銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。

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クリーンルームに戻ったこころに、佐藤先生やクリーンルームの看護士さんは深刻な目をして向かった。

佐藤先生が言う。

「こころちゃんは、外来で細菌やウィルスを拾ってしまった可能性があるんだ。

今の免疫の弱い体では、それはとても危険なんだよ」


しかし、こころにはピンと来なかった。

「白血球は再検査で400を越えるんでしょ、それでも危険なの?」


私が聞くと、マスクから眼鏡を見せている佐藤先生が説明する。

「うん、普通の人からしたら低すぎだよ。

もし、感染の疑いが出たら、直ちにグランという薬を入れて、白血球の数を上げることにする。

ただあまり早くグランを入れると、せっかく全滅しかけている悪玉も増えてしまうから、今は入れないでおく。

前に説明した血液検査のCRPという項目を覚えてるかい?」


「ううん」

「炎症反応を見る項目だ。

この数字が上がったら感染の疑いが強いので、グランで強制的に白血球を増やして感染症と闘う態勢にする。

体中の骨髄で急速に血が作られるので、かなり痛みがあるけど、こころちゃんなら頑張れるよな」


私はうなづいて「サー」と拳を握りしめた。


するとクリーンルームの看護士さんがあやまった。

「川津辺こころさん、ごめんなさい。

私がラベルを間違えたせいで、大変なことになってしまって」


私は微笑んでみせた。

「大丈夫ですよ。私はかなり頑丈だから」


この時は、本当にたいしたことないと思っていたのだ。


しかし…。


翌日、咳が出て胸の内側が痛く、寒気で全身が震えて、体温は39度を越えた。

「CRPが5を越えたよ。

こころちゃん、残念ながら感染したみたいだ。

早速、抗生剤とグランを入れるから頑張って」


佐藤先生が点滴に抗生剤と解熱剤とグランと痛み止めを入れた。


「痛みがひどかったら我慢しないで呼んで」


佐藤先生はそう言って部屋から出て行った。


《ヒロキさん、私はちょっと熱が出てます。

でも大丈夫、私は頑丈なんです!

ヒロキさんの調子はどうですか?》


メールすると、まもなく返事が来る。


《熱が出てるのか。

おとなしくして、薬が効くようにイメージしよう。

僕はまあまあ、変わらないよ。

こころちゃん、愛してるよ!》


またメールしようと思ったけど、だるくて携帯を置いた。

胸の内側に加えて、次第に腰や胸の骨にも痛みが出てきた。


母親もまもなく心配して面会エリアに来てくれた。


だけどガラス越しに会話するために体を起こして受話器を持つのがつらくて、ひとこと「大丈夫だよ」と言っただけで、ベッドに横になった。



(つづく)



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佐藤先生たちは、最初に売店を覗いたが、こころの姿はなかった。


天井のスピーカーからはアナウンスが流れている。

《川津辺こころさま、川津辺こころさま。

至急、最寄の電話から小児病棟ナースセンターにご連絡ください》


連絡が入れば、すぐ報告があるはずだが、携帯は黙り込んでいる。


佐藤先生は看護士のリカとアカネに尋ねる。

「どこか、こころちゃんが行きそうな場所、心当たりはあるかい?」

「心当たりと言われるとあまり」

アカネが困った顔をしてると、リカが思い出したように言った。

「そうだ、ソフアから中庭を眺めてるのが好きだって言ってたことがあります」


「中庭を眺めるソフア?」

「ほら、外来棟へ行く廊下のところ」

「よし、そこへ行ってみよう」

佐藤先生はまた走り出した。


廊下のソフアにパジャマの女性が横になっていた。

近寄ると、携帯を手にしたままこころが眠っている。


佐藤先生がこころの肩を揺すった。

「こころちゃん!」

「こころちゃん!」


こころは眠そうな目を開いた。

「あれ、佐藤先生、先生もお昼寝しにきたんですか?」

だが、佐藤先生はいつになく真剣な表情だ。

「いいかい、こころちゃんの免疫はまだ不十分かもしれないんだ。

だから、今すぐ、クリーンルームに戻るよ」

「えー、やだあ」

こころが喋ろうとするのを、佐藤先生が人差し指を立てて「シー」と制した。

アカネがこころの顔を消毒ガーゼで拭いてマスクをつけた。

リカが借りてきた運搬車のベッドに乗せられて、こころはクリーンルームに戻された。


こころの母親は呼び出しを受けてびっくりして駆けつけた。

母親の前に、内科部長、佐藤先生、望月先生、そしてクリーンルームの看護士二人がずらりと並び頭を下げた。

「申し訳ありませんでした」


「どういうことなんですか?」

内科部長の先生が説明する。

「受け持ちの病棟の看護士なら患者さんの顔を間違うことはまずないんですが。

今回は馴染みのないクリーンルームの看護士が採血する際に、うっかり似た名前の方と勘違いしてラベルを貼ってしまったんです。

受け持ちの医師が数字を見れば、いつもと少し違うと気付いたかもしれないのですが、運悪く担当の佐藤先生は京都に学会があり、出張してまして望月先生が判定したのです。

結果、まだ免疫力の不十分な娘さんをクリーンルームから出してしまったんです」

「そんな。こころは、こころは大丈夫なんですか?」

佐藤先生が答える。

「ええ、今のところ、感染症の兆候はありません。

ただ、感染して症状が出るまで時間がかかるので、これから数日は安心はできません。

細心の注意を払って監視します」

内科部長の先生が言う。

「この件については、病院としまして、警察にも報告し、厳正な処分を行います。

何か納得いかないことがありましたら、弁護士がお答えしますので」

こころの母親は言った。

「処分なんかいいですから、娘を一刻も早くきちんと治して下さい。

佐藤先生、お願いします、娘を完全に治して下さい。

親の希望はそれだけです」


「はい、全力を尽くします」

佐藤先生はそう言って唇を噛みしめた。


(つづく)



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4日後、こころは佐藤先生が帰るよりひと足早く午前中に、望月先生からクリーンルーム卒業の許可をもらった。

吐き気はまだつらかったが、クリーンルームから出れるとなれば気分が違う。


こころは売店で禁断症状の出ていたアイスクリームを買って食べ、中庭を見渡す廊下に向かった。

廊下を見渡して、探す相手は車椅子のウィリー・シドニーさんだが、残念ながらその姿は見当たらない。


こころは外来の待合フロアまで遠征して、ウィリー・シドニーさんがいないかしばらく捜した。

まあ、そう都合よくいる筈もないよね。

こころはひとりつぶやいて、中庭を見渡すソフアに腰掛けると、携帯を取り出した。


《ヒロキさん、こんにちは!

ようやくクリーンルームから出られました!

真っ先に売店に行って、アイスクリームを買って食べたの(笑)

ヒロキさんの調子はどうですか?》

まもなく返事が来た。

《クリーンルーム出たのか、よかったね!

アイスクリーム食べたの、おいしかったかい?

僕もまあまあだよ。

こころちゃん、愛してるよ!》



ナースセンターで、看護士のリカが歩いてくる佐藤先生の姿を目ざとく見つけた。

「あ、佐藤先生、お帰りなさい」

「ただいま、お土産、買ってきたよ」


佐藤先生が紙袋から封筒のような包みを取り出して、そこにいる看護士に手渡してゆく。

「ありがとうございます、なんだろう」

リカは嬉しそうに礼を言った。


先に封筒を開けた看護士のアカネが声を上げる。

「わ、油取り紙だ、先生、気がきくな」


「留守中、変わったことはないね?」


佐藤先生が尋ねると看護士長が答える。

「そうですね、急変したクランケはなく、皆、安定してました。

そうそう、こころちゃんはクリーンルーム出ました」


「あ、そう、カルテ見せて」

佐藤先生はこころのカルテを眺めていたが、ふと首を傾げて、そばにあった内線電話を取った。


「クリーンルーム病棟ですか、小児病棟の佐藤です。

今、そちらに入院しているのはなんていう人ですか?」

佐藤先生はクリーンルームのナースセンターから返事を聞いていて険しい顔になった。


「ちょっと待った、一般の河部?河部弥生さん?

その人の採血データ教えて、今日は?

で、昨日のデータは?

不自然だな!今日の採血、うちの川津辺さんと取り違えてないか?

至急、調べてみて!」


「先生、どうしたんですか?」


「こころちゃんは、今、病室か?」


いつになく厳しい佐藤先生の質問に、リカが緊張して答える。
 

「いえ、さっき、売店行くとか、歩いて出て行きました」


「今朝の採血のラベルを間違えてる可能性があるんだ」


「そんな!」


「間違えてない可能性もある。だが、もし間違えていて、免疫力の弱いまま外来病棟とか行ってしまったら毒を飲むようなもんだ。


看護士長、至急、全館放送で呼び出して。

あと、手の空いてるひとは僕と来て、手分けしてこころちゃんを見つけるんだ。

今すぐクリーンルームに戻して検査し直さないといけない」


佐藤先生は振り返りもせずにナースセンターから飛び出してゆく。


「私、行きます」「私も」

リカとアカネが後を追いかけた。


(つづく)



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こころは白血球の数が下がってクリーンルームに入って5日が経っていた。


マスクをした佐藤先生がもう一人の若い先生を連れてやってきた。


「こころちゃん、僕は関西で学会があるから、3日ほどいないんだ」


こころは思わず声を上げた。


「先生!」


「そうかそうか、そんなに寂しいか、でも仕事だからね」


「そうじゃなくて、お土産、忘れないでね」


こころのおねだりに佐藤先生、呆れたようだ。


「なんだ、お土産かよ?

看護士さん、受け持ちみんなに買うの大変なんだぞ。

ま、いいや、それで留守の間は、この研修医の望月君が代わりに診てくれるから。

俺に対するみたいに馴れ馴れしくすんなよ」


「望月です、よろしく」


眼鏡をしてない望月先生はマスクから覗く目が切れ長だ。


「こころです、よろしくお願いします。


それで、佐藤先生、私、先生が帰る頃にはこの部屋を出れるんじゃないの?」


佐藤先生はカルテをしばらく眺めた。


「うーん、まだ数値が上がってないから、この調子だと、まだじゃないかな」


「意地悪なんだから。

望月先生はこういうの見習わなくていいですよ」


「ハハハ、結構、言うだろ」


「ええ、元気ありますね」


佐藤先生と望月先生は顔を見合わせて笑った。


「卓球部なんだぜ、治療終わったら一緒にサーってガッツポーズするんだ。

な、こころちゃん?」


「うん、絶対、ガッツポーズしますよ!」


こころは拳を構えてみせた。


「たのもしいですね」


「じゃあ、次は4日後にな」


佐藤先生はそう言って手を振って、望月先生と部屋を出て行った。


こころは携帯でヒロキさんにメールを送る。


《こんにちは、こころです!

先生が学会行くみたいで、お土産をねだっておきました(笑)


ヒロキさんも、まだ入院ですか?》


5分ほどでヒロキさんから返事が来た。


《こんにちは!

お土産かあ、どうなんだろう(笑)

そう、まだ病院だよ、お互い頑張ろうな!

愛してるよ!》


こころは携帯の画面を胸に押し当ててうなづいた。



(つづく)



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病室で点滴されていると、佐藤先生がやってきた。

「よお、ご苦労さま。

この間のHLA型検査の結果が出たよ」


「どうなんですか?」


私が聞くと、佐藤先生は握り拳を上げた。

「見事、一座違いだよ、

親から移植なら心理的な安心感もあるし、よかったな?」


「ほんとに、やったあ!

早速、お母さんに知らせなきゃ」


私は携帯を取り出した。


「あ、ちょっと、一座違いだったのはお父さんだよ」


「そ、そうか、えへへ、お父さんでもいいんですよね?」


「当たり前だろ。

こころちゃんはお父さんの血液に入れ替えて血液型もお父さんの型になるんだよ」


「えー、私はA型なのに、骨髄移植するとお父さんのO型になるの?」


「そう。厳密に言うと頭の内側の血液型は元のままだけど、血管を流れる血はO型になるんだよ」


「そうなんだ。

でも、それで助かるんだから文句言えないですよね。


あ、あれ、ちょっと待って!


血液型占いはどうなるんですか?」


私の素朴な質問に、佐藤先生は笑い声を上げた。

「その質問、よくされるんだけど、

俺の専門外でそこまで手が回らないから、自分で研究してみなよ」


「そうなんですか、わかりました」


「それで、骨髄移植の日程は三、四ヶ月先だな。


その前にこころちゃんは卵子の凍結保存しなきゃならない。

もちろん退院時期や外出の調整はしてあげるけど、いろいろ忙しいぞ」


「そうでした、よろしくお願いします」


「とにかく、お父さんが一座違いでラッキーだったな。

普通、親でもかなり違う方が多いんだぞ」


こころはこんな病気になってしまった自分にも、まだ運があるのだと信じた。



佐藤先生が帰って、点滴が終わった後、私はお母さんに電話した。


「あのね、この前の検査の結果が出たの。


お父さんが一座違いだったんだって!」


「そう、そうなの。

よかったわ」


「お父さんが、マルクの時の注射の親玉みたいなやつに耐えられるか心配だな」


「大丈夫、こころのためなら、お父さん、どんな痛くたって耐えるわよ。

二人でそう話してたのよ。」


私はじーんときた。


「うん、ちょっとカッコイイね。ありがとう。


あとね、お父さんの血液に入れ替わるから血液型もO型になるらしいの」


「そうなの。こころも、イカの塩辛とか好物になるのかしらね」

「えー、やだあ、そういうのが伝染したらちょっとやだ」

こころは明るく笑った。


(つづく)



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こころは中庭を見渡す廊下のソフアに腰掛けていた。


ちょっと探したけど、車椅子の彼、ウィリー・シドニー(?)の姿はない。


こころは思い切ってヒロキさんにメールを打っている。


《こころです!今日はなんだか曇ってますね。

でも、私、決断しました。骨髄移植します。


私の病気は薬だけだと治りがあまりよくないので、

悪玉が隠れている自分の血を全部壊して、他人から骨髄をもらって入れ替えるんです。


ヒロキさんには全部言えないぐらい、大変な治療になるけど、私は決断しました!

だって、きっと元気になってヒロキさんに会いたいから。

私、絶対、治ってみせますよ!》


メール文を読み返して、中庭の木々を眺めた。


こうしている間もこの病院の中でたくさんの人が命がけで病気と闘っている。

それを、中庭の木はどっしりと立って見守っているのだ。

健康ならこんなこと気付かないけど、病気と闘ってる人間と治してくれる病院の人達と、中庭の木は、みんな生命つながりなんだって思う。


私もきっと勝って、ガッツポーズしてみせる!

そう心につぶやいて送信ボタンを押し、しばらく庭の木々を眺め続けた。


ヒロキさんから返事が来た。


《こころちゃん、決断したんだね!


噂で大変だってのは知ってたけど、こころちゃんの決断はきっといい結果につながると確信しているよ!


まずは決断、ごくろうさま!


愛するこころと会える日を楽しみに応援してるからね!

僕も負けずにがんばるよ(笑)》


こころは微笑みながらメールする。


《ところで、ヒロキさん、ウィリー・シドニーて知ってますか?


病院の廊下のソフアのところで一緒になった車椅子の人に名前を聞いたら、

そう答えたんだけど、謎なぞみたいで、すごく気になるんですよ》


《ウィリー・シドニー?

もしかしたら、小説に出てくる人じゃないかな?

その車椅子の人は、自分が彼に似てると思ってそう名乗ったんじゃないかって、

そんな気がするよ》


《そうですか、私、あんまり小説読んでないからなあ。

ヒロキさんは小説とか読みますか?》


《僕もそんなには読んでないけどね(汗)

ヘミングウェーとかモーパッサンとかチェーホフとか、外国の短編が好きだよ》


《そうなんですか。

私も入院生活はまだまだ長いから、これからいろいろ読んでみます》


《うん、こころちゃん、がんばれ!

愛してるよ!》

こころはヒロキさんの励ましに大きくうなづいた。



(つづく)



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治療が順調に経過していたある晩、お母さんにお父さんも呼んでもらい、親子三人で談話室で話をした。


「どうだ、副作用はつらいのか?」


お父さんは私の顔を覗き込んだ。


「うん、吐き気とかは前より少しね。

それでさ、今後の治療についてなんだけど、

薬だけじゃ不安だから、骨髄移植、受けてみようかと思うんだけど、いいかな?」


そう言うと、お父さんはうなづいた。

「ああ、お父さんもお母さんもお前がそう決心してくれたらいいなと家で話してたんだよ」

「そうよ、薬だけじゃちょっと心配だもの」

お母さんもうなづく。


「ありがとう。お父さん、お母さん。

それで、移植を受けるとなると将来、妊娠できなくなるんだけど、

それに備えて卵子の凍結保存もしておきたいんだ、お金が余計にかかるんだけど」


お父さんは微笑んだ。


「そうか、それは楽しみじゃないか。

孫はあきらめなきゃいけないと思ってたら、どうやら大丈夫そうだな」


お父さんはお母さんと顔を見合わせてうなづいた。


こころは頬を赤く染めて喋る。

「いや、保存しておいても絶対妊娠できる保障はないし、

その前に将来、結婚相手が現れるかもわからないけどさ」


「とにかく、お前の決めた通りで、お父さんもお母さんも賛成だから。

こころ、ありがとう、お前の決心のおかげで将来の楽しみが見えてきたよ」


お父さんが言うと、お母さんも「ほんとに」と微笑んで、お父さんの手も引っ張って、こころの手を包んだ。


「大変な病気だから、ついつい明るい夢を描くのを忘れてしまいそうだけど、

こころの決心で、はっきり楽しい未来が近づいてきた感じがしたわ。

後は頑張って病気を治してね!」


「うん、ありがとう。

私、がんばって病気治して親孝行するからね」


こころはしばらく幸せの涙をあふれさせた。



ニ日後、お父さんは昼間に会社を抜け出して、お母さんと病院に来た。

骨髄のHLA型を調べるためだ。


佐藤先生が説明をしてくれる。


「今回調べるのは白血球のHLA型で、赤血球のABO型とは全く違うものです。

子供はご両親から半分ずつ型を受け継ぐので、兄弟姉妹間は四分の一の確率で一致します。

こころちゃんは一人っ子なので、お父さん、お母さんとの適合を調べます」


「こうなると、こころに兄弟がいないのがつらいです」


お母さんはそう言って自分の手を握り締めた。


「いえ、お母さん、それが完全一致が常にいいと言い切れないんですよ。


人間には自分と違うものを攻撃する免疫作用があるのは知ってますよね」


「ええ、その程度は」


「HLA完全一致だと拒絶反応はない代わり、やっつけたい悪玉も見逃してしまうかもしれないんです。

そうするとせっかく兄弟から移植したのに再発ということもあり得ます」


「そうなんですか?」


「完全一致ではない移植の方が、治療から生き残ったわずかな悪玉を見つけて攻撃してくれるんです。

これをGVL効果といい、再発を一番避けたいこの病気には有り難いことです。

ただ、これは、同時に皮膚や臓器も攻撃するGVHDも起こすので、両刃の剣なんですけれどね。

僕としてはお父さんかお母さんが一座違いぐらいだといいなと思ってるんです」


完全一致は大変だと聞いていたが、そうでない方が悪玉をやっつけてくれていいのか。


こころはまた希望が広がるような気がした。


(つづく)



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 ††† 

「紗智絵、ちょっと大事な話があるんだ」
 名蔵博士は夕食の後片付けに立とうとした娘を椅子に呼び戻した。

 名蔵は自分の体調の重大な変調に気付いていた。症状をネットで調べるとどうも悪性腫瘍のようだ。だから、近い将来の万が一に備えて、娘の本当の正体について打ち明けようと考えたのだ。
 名蔵はもう一本タバコに火をつけて煙を吸い込んだ。
「どうだ、大学は楽しいか?」
「うん、勉強の方はあまりサプライズないんだよね。
 でも、サークルでね、自然の中をサイクリングしてると楽しいよ。私って案外アウトドア派なのかもしれない」
「そうか、それはよかった。あのな……」
 名蔵博士は頭の中で思う。紗智絵は賢いから、父の人工頭脳研究という仕事と自分の頭脳の卓越した能力から照らし合わせ、うすうす自分の正体に気付いているかもしれない。
 だから、娘よ、お前は、5年前に亡くなった実の娘の細胞と人工頭脳を組み合わせたアンドロイドなのだと打ち明けても動じないかもしれない。

「実はな」
「うん?」
 娘の瞳はつやつやと輝いて自分を見つめている。まるで人間のようだ。いや実際、瞳は娘の細胞から複製されたのだから人間そのものなのだが。

「あのな」
 そう言って、不意に名蔵は紗智絵への告知をためらった。待て、待て、賢そうに思える娘の人工頭脳だが、自分がアンドロイドだという推理には辿り着かないかもしれないぞ。
 その時、自分が本当の人間でないと知ったショックはどれほどのものだろう?
 機械がショックなんて受けないと他人は言うかもしれない。
 しかし、私の設計した人工頭脳は、不要な戸惑いや焦り、不安や恐怖、とりとめのない発想も組み込まれ、そういう日常から受け取る感情を成長させるようプログラムされているのだ。
 初期は実の娘のビデオやアルバムや履歴、親交のあった友人の証言から合成した記憶だったが、稼動からすでに5年も経った彼女の人工頭脳は立派な感情を持っているはずなのだ。
 名蔵は今、娘に告知するのはあきらめ、医者に告知された時に、娘に娘の正体を打ち明けようと心変わりした。
「実はな、明日、病院に、一緒に行ってほしいんだ」
「なんか顔色悪いね、わかったよ、ついて行ってあげる」 

 †††

 診察室のパネルモニターには名蔵の胸部のレントゲン写真が映し出されていた。
 レントゲンは昔よりも格段に精度があがっていて、デジタル補正によって小さな病変も見逃さない。
 眼鏡をかけた医師はレントゲンを見つめていたが、やがて、名蔵と紗智絵に向き直って問いかけた。
「ええと、奥様は?」
「あ、半年前に別れました」
 名蔵はそう言ってうつむいた。
「そうですか、困ったな」
「やはり悪性腫瘍ですか?」
「ちょっと3分だけ、お嬢さんだけにお話しさせて下さい」
 医師に言われたが、名蔵は覚悟はできていたから、動じることもない。
 闊達な足取りで廊下に出た。

 そして、まもなくナースに呼び戻された。
 椅子に座ると、紗智絵はそっと名蔵の腕に手をまわした。
 すまないな、私への告知がすんだら、お前への告知だ。
 名蔵は涙ぐんでいる娘の顔を盗み見て目をつぶった。

「それで、先生、やはり悪性腫瘍ですか?」
「ええ、悪性腫瘍はありますね、このあたり」
 医師はパネルモニターをボールペンの頭で指して見せた。
「しかし、レベルはまだ浅いので治療有望です。
 問題はですね、娘さんから許可を得ましたのでお話ししますが、最近、あなたの意識がかなり錯乱しているということなのです」
 医師は名蔵を睨むようだった。
 娘が医師に、私が錯乱してると言ったのか。
「おそらく、それは、娘が自分の正体に気付いて認めたくないからでしょう」
 名蔵が興奮気味に言うと、医師は厳かに宣言した。
「正体を認めないのはあなたの方なんですよ」
 パネルモニターのレントゲンが胸部から頭部のものに切り替わった。
 頭蓋骨の内側に映っているのは、脳ではなく、円盤状の物が何枚も重なり、リード線が生え出た下部には四角い金属の影がある。
「こんな、ば、馬鹿な!」
 名蔵の口は叫んだまま、開き放しになった。
 医師がゆっくりと言った。
「あなたがアンドロイドなんです」

 紗智絵が手に力を入れて言った。
「お父さん、ごめんね。
 1年ぐらい前から、お父さんの思考ログを確かめると、お母さんがアンドロイドだって妄想するようになってきたの。
 それでお母さんは辛くて家を出て行ったのよ」
「……」
「そして、お母さんがいなくなって、最近は、私がアンドロイドだって妄想を始めたのよ」
「……」
「だけど本当のお父さんは5年前、交通事故で死んだの。
 その時、自分の遺言にもとづいて、お父さんは自分の開発した人工頭脳を埋め込まれて、壊れた臓器は再生されてアンドロイドとして蘇ったの。
 お父さんは生きてるうちから自分の意識や記憶をプログラムしておいたから、最初は本当にお父さんが蘇ったと思って暮らしてたわ」
 娘はつぶらな瞳に涙を潤ませて言った。
「だけど、やっぱりどこか違うのかもね。
 アンドロイドだと疑われたお母さんは出て行った」
 名蔵は、内部の影で誰かがアドレナリンを放出し、血圧を上げるよう命令してる気配を感じる。
 そして緊急時に思考を明らかにするプログラムが宣言しだす。
「私は、私が人間でないという事実を認めないが、私がアンドロイドであることを認定さぜるを得ないという、背反問題を発見した。
 現在、無限ループ回避プログラムを作成中、あと10秒、あと5秒、修復されました……」
 名蔵はこの危機に直面し、自分の感情がさらに高まるのを感じる。
「私は人間の代役に作られたアンドロイドだ、残念だよ」
 名蔵は意図せず、体が震え出すのを止められない。 
「でもね、お父さん。
 お父さんは、今も、これからも、ずっと私のお父さんだよ。
 ずっとそばにいるから心配しないでね」
 紗智絵は、泣き出したお父さんアンドロイドの暖かい手を握りしめた。    了




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「あ、こころお姉ちゃん、千羽鶴、もらったんだね」

翔子ちゃんは私のベッドに下げてる折鶴の束を見て言った。


「これね、クラスの皆と私で完成したんだ。

きっと元気になって、後から思い出すんだよ。

あの時は大変だったけど、頑張ったなあって」


翔子ちゃんはうなづいてから、思い出したように聞いた。

「そういえば、退院した時、彼とは会ったの?」


私は笑いながら言う。

「なんでそんなこと、翔子ちゃんに話さなきゃいけないの?」


「だって、先輩はね、後輩の悩みや面倒をみるものなんだよ」


「それはそれは、ありがとう、先輩」


「で、彼と会ったの?」と隙をあたえない翔子ちゃん。


「それがね、入れ替わりで彼が入院しちゃってさ、会えなかったの」


「そうか、それは残念だったね」


翔子ちゃんはたぶん彼の話を聞きたかったのだろう、会えなかったと知ると、がっかりしたようだった。


「ところで、翔子ちゃん、さっき、廊下で会った人が言ってたんだけど、ウィリー・シドニーて知ってる?」


「知らない。シドニーはオーストラリアの首都でしょ」


「ブッブー、首都はキャンベラだよ。友達に聞こうっと」


ぶつぶつ言ってる翔子ちゃんをほうっておいて、私はサトミとカオリにメールで尋ねた。

《廊下で会った車椅子の人が言ってて気になったんだけど、ウィリー・シドニーて知ってる?

できたら調べてみてくれない?》


すると、すぐに二人から、後で調べておくよ、と返事が来た。


看護士のリカさんが真っ赤な点滴を持ってきた。

「吐き気や口内炎がきついかもしれないから、がんばって」


「赤インクみたいな、やな色だね」


「うん、きつい薬だから、投薬を間違わないように色がついてるんだよ」


「はあい、がんばりま~す」


なんか赤インクが体に入ってゆくようで憂鬱だ。


2時間ほどすると、カオリからメールが来た。

《さっきのウィリー・シドニー、図書館で調べてみたけど、わからなかったよ。

役に立てなくて、ごめんね》


《ううん、わざわざ調べてくれてありがとね!》


それからまた1時間して、サトミからもメールが来た。

《ネットで検索してみたけど、こころの言ってたウィリー・シドニーは見当たらなかったよ。

どういう人なの?》


《たまたま車椅子の人が口にしただけで、どういう人かは全然わかんないんだよ。

サトミ、部活で疲れてるのに、わざわざありがと》


こころは携帯をしまうと、点滴の赤インクを見つめて溜め息を吐いた。


(つづく)

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ia.さんが出した10題話です。〆切のホワイトデー(言ってない?笑)が近づいたのでアップ。
1チョコ、2猫、3携帯、4ガンダム、5鰻、6KGB、7越前クラゲ、8地蔵盆、9外張断熱、10ダーッ。


エメラルドの泪

 1

 マッハ1で海上を飛んでいた袴田一等空尉は、雲の中に一瞬、小さな影を見つけた。
「こちらドラゴン5、目標目視」
 指揮所に報告すると、F15戦闘機のスロットルを絞り、操縦桿を倒して、影の進行方向に並ぶように機体をロールさせる。すると、横Gがかかり、首に反対向きの力を入れて耐える。直後をドラゴン6機がついてくる。
 目標の機影の進行方向左に並びかけた。
「目標の定位置に到達、当該機、国籍赤星、官用、戦闘機」
 指揮管に日本語で報告すると、命令が下る。
「了解、領空まで20マイル、通告せよ」
 英語で警告を発する。
「アテンション、アテンション、ディスィズジャパンエアセルフデフェンス」
 こちらは日本の航空自衛隊機だ。
 お前は日本の領空に近づいている。
 すみやかに進路を変えて空域から退去しろ。
 まもなく指揮官から命令が入る。
「ドラゴン5、目標の領空侵犯が判定された。直ちに警告せよ」
「ウォーニン、ウォーニン、ユーダンフォーセスジュパニーズフィールズオブライン」
 お前は日本の領空に侵入している。
 こちらの警告に従うなら翼を振れ。
 指揮管が聞いてくる。
「ドラゴン5、侵犯機は警告に従ったか?」
「聞かないようだ」
「もう一度警告しろ」
 袴田一等空尉はもう一度警告したが、相手は無視し続ける。
 指揮管が聞いてくる。
「ドラゴン5、侵犯機は警告に従ったか?」
「聞かない」
「ドラゴン5、威嚇射撃を許可する」
「了解、威嚇射撃に移る」
 袴田一等空尉は、相手の斜め前方に向け、機銃の赤いボタンを押した。
 1秒間で100発の弾が花火のように輝いて空の彼方に消えてゆく。
 すると侵犯機が動きだした。
「侵犯機は高度を上げ急旋回して引き返し始めた」
「ドラゴン5、6、侵犯機を追尾してADIZの外まで追い出せ」
「了解、侵犯機を追尾する」

「ようし、ドラゴン5、6、ドラゴン7、スクランブル訓練終了、帰投せよ」
「了解」
「ヒャッホー」
 今まで侵犯機の役目だった今川一等空尉操縦のドラゴン7が背面を見せて急降下する。
「こら、今川、ふざけるな」
「侵犯役はつまらん」
「順番だ、仕方ないだろ」
「あっ、領海侵犯目視!」
「なんだと!」
 袴田一等空尉は驚いて今川機の位置まで高度を落とした。
「どこだ?」
「ほら、あの辺、越前クラゲが領海侵犯してるよ」
「チッ、ふざけやがって」

 2
 
 地上に下りてから演習の復習ともいうべき解析を終えてロッカーに引き上げると、袴田行哉が真っ先にしたのは携帯の電源を入れることだ。
 問い合わせをすると溜まっていたメールが一気に送られてくる。
 その殆どは恋人マリーナからのものだが、日本語に詳しくない彼女が打つ文面は他愛ないものだ。

《さびしいてす》

《まてます》

《あいしてます》

《おげんきてしか》

 次のメールを開くたびに、マリーナの稚拙なひらがなが行哉の心を打つのだ。
 行哉は自家用車が信号で止まると送話履歴からマリーナの携帯に電話をかける。
「今、街に着いたよ」
「はい、まってたです、いつもの、おみせね」
「うん、あと五分ぐらいで行くよ」

 喫茶&スナック店「シャノアール」の扉をくぐると、奥のボックス席で赤いスカートに白いセーター姿のマリーナが立ち上がった。
 地味な紺色の制服の行哉が歩み寄って、向かいの席に立った。
 淡い金色のショートヘアに白い肌はところどころ赤みが帯びて、少し潤んだ碧色のつぶらな瞳が、行哉を見つめた。
 クルーカットの行哉もマリーナの碧色の瞳を見つめ返して言う。
「マリーナ、元気そうでよかった」
「ユキヤ、あいたかった」
 行哉はマリーナの手を包むように掴んで一緒に椅子に腰を下ろした。
 やがてマリーナは手をほどき、リボンをかけた包みを差し出した。
「これ、おそくなったのは、日本のきしたり」
「きしたり? ああ、しきたりだね?」
「そ、バレンタイン、ぷれぜんと、シャカラートね」
 ロシアのシャカラートはベルギーに負けないぐらい美味しいのだ。
「ありがと、マリーナ、スパシーバ」
「パジャールスタ、どういたちました」
 行哉はマリーナの間違いを正してやる。
「どういたしまして、だよ」
「いたしまして、むずかしね」
「マリーナ、今夜も俺の部屋に行こう」
「わかた、ユキヤのうなぎどこね」
「うなぎの寝床、いいんだよ、そんな変な日本語は覚えなくて」
 行哉はマリーナと本格的に付き合うようになって、自衛隊の官舎を出て狭いマンションを借りたのだが、マリーナがその幅の狭さに驚いた時、それを説明した行哉の言葉とネットで検索して見せた鰻の写真が非常に印象深く残ってしまったらしい。
 
 3

 薄いカーテン越しの朝陽を浴びたマリーナの肌はピンク色に染まって見える。

 行哉はマリーナの金色の髪を撫であげ、唇にキスしながら、彼女の瞼が開いて碧色の瞳が見つめてくるのを待った。

 行哉が最初に金髪碧眼に心惹かれたのは小学校の頃の地蔵盆の縁日の輪投げだった。
 怪獣やヒーローの人形などが、わざと頭があちら向きになるようにされた台に置かれてあり、その前に「外れ」の紙が貼られた東京タワーや通天閣が邪魔をしている。
「俺が赤レンジャー取るからな」
「お前は黄レンジャーでいいんだよ」
 連れの友人たちが牽制し合いながら輪を投げている時、行哉の目は密かに端っこに佇んでいた、女の子向けの金髪碧眼のすらりとした人形に釘付けにされていた。
 しかし、連れの友人があえなく敗退して、自分の番がまわってくると、あからさまに金髪碧眼の人形を狙うわけにもいかない。
 結局、一番難しそうな赤レンジャーに3回挑戦してみて、最後だけ、手元が狂ったふりをして金髪碧眼の人形を狙った。
 だが、輪は人形の金髪の隣にあえなく落ちた。
「どこ、投げてんだよ、ハカ」
「ハカのバカ、全然、惜しくねえぞ」
 レンジャーの人形に触れる最後のチャンスを呆気なく潰された友人たちは行哉のことを毒づいた。

 しかし、今、人形ではない、美しい金髪碧眼の女が、行哉の腕の中にあるのだ。
 その瞼がふっと開き、エメラルドの瞳が見つめ返して微笑んだ。静かで深い湖を思わせる瞳に吸い込まれそうに行哉は感じる。
「おはよう、マリーナ」 
「ドブラェ ウートラ、ユキヤ」
「愛してるよ」
「あいしてる」
 そう言った後は、舌同士を絡め合いあいさつを交わす。

 朝食を終えたマリーナは行哉のライトブラウンのセーターだけを着てテレビショッピングを眺めている。
 行哉は自衛官の職業病的に埃が嫌いなので、テレビの上に飾ってあったガンダムとF22のプラモデルを持ちテーブルに戻ると、写真機用の刷毛で掃除し始めた。
 するとマリーナが振り向いた。
「ユキヤのイーグルとちかうね?」
「うん、アメリカの新しい戦闘機F22だ」
「とこかあたらしいの?」
 F22の最大の特徴は継ぎ目を減らした特殊素材で覆われていて、レーダーに映りにくいことだが、マリーナに説明しても理解できないだろう。
「この戦闘機はね、外張断熱でできてるんだよ」
「ソトバキダンレツ?」
「うん、まあそんな感じ」
 その時、突然、マリーナの携帯が鳴った。
「ダーッ、エト、タク」
 ロシア語会話では冒頭にイエスの意味でダーと言うことが多いらしい。
 マリーナはひとしきりロシア語で話していたが、不意に行哉の肩を叩いた。
「メールおくましたか? ムラートシイ ブラートに?」
 行哉は「ああ、マリーナの弟か、図面は揃えてあるから、これから送るよ」とつぷやいて、ノートパソコンの電源を入れるとメールを送った。
 
 その時、玄関のチャイムが鳴らされ、マリーナが応対に出た。
「どちらさまてすか?」
「郵便局ですが誤配がありまして」
 マリーナが少しドアを開けた途端に、二人の男にすごい力で押し込まれた。
「おとなしくしろ、マリーナ・ペトロノフ、お前を外為法違反容疑で逮捕する」
「なんだ、お前ら?」
 叫んだ行哉も、次の瞬間、いつの間にかベランダから踏み込んだ捜査員に押さえられていた。
「行哉行哉、自衛隊法、秘密保護法違反の容疑で逮捕する」
「何かの間違いだ」
 そう叫ぶ行哉の手首に手錠がはめられた。 
「マリーナもスパイなんかじゃない、ただの留学生だ」
「お前は知らんだろうがな、こいつは自国の総領事館の一人と密かに会ってたんだ」
 行哉はハッとしてマリーナを振り向いた。
「そんな、マリーナ。なんのために会ったんだ?」
「それはいえない」
 マリーナは口をつぐんだ。
 行哉は呆然としたまま、マリーナと別の車で警察に連行された。

 4

 警視庁と防衛省情報保全隊、国家公安保障庁による合同取調べは厳しいものだった。
 連日、朝から夜遅くまで詰問されるのだが、行哉には身に覚えのないことばかりだ。
「袴田さん、ハニートラップは知ってるよな?」
「なんだって?」
「ハニートラップ、言葉のままだ、蜜の罠。
 色仕掛けで、ポロッと秘密をもらしてしまう仲になることだ」
 取調べ官は昼までは穏やかで、夕方になると口調が高圧的になってくる。
「いいから、吐いてしまいな。
 恥ずかしいことじゃないんだ、元総理もポロッと騙されたことがあるんだから。
 ましてや女遊びも知らない自衛官が騙されても恥じゃないからよ」
 行哉は机を叩いて怒った。
「違う、俺とマリーナは真剣に愛し合っていた、それだけだ」
「マリーナがKGBの後継組織の諜報部員かもしれないだろう?」
「あり得ない、彼女は情報を聞き出すとかそういう素振りはまったくなかった」
「じゃあ、この会話はなんだ?」
 取調べ官はICレコーダーのボタンを押し盗聴記録を流す。
《ユキヤのイーグルとちかうね?》
《うん、アメリカの新しい戦闘機F22だ》
《とこかあたらしいの?》
「これはF22のプラモデルについての質問だろ?
 僕はこの直後に外壁断熱ってはぐらかしているじゃないか」
「F15との違いを聞くということは、間接的にF15の秘密を聞こうとしてるじゃないのか?
 我々は、今月、彼女の口座あてに大金が送金されてる事実もつかんでるんだよ」
「何かの間違いだ、情報漏えいなんかしてないって」
「メールで図面を送ったろうが」
「あれは彼女の弟にプラモデルの図面を送っただけだって言ってるだろう。
 私は国家を裏切ったりしない」
  
 5

 一週間続けて満足に寝る間もないほどの取り調べを受けて、行哉とマリーナは釈放された。

 行哉は公園でマリーナと会った。
 もし彼女の説明に納得のいかない部分があれば、その時は残念だが別れる覚悟でいた。
「ユキヤは、もうだいしょうぶなの?」
「ああ、メールの図面はガンダムのものだし、秘密なんて誰にも洩らしてないしね」
 そこで行哉は深呼吸して聞いた。
「マリーナに送られた大金て何だったの?」
「あれはトルコにいたともたちか、わたちのバッグうってくれって、
 それてマリーナのきんこうにサンセンマントルコリラおくってきたたけ。
 トルコ、インフレすこいからケーサツたいきんだとまちかえたよ」
「なあんだ。
 でも総領事館のひととこっそり会ってたのはなぜだい?」
「ため、それいうと、恥すかしいね」
「正直に言わないなら、僕はマリーナと別れるよ」
 行哉が覚悟を明かすと、とたんにマリーナのエメラルドの瞳から泪がこぼれ落ちた。
「たって、わたし、べんきょしたよ。
 日本のおとこ、おんなのひとの恥しらいか、だいしね。
 だからわたしも、恥しらいおぼえた」
「ああ、マリーナが専攻してるのは古い日本文学だからな。
 そんなの気にしないでいいから、言ってごらん」
 マリーナは白い肌をピンクに染めて言った。
「ともたちのしりあいのともたちの領事館のひとに聞いたんた、
 日本人と結婚したら、どうなるか?家族産んだら国籍どうなるか?
 てもわたし、またユキヤにキュウコンされてないね、
 恥すかしいよお」
 行哉は一瞬噴き出しそうなのをこらえて、微笑んだ。
 そして、マリーナの肩を抱き寄せた。
「そうだね、もっと早くマリーナに求婚しとけばよかったな。
 じゃあ、これからするよ……」
 行哉はしゃがみこんでマリーナの手を取った。            了
 

◆この作品はフィクションです。実在の国・人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

お題出現順はこちら
越前クラゲ、携帯、猫、チョコ、鰻、地蔵盆、ガンダム、外張断熱、ダーッ、KGB


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励まされた私は車椅子の彼にお礼を言った。


「ありがとうございます。

お兄さんもがんばってください」


「うん、ありがと……。

なんか、ずっと陽にあたってたせいかな、熱っぽいような、感じがしてきたよ。

これで帰るね」


そう言って彼は車椅子をちょっとバックして外来棟の方に方向転換しようとする。


「あ、そこまで押します」

私は彼の車椅子を押してあげた。


「ありがと、あの庭を眺めてると和むよね」

彼は少しだけ頭を振り向こうとしたけど、完全には向けずに言った。


「ええ、私もあそこは好きです」

車椅子が外来棟に入ると、彼は私を振り向いて言った。


「わざわざ、ありがと。

またね!」


「私、川津辺こころです、お兄さんは?」


「僕の名前は、そうだな」


彼は向こうを向いたまま、右手だけを耳の後ろに差し出した。

「ウィリー・シドニー!」


私は彼の手と合いやすい左手で握手した。


「ウィリー・シドニー?

ふふ、外人なんですか?」


「今の名前、ちょっと有名なはずだよ、

じゃあ、またその廊下で会おう!」


「はい、お元気で」

私は手を振って、謎のウィリー・シドニーさんと別れた。


病室に戻った私はハッとした。


人見知りする遥香ちゃんの向こうのベッドで慣れた手つきで荷物をサイドボックスに入れてる女の子の後ろ姿があった。


帽子をかぶった後ろ姿なのであまり自信はなかったけど、私は声をかけてみる。

「もしかして、翔子ちゃん?」


すると、振り向いたのは、翔子ちゃんの笑顔だった。

「こころお姉ちゃん、また一緒の部屋だね!」


「また来たの?」


「それはお互い様だよ」


私は小学生にやりこめられて苦笑い。

「あ、そうだね、とにかく、またよろしくね」

「うん、お姉ちゃん、わかんないことあったら聞いてね」

翔子ちゃんは相変わらずだった。



(つづく)

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しばらく私と車椅子の彼は黙って庭を眺めていた。


「詩人なら、こんな暖かな午後のひとときをうまく言葉にできるんだろうね」


彼はぽつりとつぶやいて、私を見て微笑んだ。


「ええ、ほんとに」


私が答えながらどぎまぎした。

微笑んだ彼はさらにヒロキさんの写真に似たからだ。


私はヒロキさんの親戚じゃないかと聞いてみようとしたぐらい。

その瞬間、携帯がブルルとメールの着信を知らせた。


開くと、ヒロキさんからだ。


《今日はとても気持ちがいいね。

今、こころちゃんのことを思いながら、陽ざしを浴びて、そよ風の景色を眺めている、

この瞬間の幸福を僕は忘れないよ。


こころちゃんも絶対に覚えていてほしい。

なぜなら、僕らが互いに想い合う、この瞬間は、永遠につながっているから。

僕はずっと愛するこころちゃんのそばにいるからね!》


照れるなあ。


私は、ゆるみまくりそうな顔を隣の車椅子の彼の手前、引き締めて返事を打った。


《ありがとう!

ヒロキさん、詩人ですねえ!


わかりました、絶対にこの瞬間を覚えておきますね!


愛してます!》


送信ボタンを押した私は携帯を胸に当てて目をつぶった。


それから、隣に彼がいたのを思い出して急いで携帯をしまって庭を眺めた。


すると車椅子の彼が言った。


「メールの相手は彼氏かい?」


私は堂々と答えた。


「ええ、彼氏です」


「もしも、もしもだよ、


君の彼氏がここにやって来たらどうする?」


私は思わず変な声を上げた。


「エーッ、それはいやですよ!


だって、薬の副作用で頭は毛がなくて帽子だし、顔はひとまわりもふたまわりもむくんでいるんですよ。

本当の私はもうちょっとほっそりして、今よりは見られるんです。


ちょっと今の顔は彼氏には見せられないですよ」


車椅子の彼は無言の息を飲んでうなづいた。

「……そうか。そうだよね。

副作用、大変なんだね、がんばってね」



(つづく)

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gingak
  • Author: gingak
  • 銀河 径一郎
    (ケイイチロー・ギンガ)
    好きな言葉は『信じる』。
    飛べなくても頭が悪くても
    地球人も宇宙人だ(笑)

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