銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。

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 5

 高3の夏休みはだらだらと過ぎていた。
 その夜、コンビニからの帰り、達也はなにげなく橋から小さな川を見下ろした。
 その橋の幅は4メートルほどなのだが、石垣の底を流れる川は両側をコンクリートで固められて実質の川幅は1メートルにも満たない。
 暗い闇の中、細い川の流れに沿って、すうっとぼんやりした光が移動してゆく。
 達也はハッとして目を見開いた。
 ホタルだ。
 達也は川岸のコンクリートに降りようと決め、欄干をまたいで石垣の上に立つ。
 高さは2メートル程度しかない、途中の出っ張った大きめの石に足をかけて、飛び降り、ホタルを追いかける。
 ホタルの方は、まさか自分をつかまえようとする者がいるなんて、誰にも教わってないから、のんびりふわふわと七十センチほどの高さを飛んでいる。
 達也はほのかに点滅する光に追いつくと、両手で覆うようにしてホタルを捕まえた。
 しっかり空間をこさえた両手のひらの内部を隙間からそっと覗くと、ホタルは相変わらず光を放っていた。
 達也はしばらくコンクリートを歩いて、石垣の中に階段を見つけて道に上がった。
 
 マンションに入る時は、運良く隣の部屋の父親が帰ってきたので会釈して、手のホタルかごを保持したまま中に入れた。
 あとはドアをノックして、母に入れてもらった。
「一体、どうしたの?」
 パックをして間抜けなマスクレスラーみたいな母が聞くと、達也は少し自慢げに答える。
「ホタルをつかまえたから手が使えないの」
「ホタル?珍しいわね、こんな都会にもいるんだ」
「いいから、グッピーを飼う時に使っていた水槽を出してくんない」
「どこだっけ?」
「バルコニーの大きいケースの中、そうだ、そこに、網戸の修理した時の網の残りがあったでしょ、そいつも」
「はいはい」
 
 水槽に網のふたをして、湿らしたレタスを入れてホタルの部屋は完成した。
 ネットで調べたら、笹の葉がよかったのだが急には手に入らない。
 リビングの明かりを消すと、空の水槽の中でレタスにとまったホタルが息をするように光をまたたいていた。
「きれいだね。
 母さんたちは、昔、歌ったよ。
 ほ~、ほ~、ホタル来いって」
「知らないよ」
「こっちの水は甘いぞとか、言ってね」
「あ、ネットで調べたら、甘い水でなくていいって」
「あら、そーなの、ロマンがないわね」
 そこへ父が帰ってきた。
「ただいま」
 入ってくるなり、真っ暗なリビングにびっくりする。
「どしたんだ?」
「見て、ホタルよ、達也がそこの川で捕まえてきたの」
「へえ、東京の住宅地にもいるんだな、田舎を思い出すよ」
 父もソフアに座ってホタルの灯りを眺めた

 父にもひとしきりホタルを見せると、「もういいでしょ」と断って、達也は水槽を自分の部屋に運んだ。
 それでも味のある水分の方がいいかと思い、すいかをひとかけら搾った汁をレタスに垂らしてみたが、ホタルは気付かないようだった。
 それから達也はパソコンに向かい、お気に入りに入れてる大学案内のページを開いた。
 ここじゃ両親は反対することはわかっていた。
 両親が自分に望んでいるのは、ごくありふれた経済学部あたりに進み、ありふれた会社員になることなのだ。
 本当は達也は外洋航路の船乗りになりたかった。
 それは、じいちゃんの話してくれた雪風の寺内艦長の影響があったかもしれない。もちろん今は戦争など当面考えなくてよいし、青い海原を自在に駆ける船を想像すると爽快な気分になるのだ。
 そしていつか船長になれたら、挨拶で言うのだ。
「どんな嵐でもこの船は絶対に沈まない。なぜなら俺が船長だからだ」
 そこまで想像すると、達也は照れてしまう。
 本当は中学を卒業した後に商船高等専門学校に進みたかった。
 ただ、その時、普通の高校の範囲で選択肢を示す両親と教師に逆らうほどの強い意志はなかった。
 しかし、高校に通い出しても、船乗りの夢は次第に強くなる一方だった。
 達也は溜め息を吐いて海洋大学のページを閉じると、再び、水槽のホタルに向かった。

 ホタルは相変わらず点滅していた。

 達也は眺めながらホタルが点滅する仕組みを思い出していた。
 えーと、ルシフェリンという物質が、ルシフェラーゼという酵素の力で化学反応を起こすこ時に発光するんだっけ。
 そして、ふっと気がついた。

 このホタルの点滅、まるでモールス信号みたいだぞ。

 読み取り始めた達也は、夏だと言うのに背筋に寒気を感じた。
 その点滅は、ツー・トン、トン・ツー・ツー・トン、トン・ツー・ツー。
 つまり、じいちゃんの海軍式記憶法でいうと、タール、都合どうか、野球場、という信号を何度も繰り返していたからだ。

 つまり、

 タ、ツ、ヤ。

 タ、ツ、ヤ。

 タ、ツ、ヤ。

 そんなことがありえるだろうか?
 自然の生物の放つ点滅が偶然、自分の名前のモールス信号になっているなんて。
 しかも、一回きりでなく、何度も何度も繰り返すなんてことが。

 そう思っていると、今度はホタルのモールス信号は別の言葉になった。

 ツー・ツー・ツー・トン・ツー、ツー・トン・ツー・トン・トン、トン・ツー・トン
「ス、キ、ナ」

 トン・トン・ツー・トン・ツー、トン・トン・ツー・トン、トン・ツー・ツー・ツー
「ミ、チ、ヲ」

 トン・ツー、ツー・トン・ツー・ツー
「イ、ケ」

 いよいよ背筋がぞくぞくした。
 思わず喉の奥から驚きが吐き出されて、それは耳に「じいちゃん」と響いた。

「じいちゃんだろ?」
 じいちゃんがホタルの光の点滅でモールス信号を送ってくれているのだ。
 じいちゃんが進路を迷っている自分に『好きな道を行け』と応援してくれているのだ。
 そうとしか考えられない。
「ありがとう、じいちゃん」
 達也は声に出して礼を言った。
「最近行かなくてごめん。
 俺、早速、明日、会いに行くから」
 ホタルはまた、タ、ツ、ヤ、と繰り返し出した。
 不意に涙が、なぜかとめどなく溢れてきた。

 そこで一呼吸すると、突然、背後のドアが乱暴に開けられた。
 達也は慌てて涙を拭った。
「達也」
 父の声に振り向くと、父は焦点の覚束ない目をして言った。
「急いで支度しろ、じいちゃんが倒れて意識不明の危篤だ、すぐ出かけるぞ」
「……わかった」
 達也の声は、驚くほど冷静に響いた。
 そういうことだったのか。
 達也は妙に納得して、水槽の網のふたを取り、窓からホタルを放した。
 ホタルは点滅を繰り返して、都会の街へふわりと飛んで、やがて見えなくなった。


 田舎の救急病院に向かう高速道路。
 達也はおもむろに口を開いた、父母に自分の進路について打ち明けるために。

 その目はずっとホタルの灯りの点滅を見ているようだった。      了
 




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 3

 川から上がった達也はじいちゃんと並んで岩の上に腰掛けた。

「じいちゃん、また雪風の話を聞かせて」
 雪風というのは太平洋戦争でじいちゃんが乗っていた軍艦だ。
 じいちゃんは目を細めて喋り出した。
「雪風は、駆逐艦だから全長108メーター、2000トンちょいと戦艦より小柄だが、幸運の塊のような艦じゃった。
 最初は昭和16年末フィリピンのレガスピー。続いてニューギニア、ミッドウェー、ソロモン、ガダルカナル、マリアナ、レイテ、戦艦大和と沖縄特攻「菊水一号作戦」まで参戦して、そのたびに無事で帰って来た。
 これがどんなに奇跡的なことか、戦争を知らないもんにはわかるまい。
 帝国海軍の特型・甲型駆逐艦は80隻もあった。
 が、次々と敵に撃沈され、終戦まで無事に浮いて走っていたのはわが雪風だけじゃった。
 鬼畜米英すら奇跡の軍艦として、わが雪風を褒めたんじゃぞ」
 じいちゃんは誇らしげに達也を見つめ、達也は去年も聞いた話にうなづいた。
「うん、すごいね」
「前に寺内艦長の話はしたかな?」
 達也は首を左右に振ってわくわくしながら微笑んだ。
「うむ、歴代の艦長の中でも寺内艦長というのが、そりゃあ豪傑じゃったのう。
 梯子を上がるのがやっとという巨漢だった」
「キョカンて?」
「太ってたんじゃ。
 だから梯子を昇るのがやっと。
 その寺内艦長の、着任、初めて雪風に来た時の訓示、挨拶が変わっていた。
『この艦は絶対に沈まぬ。なぜなら、自分が艦長だからだ』と、きた。
 みんなえらい自信にびっくりしたわ。
 それがまた寺内艦長は言葉だけの大風呂敷ではないんじゃ。
 艦長や参謀や偉い人間は、艦橋という高いところにいるんじゃが、敵からしたら狙いどころでもある。
 戦闘が始まると敵艦の砲撃はもちろん、戦闘機や爆撃機も土産のように艦橋に機関銃を撃ち込んでくる。
 しかし寺内艦長は一段高い椅子に上がり、一番敵に狙われやすい艦橋の天蓋の上に頭を突き出して、戦況を監視するんじゃ。
 部下たちが危険だからやめて下さいと言っても寺内艦長は「わしには当たらん」と言って聞かない。
 そして敵機が爆弾を投下するや三角定規で角度を測り、ちょうど足元にいる士官の右肩、左肩を蹴って操舵の指示を出して、爆弾をよけたというのだから豪胆そのものじゃ。
 乗員みんなの士気がさらに上がったのは言うまでもない」
「すごいひとだねえ」
 達也は敵の弾を怖れもせず、船を操った艦長に純粋に感動した。
「うん、あんなすごい艦長はちょっといないぞ」
「おじいちゃんは何の係?」
「駆逐艦は敵の潜水艦や航空機、敵の駆逐艦を見つけて、艦隊の主力を守るのが本来の仕事じゃ。
 大きな船を動かすにはたくさんの人が仕事を分担しないといけない。
 エンジンを動かす機関、舵を取る操舵、コースを決める航海、そしてたくさんの甲板員、見張り、そして通信などがみんなちゃんと動かないといけない。
 さらに軍艦なのだから、敵を見つける索敵、大砲、機関銃を撃つ砲術、魚雷、爆雷を撃つ水雷術、敵の攻撃をよける回避などの技術が揃わないと、戦場から生きて帰るのは難しいんじゃ」
「そうか、何人が雪風に乗ってたの?」
「二百人ちょっとかな。だが日本に帰る時は何百人も増えてたこともあった」
「どうして増えるの?」
 達也の質問にじいちゃんは寂しそうに目をつぶった。
「船が沈没してしまった仲間を引き上げて乗せたり、負けそうで引き上げる陸上部隊を乗せたからじゃ」
「それで、おじいちゃんは大砲の係?」
「いや、わしはこれだ」
 じいちゃんは膝の上で水平にした手首を小さく上下に振った。
 達也はわからないままに、印象を口に出してみる。
「ヨーヨー?」
 じいちゃんは「あははは」と噴き出した。
「達也、これはなモールス信号を打つ時の手だよ」
「へえー、モールス信号?」
「うん、モールス信号はアメリカ人のモールスが発明した電波で話をする方法だ。
 昔は今の電話みたいに声でやりとりできなかったし、声が送れるようになってもはっきり聞き取れないこともあるから、モールス信号は貴重だった。
 トンという短い信号と、ツーという長い信号を組み合わせて、アイウエオと数字とローマ字を表すんじゃ。
 達也、手を出してごらん」
 頷いて達也が手を出すと、その手をじいちゃんの指先が叩いた。
「タは、ツー・トン
 ツは、トン・ツー・ツー・トン
 ヤは、トン・ツー・ツー」
「ふうん、でも似てて、覚えられないね」
「簡単な覚え方があるんじゃ、音が短いか長いかだけ注意して聞いてごん。
 タだったら『タール』 ター、ル、つまり。ツー・トン
 ツだったら『都合どうか』 都、合、どう、か、つまり、トン・ツー・ツー・トン
 ヤは『野球場』 野、球、場、つまり、トン・ツー・ツー」
「へえー、面白いね」
「面白いか」
 達也はそれから毎日じいちゃんをつかまえては海軍式モールス信号記憶法を教えてもらったり、川に行ったり、虫を取ったりの夏休みを過ごした。

 4

 晩ご飯を終えると、またじいちゃんが誘った。
「今日も虫取りに行くか?」
 達也は首を横に振った。虫を取るのはいいが、農協直営スーパーで買った虫かごは、すぐにカブト虫とクワガタでいっぱいになってしまい、大きいのや元気のいいのを残して入れ替えている状態だ。それも少し飽きてきた。
 それを見てじいちゃんが卓を拳骨の中指で叩き出すので、達也は耳を澄ます。
 ツー、ツー・ツー・トン・ツー・トン、トン・ツー・トン・トン、ツー・ツー・ツー・ツー
「ムシカコ」 
 達也が言うと、じいちゃんが「よし」と言って続ける。
 トン・ツー・ツー・トン、トン・トン・トン・ツー、ツー・トン・ツー・ツー・トン
「ツクル。
 虫かご作るんだね?」
 じいちゃんは嬉しそうに立ち上がった。
「達也は、すっかりモールス信号を覚えたのう。
 じゃあ虫かごの材料を探してこよう」
 じいちゃんと達也はいったん家の外に出た。そして、家のそばに直角に並ぶ昔、馬小屋だったという、窓にガラスもない納屋に入った。
 すると、闇の中にホタルが光りながらふわあと飛んでいた。
「わっ」
 ホタルは田んぼの上にいくつも飛んでいるので達也も特に珍しく思わなくなっていたが、納屋の闇で見るとホタルが案内してくれているような気がした。
 じいちゃんがホタルのいる方に懐中電灯を向けると、そこに虫かごの材料になりそうな板や竹ひごがあった。
 材料を選ぶと、じいちゃんと達也は家に戻り、虫かご作りにとりかかった。

 新聞を読む時の眼鏡をかけたじいちゃんは、まず糸鋸で底板と天板を同じサイズに切り出し、さらに扉にする部分の短い角棒を切り出す。
 次に金属の定規をあてて天板、底板に竹ひごの柱が並ぶ位置を十字でマークしてゆく。
 そして十字に錐を突き立てて穴を開けてゆくが、突き抜ける寸前で止める。
 切り揃えた竹ひごの先端に木工用接着剤を塗り、底板の穴にはめてゆくと竹ひごの柱が次々と並び立った。
 それをひっくり返して今度は天板にはめこむと、パルテノン神殿の木製のミニチュアのような虫かごの形が現れて、達也はその整然とした美しさにうっとりする。
 最後に、扉の部分をはめこんで虫かごは完成した。

 すると、じいちゃんが卓を拳で叩いてモールス信号を打った。
 ツー・トン・ツー、ツー・ツー・ツー、ツー、ツー・ツー・トン・ツー・トン、トン・ツー・トン・トン、ツー・ツー・ツー・ツー。
「ワレ、ムシカコ」
 トン・ツー・トン・トン、トン・ツー・トン・ツー・トン、トン・ツー・ツー・ツー・トン、トン・ツー、ツー・ツー・ツー・トン・ツー。
「カンセイス」
 やったね、おじいちゃん
 達也も卓を拳で打って、モールス信号を送った。

 父と母が車で迎えに来ると、達也は既製品の虫かごと、じいちゃん製の虫かごを持って田舎を後にした。

(ホタル 後編 に続く)



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  1

 達也は夏期講習をさぼって部屋でゲームをしていた。
「あー、暑っ」
 コントローラーを放り出した卓也は、キッチンに向かい、冷蔵庫から麦茶を取り出して飲んだ。
 口からひと筋の麦茶が溢れてシャツを濡らすのも心地よい。
 その時、キッチンに入ってきた母に見つかって勢いが止まった。
 達也は頭の中で素早く想定問答を始める。
(あら、夏期講習はどうしたの?)
(今日は休みっ)
(そう。がんばってよ、もう少し偏差値上げないとね)
(るせーよ)

 冷蔵庫に麦茶のポットを返して、達也が心の準備をして振り向くと、母の口からは想定外の言葉が飛び出した。
「そろそろおじいちゃんの家に行ったらどうなの?」
「えっ?」
「毎年、あんた、夏は行くじゃない。おじいちゃんも待ってるわ」
「今年は受験だろ」
 いやはや、自分、何を言ってんだか。
「おじいちゃんはあんたが来るの、楽しみに待ってるんだからね」
「まあ、スケジュール調整してみる」
 スケジュールなんてだいそれたものはない。

 確かに、もっと小さい頃は田舎のじいちゃんの家で夏休みを過ごす日々は、楽しい冒険に満ちていた。だが、この歳になると、何も遊ぶところのない田舎に帰るのは面倒臭いだけになっていたのだ。

 部屋に戻った達也はしばらくゲームを続けていたが、ふと本棚に顔を向け、並ぶプラモデルに挟まれて、中に砂時計が入っている虫かごに目を止めた。
 それはじいちゃんが板と竹ひごを組み合わせて作ってくれたものだ。
 じいちゃんが作ってくれる様子をすぐそばで見つめながら、達也は感激していたことを思い出す。
 それは店でいい加減に吊るされている塩化ビニール製の虫かごでとは全く違っていた。

 2

「えらいねえ、達也は好き嫌いがないねえ」
 ばあちゃんがそう言って晩ごはんの後片付けを始める。
 達也は一人で田舎のじいちゃんの家に泊まりに来ているのだ。
 じいちゃんが自分の膝をポンと叩いた。
「達也、さあ、虫取りに行くぞ」
 誘われた達也は、母がいつも言う「暗くなったら外に出てはだめよ」という台詞を思い出して口にしてみる。
「もう暗いよ」
 達也はじいちゃの目が輝いたように感じた。
「なあに、場所はわかってる。目をつぶっても行けるぞ」
 いや、輝いていたのはたぶん自分の目の方で、思わず声がうわずって、
「ホント?」
 捕虫網と虫かごを持って外へ飛び出した。

 夏の闇の中は、少し冷えて落ち着いた草いきれの匂いが鼻に忍び込み、ふっと顔を上げると、天の川が空に大きな帯を描いている。
 田んぼの上を時折、ゆらと渡る小さな灯りはホタルだ。
 じいちゃんは達也の足の先を照らしながらずんずん歩いてゆく。

 坂道をしばらく歩いて、草が生える脇道に折れると、大きな木が何本か並んでいる。
「これだ、達也、このクヌギを電灯で照らしてみ」
 達也がじいちゃんから受け取った電灯を、木の幹に向けてみた。
 すると、そこには角のついたカブト虫が貼り付いていた。
 よく見ると樹皮の裂けたところから流れる汁を吸っているのだ。
 達也は大きな声だとカブト虫が逃げるかと思わず小声になって、
「なんでこんな時間にいるの?」
 そう聞いたが、じいちゃんは大きい声のまま、
「なんでじゃろのう、晩ごはんだろうかの」
 しかし、じいちゃんの声など気にせずカブト虫は夢中で汁を吸っている。
「達也、もっと上にもおるぞ」
 さらに電灯をずらすとクワガタもいた。さらに探すと角のないカブト虫も何匹かいる。
「すげー、いっぱいいるよ」
 達也が驚きの声を上げると、闇の向こうでじいちゃんが笑うのがわかった。
「よかったのう、達也」
 達也はカブト虫やクワガタをつかまえては、虫かごに迎え入れた。

 じいちゃんの朝は早い。
 5時頃には起きて田んぼに出かけるが、達也は物音にうっすら目を開いてじいちゃんの後ろ姿を見て、すぐにまた眠りに落ちてしまう。
 
 ばあちゃんに起こされて、朝食の卓に着くと、そこには田んぼの水を見終えて、朝食に使う野菜を取り終えたじいちゃんがいる。
「達也、今日は昼から川に行くぞ」
「うん」

 じいちゃんの言う「川」は三十分近く歩いたところにある。
 実際はもっと早くに川岸に出るのだが川底が浅くて、泳ぐ深さのある部分までは距離があるということだ。
 そこには見知らぬ小学生たちが水遊びしている。
 じいちゃんに挨拶しないところから、じいちゃんも知らない子供なのだろう。
「達也、着いたぞ」
「うん」
 じいちゃんはランニングシャツと作業ズボンを素早く脱ぐと、大きな岩の上に畳んで、ふんどし姿になって達也を見守った。
 上半身は日焼けして赤銅色で、ふんどしが風にそよぐ。
 達也はじいちゃんのふんどし姿が見てるだけで恥ずかしいと思いながら、自分は半ズボンを脱いで、下に穿いてきた水着になる。

「よおし、水練開始!」
 じいちゃんが号令をかけて、達也が川面に飛び込む。それを追ってじいちゃんも飛び込む。
 じいちゃんは昔、海軍で軍艦に乗ってたから泳ぎは得意だ。
 達也が足をつけるところにすぐ移動して立つと、立ち泳ぎしながら、じいちゃんがハッパをかける。
「どうした、海だったら足はつかんぞ」
「うん」
「うんじゃない、はい、だ」
「はい!」
「よし、向こう岸まで行って戻って来い」
「はい!」
 距離にしたらニ十メートルぐらいだ。学校のプールではニ十五メートル往復をなんとか泳げたのだから簡単そうだが、川では流れに流されるし、息継ぎの時、水が差し込んできたりするから実際は片道ニ十五メートル以上に感じる。
 達也は水を蹴ってかいて、クロールで向こう岸に到達した。向こう岸は絶壁で、岩に手で触れて、すぐさま体を翻して、引き返す。
 次第に腕が疲れて、息継ぎが短くなり、十分な息を吸えなくなってきた。
 へばりそうだが、今、足は底につかないところだ。
 がんばらなきゃ。
 達也が懸命に水をかくと、すぐ後ろでじいちゃんの声がした。
「達也、がんばれ、もう少し、もう少し」
 その声の嬉しいこと。
 すぐそばにじいちゃんがいる安心感。
 達也はもう一度気力をふりしぼって、水をかいて、元の岸辺に戻った。
 じいちゃんに手助けされずに、泳ぎきったことで達也は満面の笑みを浮かべた。
「えらいぞ、達也、ようやったな」
 じいちゃんも嬉しそうに笑った。


(ホタル 中編 に続く)



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 ここには神がいると感じたのだ。自分のそばに神がいると感じた……。

 昔、アポロ計画に参加した宇宙飛行士の感想にそんな言葉があった筈だ。

 こうしてステーションから地球を眺めていると、神と共にいるような気分になる。
 地球の上に国境なんて見えない、たったひとつの人類のよりどころなのだ。
 ここにいると神が地球人に望むことが言葉を超えた意味としてわかってくる。
 誰もが、ここまで来て地球を眺めおろす時代が来たら、地球上から戦争なんてなくなるに違いない。


 宇宙の闇に浮かぶ星は、砂漠の茶と密林の緑と海の青と雲の白の見事な彩色の神聖なオブジェだ。
「メアリー、地球は美しいね。
 『美しい』って言葉は、この景色から生まれたんだ、そう思わないかい?」
 リュウが言うと、メアリーは微笑んだ。
「たぶんそうね」
 しかし、メアリーは続けた。
「だけど、なんだか悲しくなるわ」
 リュウは少し戸惑った。
「僕は悲しくはならないな、逆に雄雄しく神々しい印象だよ」
 メアリーは尋ねた。
「リュウは惑星ソラリスって映画は観た?」
「ああ、ソラリスの海が生きていて、人間の無意識の幻影が現れるという話だね」
「そう。ソラリスとは違うけど、こうして見ているとね、
 その人間の無意識の一番醜いことが、雲に覆われて宇宙から見えないところで行われているような気がするの」
「そうかな、でも一番美しいことが行われているかもしれないじゃないか?」
 リュウが言うと、メアリーはふっと笑った。
「だからあなたが好きなのよ、だけどキスはお預けよ」
「規則を変更できないかな?」
「あなたが大統領だったら、よかったのに」
 リュウらは笑みを交わし、指相撲のように拳を合わせた。
 メアリーとはNASUの訓練センターの時から親しくしていた。
 恋人みたいなガールフレンドというか、ガールフレンドみたいな恋人というか、どちらに近いか考えると数学みたいで、リュウは頭が痛く、眠くなる。


 その夜、と言っても、地上の自転よりはるかに速いスピードで昼と夜が繰り返される宇宙ステーションにあって、リュウに設定されている夜という意味だが、リュウは奇妙な夢を見た。
 熱帯らしき暑い地方、太陽が照りつける中、リュウは町の門の上で休んでいる。
 それは高さが3メートルぐらいで、白い箱型の石を積み上げた門だ。
 あちらから女が頭に水甕を乗せて歩いてくる。
 その後を男が距離をおいて歩いている。
 ちょっと見には偶然、同じ方向に向かっているように思えた。
 だが、突然、男は背負っていた小型の弓に矢をつがえると女めがけて放つと、素早く逃げて行った。
 水甕は石畳の上に落ち、女は崩れ倒れた。
 リュウは慌てて門から飛び降り、駆け寄った。
 女の肩を抱いて起こすと、その顔はメアリーだった。
 胸には後ろから矢が貫通したらしく、血がどんどん流れ出ていた。
「助けて、リュウ」
 メアリーはそう言って、体の力を全て失った。

 数瞬、なまなましい鮮血のイメージと鉄錆めいた匂いに頭を振ったリュウは、大きく深呼吸すると、また眠りに落ちていった。
 
 †††

 朝、定刻5分前にカンガルーポケットと呼んでいる寝袋を揺すられ、リュウはデービスに起こされた。
「リュウ、電池パネルの出力が下がってるんだ。外へ出てラインが大丈夫か確かめてくれないか?」
「電池パネルが?」
「ああ、原因がわからなくて」
「オーケー、見てくるよ、もしかしたらものすごい天文学的確率で宇宙ゴミがラインにぶつかって切ったのかもしれない」
「助かる、急いでくれ」

 ご存知の通り、ステーションから船外作業に出るためには二重ハッチの気密室に入る。
 昔はこのハッチに入る前にも純酸素供給と減圧待機があったのだが、今は宇宙服自体の内圧が倍に上げられているので、すぐ外に出れるようになった。
 内側ドアの前に立ったリュウに、ヘルメットを持ってくれるデービスがいつものようにジョークを飛ばす。
「ヘイ、リュウ、コインが浮いていたら、それは俺が田舎で放り投げたやつだから拾ってきてくれよ」
 その時、誰かが船外に出る時はいつも操縦室からサポートする役のメアリーがデービスの後ろまで来ているのに気付いた。
「メアリー、どうかしたのか?」
 リュウが尋ねるが、メアリーは無言で俯いていた。
 デービスがヘルメットをつけてくれる。
「グッドラック!」
 ポンと頭を叩かれて二重ハッチに入り、親指を突き立ててデービスを見ると、彼はメアリーに何か怒鳴っていた。そしてメアリーも怒鳴り返している。険悪な雰囲気だ。
「どうしたんだ?」
 コミュニケーションキャリアを通して聞いてもデービスの返事はない。
 デービスはリュウの視線に気付くと、作り笑いを浮かべ、敬礼を送り、外へ行けというジェスチャアだ。メアリーも背を向け去って行く。
 ちょっとした喧嘩か?
 リュウは深く考えるのをやめ、開いた外部ドアの手すりに手をかけ、命綱を外側のフックにしっかりとかけて、宇宙に飛び出した。背中には巨大ランドセルのような船外活動補助装置があり、肘掛のように突き出たコントロールレバーを倒すと、ランドセルの後部の噴射口からガスが噴き出てゆっくりと飛んで行った。

 †††

 シャトルの操縦席と比べるとかなり広い司令室に並んだデービスはメアリーに言う。
「俺の命令に逆らう気か?」
「そうじゃないけど、リュウを外に出すことないわ」
「非常事態下で足手まといになるクルーは俺が排除できる。規則で決まってる」
「そうだけど、外にいたら発射の時、危険だわ」
「いいかい、今はもう戦時なんだぞ。
 そして、メアリー、君は表向きは科学者でも、軍の上級潜入クルーだ。
 命令に逆らうなら逮捕して軍法会議だ」
「わかってる、わかってるわよ」
 司令室にいるのはデービスとメアリーの二人だけで、他のクルーはもう一人の軍の潜入クルー、ジョージが作業室に軟禁している。

「さあ、暗号シートを開けてくれ、こっちの暗号と照合するぞ」
 デービスは、先ほど暗号で送信された赤文字の紙を引っ張り出して言う。
「325ページ」  
 メアリーは毎朝更新される暗号シートをボックスから取り出した卓上サイズの本にかぶせて言う。
「有効行は最初は6行目」
「チャーリー、ビクター、アルファ」
「次は10行目」
「オスカー、ブラボー、エクスレイ」
「判別子合致、正当な命令と認めます」
 デービスはうなづいて本文を読み上げた。
「本文 戦略空軍最高司令官は大統領の命令を受け、ステーション装備ミサイルの発射を指示する。
 作戦名はヒンドラの稲妻、目標はテロリストの独裁政権国家」
 デービスは目標地点の緯度経度を読み上げ、メアリーがキーボードで打ち込み、
 メアリーがもう一度読み上げ、間違いのないことをデービスが確認する。
 座標が打ち込まれた。

 二人はそれぞれの目の前の、普段は別の用途に使われているボタンを5センチほど引いて、折り倒すと、それはミサイル発射レバーに早変りする。
 地上と違っているのは、ここから発射するのに重力に逆らう必要がないのでミサイル本体がはるかに小型であること、そして発射の時は反動を避けるため、静かにリリースして距離をおいてから、点火することだ。
 二人で発射レバーをまわすのは冷戦時代のミサイルサイロと変わらない。
 戦時下では前線基地のリモート操作が使えない可能性がかなりあり、現場発射官に発射が委ねられる。しかし、一人に任せきると、万が一、彼が錯乱したり、洗脳されて暴走した場合止められなくなってしまう。それを防ぐため、常に二人の発射官が同時にレバーをまわさないと、ミサイルは発射されない仕組みになっているのだ。

 しかし、メアリーはレバーに手をかけない。
「オールライト、メアリー、レバーに手をかけろ」
「……」
「手をかけろ、命令だぞ」
「いや」
「命令だ、レバーに手をかけろ」
 そう怒鳴るデービスは小型の拳銃を取り出してメアリーに向けていた。
 もちろん規則を無視して軍が持ち込ませた拳銃だ。
 メアリーは両手を上げて首を左右に振る。
「そのレバーをまわした結果を考えてみたの?
 ヒトラーと同じ発想よ、相手を根絶やしになんてできない。
 馬鹿げてるわ」
「もう一度だけ言う、命令だ、レバーをまわせ」
「やだ」
 メアリーが言うと、デービスが怒った。
「自分の任務を実行しろ、さもないと本当に撃つ!」
 
 その時、ドアが開いて宇宙服を脱いだリュウが入ってきて、左手でドアをしっかりとつかんで右手でヘルメットを投げつけた。
 メアリーが会話を聞かせて、いったん閉めたドアを再び開けて呼び戻したのだ。
 ヘルメットは地上よりゆっくりとしたスピードでデービスに向け飛んでゆく。
 反射的にデービスは椅子から飛び跳ねて、引き鉄に手をかけた。
 銃声が響いて、銃弾が飛び出したが、支えのないまま拳銃を撃ってしまった反動がデービスの体を縦にくるくると回しだした。
 銃弾は椅子の反対側に身を沈めたメアリーの頭の脇をぎりぎりでかすめて、壁に当たってピュンと軽い衝突音が響き、反転して床に当たりまた衝突音が響いた。
 次の瞬間、くるくると回転を続けていたデービスが「Ouch! 」と叫んだ。
 それからも彼は、ずっとくるくるとまわり続けた。

 リュウが駆け寄り肩を抱くと、メアリーはデービスを振り返って言った。
「自分で撃った弾で死ぬなんて天文学的確率だわ」   

                                   了





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gingak
  • Author: gingak
  • 銀河 径一郎
    (ケイイチロー・ギンガ)
    好きな言葉は『信じる』。
    『地球人も宇宙人』。
    写真はッシェル・ポルナ
    レフの真似です

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