近くに、珍しく金魚売りが来たんで、娘と一緒に見に行って、買おうとしたんです。
 その時に、いろいろあって、金魚売りの方がこの鉢をくれたんです」
 あれは不思議な出来事だった。
 あの出来事に秘められた真実を知りたい、それが今回応募したひとつの理由だ。
 鑑定家が鑑定を始めると、有紀はあの金魚売りと会った日を思い返していた。

  ▼ 

 有紀は2歳になる娘優衣と昼食を済ませると、エアコンのきいた部屋で昼のテレビ番組を観ていた。
 サイコロを転がして出たテーマについて、ゲストに呼ばれた芸能人が体験談を語るというバラエティー番組だ。
 ハハハッ
 テレビの収録スタジオの笑い声と自分の笑い声がだぶって、それが収まった時、不意に物売りの声が小さくした。
 夏にこの街で物売りと言えば、竿竹売りぐらいだ。もちろん、あれは竿ではなく台を押し売りされたり、安い竿は錆びるからと結局、高い竿を奨められたり、竿を切ってサイズを合わせる工賃がぼったくりだったりする。
 しかし、この時、耳に飛び込んできたのは竿竹売りのスピーカーの声ではなく、肉声だった。
 有紀は慌てて、テレビのボリュームを落として、物売りの声を確かめた。

 えー、金魚~、ええ、金魚~。

 金魚売りだ。
 金魚売りの生の声なんて、生まれてこの方、聞いたことなんかない。テレビドラマの時代劇で数回聞いた気がするだけだ。
 珍しいことがあるものだ。
「きんぎょって?」
 優衣が尋ねたので、有紀は答える。
「小さくて真っ赤なお魚だよ」
「ポニョ?」
「ポニョじゃないけど、ポニョの種類かな。
 ちょっと行って見せてもらおうか?」
「うん!」
 有紀は金魚売りのもの珍しさに優衣の手を引いて、外に出た。

 すると、アスファルトの上を、時代劇から飛び出してきたような、紺色の法被にさらしの股引姿で、ねじりはちまきをした金魚売りのお兄さんが天秤棒を担いで近づいて来る。

 えー、金魚~、ええ、金魚~。

 その声のなんともいえないノスタルジックな響きが一瞬暑さを忘れさせてくれる。

「金魚ですか?」
 有紀は、こんなに珍しい金魚売りに会えたんだから一、二匹は買ってもいいやと思いながら、声をかけた。
「へい、金魚でござい」
 三十歳くらいに見える金魚売りのお兄さんは天秤棒から下げた寿司桶みたいな桶を地面にそっと降ろし、桶の蓋に乗っている奥行きのあまりない円筒の木製枠にガラスをはめた金魚鉢みっつごと蓋をずらした。
 すると桶の中を金魚たちが気持ち良さそうに泳いでいる。

「わあ、ポニョだ、ポニョだあ」
 優衣は大喜びだ。
 有紀は財布を開きながら言った。
「ひとつ、いえ、みっつもらおうかしら」
「ご内儀、お好きなやつを指差して下さい」
「じゃあ、この大きいのと」
「御目が高いね」
 金魚売りのお兄さんはそれを素早く陶器の鉢ですくう。
「あと、こっちの、とこっち」
 金魚売りのお兄さんは三匹の金魚を陶器の鉢ですくった。
「この金魚箱はいらねえかい?」
 立派な木製の金魚鉢はかえって高いに違いない。たしかスーパーでプラスチックの水槽があったような気がする。あの方が絶対に安い。主婦の直感がそう判断した。
「金魚箱はよかったわ」

「へい、では金魚みっつで、五十文いただきやす」
 そう言われて、有紀は戸惑った。
 五十文というのは五十円というわけではないだろう。それでは安すぎる。とすると五十文は五百円のことだろうか。
 有紀は財布から五百円玉を出して、金魚売りのお兄さんに渡した。
 すると、金魚売りのお兄さんの顔が曇った。
「ご内儀、からかっちゃいけませんぜ。
 こんなニセの銀貨でたぶらかそうとは、立派なご内儀のすることとも思えません」
「じゃあ、お札で」
 有紀が千円札を出して渡すと、金魚売りのお兄さんの顔がますます険しくなった。
「ご内儀、こんな紙切れでごまかそうってのかい?
 耳を揃えて五十文払ってもらおうじゃねえか」
 真剣に怒る様子は冗談とも思えない。

 有紀は自分の思いつきを頭の中で言葉にしてみて、眩暈のようなものを感じた。
 まさか、この金魚売りのお兄さんは今のお金を知らないのではないのか。この、どこからみても時代劇としか見えない格好はいったいなんだろう。
 もしかしたら、この金魚売りのお兄さんは何かの間違いでタイムスリップしてきたのではないだろうか。そう考えると一応の納得がいくのだが……。
 だとして、どう応対したら、怒りを収めてくれるのだろう。

 有紀は懸命に考えて切り出した。
「あいにく五十文がなくて、申し訳ないけど、お米か何かで払うってことにできませんか?」
 すると、険しかった金魚売りのお兄さんの顔が穏やかになった。
「まあ、たまたま、手持ちがねえってのは俺も覚えがあるからな。
 かまわねえぜ、ご内儀、米を持ってきな」
「ありがとうございます。
 今すぐ、お持ちしますから」
 有紀は優衣の手を引っ張って、家の中に駆け込み、ストッカーから米を四合ほどタッパーに入れて金魚売りのお兄さんのもとに戻った。
「これぐらいでいいですか?」
「おう、こりゃあ五十文じゃ多すぎやしねえかい?
 じゃあ、こっちもその鉢をつけてやろうじゃねえか」
「それじゃあ悪いわ。
 金魚より高いじゃないですか?」
「いいってことよ。
 おう、娘子、おっかさんの言うこと聞いて、金魚を大事にするんだぞ」
 金魚売りのお兄さんはそう言って優衣の頭を撫で、桶に蓋をして、天秤棒を担ぎ上げた。
 
 えー、金魚~、ええ、金魚~。

 そう声を上げながら、ゆるい坂道を登ってゆく金魚売りのお兄さんの後ろ姿は、アスファルトから昇り立つ熱のゆらぎにゆらめいて、だんだん小さくなってゆく。
 有紀が金魚を抱えたままずっと金魚売りのお兄さんの後ろ姿を見送っているので、優衣が飽きて肘を引っ張った。
「ちょっと待ってよ」
 一瞬、優衣に振り向いて言い聞かせて、視線を戻すと金魚売りの姿は跡形もなく消えていた。

 今の金魚売りは夏の昼下がりの幻だったのか?
 いや、金魚と金魚を入れたきれいな絵柄の鉢は有紀の手の中にちゃんとある。
 やはりあの金魚売りは江戸時代からタイムスリップして現れたのか?

  ▼ 

 鑑定家の中乃島清助は、有紀の持ち込んだ鉢をルーペで眺め、裏返し、軽くはじいて音を聞いて真剣な表情だ。

 司会者が間を埋めるように問いかける。
「お米四合でこれが高価だったら、嬉しいですね。
 だけど、こういうパターンはだいたい偽物なんですよね」
「え、ええ」
 司会者の突っ込みにたじたじとなりながら有紀はボードに希望価格を書き入れた。

 有紀が8万円と書いて掲げたボードが、アシスタントの手で中乃島清助に渡され、鑑定値段が書き入れられて、有紀に見えないように裏返して渡される。
「ここでまっすぐ上げて下さいね、時々、途中でひねって逆さにされる方がいますので、まっすぐ上にお願いします。さあ、いきますよ」
 司会者の「さて、鑑定結果はいくらだったでしょう。せーの、ジャカジャン」という掛け声がかかる。
 有紀がボードを頭上に掲げると、会場から「オオーッ」とどよめきが上がった。

「100万円~ッ!」
 司会者の声も興奮気味だ。
 いや誰よりも有紀が興奮している。お米四合が100万円に化けたのである。
 中乃島清助の解説も熱を帯びている。
「これは江戸初期、1650年頃の初代柿右衛門の有田焼の鉢に間違いございません。
 磁器といえば中国の景徳鎮が世界的に有名なんですが、17世紀に入ると政治的混乱によりヨーロッパに輸出できなくなってしまったんです。
 そこで1659年、有田の美しい色絵磁器を中国磁器の代替に輸出したんです、それが大変な好評を博して有田焼は世界的に有名になるんですね。
 この鉢は小ぶりですが、その当時の色をしっかり残してますねえ。
 いやあ、素晴らしいものを見せてもらいました」
 司会者が有紀にマイクを向けた。
「すごいことになりましたね、今のご気分は?」
 有紀は答えた。
「また金魚売りのお兄さんに会って、もうひとつ鉢をもらいたいです」
 さすが主婦である。あの金魚売りがタイムスリップしてきたかなんて、もうどうでもよかった。   了
 



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鯨さん(鯨井祥瑚さん)主催のお題小説企画に参加しました。
冒頭は《それは道の向こうからやって来た。》で始まり、結語は《今日も世はこともなし。》で終り。キーワードは「やさしい」「厳しい」「タモさん」。30枚以内



 一休とんち話


 それは道の向こうからやって来た。

「好きっ、好きっ、好きっ、好きっ、好きっ好き~♪」

 蜜柑色の着物を着た、齢十に満たないほどの少女さよが歌を歌い、器用に右足でふたつ跳ね、左足でひとつ蹴りながら、橋にさしかかった。
 その橋の手前には桔梗屋の旦那の利兵と娘の弥生が腕組みをして立っていた。

 弥生は橋を渡ろうとするさよに声をかけてくる。
「ああ、だめよ、この橋は渡れないの」
 弥生さんのちょっときれいだけど、うんと意地悪な顔から意地悪な声が責め立てるように降ってきた。
「どうしてえ?」
 さよが聞き返すと、弥生さんが言う。
「ほら、張り紙があるでしょ」

 見ると橋の渡り口に立て札があり、「この橋渡るべからず」と書いてある。

 すると桔梗屋利兵が得意そうに言った。
「今日は、この橋を渡ってうちの店に、将軍さまがお見えになるんだよ。
 だから、汚らしい子供や大人は来ちゃだめだ、シッシッ」
「ひど~い、桔梗屋さんて本当に意地悪ね。
 覚えときなさいよ!
 一休さんに言いつけて懲らしめてやるんだから」
「ふん、さあ行った、行った、シッシッ」
 さよは一休の寺に一目散に駆け出した。

「一休さあ~ん」
 寺の裏庭で薪割りをしていた一休は、手を止めて、駆け寄るさよを振り向いた。
「さよちゃん、そんなに慌てて、どうしたの?」
「ちょっと聞いてよ」
 さよは自分の頬を引っ張ったり、両脇からつぶしたりしながら、桔梗屋さんたちが橋を通さない意地悪をしていることを訴えた。
 一休はさよちゃんの顔がおかしくてたまらなかったが、修行の甲斐あって、それを表情に出さずに聞き終えた。
「ひどいでしょ?懲らしめてよ」
「うーん、どうしたもんかなあ」
 一休はあぐらをかいて座り込み、こめかみの上を撫で、その手をあぐらの上で組むと考え始めた。
 本堂からは木魚のポクポクポクという音が響いてくる。
 おりんがチーンと鳴るのと、一休さんが目を開くのが同時だった。
「さよちゃん、その橋に行こうか」
「名案が沸いたのね」
「まあね、やさしいとんちだよ」
 一休さんは本堂に行って和尚様に断ると、さよと一緒に京の町に出かけた。

 例の橋のたもとに来ると、相変わらず桔梗屋利兵と弥生が渡ろうとする人々を止めている。
 一休がやって来たのに気付いた桔梗屋利兵は睨みつけた。
「だめだめ、この橋は渡れないよ。
 立て看板に書いてあるだろう。」
 すると一休はさよに向かって言った。
「さよちゃん、そこの大きめの石をふたつ拾ってくれる?」
「石を拾うのね、これと、これ、はい」
 石を受け取った一休は懐から糸を取り出すと、その端を石にくくりつけて橋を渡った向こうに放り投げた。
 そして、片方の石を足元に置くと、その糸の上を歩き始めた。
「あっ、だめだめ、この橋、渡るべからずが読めないのか?」
 桔梗屋利兵が怒ると、一休はにこりと微笑んだ。
「え、橋なんか渡ってませんよ。
 私は糸を渡ってるんです。
 さあ、さよちゃんも、みなさんも糸の上を渡ってください」
 桔梗屋利兵と弥生が歯ぎしりして悔しがった。
「ヒィー、そんなの屁理屈だあ」
 すると一休がやり返す。
「元々、みんなの橋に桔梗屋さんが意地悪するのがいけないんですよ」
 一休がさらに糸を何本も渡すと、足止めされてた人々は喜んで渡り始めた。
「あーあ、これじゃあ、また掃除しなきゃならんわい」
 桔梗屋さんはがっかりして橋のたもとに膝まづいた。

  ○ 

「ほー、ほっほっほっ」

 将軍足利義満の笑い声が桔梗屋さんの座敷に響いた。
「将軍様、笑いごとじゃないですよ。
 私と一緒に、一休さんをギャフンと言わせようって約束したのをお忘れですか?
 将軍様がそのように私の失態を喜んでは、私は身も蓋もないじゃないですか?」
「それはないのう、身も蓋も、さんざんな目に遭うた桔梗屋を、わしが喜んではいかんのう」
 そう言いつつ、将軍義満の笑いは止まらない。
「ほー、ほっほっほっ」
 桔梗屋利兵はしばらく将軍義満の笑い声を耐えてから切り出した。
「それでですね、将軍様、一休さんをやりこめるよい手を思いついたのです」
「ほお、一休をやりこめるとな?」
 将軍義満の顔が真剣になった。
「お耳を拝借」
 桔梗屋利兵は将軍義満ににじり寄り、ひそひそと策を披露した。 
「うーむ、それはよい手かもしれんのう」
「えへへ、是非、お買い上げのほどをお願いいたします。」

  ○ 

 数日後、一頭の馬が安国寺の境内に飛び込んできた。
 馬から飛び降りた新右衛門が大声を上げて一休を呼ぶ。
「一休さーん、一大事でござるーっ」
「どうしたんです?」
「将軍様がお召しでござる、来ていただけますか?」
「どうせ、またつまらない自慢話をしたいだけでしょ」
「まあ、つまらないだけかもしれませんが、
 とにかくおいで下さい」
 新右衛門が拝むように手を合わすと一休は頷いた。
「もちろん行きますよ、
 断ったら新右衛門さんが困りますからね」
「おお、ありがたい、恩に着るでござる」
 一休は新右衛門と将軍義満の屋敷に向かった。

  ○ 

「これなのじゃ、夜な夜な、この屏風の虎が、屏風から抜け出して走り回り、屋敷の中が荒らされ、庭の草花までなぎ倒されて、ほとほと困り果てておるのじゃ。
 一休ほどの知恵者ならば、虎を捕まえる名案があろう?」

 そう言って将軍はあごひげをつまんで一休を眺めた。

「もし、おぬしに名案がないなら『一休は将軍様のお役に立てません、参りました』と一筆記してくれればそれでよい。
 他の知恵者をあたるわ」
 将軍義満はにんまりとして一休を眺めおろした。
 丁度、その時、隣の部屋では桔梗屋利兵が一休が詫び状を入れることを想像して溢れ出そうな笑い声をこらえていた。

「どうじゃ、一休」

 将軍は勝ち誇るようにあごひげを撫でた。
 横に控える新右衛門も、この難問はさすがの一休さんでも解けまいと思った。
 一休は、こめかみの上を撫で、その手をあぐらの上で組むと考え始める。
 どこか近所の寺からか木魚のポクポクポクという音が響いてくる。
 おりんがチーンと鳴るのと、一休さんが目を開くのが同時だった。

「やってみましょう」
 一休の声は明るかった。
「なんと、この虎を捕まえると申すか?」
 将軍義満は声が震えるのを隠せなかった。
 いかに一休といえども、絵の中の虎を捕まえるなど、できるはずがない。
 その筈で出した難問である。

 しかし、一休の答えは、
「はい、きっと捕まえて差し上げます」

 これには隣の部屋の桔梗屋利兵も一体何が起きるかと襖を少しだけ開けて様子を窺った。
「新右衛門さん、筆と墨をお願いします」
 言われて、新右衛門は笑顔を隠しながら筆と墨を用意した。

 将軍義満は呪文でも書くのかと見守った。
 すると、一休は墨をつけた筆であっという間に、屏風の虎の口が開かぬように口輪を描き、首と四つの脚に鉄の枷を描き、足枷に鎖をつけて重りまで描いた。
「はい、出来ました」
 一休は微笑んで将軍義満を見た。
「何をふざけたこと、これはただの絵ではないか?」
「お言葉ですが、将軍様、絵の中のものが絵の外へ出るから私を呼んだのではないのですか?」
「う、うぬう」
 一休は目を輝かせて続ける。
「私は和尚様に叱られて本堂の太い柱にくくりつけられたことがありました。
 あまりの寒さに涙まで流したのですが、その時、ふと蟹を描くことを思いついたのです。
 そうやって涙で蟹を描くうちに、うとうとして眠ってしまい、目が覚めたら、描いた筈の蟹はいつの間にか姿を消して、私をくくっていた縄は切られていたのです。
 もっとも、おかげで、私は和尚様に『反省せずにずるで縄抜けするとはけしからん』とますます怒られてしまいましたけどね」
 将軍義満は顔を蒼白にして怒鳴った。
「嘘じゃ」
 一休は涼しい顔だ。
「嘘かどうかは、今夜、虎が屏風を抜け出れば、明らかになりますよ。
 あらかじめ力自慢のつわものたちを屏風のそばに控えさせておいて下さい。
 やがて虎が屏風から抜け出たら、虎の口と首と手足についている鉄の枷の長い鎖を、つわものたちに掴まえさせて下さい。
 首と脚を何人ものつわものに引っ張られては、獰猛な虎といえども身動きならず、たちまち捕まえられますよ」
 将軍義満は今度は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「おのれー、虎が屏風から抜け出る筈がないであろう」
 一休は目をつぶって言った。
「将軍様、今の台詞は将軍様の名誉のために聞かなかったことにしときます」
「うぬぬ、いや、これはみんな桔梗屋が悪いんじゃ、誰かある、桔梗屋を引っ立てい」
 家来の手で、次の間から桔梗屋が突き出された。
「あ、あんまりです、将軍様」
「何を言う、お前の浅はかな入れ知恵がいかんのじゃ」
「そんなあ」
「余を惑わした罰にしばらく牢屋に入っておれ」
「ひー、ひどすぎますよ。牢屋に入れられても屏風の代金の方はちゃんと払っていただきますよ!」
「何を言う。それは一休をギャフンと言わせた時のことだ。
 わしがギャフンと言わされて誰が払うものか」
「厳しい、厳しすぎますよ、将軍様~っ」
「うるさい、新右衛門、桔梗屋を引っ立てい」
「ああ、高い屏風を悪戯書きで台無しにされて、びた一文貰えないなんて」
 新右衛門は嘆く桔梗屋の肩を押しながら、一休さんに目配せした。

  ○ 

 お堂で横になっていた一休がむっくりと上半身を起こした。
「はあ~い。面白かった?じゃあ~ね~」
 誰に挨拶してるとかは考えないでほしい。それはお約束なのだから。
「おい、和尚さまが来たぞ」
 秀念のひとことでごろごろしていた一休はじめ坊主たちはさっと文机の経典に向かった。

 今日も世はこともなし。          了





禅問答のかけあいの「そもさん」をタモさんにしようと思ったけど、聞き間違いはどこかで使ったから、今回は別の手を採用(笑)

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gingak
  • Author: gingak
  • 銀河 径一郎
    (ケイイチロー・ギンガ)
    好きな言葉は『信じる』。
    『地球人も宇宙人』。
    写真はッシェル・ポルナ
    レフの真似です

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