銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。

翌日、昼すぎに、ヒロキさんからメールが来た。


《おはよう、体調はどんなだい?

副作用、ひどいのかな?


僕の方は治ったともいえないけど、まあまあかな。

てことで、さっき、退院しちゃったよー!ヤッホー!》


私はびっくりした。

昨日のメールには、そんなそぶりも書いてなかったのに。


《えっ、もう退院できたんですか?


いいなあ、うらやましいよぉ~!》


《ごめんな、見せつけたりして。

でも、僕も、何年も前から入退院を繰り返してきたから、トータル入院日数はこころちゃんよりずっと上だよ!

こころちゃんは次の退院はいつ頃?》


《たぶん、まだ三週間ぐらい先ですね》


《そうか、今度は会いたいね!

愛してるよ!》


《はい、私も愛してます!

私たち、きっと会えますよね!》


私はポーッとしながら携帯を閉じた。


すると隣のベッドにいる小学1年生の遥香ちゃんという女の子の視線を感じた。

遥香ちゃんはすごく人見知りするので、あまり話ができない。


「遥香ちゃん、病院の中、お散歩に行こうか?」

「……」

遥香ちゃんは黙って首を横に振る。


「じゃあ、お姉さん、一人で行ってくるね」


私はスリッパを履いて、廊下に出た。


今日は天気もいいし、明るい廊下を歩いているだけで気分がいい。

もちろん、ヒロキさんが退院できたことも、今日の私の幸せだ。


私は中庭を眺めようと考え、外来棟と入院B棟をつなぐ廊下に出た。

ラッキーなことに一番眺めのいい真ん中のベンチが空いている。


ベンチに腰かけて、中庭の高い木やピンクっぽい花木を眺めているだけで、きれいな空気を吸ってるような錯覚がしてくる。


ふと、横に何か動く気配がして、見ると、ずっと前にも見た車椅子の男性だった。



「こんにちは、今日は気持ちいい天気ですね」

彼が話しかけてきたので、私も相づちを打った。

「ええ、ほんとにお陽さまが気持ちいいです」


歳は20歳前半ぐらいで、ヒロキさんの中学生の時の写真と少し似てるかもしれない。

もっとも、前回、彼がすぐそばにいる最中に、ヒロキさんからいくつも海辺の写真のメールが届いていたから、この人がヒロキさんのはずはないのだ。

だけど、私は、この人がヒロキさんだったらと想像して、ドキドキした。



(つづく)

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手足がなくたって、乳房や子宮がなくたって、命まで取られるわけじゃないんだよ。

乳房や子宮がなくたって、素敵な男性なら差別なくその人のことを気に入るよ。

そしたら結婚だってきっとできると思うよ。


ただね、乳房や子宮を失くしたその人が、めそめそ泣いてばかりいたらどうだろ?


素敵な男性と知り合うチャンスも殆どなくなってしまうかもしれない。

仮に会えても、めそめそしてたら、自分の良いところに気付いてもらえないかも。


どんなに辛いことがあっても、あれはちょっとトゲが刺さっただけなんだと考えて、ありのままの自分を生きることを始めるんだよ。

そしたら、そこから先は、きっといいことだってあるんだよ。


つらいことがあっても、ニコニコしてる人て、周りの人まで元気にしてくれるでしょ。

そういうひとって男のひとから見てもすごく魅力的らしいよ。


神様だって、辛い思いをさせた人には、どこかでバランスを取って、いいことをプレゼントしようと考えてくれてるんだと思う。


でも、その人が毎日泣いてたら、いつ、どういうプレゼントしたらいいか困るでしょ。

逆にその人がめげずにワクワクしてたら、さっとプレゼントを渡せるんだよ」


こころは胸がぽかぽかしてきた。

「うん、そうだね、なんか勇気が出てきたよ。

リカさん、ありがとう」


リカさんは微笑んだ。


「ううん、たいした体験ないのに、偉そうなこと言ってごめんね。

あと、こころちゃんの場合だったら、少しお金がかかるけど、今は卵子の凍結保存もできるからね」


「ああ、佐藤先生もちらっと言ってたけど、どういうこと?」


「それはね、強い治療を始める前に、こころちゃんの健康な卵子を冷凍しておくの。

いつか結婚相手が現れたら、卵子を解凍して、結婚相手の精子を受精させて、

それをこころちゃんのお腹に戻してあげるんだよ。

するとあーら不思議!

こころちゃんのお腹で普通に胎児が育って、自分で赤ちゃんを産めるんだよ」


私は嬉しくなって聞いた。


「ほんとにそんな風にできるの?」


「うん、普通より手間はかかるかもしれないけど、赤ちゃんは産めると思うよ」


「そうなんだ、リカさんに聞いてみて、よかった!」


「でも、佐藤先生だって言ってくれたんでしょ?」


「あん時はちょっとショックで、頭に入らなかったから」


「なるほど、じゃあよかった」


私はふと聞いてみたくなった。

「ところで、リカさんは結婚とか、何歳ぐらいでしたいの?」


リカさんは聞かれて苦笑する。


「え、なんで私の話?

そうねえ、でも28歳ぐらいまでにしてみたいかな。

こころちゃんは?」


「私もやっぱりそれぐらいかな。

その前に病気を治さないとね」


「うん、こころちゃんなら、きっと治るよ」

そう言ってリカさんは「サー」と拳を上げて私を笑わせた。


(つづく)

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こうしてサトミやカオリには相談できたけど、ヒロキさんにはメールできなかった。

ヒロキさんのことは大好きだし、初めて愛したと言っていい相手だ。


しかし、だからこそ、副作用で自分が女性として不完全になるなんてことは書けない。

そこだけ隠して打ち明けるのも後ろめたい。


結局、ヒロキさんには、夜になってから、さりげなにく今日の点滴の報告をメールした。

《こんにちは、第二段階の本格点滴が今朝から開始。


地固め治療とか呼ばれてるんだけど、なんだか変なネーミングでしよ。

流れ的に第一段階と同じで、薬で悪玉を叩いて、またクリーンルームで頑張って、ということらしいです。


ヒロキさんはどうですか?》


十分ちょっとでヒロキさんから返事が来た。


《また点滴なんだね。

点滴が悪玉をやっつけるイメージするといいかも(笑)

たしかに、変なネーミングだな。


こっちも薬のおかげでいい調子だよ!

こころちゃん、愛してるよ、一緒に頑張ろうな!》


いつものように嬉しい文面。

だけど、いつものように喜べない感じだ。


こころは寝付けなくて、足音を忍ばせて廊下を何度も往復してみた後、ナースセンターを覗いた。

そこにいたのはリカさん一人で、何か書類を書いている。


「お仕事?」

こころが尋ねると、リカさんは振り向いて微笑んだ。

「どうかした?どこか痛いの?」


「ううん、違うけど」

「よかったらこっちおいで」

リカさんに手招きされて、こころはナースセンターの椅子に腰掛けた。


「こころちゃん、眠れないんでしょ?」

「どうして、わかるの?」

「そりゃ、わかるわよ。悩みがあったら言っていいよ。

答えはできるかわからないけど、聞いてあげるから」


こころは嬉しくなって、最大の悩み、治療の二択について話した。


「治療なんだけど、一ヶ月か二ヶ月先に、薬だけにするか、骨髄移植するか、決めなさいて佐藤先生に言われたんだけど。


薬だけは治る確率がちょっと低いし、


骨髄移植はきつくて、将来赤ちゃんを産めないかもしれないの。


難しい二択でしょ、悩んじゃうよ」


リカさんはこころの目を見て答えた。

「うん、難しいよね。


病院にはいろんな患者さんがいるよ。

事故で手や足を失くした人もいるし、

病気で乳房や子宮をとらなきゃいけない人もいる」

こころがうなづくと、リカさんは続けた。


「でも大事なのは、それをすぐ治せるキズでしかないと受け止めて、未来の自分の人生を明るく描いてゆくことだと思う。


(つづく)

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こころはその夜、思い切ってサトミとカオリにメールで打ち明けた。


《こんなこと相談しても、気分悪くするかもしれないけどさ》


《何言ってるの、なんでも相談して》とサトミ。

《そんな水くさいなあ》とカオリ。


《ありがと、先生にね、今後の方針でどっちか選べって言われたんだ。

それがちょっと難しすぎるニ択なの。


Aはこれから先、薬だけで頑張る。

だけど薬だけだと治る確率が低いんだ。


Bはドナーから骨髄をもらって移植する。

こっちは治る確率は高いんだけど、副作用で将来妊娠できない危険が濃厚なんだよ。


私はどっちを選んだらいいと思う?》


メールを送ってしばらく返事はなかった。


私はベッドの上に飾った、完成した千羽鶴を眺めながら思った。

うーん、ちょっと最後、聞いたのは失敗だな。

聞かれてこっちだよなんて、答えられないよね。

私はもう一度メールする。


《あ、重かったらごめん。


別に答えを聞いてるんじゃなくて、私はこうゆー問題にぶつかってますって報告だよ。


聞き流してちょー(笑)》


するとまずサトミから返事が届いた。


《ごめん、脳天気な私には想像もつかなかったよ。


こころはこんなに大変な思いで病気と闘ってるんだね。

私がこころの立場だったらって考えたら、胸がズキズキ痛くなった。


ああ、自己嫌悪だよ。親友のこころの病気に、私はなんて無力なんだろ

こころ、ごめんね》

こころは速攻返事する。

《ううん、サトミはいつも私に元気をくれるんだよ。


だから、あやまらないでよ。


これからも私のグチを聞いてよね》


続いてカオリからも返事が来た。


《つらい選択ですね。


こころの病気に比べたら、私の病気なんてたいしたことないよ。

今の持病は、ぜんそく、片頭痛、逆流性食道炎、十ニ指腸潰瘍、過敏性大腸炎ぐらいしかないし(笑)


だけど、前も言った通り、こころちゃんは絶対に治る人なんだから大丈夫だよ。


私はこころちゃんの完全退院を信じてるから!ファイトー!》


《ありがと、カオリ。


カオリの持病、多すぎ(笑)

私は白血病ひとつやっつければいいんだから、カオリより楽だね!》


(つづく)

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これはテレビの「ロス:タイム:ライフ 4看護士編」について、ブログ「舞台の効果音」のhinamiraiさんがなさった楽しい推理に触発されて、放送前に提示されてるあら筋から想像して書きました。
ドラマのキャストは看護師松永由紀子(上野樹里)、恋人荻野政一(設楽統)、自殺未遂男尾元勇蔵(温水洋一)。雰囲気はいただきましたが、大きく違う設定もあるのでいわゆる二次小説とはかなり違うものです。


「ロスタイムライフ 看護士編」

 1

 白衣に空色のカーディガンを羽織った由有子は、ふらふらと病院の門をくぐった。
 廊下で知り合いのナースが声をかけても答えも、振り向きもしない。
 小児病棟に戻ったのは習慣のなせることで、ここへ戻ろうという意識もなかったのだ。
 小学4年の篠田かすみが病室から由有子を見つけて、廊下に駆け出し、
「ゆうこさん、見て見て、テスト、ハナマルもらったよ!」
 院内学級のテストを見せ自慢したが、今の由有子にはいつものように褒めてやる余裕は皆無だ。
「どうしたの、ゆうこさん?」
 聞いたかすみに、答える代わりに、
「うるさいわね!」と悪態を吐いた。そのまま走り出し、涙がどっと流れた。

 休憩時間、由有子がお昼を買いにいつもの惣菜屋に行くと、店は臨時休業だった。そこで近くの喫茶店に入ったのだった。
 するとそこに、恋人の検査技師、沖野成一が、見知らぬ、由有子より若い女と親密に話し込んでいたのだ。
 由有子は気付かれないように、彼の背後のプランターの陰の席に座り、聞き耳を立てた。
「ねえ、結婚式はさ、どこでしたらいいかな?」
 由有子は自分の耳を疑った。すると成一の声が響いた。
「そんなの俺に聞かないで、自分で決めろよ」
 由有子はその言葉に血圧が急降下するのがわかった。
「たくっ、お前はひとりっこだから、俺に甘えて困るよ」
「だって、他のひとに相談できないでしょ、こんなこと」
「ずっと前からウェディングドレスて言ってたじゃん、洋式がいいんだろ」
「それはそうだけど、式場とか、いろいろあるみたいだからさ」
「安めでいいんじゃないの?
 その分、新婚旅行にまわした方が絶対いいって」
「なるほどね、うん、そういうふうにしよっか」
 
 由有子は幽霊のようにふら~と立ち上がると、お冷やを運んできたウェイトレスの会釈に答えもせず、店から出て行った。
 成一とは既に5年間つきあってきた。
 先週だって、由有子の部屋に来て、愛し合った後、成一は「そろそろユウの親にも会って、きちんと挨拶しないといけないな」などと言ってたのだ。
 あれは一体、何なんだ?
 由有子は騙されていたのだ。もしかしたら成一は結婚詐欺犯で今の女の子も騙されているのかもしれないが、いずれにせよ由有子が騙されたという事実に変わりはない。

 2

 病院の屋上、由有子はナースサンダルを脱いで揃えると、思い切り息を吸い込んで叫んだ。
「もうやだ、みんな、みんなやだー!」
 目を思い切りつぶって体を投げ出すと落下が始まった。
 そうだ、ここでたしか走馬灯だ。
 一生の出来事が走馬灯のように流れるとか言うやつ。
 あれ、いけない、走馬灯てどんなんだっけ?
 由有子が心に呟くと、男の声がした。
「ほら、昔、お盆に帰省した時、仏壇の前にあったろう、弟の達也がコンセント入れたら回り出した」
「そう、あれあれ、あ……」
 由有子は目を開いてキャッと叫んだ。
 目の前に男の顔が普通にあった。つまり由有子と同じスピードで落下してるのだ。
「一緒に落ちて死んでくれるの?」
「バカこけ!」
 男がそう言ったとたんに落下がとまった。
「どういうこと?」 
「どういうこと?こっちの台詞だよ、いいからこっちへ来いよ」
 男に手を強く引っ張られると、由有子は一瞬で屋上に戻った。

 目の前に立つ男は、ジャージに革ジャンというおかしな格好。
 由有子はホッとしてしまう。
「いやあ、危ない、危ない、死ぬかと思った、ありがとうございました」
「今頃、気が変わって、生きる気になったのか?」
 男が言うと、気の動転してた由有子は我に返った。
「違った、もう死んでもよかったんだ」
「ふざけるなよ、大体、お前はまだまだ生きる予定だったのに。
 生まれる直前に指導霊から教えられただろう」
「頭が悪いので覚えてましぇん」
「いや、覚えてないのが普通だから、それはいいや。
 なぜ自分を殺し、殺される行為に走るんだ?」
「だってぇ、彼ったら私の他にこっそり付き合ってる女がいて、結婚式とか新婚旅行の話をしてるんだもの」
「なんだよ、たった、それしきのことで」
 男が呆れると、由有子は思い切り唇を尖らせた。
「そ、そっ…、それしきとは、ひどいですぅ。
 私にとっては人生の全てだったんだから。
 もう生きる希望も、何もありましぇん」
「なるほど、それで自分を殺し、殺されか、地上の人間らしいな」
「地上の…ていう、あなたは?」
「俺は、天使の管理人」
「天使の管理人?ですか?」
 由有子は男を頭のてっぺんから革靴の先までじろじろと見る。
「ああ、天使がちゃんと仕事できるか監視したり、補助するのが役目。
 ま、お前を天使に含めるのは、俺としてはかなり異論があるけど、もうこの世の地上は天使の絶対数が足りないんでね、上司が拡大解釈してやがるんだよ」
「私が天使ですか」
 由有子は笑った。
「子供の頃は、ちょっとこの仕事のこと、そんなふうに思ったなあ」
「遠い目のところ、ひとつ警告しとくけど、俺は別にお前を助けたわけじゃないから」
「えっ?」
「天使資格者には、死にあたり、延長ボーナスというかロスタイムが与えられるんだよ。
 それでお前は一時的に死を猶予されてるわけ」
「あ、そうなんだ。
 でもいいです、どうせこの世には、もう希望も未練もありましぇんから」
「そう、すんなり納得されると調子狂うけどな。
 あと、日没まで4時間ちょいある、これがお前の残り時間だ。
 最後は天使モドキらしく人助けでもしてすごしたらどうだ。
 ちょうど、今朝、自殺未遂でこの病院に担ぎ込まれた男がいる。あいつを立ち直らせるなんてのはどうだ?」
「それならすぐ済みそうですね」
「なんだ、何か他に予定あんのか?」
「ええ、ちょっと。死ぬ前にケーキ食べ放題行っとくべきだって、今、悟ったんですぅ」
「この最後に、そんな軽いもんを悟ってる場合かよ」
 
 3

 天使の管理人は由有子と個室の前で止まった。
「ここだな、さ、入ろうか」
「入るって、あなたは部外者でしょ」
「俺は生きてる人間には見えない。見える人間は猶予中のお前だけだ」
 由有子はドアを開けた。
「お邪魔します」
 天使の管理人と由有子が入ってゆくと、ベッド脇の椅子に腰掛けていた同期のナースが声を上げた。
「あら、由有子じゃない、久しぶり」
「うん、久しぶり」
 大伴伸男は精神安定剤を打たれてベッドの上で寝ていた。
 仰向けの腹が少しメタボで盛り上がった冴えない中年男である。
「この人、自殺未遂なんだって?」
「そう、薬みたい、胃洗浄でひどかったの」
「ミスズが番してんの?」
「逃げてまたやられたら、今度は病院の評判になるからでしょ、困るわ」
「じゃ、ちょっと私が見ててあげるよ」
「ホント?助かるわ、いろいろし残してたことがあるの」
「ゆっくりでいいよ」

「あれを見ろよ」
 天使の管理人に言われて由有子はサイドテーブルに置かれたビニール袋に目をやった。
 中にはダイヤの指輪が入ってる。
「どうやら、これは失恋だな、私と一緒だ」
 由有子が声に出して呟くと、まもなく寝てる男の目尻に涙が流れた。
「起きてるぞ、こいつ」
 天使の管理人に言われて、聞いてみる。
「もしかして、起きてますか?」
「あ、はい、起きてます」
 大伴は上半身を起こして「すみません」と頭を下げた。
 由有子は笑顔で言った。
「でも、助かって、よかったですね」
「そうなんですかね、まあ、そうなんでしょうね」
 大伴は照れて頭を掻いた。
「でも、看護婦さん、今、私と一緒、って言いましたよね?
 自殺したことあるんですか?」
「えーと、私の場合は今、途中で、日没頃に完結なんです」
「はは、冗談、お上手ですね」
 天使の管理人がいらいらして言う。
「あほな答えはいいから、彼を励ませ」
 由有子はうなづいて、聞く。
「気持ちは落ち着きましたか?」
「まあ、ひと区切りはついたような。
 だからといって生きる勇気が残ってる感じもしないですが」
 天使の管理人が「よかったら自殺の原因を話してみませんかと聞け」と命令した。
「えー、そんなこと、立ち入っていいのかな」
 突然、由有子がおかしなことを口走ったと感じた大伴は「あ、あの」と口に出した。
「あ、大丈夫ですよ、なんでもなくて、ただその。
 よかったら、自殺の原因とか話すと、気分が楽になるかも、どうです?」
 すると大伴はこめかみのあたりをひっかいて、話し出した。
「お恥ずかしい話なんですよ。
 実は、僕、女子高校生とつきあっていい仲だったんです」
「どこで知り合ったんですか?」
「ある日、いつものように居酒屋で一人で飲んでたら……」
「ちょっ、居酒屋で一人ですか」
 由有子の突っ込みに、天使の管理人が「そこはスルーしろ」と注意した。
「あ、そこはスルーです、続きをどうぞ」
「ええ、飲んでたら、セーラー服の女の子が来て、
 退屈してるから、一緒に飲もうって」
「ちょっと」と言いかけると天使の管理人が「そこもスルー」と。
「スルーです、続きをどうぞ」
「で話してみたら、すごく合うんですよ。
 いやあ、これは運命の人かもしれないと思ってたら、あっちも運命じゃねって言ってくれて、気付いたらラブホテルのベッドでした」
「てッ、展開早ッ!」
「あ、写真見ますか、トミちゃんで~す」
 大伴は嬉しそうに携帯を開いて見せた。
 その待ち受けの写真を見て由有子は落ち込んだ。
 たしかにセーラー服は着ているが、化粧がきつく年齢はかなり上だろう。どうしてこんな女を高校生だと思うのか。由有子と天使の管理人は溜め息を吐いた。
「彼女、歯医者の大学に入りたいけど、家は理解がないと嘆くので、僕が塾の費用300万たてかえてあげたんです。
 そしたら、トミちゃん感激して、その、えへへ、僕と結婚したいと言い出しましてね、プチ整形したいと言うので800万貸してあげたんです」
 振り向くと天使の管理人はあまりの惨さに顔を左右に振り出した。
 しかし、大伴の話は止まらない。
「そして新居はここがいいよと言うので、千葉にあるという土地に1500万出しました。
 そしたらですね、トミちゃんのお父さんが出てきまして。
 なんと、怖いヤクザ屋さんのお父様なんですよ。
 ウチの娘を傷モノにしたな、ゴルゥアとお怒りになってですね、結婚話はなしになり、慰謝料3000万を借金して払ったんです。
 そしてトミちゃんにも会えないままなんです」
 由有子はなんて言葉をかけたらいいのかと振り向いたが、天使の管理人は頭を抱えてうずくまって呟いた。
「ひどい、ひどすぎる、こんな汚いのが地上のやり方なのか」
 慰める言葉も浮かばない話に、由有子は泣き出した。
 これには大伴が驚いた。
「あ、ごめん、トミちゃんに会えない僕の気持ちをわかってくれたんですね」
 由有子はますます泣く。それを追うように天使の管理人も泣いた。
「もう泣かないで下さい。僕の悲しみをわかってもらえたので、僕は今すごく生きる勇気がわいてきましたよ。ありがとう。
 よかったら、今度は看護婦さんの話を聞かせてくれませんか?」

 由有子は自分が成一に裏切られていたことを話して聞かせた。
 すると、大伴は顔を紅潮させて怒った。
「許せないですよ、こんな性格のいい看護婦さんを騙すなんて!
 僕がついていってあげるから、彼に怒鳴り込みましょうよ」
「いや、私はそこまでしてくれなくても……」
「僕の最大の理解者の看護婦さんが傷つけられたままじゃ、気持ちが収まらないんです。
 沖野って、同じ病院の検査技師なんでしょ?」
 大伴は由有子の手を引っ張って、廊下に飛び出た。
「なんとかしてよ、管理人さん」
 由有子が叫んだが、天使の管理人はゆっくりとついてくるだけだ。
「彼は今、非常に生気に溢れている。報告書には、お前の励ましが功を奏して自殺未遂者を立ち直らせたと書いてやるよ」
 
 4

 沖野成一はびっくりした。
 突然、仕事場に中年男が恋人の手を引っ張って現れたのだ。
「沖野さん、いますか?」
 成一はよくわからないまま、手を挙げて「私です」と答えた。
「あんたね、こんな心優しい素敵な女性と深い交際しておいてね、
 他の女もひっかけて、そっちも結婚の話をしているっていうのはどういうことなんですか?」
 大伴の言葉の意味が成一にはまったく理解できない。
「いったい何の話ですか?」
 その言葉に、引っ張ってこられた由有子が噛み付いた。
「何、とぼけてるのよ、私、今日、見たんだからね!
 成一さんとどっかの女が結婚式とか新婚旅行とか、いちゃいちゃと話しているの見たんだからね、言い逃れなんかさせないわよ」
「ああ」
 成一は一瞬声を上げ、うなづくと笑い出した。
「あれか、昼の喫茶店ね、あれは父親の後妻の娘だよ、つまり義理の妹。
 いずれユウにも会わせようと思ってたんだけど、近々結婚するんだよ。
 彼女、ひとりっ子だから、義理の兄である俺にいろいろ話を聞きたかったみたい。
 だから誤解だよ、心配すんなって」
 その言葉に由有子は奇声を洩らした。
「ヒッ、へェッ、そんな……」
「ユウはおっちょこちょいだなあ」
 成一は笑うが、由有子はめまいで倒れそうだ。
「看護婦さん、ただの誤解だったんだ、よかったじゃない?」
 大伴もホッとして言ったが、由有子は叫んだ。
「よくない!私、ショックで飛び降りたんだよ!
 屋上から飛び降りたんだよ!」
 成一は笑ってる。
「何、寝ぼけてんだよ、ちゃんと足だってあるじゃない」
「どうしよう?」
 由有子は天使の管理人に振り向いた。
「私の勘違いだったんだよ、取り消してくれるよね?」
 天使の管理人はうつむいたまま言った。
「みんなに怪しまれるから、出て話そう」
 由有子は天使の管理人と部屋を出た。

 5

 夕空の中庭で、由有子は改めて、天使の管理人に言った。
「私の勘違いだったんだよ、私の自殺は取り消してくれるよね?」
「これは極めて物理的な問題だよ。
 お前は勘違いが原因にせよ、最後の一歩を踏み出してしまったんだ。
 今は一時的な猶予期間で、それが過ぎたら予定通り落ちるしかない」
「あんなズルして、屋上に戻ったんだから、物理なんて関係ないじゃん?」
「あれは俺の力じゃない。どうにもできない」
「たとえば、飛び降りる前にさかのぼって私を止めるとかできないの?」
「だから俺も地上ではたいしたことできないんだ」
 由有子は天使の管理人の革ジャンの襟を掴んで頼んだ。
「なんとかしてよ、勘違いで自殺なんて、親にも成一さんにも顔向けできないよ」
「……」
「そうだ、ほら、私さ、大伴さん、立ち直らせたよね、その手柄でさ、帳消しにできるんじゃないの?」
「そんな取り引きはないんだ……」
「なんとかしてよ、やだよ、勘違いで死ぬなんてイヤー!」
「……」
「黙ってないで、なんとか言ってよ、このお」
 由有子は天使の管理人の襟を揺さぶると、さすがに彼も怒鳴った。
「なんだよ、逆切れかよ。
 お前の状況には同情するけどな、元々勘違いしたのはお前自身の責任だぞ」
「そうかもしれないけど、お願い、助けてよー」

 そこへ、誰かが中庭に出てきて声をかけてきた。
「ゆうこさん、一人で泣いたりして、どうしたの?」
 それはかすみだった。
「かすみちゃん、なんでもないの」
 由有子はかすみに強がってみせるが、頬一面の涙は簡単には拭えない。
「今日の午後から、ゆうこさん、変だよ」
「あ、さっきは怒鳴ってごめん。変じゃないけどさ、私、おっちょこちょいだから、私が死んだら笑っていいよ」
「どうして、ゆうこさんが死んで私が笑うわけないじゃない?
 それに、ゆうこさんは最高の看護婦さんだよ、真夜中や明け方に私が眠れないでいると、いつもご本を読んだり、話相手になってくれたでしょ。
 私のために自分の眠る時間まで削ってつきあってくれた、最高の看護婦さんだよ」
「そんな風に褒めてくれるのはかすみちゃんだけだよ、ありがとう。
 だけど私、おっちょこちょいだからね、まもなく死ぬの」
「やだ、そんなこと言わないで。
 約束したでしょ、私は病気を治して、学校へ行って、きっとゆうこさんみたいな優しい看護婦さんになるの。
 わからないことがあったら、いつでも聞いていいよって約束してくれたじゃない。
 私が一人前の看護婦さんになるまで、ずっと相談にのってくれるって約束したじゃない」
「ごめんね、約束は守れないかな」
 そこで天使の管理人の声が響いた。
「そろそろ日没の時間だ」
「わかった」
 そこで由有子は天使の管理人に答えるとかすみを振り向いた。
「お別れだよ」
「いやだよ、約束したじゃない」
 由有子はかすみの腕を振り払って、天使の管理人と屋上に向かった。
 

 屋上にたどり着いて、天使の管理人に付き添われて、由有子は自分が飛び降りた地点に立った。
「力になれなくて悪かったな」
 天使の管理人が言うと、由有子もあきらめて答えた。
「ううん、あんたのせいじゃない、私の勘違いだもん。
 仕方ないよ、おっちょこちょいの私らしいや」
「うん、きっとまた転生できるから」
「ちょっと最後に親の声聞いていい?」
「ああ、まだ少し時間あるよ」
 由有子は携帯を取り出し、ふと振り向いて屋上を歩いてくる婦長の姿を見つけた。
「あ、婦長、すみません、私、もう仕事ができないんです……」
 しかし、婦長の服装はナースの制服ではなく、羽毛でできたマントのようだった。
 天使の管理人も振り向いて慌てて言った。
「あ、ボス」
 由有子は「ボス?」と繰り返しぽかんと口を開けた。
 よく見ると婦長に似てるけど、もっと高貴な顔だ。
「ああ、俺の上司の天使長様だ」
 由有子と天使の管理人のそばに立った天使長は微笑みを浮かべた。
「二人ともご苦労様。
 さて、アントゥレフォッサ、この天使に何か頼まれたようね?」
「はい、天使長メフィスルーヤマエリミカエル、この天使が勘違いで身投げしたので、助けてくれと頼まれました」
「そんな虫のいい頼みを聞くつもりかしら?」
「まさか。規則にない運命の改変はすべからず、が規則であります」
「よろしい、あなたの任務は何かしら?」
「はあ?
 天使がちゃんと仕事できるか監視したり、できない場合は補助することであります」
「その補助とは、この天使が次の天使を育てるという仕事を補助することも入りますか?」
 天使長の問いかけに天使の管理人はハッと笑みを浮かべ、由有子をちらりと見た。
「あっ、入ります。
 この天使由有子が次の天使かすみを育てる仕事がまだ途中であります。
 その仕事を補助するのも私の任務です」
「規則と任務が矛盾する場合は?」
「はい、天使長様の判断に沿い、しかるべく」
「由有子さん、かすみちゃんをしっかり育てて下さい。
 頼みましたよ」
 天使長は由有子の手に触れると次第に輝いて消えていった。
「よかったな、俺はこれからもお前の手伝いをする。
 迷ったら、心の光を見つめ、心の声を聞けよ」
 そう言うと天使の管理人の姿も次第に見えなくなった。

 大きな夕日が屋上にたたずむ由有子の微笑を染めていた。      了
 

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佐藤先生は、今まで見たこともない険しい顔になって言った。


「治療が辛いだけでなく、将来、妊娠できない可能性が非常に高いんです」


耳につながる奥が真空になった。

頭の中が真っ白だ。


それじゃあ、普通の生活には戻れないってことだよ!

うそでしょ!


「先生、どうしてそんな?」

母がやっとのことで問いかけた。


「薬や放射線の影響で、どうしても卵巣が傷ついてしまうんです。


しかし、幸い、卵子や卵巣のガラス化法による凍結保存という技術が、実用化されています。

ですから、それを使えば胚移植か自己移植という形により、自分で出産する可能性は開かれています」


「そうなんですか」


母はそう言ったが、私はショックの底で茫然としてた。


ひどすぎるよ、なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないんだろ。


前より辛い治療で、しかも妊娠という、女なら誰でもあるはずの未来が危なくなるなんて。


その時、母の手が私の手をぎゅっと握ってくれた。


「お願いします、先生、こころを助けてください、こころをどうか」


「もちろんです、僕もこころちゃんが健康になるよう全力を尽くしますし、


こころちゃんには応援してくれる友達もいっぱいいるみたいだし、きっとよくなると思いますよ」


そこで佐藤先生から難しい宿題が出た。


「そこで、難しい選択で申し訳ないんですが、薬だけで治療するか、骨髄移植するか、この1、2ヶ月考えてみて結論を出して下さい」


佐藤先生が言うと、母が尋ねた。


「あの、薬で治療して、ダメな場合は骨髄移植というわけにはいかないのですか?」


「骨髄移植をするなら、なるべくいい状態で移植したいですし、


骨髄移植はドナーを探したり、準備がかなりかかるので、早めに決めていただきたいんです。


ただ、この1ヶ月試す薬がこころちゃんにすごく効くようであれば、

その時は私から薬だけでもいけそうだというお話ができるかもしれません」


「わかりました、娘と考えてみます」

「将来は、こころちゃんから結婚の報告をしてもらうのを楽しみにしますから。

な、こころちゃん、きっと元気になって結婚できるよ」


佐藤先生の笑顔に、私は少しだけ作り笑いを返したけど、心の中は北風が通り抜けていた。

お母さんに肩を抱かれて廊下に出たけど、自然と涙がぽろぽろとこぼれてしまう。

今日の面談は、体は痛くなかったけど、心はマルクの時より、ずっと痛んだ。


生まれてきて一番苦しい痛みだ。


治療のために将来、妊娠できないなんて、悲しすぎる。


こんな辛い悲しいこと、ヒロキさんにだって、告白できないよ。


 f_02.gif プログ村

 
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見世物小屋のミユ

 序

 駅のホームを歩いていた智美は、バッグのポケットを探るうち、友人から紹介されていた美容室のカードを落としてしまった。
 拾おうとしたが、常に手袋をしている智美の手では、コンクリート面にぴったりと貼りついた薄いカードは掴めない。
 智美は仕方なく、白い手袋を外して、カードを拾いかけた。
 その時、コンクリート面に触れた指が、その面に残る少女の記憶にアクセスしてしまい、智美は衝撃にたじろいだ。
 慌てて、智美は天野酉彦教授に電話をかけた。


 1

 大正12年8月末日、玉電のモダーンな三角屋根の渋谷駅から少し下北沢側に寄った道玄坂界隈。
 一週間前に総理大臣加藤友三郎が急逝した政界の暗雲もどこ吹く風、このあたりは今日も賑わっていた。

「さあさあ、世には人目をはばかる生き物がございますが一番怖いのは人間だ。
 ここに、お目にかけますは、美しくも悲しい蛇女でござい。
 どこから見ても美しい女だが、悪い奴らに捕まって閉じ込められたのが洞窟の部屋。
 そこには鋭い牙の大蛇が何十匹もいたから大変だ。
 食わなきゃ食われるとなると、人間、おぞましいことになります、今では、蛇しか食べられないというから怖ろしいじゃねえか、さ、怖ろしい蛇女、ゆっくり見てらっしゃい。
 但し、ご婦人方は念のため、気付け薬も買ってからお入り下さいよ
 さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい」

 着物に袴という女学生姿で、髪の後ろに紫のリボンを結った漆原宮貴子は足を止めて、呼び込みの台詞に聴き入った。
「まあ、なんでしょう?
 入ってみませんこと?」
 貴子をエスコートしていた背広に山高帽の天野辰彦は小声で叱る。
「いけませんよ、華族の御令嬢がこのような下世話な街の見世物小屋に入ったと知れたら大変ですよ」
 しかし、貴子の口調はさらに大きくなる。
「まあ、真実を証し立てる帝国大学の物理助教授ともあろうお方が。
 なんと学究的好奇心の欠けた物言いですこと。
 わかりました、天野様はお帰り下さい、私、一人で入りますわ」
 八歳年下の貴子の勢いに、天野辰彦はたじたじとなり、懇願する。
「おやめ下さい。そんなことが父君殿下に知れたら、僕は電磁場相解析という世紀の実験ができなくなります。
 お嬢様、お待ち下さい」
 ずんずんと見世物小屋の入り口に進む貴子に、天野辰彦は制止をあきらめて追いかけ、背広の内ポケットから財布を取り出した。
 見物料を受け取ると、もぎりの前歯の欠けた男はにこやかに笑う。
「はい、大人二名様、どうぞ」
「あと気付け薬も貰おうか」
 天野辰彦が言うと、貴子が制した。
「私は要りませんわ、解剖だって平気でしたのよ」
「いえ、これは万が一の私用です」
 天野辰彦が弁解すると、貴子は笑い、もぎりの男は笑みを奥歯で噛み殺した。
「へい、それでは旦那用です、どうぞ」

 2

 小屋の中に入ると最初は通路の端に柵があって、その向こうにガラスケースがみっつほど並んでいる。
 ひとつめはケースいっぱいの雪かと思えたが、脇に「雪男の足跡」と題が出ている。
 雪の上になるほど雪男の大きな足跡があり、そこに少しだけ毛のようなものが残されているのがわかる。
「本物かしら?」
 天野辰彦はガラスケースに温度維持装置らしきものがつながれていないのにすぐ気付いて、これはニセの雪だと察した。
「作り物ですよ。これは前座ですから、許しましょう」
 そう言うと、離れたところから法被(はっぴ)を着た若者が声をかけてきた。
「やいやい、俺が楽しんで眺めてるのを横から作り物だとケチをつけるのはどういうこったい?
 それとも何か、俺の見物料をお前さんが払い戻してくれるとでも言うのかい?」
 どうやら法被男は警備を兼ねる小屋の用心棒のようである。
 すると怖いもの知らずの貴子が口を開いた。
「あなた、この方は帝国大学の物理……」
 天野辰彦は慌てて、貴子の口を手で覆った。
「やめて下さい、こんなところで騒ぎを起こしたら、僕の研究が中止です」
 天野辰彦は法被男に向き直って謝った。
「どうやら、私の勘違いでした、これは雪男の足跡に間違いありませんね。
 とんだ間違いですみません。
 江戸っ子の気前のいいところで許して下さい」
「ちっ、こちとら東京市民よ。
 ま、わかってくれれば文句はねえや、さっさと前に進みな」
「これは、どうも」
 天野辰彦は山高帽を持ち上げて会釈した。

 次のガラスケースの中は、大きな口の骨だ。
 題は「巨大うわばみの歯」となって、蛇の化け物が牙を剥いてる想像図が並んでいる。
 しかし、これはおそらくサメの歯に大きな牙を付け足したもののようだ。
「おお、これは怖ろしい歯だ」
 天野辰彦はさっきの法被男の手前、大げさに声を上げてみせた。
 しかし、貴子は黙り込んだままだ。
 雪男のところで貴子は決して説得されたわけではなかった。が、天野辰彦の手が、殿方に許したことのない唇に触れたことで、貴子はすっかり気が動転してしまい、何も言えなくなったのだ。
 乙女の唇に素手で触れておいて、謝りの言葉もないばかりか、気付いてすらいないかのような天野辰彦に、貴子は腹が立ってきている。しかし、それでいて、前から好意を寄せていた天野辰彦に唇の鍵を奪われたような気もして、恋心の芽生えを意識せずにおれない貴子だったのだ。
 
 次のガラスケースは「本物の河童」だ。
 おそらく、猿の頭蓋骨、犬の背骨、亀の甲羅、猿の手骨といったものを貼り合わせたものなのだろう。
 それなりに良く出来ていて、妖怪奇談の挿絵のひとつと見れば良い見世物だ。
「おお、これは飛びかかって噛み付きそうな河童ですよ」
 天野辰彦は笑いながら貴子を振り向いたが、返事はない。
「この手は苦手ですか、じゃあ次に行きますかね」
 
 通路を曲がると、人々が足を止めて群がっていた。
「なんでえ、蛇女じゃねえのか」
「蛇女はこの先だよ」
「どっか南方から売られて来たのかね」
「なんて格好だよ、恥を知らねえのか」
「可哀想に、噴き出しそうにひでえ顔だよ」
 人々は口々に興味本位や哀れみの混じった言葉を言い合っている。

 ようやく人だかりが少しずつ移動し、天野辰彦と貴子も蛇女の前座の「哀れな少女」をはっきりと見ることができた。
 そこは二畳ほどの小部屋になっていて「哀れな少女」は椅子に腰掛けていた。
 なるほど顔は黒く、目の周りは南方の風習なのか白い縁取りが描かれて、唇には銀色の小さな輪が付いている。
 そして着ている服は灰色で、腰巻は極端に短く太腿を露出していて、男客の下劣な視線を浴びている。
「なんだろう?桃色の短冊みたいなのを持ってる」 
 天野辰彦が呟いていると、貴子が興奮に頬を赤く染めて言った。
「ひどいです、南方異邦の彼女だって、同じ人間でしょ。
 それをこのような見世物にするなんて、許せない。
 私、買い取ります」
 貴子の勢いに天野辰彦は苦笑した。
「買い取るといっても、相当高いですよ。断られます」
「断らせたりしません。
 日本も真に世界の一等国の仲間入りをしたいなら、人権を守るに躊躇なきことを世界に知らしめる必要があるのです。
 先般、普通選挙の準備が着々と進んでいると父上にお聞きしましたが、こういう奴隷を開放することも、一等国となるための条件ではありませぬか。
 天野様、申し訳ありませんが、駅のところで待たせている書生の青谷を探し出して、近くの銀行からお金を三千円ほどおろしてきてください」
「三千円もですか?役人の一年分の給金より多いですよ」
「高いとおっしゃったのは、天野様ですよ」

 貴子と天野、書生の青谷は見世物小屋の裏の汚い部屋に通され、板切れが積み上げられた上に、薄い座布団を敷いて座った。
 向かいに、灰色の背広を着た金歯のおやじがやってきて座った。脇にはさっきの法被男が控えている。
 金歯のおやじは扇子で自分に風を送りながら言った。
「なんでも、うちの商売道具の女を買い取りたいとか?」
「そういうことです」
「蛇女かい、ありゃあちっとやそっとじゃ売れねえぜ」
「いえ、蛇女はただの芸人でしょ。
 私が買い取りたいのはその前にいた哀れな少女の方です」
「あっちだって元手がかかってる、しかもこれから先も何年も稼げるんだ。
 ちょいと買い取りの値は張るで」
「ここに三千円あります、これでお願いします」
 金歯のおやじは奥の金歯まで見せて笑った。
「ハハハ、一桁足りねえ、話にもならねえな。
 とび吉、お客様がお帰りだとよ」
 すると法被男が「ヘイ」と叫んで、「そら帰った、帰った」とけしかける。
 貴子は「ちょっと待って下さい」と叫んだ。
「そちらが断るならば、私どもとしても強行手段を使わなくてはなりません。
 あの少女はろくな服も着せられず、太腿をさらし、下穿きも見えそうな程です。
 私の祖父は元老院、父は貴族院、叔父は警視庁総監と親しい幹部です。
 そちらに通報して、風紀紊乱の容疑があると警官隊を寄こし、貴方を逮捕することだって出来ますのよ」
 貴子の堂々たる警告に、法被男が言い返した。
「ケッ、はったりを言いやがって、
 親分、叩き出しましょうか?」
 しかし、金歯のおやじはあっさり手のひらをあげた。
「いや。
 私も真面目な興行を心がけてるんですがねえ、そんなことがありましたか。
 わかりやした。
 ここは、そちらの顔を立てて、端た金で手を打ちましょ」
 前座の見世物はチンピラがすぐまた連れてくる、ここはまとまった金の方がありがたいというのが金歯のおやじの本音だったようだ。

 3

 さて、南方異邦の少女を買い取ったのはいいものの、貴子から彼女の祖国に返すようにと言い付かった天野辰彦は帰りのロールスロイスの中、考え込んだ。
 正当な手続きで連れて来られたとも思えない異邦人の祖国をどうやって調べたものか。

 ふと見ると隣の少女の持つ青いカバンに英語らしき文字が刻字されてる。
 天野辰彦が昔かじった英語で聞いてみる。
「吠え屋、あー、湯ー、噛む、風呂む?」
 少女は迷惑そうな顔をした。
「チョーうざいシー」
 天野辰彦は喜んだ。
 意味はわからないが、反応があるということは知能が高いようだ。
「掘った、湯屋、眠む?」
「……」
「藍、編む、タツヒコ、アマノ」
「だから、うざいって、黙ってろ、オヤジ」
「えっ?日本語わかるのか?」
 天野辰彦がびっくりして聞き返すと、少女は面倒臭そうに答える。
「あったり前じゃん、日本人だしー」
 今度は前方の助手席に座ってた貴子が後ろを向いて驚きの声を上げる。
「あなた、日本人なの?
 よかった、なら話は早いわ」
 すると少女が言った。
「サクラ大戦の姉ちゃん、アイス食いたくね?」 
「サクラタイセン?」
「いやそっちはいいから、アイスおごって」
「ああ、そういう意味ね。
 うら若い女の子が食いたいなんて言ってはだめですよ」
「ちぇっ、しけてっしー」
「でお家はどこなの?」
「埼玉」
「それはそれは、えらい辺鄙なところから来たのね」
「ひどっ」
「いったん私の屋敷に帰って休みましょう」
「私は帝国大学の天野といい、物理学の助教授です」
 天野辰彦が手を差し出すと少女はつまらなそうに答えた。
「そっ?ミユだよ、よろ」
「ああ、埼玉の方言だね、よろ」
「違うって、まじうぜーし」

 4

 漆原宮家の洋風屋敷に入ると、少女は「まじスゲー」という単語を連発した。
 内階段の手すりの飾り彫刻をなぞって「まじスゲー」、執事の礼服を引っ張って「まじスゲー」、暖炉の中に頭を入れて「まじスゲー」、黄金のスプーンを舐めて「まじスゲー」と感嘆するのだ。
 当主の成親がまだ帰宅してないのは幸いだった。
 天野辰彦がリィビングの皮張りソフアに落ち着くと、少女は貴子と侍女に捕まえられて、風呂の方へ連れて行かれた。

 それから四十分ほどして、少女が貴子と同じ女学生の姿になって再び現れた。
「素敵よ、ミユちゃん」
「ええ、ほんとに」「お似合いですわ」
 貴子と侍女たちに口々に褒められた少女は、天野教授に見られまいと顔を隠す。
「まじ恥ずいよ、だめえー。
 オヤジ、見るなって、超恥ずいって」
 貴子がその手を押さえつけると、天野辰彦は心底びっくりした。
 真っ黒な顔の色は洗い落とされたらしく、少女の顔は実は色白で、どこから見ても可愛らしかったからだ。
 天野辰彦がやれやれと思いながら言ってやる。
「大丈夫、ミユさんはどこから見ても可愛い女学生です」
「え、まじ?
 やっぱ、このコス、かわゆす?」
 とたんに少女は、天野教授に駆け寄り、桃色の短冊を渡して言う。
「ちょっと写メ撮ってよ?」
「シャメトッテよ?」
「だから、こうして、ほら画面出たっしょ、真ん中のでかいの押すとシャッターだから、よろ」
 天野辰彦はその薄い短冊型写真機の精密ぶりに痺れた。
 短冊の表面に画面があり、そこに映っている写真が撮影できるらしい。
 もちろん、帝国、いや世界広しといえども、当世、これほどの器械技術は見当たらない。

「こ、これは一体?」
「携帯だよ」
「けいたい?」
「うん、これは携帯する電話だよ、ここに電話はあんの?」
 天野辰彦はますます衝撃を受けた。
「電話はあるが。こんな小さいもので、写真も撮影できて、電話もできるとは、素晴らしい複合思想だ」
「ま、私もさすがに気付いてるけどー、あんたら、つーか、ここはサクラ大戦の時代なんだろ?で、今、何年なわけ?」
「今は大正12年ですよ」
 貴子が答えると、ミユは聞き返す。
「西暦で言ってくんない?」
「1923年です」
「私って、1991年生まれなわけー、これっておかしくない?」
「おお、つまり生体電磁伝送装置が実用化されたんですな?」
「そんなん知らないけどー」
「ミユさんは未来から来たんですね」
「そういうことー。
 かっこつけると、タイムスリップ?
 でもー、携帯は圏外だしー、ネットはないからジョン・タイターみたいに落書きしてけないしー、もう飽きてきてんだよね。
 おやじ、物理専門なら私を2008年に戻してよ」
「どうやって来たんですか?」
「わかんないけどー、駅のホームでふらふらして、気が付いたら、渋谷のちょっと先の丘みたいなとこに倒れてて、チンピラに連れ去られそうになったけどー、ガングロが気に入らなかったみたいでー、見世物小屋に売られたってわけー」
「では、生体電磁伝送装置ではないんですね?」
「さっきと同じ質問だしー。
 オヤジ、もしかして、ばかぁ?」

 天野辰彦は顔面蒼白になった。
「天野様、娘に馬鹿と言われたぐらいで、黙り込まないで下さいな」
 貴子は笑い飛ばそうとしたが、天野辰彦は真剣に言った。
「これは天下の一大事です」
「たしかに一大事ですが、私たちにはどうしようも……」
「いえ、つまりですよ、この少女は自然現象として、未来から落ちて来たわけです。
 私の仮説から説明すると、宇宙の磁場に通常想定及ばざる、過大な歪みが生じて、この少女はその歪みに吸い込まれて、この時代に現れたのです」
「難しいお話は理解できませんわ」
「簡単に言えば、時間にほころびが出来て、ほころびから落ちてきたのです」
「ですから、何が一大事なのです」
「つまり、今、宇宙磁場に想像を絶する大きな歪みが生じているのです。
 その影響のひとつがミユ嬢の落下してきた時間のほころびですが、この歪みがまだ続いているかもしれない。
 私の直観ですが、時間の次は、空間にほころびが生じる可能性があります」
「するとどうなるのです?」
「地震、それも想定及ばざる壊滅的な地震です。
 至急、成親殿下に連絡を取らなければ。それから警視庁の叔父上にも」


 天野辰彦は成親の書斎の壁に設けられている電話機の送話管に大声を上げた。
《ですから、今にも大地震が起きるやもしれぬのです》
 すると耳に押し当てている受話管から、雑音と共に漆原宮成親の笑い声がする。
《天野君、そう大きな声でなくても聞こえるよ。
 地震が起きるというのは君の仮説だろう。
 まだ、そうと決まったわけではない》
《一刻の猶予もありません。
 起きてからでは遅いのです。
 直ちに東京府、並びに近隣一帯に警報を発令通達すべきです》
《まあ落ち着きたまえ。
 帝都に発令するには君の推論の証明が必要だとは思わんかね?》
《ですが、殿下》
《わかったわかった。
 公務は切り上げ早めに帰って天野君の説を聞こうじゃないか》
《しかし……》
 成親はさっさと電話の回線を切断してしまった。
 警視庁の幹部だという貴子の叔父に至っては、会ったこともないのだから、さらに対応は冷たく、デマを通報する不貞の輩と断定されたのだった。

 
 晩餐のテーブルで天野辰彦は成親を説得しようと試みた。
「どうか警報発令を真剣に実行してください。
 この一分後にも大地震が襲い来るやもしれぬのです。
 そうなったらどれだけの人的、物的被害となるか、」
「天野君の説はおおよそ合点したがね、
 公に警報発令ともなれば、少なくとも君以外の帝国大学の専門家や気象台の学者も納得しなければいかんのだよ。
 君に彼らを説得するに足る証拠があるのかね?」
 そう言われると天野辰彦は困った。
 これは宇宙の磁場構造の確信と類似発生に対する直感によるものだ。
 時間が破綻して子供が一瞬にして老人となる確率はとんでもなく低いがゼロではない。
 しかし、今、それがなったとすれば、今度は空間が破綻して老人が宇宙へはじき飛ばされても驚けない。
 天野の直感はそういうことだ。
「どうしても警報は無理とあらば、殿下、せめてご一家だけでも、今すぐこの屋敷から避難して、倒壊しても怪我の少ない小さな家屋、そうだ、殿下の父上のおられる葉山のお屋敷か、庭の奥の竹林に離れがあるではないですか、あちらにお移り下さい」
「何もそこまで心配しなくてもいいのだよ。
 この屋敷はエギリスの高名な建築家ステェワート氏の手による頑強な設計だからね。
 ここにいる方が、紙と粘土のような和式建築より格段に安全に違いないのだ」
「しかし、日本は地震国です。
 地震の少ない英国の建築家が地震の対策を存分に設計に採り入れてるとは思えません。
 いざとなれば、このレンガ造りの屋根、天井が落ちて、皆、大怪我するというのが物理をする者ならすぐ気付く簡単な予測です」
 天野辰彦が食い下がると、成親の長男の伸親が笑った。
「それは、物理先生の杞憂の取り越し苦労だよ」
 さらに次男の忠親も追い討ちをかける。
「そんなに心配なら、天野先生は今晩は巣鴨の下宿に戻って、布団でも被っていればよいではないか」
「……私一人助かってどうだと言うのです」
 天野辰彦がちらりと貴子に視線を泳がせたのを、成親の妻徳子は見逃さず、ひと息おいて言った。
「私には難しい話はとんとわかりませんが、伸親も、忠親も、天野先生をそんなにいじめなくてもよいではありませんか。
 天野先生は私たちの安全を考えてくださってるのですからね」
 母親の徳子に叱られると、伸親と忠親は神妙にうなづいた。
「言葉がすぎました」
「天野先生、どうぞ今宵も当家に逗留してください」
「ありがとうございます」
「では、この辺でお開きにしますよ。
 天野君、君の説を却下したのではないですぞ、うまい説明を考えてみて下さい」
「殿下、ありがとうございます」

 天野は成親がダイニングを出るのを見送ると、貴子を呼び止めた。
「貴子お嬢様、お話があるのです」
「はい、なんでしょう?」
「あのミユ嬢は、どちらですか」
「ええ、客用の部屋で侍女が食事を給仕してますが何か?」
「いろいろ聞いてみたいことがあるのです、ご一緒してください」
「わかりました」
 廊下に出て二人きりになったとろで、天野辰彦はそっと貴子に謝った。
「あの、見世物小屋ではすみませんでした」
「なんのことですの?」
 貴子は澄まして聞き返す。
「お嬢様の口を塞いで、その、勝手にお嬢様の唇に触れました」
 貴子が急に頬を染めた。謝られたことで腹立ちは全て好意に変わった。
「しかし、あれは単なる事故です」
 その言葉に、貴子の好意はまた腹立ちに貶められた。
 しかし、天野辰彦はこの時、決心していた。
「しかし、触れたい気持ちは前からありました。
 つまり、私はお嬢様を好いているのです。
 身分が違うのはわかっています。しかし、地動説のように私の気持ちは半永遠的に、変わることがないのです」
 その瞬間、貴子の腹立ちは、好意を通り越して、恋となった。
「辰彦様、嬉しいですわ」
「本当ですか」 
 天野辰彦は思わず貴子の肩を抱き寄せていた。

 5

 翌る9月1日。朝は何事もなく迎えられた。

 天野辰彦は成親に今一度地震への警報発令を訴えたが、成親は再度、大向こうを説得する見通しを立てることを求めた。
 やがて成親と息子の伸親、忠親はそれぞれ都心へ向け出勤し、屋敷には母徳子と、学校が夏休みの貴子と天野、そしてミユと、使用人たちが残った。

 朝食の片付けが終わったところで天野辰彦は徳子に提案した。
「お昼ですが、庭奥の竹林にたたずむ離れで摂ってはいかがですか?」
 天野が地震に神経質になって少しでも屋敷から避難したがっていることはわかっていた。 徳子は天野の気持ちを楽にしてやろうと賛成した。
「そうね、あすこは池を見通せるので、時々、涼しい風が吹くのです。
 よいかもしれませぬ」
 昼飯は竹林の離れでと決まった。
 
「天野様、聞きましたか?」
 今日は外出せぬと決めたのか、淡い竹色のドレスを着た貴子がリィビングのソフアの天野辰彦に微笑んだ。
「何をです?」
「せっかく竹林の離れでいただくならと、板長が野趣あふれる流し素麺を作ってくれるのだそうです」
「そうですか、今日も蒸し暑いし、それは思いがけない楽しみですね」
「地震はどうなのです?」
 貴子が聞くと、天野は逆に質問した。
「お嬢様は科学者には何が一番大切だと思われますか?」
「いきなり、難問ですのね、
 そうですわね、やはり理性でしょうか?」
「なるほど。
 私は想像的直感だと思うのです」
「まあ、意外です」
「ええ、理論を組み立てる理性に新発見などないのです。
 理論を思いつく直感こそが、実は科学の真髄なのですよ。
 総理の急死はまあ置いておくとして、あのミユ嬢が時間のほころびから落ちてきたのが1週間前です。私は空間がほころぶのだとしたら、時間のほころんだ時から素数であり、聖なる数でもある7の間隔となった今日が最も危険なように感じるのです」
 天野辰彦は愛するひとに己の直感を打ち明けた。
 貴子は困ったような目で言った。
「そんなふうに言われると怖くなってきます」
「あ、すみません。
 それより流し素麺を楽しみにしましょう」
「少し早いですが、先に離れに行ってますか?」
「ええ、行きましょう」 
 天野と貴子は連れ立って竹林の離れに向かった。


 池に向かう座敷の卓の上に割り竹の水路がいよいよわたされ、板場の若い衆が盥から水を落として勾配を調節している。
 
「そろそろ正午ですか?」
 貴子の問いに、天野辰彦は懐中時計を取り出して眺めた。
 午前11時58分。
「あと2分ほどで正午になりますよ。さあ、流し素麺だ」
「ふふ、天野様、子供みたい」
 貴子が笑った時だった。
 突然に、畳がまるで嵐の中の舟のようにぐにゃりと持ち上がって、素麺を通す筈の割り竹の水路から水が撥ね出した。
「きゃー」「きゃああ」「でかいぞ」
「奥様を外へお連れしろ」「きゃー」
「お嬢様、先生も庭へ」
 みんなの悲鳴やら怒号やらが飛び交った。
 その最中も激しい揺れは衰えることがなく、畳は上がったり下がったりする。
 天野と貴子はしっかり手を握り合って庭に降り立った。

 洋風屋敷を見やると、屋根が振動しながら崩れ、二階広間の天井と床がぺしゃんこになって落ちて、下の食堂を一気に潰すのが見えた。
 もし、いつものように屋敷の食堂にいたならば……。
 腕といわず背筋といわずゾーッと鳥肌が立った。

 ようやく揺れが収まってきた。
「天野様」
 涙目の徳子は恐怖のあまり、呼ぶだけで精一杯、両手を天野を拝むように揃えて震えていた。
「おい、全員無事か確かめるんだ」
 板長の声に、板場の若い衆が顔を見合わせ、執事は侍女たちを数えた。
「あ、ミユ嬢はどこ?」
 貴子の声に侍女が答える。
「先ほど、離れにお誘いしましたら、ちょっと遅れると、ど、どうしましょう」
 天野は屋敷に向かって走り出していた。

 
 結

 電車からホームに降りると、柴崎智美が白い手袋をした手を振ったのですぐにわかった。
「教授、すみません、お呼びたてして」
「いえ、講義も終わって、古い日記を読んでいたんですよ。
 それで、少女の意識が見つかったのはここですか?」
 智美はホームのコンクリートを指差した。
「ええ、まさにここなんです、自殺の衝動です」
「そうですか、残念でした」
「それが少し違うんです、教授」
「と言うと?」
「飛び込む寸前までの意識はあるんですが、そこですっと意識が消えているんです」
「意識を失ったのではないのですか?」
「いえ、今までも自殺者の意識はたくさん触れてしまったことがあります。
 けれど、すべて、ものすごく嫌な、重苦しい、吐き気に包まれるような衝突の瞬間の感覚だけは、必ず残っているものなんです。
 それがない。まるで……」
「まるで?」
「いえ、うまく表現できません」
「少女の名前はミユではないですか?」
 天野教授が言うと智美はびっくりした。
「教授、どうしてご存知なんです?」
「いえ、ちょっとした直感です。
 実はさっき読んでいたと言った日記は、物理学教授だった祖父辰彦のものだったのです。
 丁度、大正12年の関東大震災の前日におかしな記述がありました」

 貴子嬢、見世物小屋にて南方の異邦の少女ミユを哀れと覚え買い取る。
 顔黒く塗りたるが、洗いたればもとは色白なり。
 桃色の短冊持て、写真と電話すなる。未来の1991年生まれの人なり。
 宇宙の磁場に通常想定及ばざる、過大な歪みが生じ、時間のほころびより来たると直感す。

「そこへ、柴崎君から電話がかかってきた」
「あ、なるほど、シンクロニシティですか?」
 既に霊的な場数を踏んでいる智美は、急に超常現象にあっても天野教授同様、平静に受け止める癖がついている。
「そう思って名前を言ってみたのですが」
「たしかにミユさんです、実り、優しいという漢字の実優です。
 失恋やいじめの意識と仲間への思いが残ってました」
「彼女はどこへ消えたのか……」
 天野教授はつぶやいた。
「その日記からして、過去に行ってしまったのではないんですか?」
「それがですね、翌日、関東大震災で崩れた屋敷の下敷きになった筈なんですが、いくら探しても遺体は見つからなかったそうです」

 その時、向かいのホームの二人連れのサラリーマンがちょうど天野教授たちの立っているホームの下を指差して、非常ボタンを押し、騒ぎ出した。
 駅員二人が天野教授のそばまで駆けてきて、ホームからハシゴをおろして、線路に降りた。
 やがて駅員におんぶされた少女が他の駅員によりホームに引き上げられるとホームの両側から拍手が起きた。
 どうやらこのホームから身を投げようとした少女実優は、大正時代にタイムスリップし、関東大震災に遭って、再び現代のホーム下に戻ってきたらしい。
 少女実優は色白の顔を手で隠しながら担架で運ばれて行った。

「よかったですね」
 智美が言うと、天野教授はうなづいた。
「あの格好はロマンを感じますね」
 少女実優は、今では宝塚と卒業式ぐらいでしか見かけない、着物に袴、足袋に草履という大正女学生のいでたちだった。                       了


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こころは母と一緒に佐藤先生に向き合った。

この形は緊張する。


「第二段階の地固め療法に入るにあたり、今後の治療について話しておきます。

第一段階の治療で、こころちゃんは寛解(かんかい)という状態になりました」


「でもこれから第二段階なんですよね」

母が言うと、佐藤先生はうなづいて続ける。


「完全寛解と呼ぶ先生もいるんですが、実際にはまだ悪玉が残っています。

なので、誤解されないように僕はただの寛解と呼んでいます。


この残りの悪玉をやっつけ、二度と再発しないように健康な体質に戻すのが第二段階の目的なんです。

しかし、強い薬を使うため健康な細胞もダメージを受けるので、全部を一気にやつける量の薬を投与はできません。

そこで今回は6回前後に分けて治療を実施します」


「どれぐらいの期間になるんでしょうか?」


「そうですね、相手は病気ですから、予定通りにいかないこともありますが、

治療期間と退院期間で1回が1ヶ月ぐらい、それを6回前後と考えてください」


私は溜め息を吐いてつぶやく。

「そんなにかかるんだ?」


「うん、ごめんな」

佐藤先生はそう言って、母とこころに同時に説明する。


「それから、言いにくいんですが、薬だけでの治療だと成績があまりよくないんです」


私は、ぞっとした。


先生の言う成績は治る成績のことだ。

つまり、成績がよくないって、助からないってことだよね。


「その成績はどのくらいなんですか?」


「薬だけですと、4、5人に1人が治癒しています」


「……」

母と私は黙り込んだ。


「今のは薬だけの場合です。

そこで、前回、ちらっと言いましたが、骨髄移植を考えた方がいいかもしれません。


健康な方の骨髄を注入する方法です。

これだとドナーが見つかれば、2人に1人が治癒します。


よくドナーは何万分の一とか大げさに言われるんですが、あれは世界の平均です。

日本人同士は型が近いので確率はずっと高いですし、完全一致でなくても移植は可能なんです。


仮に1回目が失敗しても、2回目で成功する方もいます」


「じゃあ大丈夫ですね?」


佐藤先生はうなづいた。

「絶対という約束は神様しかできませんが、

私はこころちゃんを健康に戻すためにありとあらゆる力を尽くします。

それはお約束します。


ただ、骨髄移植は薬だけよりさらに辛い治療になってしまうんです」


「どんな治療なんですか?」


「放射線をあてて、全ての骨髄細胞をゼロにします。

それから健康な骨髄の移植を行います。

ですから、再発の危険は抑えられるんですが、

ここに非常に問題がありまして、」

いつになく言い方がまわりくどい、嫌な予感。



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ヒロキさんに千羽鶴のこと、メールしたら羨ましがられた。


《いいなあ、そんな素敵なクラスで。

俺もこころちゃんのクラスに編入しようかな(笑)》


《だめです、うち、女子高だもん(笑)

それとも女装してきますか?》


《うん、女装していこっかな(笑)

可愛いコとかいるの?》


一瞬、血が逆流した。

冗談てわかってるけど、好きになると、友達ならなんでもないセリフに嫉妬しちゃうんだな。

《き、きらいだよ、そんなこと聞くなんて(シクシク)》

メールを送ると、ヒロキさんもすぐにあやまる。


《ごめんな。ちょっと冗談がすぎたよ、許して。

ちょっと初めてケンカしてみました(笑)

機嫌直してな、俺にはこころちゃんしか見えないんだからさ。

本当にいい仲間に囲まれてこころちゃんは幸せものだな》


《そうですね、病気はつらいけど。

ヒロキさんや、サトミや、カオリや、素敵なクラスメート、それに両親によくしてもらえて、かなり幸せなのかも》


《そうだよ。

後は早いとこ病気をやっつけて、海辺でデートを実現しような!》


《はい、ヒロキさん、大好きです!》


《サンキュ、俺もこころちゃんをずっと愛してゆくよ!》


私は、胸がカーと熱くなるのを感じて、携帯を胸にあてた。



1週間はあっという間にすぎて、私は再び入院した。

もちろん、自分とクラスメートで作った【絆】の千羽鶴を持って。


佐藤先生には、いきなり廊下で会った。

言われる前に、握り拳を出して、言ってやる。


「サー!」

「やられた、浮気しないで来てくれたか、また頑張ろうな」


「先生も可哀想だね、ずっとこんなとこで仕事して」

「今度、こころちゃんの学校に息抜きに行ってみよっかな?」

「ふふんだ、可愛いコいるのとか聞くんでしょ?」

「へー、よく俺の考えてたセリフ、わかったな」

「男なんて、みんな一緒だもん」


「何か、彼に言われたのか?」

佐藤先生の突っ込みに、私は思わず反論した。

「わ、私の彼はそんな気持ちはないの、ただの冗談だよ、絶対に」


佐藤先生、笑いながら指で私を差した。

「なんだ、こころちゃん、彼氏いたのか?

うっかりばれちゃったな、この前、友達って言ってたひとかな?」


私は慌てて口を両手で押さえたが、もう遅い。

「いけないっ!

先生、彼のこと、親とかに絶対、秘密にしてよ」


「うん、心配すんな、患者の秘密を守るのは俺の仕事だから」

佐藤先生は指で口にチャックするゼスチャアをして見せた


「ところで、今度、お母さんかお父さんが来たら、こころちゃんと一緒に、

今後の治療計画について話したいから、家の人に言っておいてくれるかい?」

「あ、はい、わかりました」

そこへ看護士のリカさんがこころの後ろから歩いてきて声をかけた。

「こころちゃん、久しぶりね。

さっき、先生がチャックのしぐさしてたけど、秘密の約束?」

「そう、ゼッタイ秘密だよ、先生、ばらしたら許さないんだから」

「だって、先生、大変だあ」

リカさんが言うと、佐藤先生は「参ったなあ」と逃げるように部屋に入った。



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級長の藤崎麻理が立って教壇に上がった。


「では、皆さん、私たちの【絆】を提出してください」


級長の藤崎がそう言うと、クラスメートたちはそれぞれカバンから机の中から、ひもに通した折鶴を取り出した。

そして立ち上がっては、前に進み出て、こころに口々に声をかけて、教壇に折鶴を積み上げてゆく。

「こころさん、頑張ってね」「ありがと」

「応援してるからね」「ありがと」

「またメールしてね」「うん」

「早く元気になってね」「ありがと」


そして折鶴を持ったサトミがこころの前にやってきて笑った。


「ごめん、内緒にしてて。


でも内緒にしないとサプライズにならないからさ」


「うん、いつもありがと」


こころはうなづいて鼻をすすった。


こころの見ている前で、級長の藤崎が折鶴のひもをまとめて千羽鶴にしてゆく。


こころは感激で目が潤んで、ぽろりぽろりと涙が頬から落ちた。


級長が千羽鶴と折り紙をこころに渡して言った。


「川津辺さん、早く完全に元気になってね。


でも、まだこれ、千羽には三十三羽足りないの。


最初、残りの三十三羽もみんなで折ろうという意見も出たんだけど、


川津辺さんにもクラスの一人として折ってもらって、


みんなのとひとつに、【絆】の千羽鶴にした方が絶対に素敵な思い出になるよって話になったの。


だから続きをお願いしていいよね?」



「もちろん。みんな、ありがとう。


こんな素敵な千羽鶴、貰えるなんて、私は最高に幸せだよ」


長谷寺先生が拍手すると、クラスのみんなも拍手した。


長谷寺先生が言う。


「金八先生的に言うと、これはクラスがひとつになった最初の作業ね。


川津辺さんは大変な辛い思いをしただろうけど、


それでクラスみんなが川津辺さんを応援することでひとつになれた。


だから私は川津辺さんに感謝したい。


川津辺さん、ありがとう」


こころは驚いて手を払うように振った。


迷惑かけてると思ったのに、感謝されるなんて。


「みんな、川津辺さんは授業出れないこと多いから、

これからも助けてあげてね、いいわね?」

「はい」


みんなの声が響き、こころは幸せな気分で自分の席に着いた。


「もう授業の時間に入ってるわね、

急いで教科書を出して、32ページ」


こころはふと窓から校庭を眺めて、光がきらきらしてきれいだなと思った。

そしてクラスを見回して、素敵だなと思った。

こんな素敵なクラスでみんなと一緒にいれる。

それだけでも幸せを感じるこころだった。



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短編競作企画 参加作品     お題「チョコレート」「猫」「携帯電話」



 「ありふれた危機」


 夕方のハンバーガーショップは高校生で賑わっていた。バレンタインのせいか、カップルだけでなく、男子だけのグループ、女子だけのグループもやたらハイテンションだ。

 航太は、向かいの席の沙耶に話しかける。
「先週、冷蔵庫の奥におせちの残りを発見して食べたら、まずかったよ」
 航太は高校三年、最近は緊張の極致でほぼジュケンハイ。一方、沙耶は高校一年だからナマケモノノのぬいぐるみのようにお気楽だ。
「二月におせち?バカだよそりゃ」
「お前の言葉、歯に衣、着てないし、衣ほすてふ天の橋立 持統天皇だろ」
「そんな有名なの試験に出ないよ」
「じゃ、我が衣手に雪は降りつつ 光孝天皇 光速は誘電率×透磁率のルート分の1」
「あ、そうそう、これ、義理だよ」
 沙耶はカバンを開けてひっくり返し、ピンクの紙包みをテーブルに落とした。
「お前ね、その冷たい言い方、出し方ないだろ?」
「だって本命じゃないんだし」
 航太はまわりを見回しながら、ピンクの包みを引き寄せた。
「だからさ。誰かいい女が目撃してて、やばいよ、あんな小娘に航太を取られるぐらいなら、やっぱ私が勇気出して渡そうって、なるかもしんないだろ?」
「ないない、寒いよ、その妄想」
「お前、今、口がラキスタだし……、なんかこの包み、軽くね?」
 航太は言いながら包み紙を破り、ペン缶サイズの紙箱を開いた。

「おっ!」

「えへへ、お母さんがね、航太は甘いの苦手だから、きっとこっちの方が喜ぶって」
 紙箱の中にあったのは牛丼屋の券だ。
「まじ?牛丼の回数券じゃん、まじ嬉しいよ。
 今までもらったプレゼントのうちでイッチャン嬉しい」
「うっ、たかが牛丼の券でそこまで喜ばれると、妹としては悲しいよ」
「何でお前が悲しいんだよ」
「ま、いいや、用は済んだし、私、帰るね」
 そこで航太が沙耶を呼び止めた。
「待てよ、母さんから父さんへの義理はないわけ?」
「ううん、何も預からなかったよ」
「そうか。やっぱ、あの二人の仲は冷え切ってんだな」
「仕方ないよ」

 兄妹はハンバーガーショップを後にして、商店街を歩き出した。
 道を歩いてゆくカップルはみんな楽しそうだ。

 航太は沙耶に聞く。
「ところで、自分の本命には、なんか渡したのか?」
「ノーコメント」
 沙耶が顔を伏せてしまったので、航太は慌てて話題を変える。
「お前さ、小さい頃、父さん母さんの喧嘩を盗み聞きしたの覚えてる?」
「覚えてないよ」
「あれは……」
 
 航太が小学校3年、沙耶が1年の時だった。
 その頃、兄妹の部屋は仕切りがない洋室だった。
 真夜中、航太は甲高い物音に目を覚ました。
 音としては鍋かなんかが勢いよく床に落ちた衝撃音だ。
 さらに両親が何か怒鳴り合う声がした。
 航太は大変だと思い、沙耶を揺り起こした。
「あ、なあに?」
「パパとママがケンカしてる。こっそり覗いて来よう」
「うん」
「大きな声を立てちゃダメだ、これぐらいの声で話すこと」
 航太が小さく言うと、沙耶は囁いた。
「わかったぁ」
 ダイニングに通じるドアの手前に来ると、両親の話がなんとか聞こえた。
 沙耶が振り向いて囁き声で聞いた。
「ぉ兄ちゃん、チョコレートは枯れてくれって、どぅぃぅことぉ?」
 沙耶の聞き違いを航太が直してやる。
「違うよ、『千代子 俺と別れてくれ』って言ったんだよ。
 パパがママに離婚しようって言ったんだ」
「ふぅん、そぅかぁ?」

「えー? 私が、チョコレートは枯れてくれ、なんて言ったの?」
 沙耶は航太を見て笑う。
「ああ、あん時は、まじヤバイと思ったよ。
 それから、お前は離婚の意味わからなくて、リコンて何?て聞いた。
 それで俺が、結婚の反対だって教えたんだよ」
「でも、結果的に離婚じゃなくてよかったね」
 沙耶が言うと、航太はうなづいた。
「ああ、あれから半年で別居したけど、いつでも互いの家に行って会えるしな」
「お母さんは進歩派だからね、無駄な家庭破壊はしないのよ」
「母さん、進歩派なのかな?」
「最近はアセンションの話ばかり聞かされるよ」
「アセンションか、訳わかんねー」
「だからさ、その辺が別居の理由なんだよ」
 航太は溜め息を吐いた。

「あ、お母さんからメールだ」
 沙耶は素早くメールを確認する。
「今晩、遅くなるから先に食べてだってえ?
 まさかお母さん、新しい恋人に告白成功してたり?」
 沙耶がほぼ残業のない母のことを心配して言うと、航太は怒った。
「変な想像すんのやめろよ、俺の母さんだぞ」
「心配してるんじゃないの」
「とにかく変な想像すんな」
 二人は、通行人の好奇の目に気付いて黙り込む。

 その時、航太のポケットで、父さんに設定してる着信曲「地上の星」が鳴り響いた。
「もしもし、俺、うん……、うん、わかった……、じゃ……」
 航太は通話を終えると、沙耶に伝える。
「父さんも遅くなるんだってさ。夕めし、一緒に食う?」
 沙耶はさらに心配しだす。
「やだ、お母さんもお父さんも新しい恋人と浮気だ、ついに別居から離婚に発展だよ。
 きっと私たちも、今までみたいに会えなくなるよ」
「それはないよ」
「どうしてよ?新しい相手と遠くに引っ越したら、もう簡単に会えないよ!」
「ないって」
 航太は笑みを浮かべて言った。
「携帯が切れる直前、母さんの猫撫で声が父さんを呼んでた」

「……あっ」
「あいつら、なにげに、やるね」
「うん」
 沙耶は今にも溢れそうだった泪を止め、急に笑みをふくらませた。      了




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翌日、かつらをかぶって久しぶりに学校に行った。


おかっぱ頭で、なんか変な噂されたらどうしようと、かなりドキドキだった。


でもクラスメートは入院のこと知ってるわけだし、みんなに明るく迎えられてひと安心した。

もちろんサトミもこころの手をギュッと握って暖かく迎えてくれた。


「お帰り、こころがいないと私も調子が出ないから、これからはずっと来てよ」

いつになく、サトミがしおらしいことを言うので私は笑った。


「私は病院で悪友のつっこみから開放されてのひのびしてたよ」


「このお、恩知らずめー」


サトミが笑いながら、私の手をやさしく叩いていると、クラスの違うカオリがやって来た。


「こころー、わーい、来たんだねえー」

カオリは突然、私をハグしおった。

「よかったね、ずっと心配してたんだよ」

「いいから、離してよ、誤解されるよ」


カオリは私を離すと、茶色いカチューシャを見せた。

「これね、した方がよく見えると思って持ってきたの。つけていい?」


「あ、ありがとう」

私が礼を言うと、サトミも賛成した。


「そうだね、した方がいいかも」


そこでカオリとサトミと一緒にトイレの洗面台に行った。


カチューシャをつけてもらうと、オカッパ頭に段ができて、前よりずっと本物っぽく見えてきた。

「うん、似合うよ、こころ」とカオリ。

「いいんじゃない!」とサトミも。


「うん、カオリ、ありがとう」


クラスに戻ると、学級担任の長谷寺清美先生が入って来た。


長谷寺先生には、母と一緒に昨日のうちに、とりあえずの退院後、また第二段階の治療で入院することなど、今後の予定を電話してある。


「起立、礼、着席」

長谷寺先生はこころを見ると、嬉しそうにうなづいた。


「皆さん、もうわかる通り、川津辺さんが戻ってきてくれました。

はい、川津辺さん、前に出てみんなにひとこと」

「えっ」

こころは照れながらも教壇に上がって、お辞儀した。

「みんな、お見舞いのメールとかいっぱいありがとう。

おかげで一応退院しました」


そこで長谷寺先生が説明する。

「だけど、川津辺さんは来週になると、治療のためにまた入院します。

それでも登校した時も、入院した時も川津辺さんは大事なクラスメートです。

そのことはみんな決して忘れないように。


級長、後をお願いね」




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短編競作「裏」企画 参加作品  お題「チョコレート」「鰻」「ガンダム」


「売れ残りには福がある」


 暗い通りに、明るく照らし出された携帯ショップ。店内の棚には様々な色、デザインの携帯がずらりと並んで、まるで祭りの屋台のように賑やかだ。

 俺は気がつくと店内に足を踏み入れていた。
 明らかに浮いている緑色のハッピを着た女性店員がさりげなく近づいてくる。
「どうぞ、ごゆっくりお選び下さい」
 俺は板チョコより薄い、シルバーの携帯を手にしてみた。
「カッコイイね、これはいくらになるの?」
 俺の問いかけに女性店員がバインダーをチェックして言った。
「申し訳ありません、シルバーは在庫が切れてまして、こちらのショッキングピンクならありますが」
 女性店員はピンクの携帯を差し出した。
「男でショッキングピンクはきついよ」
 俺が拒否すると、
「じゃあ、あと、ライトブラウンもあります」
 女性店員はライトブラウンの携帯を差し出す。
「このライトブラウンは、なんだ、えらいジジイ臭いね」
 女性店員の眉が引き攣った。
「ではブラウンでも、模様入りなんかいかがですか、
 ほら、猫目石模様です」
 今度は茶色に黄色い縞模様が出てきた。
「なんかなあ、売れ残りのデザインばっかりだな」
 俺の会心の一撃に、女性店員は降伏撤退を決めたようだ。
「はあ、やっぱり。何かありましたらお呼び下さい」
 女性店員は肩を落として、ボールペンの頭をノックしてカウンターの奥に向かった。

 と、その時、俺の目はポスターの隅に書いてある文字に釘付けになった。
「キミ、ちょっと!」
 女性店員は怪訝な顔で引き返してきた。
「どうしました?」
「今、ガンダムストラッププレゼント中なの?」
 俺がポスターを指差して言うと、女性店員は冴えない顔でうなづいた。
「あ、はい。なんですがぁ、数量限定なので、こちらもほとんど終了でして、
ガンダムやザク、アムロ、シャア、ホワイトベースはないんです」
「あるのは?」
「えーと、地味なキャラがひとつだけ残ってるはずです、
 えーと、名前がハロ? ハロなんて人、ガンダムにいましたっけ?」
 女性店員は自信なさそうに呟いたので、俺はムッとした。
「何を寝ぼけてんだよ、ハロちゃんがガンダムで一番可愛いキャラじゃないか!
 じゃあ、ひとつ貰うよ!」
「え?あ、ありがとうございます。
 じゃあ、こちらのライトブラウンでよろしいですか?」
「おお、いいねえ、よく見ると琥珀みたいでカッコイイじゃん」

 携帯一式の紙袋を持ち、笑みを浮かべた客が軽やかな足取りで店を出て角を曲がると、女性店員は奥から出てきた店長に声をかけられた。

「よく売ったな、あの鰻の蒲焼きみたいな売れ残り」
「ストラップで気が変わったみたい、ハロちゃんて言ってた」
「ケッ、いい歳こいて、ハロちゃんだと」
「だめだよ、店長、客の悪口言っちゃあ、アハハハ」
 店長と女性店員はそこで爆笑した。


 俺は急に鼻がムズムズしてきた。
 ファッ、ファッッ、ハックショーンッ!
「やばい、花粉症始まったかあ?
 でもハロちゃんのストラップ、ゲットしたから、今日は幸せだなあ」
 俺は空をちらと見上げて、独身寮への道を急いだ。
 
 空には満月が、ハロのような顔で静かに微笑んでいた。             了


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3週間ぶりぐらいに家に帰ったが、翌日は学校には行かなかった。

教室で毛糸の帽子というのも目立つとお母さんに言われ、一緒にデパートにかつらを買いに行ったのだ。

でも、おばさん用みたいな感じが多くて、かなり妥協した。


デパートから出て、レストランに入った。

「お父さんからご馳走してやれって言われたから、好きなの注文しなさい」

「じゃあ、ハンバーグカレー!」

「え、そんなの?家でも食べられるじゃない、他のにしたら?」

お母さんに思い切り笑われた。

(だってヒロキさんも好きなんだよ)

心の中でつぶやいただけで顔が火照った。

「いいの、食べたいんだから。

病院の食事に比べたらなんでもご馳走よ」


帰りの電車の中でヒロキさんに報告した。

《こんにちは、こころです。

今日はお母さんと買い物に出かけました。

ハンバーグカレーを食べて、美味しかったよ!》


《そうなんだ。ハンバーグカレー食べたいなあ。

買い物って何を買ったの?》


わ、ちょっと言えないよ。


《えへへ、女の子の秘密なもの。

病院は退屈ですか?》


《うん、ちょっと退屈だな。

でもこころちゃんのおすすめの、漫才のDVD買って大正解。

楽しめるよ。ありがとう》


《私、ヒロキさんのお見舞いに行きたいです!

病院の名前と場所を教えてください》


《この前、僕がそう言ったら、こころちゃん、なんて答えた?

入院してる姿で初対面はイヤだって、断ったじゃない。

あの時のこころちゃんの気持ち、今、とてもよくわかるよ》


そこで電車が自宅の駅に到着した。


「お母さん、私、この席でもう少しメールしてく」

「大丈夫なの?」

「大丈夫だよ、私は今、普通の人より免疫多いんだよ」

「しょうのない子ね、早く帰って来るのよ」


お母さんが降りると、発車ベルが響いた。

私はヒロキさんへのメールを続けた。


《そうでしたね……。

じゃあ、二人揃って退院まで、会うのはお預けですね》


《そうだな。ちょっと寂しいけど。

でも僕たちは互いの心はわかっている。

なんでも、メールでいつでも確かめられる。

これってたぶん、すごく幸せなことだよ》


《はあい、かなり寂しいけど、はあいです。

あ、それで、オススメの入院テーマソング「愛は勝つ」は聴いてますか?》


《元気のない、はあいだな(笑)

うん、「愛は勝つ」ね、聴いてるよ。

元気が出る曲だよね》


《よかった。ちょっと気になってたから安心した!》

こころは送信して微笑んだ。



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水曜日。

朝の検査で昨日に続いて白血球が1万キープしている。

そこでお昼前に、佐藤先生にマルクされた。

うう、やっぱり痛いよ~。

ヒロキさんにメールでぼやいてみる。


《またマルクされました。

退院のためだと思って耐えましたよ。

これで退院できなかったらサー・ガッツに仕返しするのら》

五分ぐらいで返事が来る。


《えらいね。

と思ったら、仕返しって問題ありだよ(笑)》


《だってえ、それを目標に耐えてきたんだもの。

ところでヒロキさんの病気はどうですか?》


《うん、僕の方はまあまあ。

手術までしないで済むかもよ》


《それはよかったです》

と送信しかけてやめて、書き足した。


《それはよかった、安心しました。

大好きなヒロキさんの病気が大変だったら、私、困ります。

これからもいっぱい叱ってもらったり、応援してほしいです》


《オーケー、僕も大好きなこころちゃんのために、ずっと元気でいるよ。

一緒にがんばろうな!》


《ヒロキさん、ありがとう!》


携帯を見てると、窓際の翔子ちゃんの声が飛んできた。


「何ニヤニヤしてんの?気味悪いよ」

「あ、えへへ」

「彼氏とうまくいってんだ?」

聞かれたこころはもう否定しない。


「まあね、見せてあげる」

こころはヒロキさんの写真を翔子ちゃんに見せた。


「ふうん、まあまあだね」

意外とそっけない感想だ。

「まあまあじゃなくて、カッコいいよ」

すっかりヒロキさんに、のめり込んでいるこころだった。


夕方になって、佐藤先生と看護士のアカネさんが、にこにこしてやってきた。


「こころちゃん、おめでとう!」

「寛解だよ、マルクの結果、悪い白血球はほとんど見つからなかった。

第一段階は退院だよ!」


「ほ、ほんとに?」


「うん、得意のポーズを決めてよ!」

「サー!」

こころが拳を握ってガッツポーズする。

すると、佐藤先生やアカネさんも「サー!」と真似した。


ただ、私より先にクリーンルーム出たのに、まだ退院できない隣の翔子ちゃんに悪いなと振り向いた。


でも翔子ちゃんも笑いながらガッツポーズして見せた。

「お姉ちゃん、第一段階は私も早かったんだ、気にしないで」


佐藤先生が言う。

「とりあえず一週間の退院だけど、家でたまった宿題とかしておいで」


ひゃー、何も勉強のことなんて言わなくてもいいのに。

「佐藤先生、意地悪だあ!」

「うそだよ、たっぷり休んで、友達に会って遊んでおいで!」

ナースステーションでリカさんや他の看護士さんにもお礼を言った。

お父さんが迎えに来ると、こころは退院した。




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 卓郎が都心の高級ホテルのスイートに入ると、白いミニのスーツを着た楓花がソフアで雑誌を見ていた。

「やあ、待ったかな?」
「ちょっとね」
 卓郎は五十代後半、楓花は十九歳である。
「じゃあ早速始めようか」
 卓郎がワイシャツからネクタイを引き抜くと、楓花は不機嫌に言う。
「卓郎ちゃん、せっかちだなあ」
「いいから、早く、早く、もう待ちきれないよ」
「たくっ、そういうのヤなのに」
 卓郎が急かすと、楓花は仕方なくバスルームの方に消えた。
 シャワーの音が流れ、楓花の鼻歌が響く。
 卓郎はバッグから一眼レフを取り出した。楓花のあられもない姿を撮るのが彼の趣味なのだ
 卓郎はカメラをバスルームのドアに向けて構えている。

 ドアが勢いよく開いて、楓花が部屋に入ってきた。
「おお、いいね、いいね、そこでウィンクもらえるかな」
 カメラの自動シャッターの音が鳴り響く中、楓花は右手の人差し指と親指を顎の前に構えて、反対側にお尻を突き出した。
「可愛いよ、いい、いい、ちょっと持ち上げて」
 楓花は左手でピンクのスカートの後ろから伸びた尻尾を持ち上げた。
「キター、キタね、そこでまわってニャオーて言って」
 楓花はくるりとまわると、猫耳のわきに猫手を持ち上げて、
「ニャオ~ン」
「くーっ、痺れた、痺れたよ、萌えるなあ」
「ニャ~オ」
「よし、テーブルに乗ってみて」
 楓花は猫手をテーブルに着き、猫足も乗せて四つん這いになった。ピンクのメイド服に、ピンクの猫耳、猫鈴、猫手、猫足、猫尻尾をつけた姿は、アキバおたくの心を鷲掴みにして離さない天使降臨そのものだ。
「ニャ~ォ」
「いいね、いいね、舌をペロリと出して」
 楓花が舌を出して猫手を舐めるようにすると、卓郎は叫んだ。
「ああ、痺れた、これだよ、日本が世界に誇るアキバ文化の頂点、猫キャラ。
 これで世界を征服できるぞ、確信したよ」
 その時、卓郎の携帯電話がドラえもんの着信音で鳴った。
「もしもし、そうか、じゃあ行くわ」
「卓郎ちゃん、お仕事?」
「うん、ごめんな、でも今日も最高によかったよ、また頼むわ。
 これ、少ないけど」
 卓郎が封筒を渡すと、楓花は涙目になる。
「私、お金のためにやってるんじゃないよ」
「別に変な意味はないよ、秋刀魚定食でも鰻定食でも、ここで食べればそれぐらいするんじゃないの。口止めなんかするつもりもないから」
「私だって卓郎ちゃんに迷惑なんかかけないよ」
 卓郎はネクタイを締め直すと「ありがと、それじゃあ」と言いながら外に出た。
「せわしいなあ」
 廊下を歩きながら言うと、秘書はあやまる。
「すみません、移動の時間があまりないので急いで下さい」
「うん、で次の予定はどこ?」

 楓花はバレンタインのプレゼントを渡しそこねたのに気付いて、猫キャラの衣装のまま慌てて部屋を走り出て卓郎を追いかけた。

 アキバの駅前通り、若者たちが歩道に溢れていた。
 小型バス型の宣伝カーの舞台に卓郎が昇ると、拍手と歓声が上がった。ブーイングも少しあるが歓迎の声が圧倒的だ。
「えー、足を止めていただき、ありがとう、えー、私は……」
 その時、卓郎は、道路脇の信号機制御箱の上に立った、ピンクの猫キャラに気付いた。
 お、楓花タン、忘れ物か?
 楓花はハート型の箱を頭の上で振って何か叫んでいる。

「先生、続きを」と秘書が催促する。
 なんだ、あれは?今週、なんかイベントがあったかな?もしかして、今週はハロウィンか?ハロウィンといえば、キャラメルか?
「……キャラメルが立ちすぎて、党内から批判の多い虎万卓郎です」
 うっかりこんがらがった卓郎を、横から秘書が注意する。
「先生、違います、キャラメル、違いますよ」

 そうだ、バレンタインだ、思い出した。 
「間違えました、チョコレートが立ちすぎて、党内から批判の多い虎万卓郎です」
 聴衆がドッと受けたが、秘書は、先生、チョコじゃなくて、キャラですと注意する。
 いいんだよ、もう、受けたんだから。
 今日も人気赤丸急上昇だ。
 卓郎は笑みを浮かべて熱弁を振るう。
「いいですか、日本のアキバは新しい文明の発信基地なんです。
 今、フランスパリへ行ってごらんなさい、みんなが日本のアニメに夢中ですよ。
 私が行くとヒーロー扱い、大統領になってくれと言われるんだから」
 聴衆がまた笑った。

「いや、ほんと、ちょっと大統領選出れないかと調べさせましたよ。
 ハリウッドだって、日本のアニメに影響されてる。
 鉄腕アトム、ドラえもん、みんなアニメのロボットだ。そのリアル技術で日本は世界のトップに立ってるんですよ。
 DDH-182『みらい』(※)の大きいのを30隻ばかり作って、ガンダムのモビルスーツを実際に開発して、百体ぐらい実戦配備すれば、日本はどこからも侵略されない。
 え、5体ぐらいで十分だって?
 それが、そうもいかないのが、政治なんですよ。
 そしてニュータイプの養成機関も作らなければならない……」

 信号機制御箱の上に立っていた猫キャラの楓花は、卓郎の演説とそれにうなづく聴衆に確信した。
 日本の夜明けは、卓郎ちゃんの手にかかってるんだ!              了
 

※DDH-182『みらい』 「ジパング」に登場したヘリ搭載イージス艦のこと

◆この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

 f_02.gif プログ村

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昼すぎ、こころは毛糸の帽子をかぶって病院内を散歩した。

外来と入院B棟をつなぐ廊下にベンチが点々と置いてあって中庭を眺めるのにちょうどよい。

こころはベンチに腰掛けてるおばあちゃんの隣に腰をおろした。

おばあちゃんは日向ぼっこしながら眠っていてこころは笑みを浮かべた。


廊下の向こうから若い男のひとの乗った電動車椅子が近づいてくるのが見えた。

こころはヒロキさんだったらいいなと思ってしまう。

すると、心に答えるように携帯がブルッた。

《こころちゃん、今回はデートできなかったけど、

僕はもう下見してきたんだ。

その時に撮った写真をメールしながら何枚も送るよ!

これから海辺に行ったつもりデートをしようよ》


わーい、嬉しい!ヒロキさん、大好き!


《ありがとうございます!

行ったつもりになりますね!

どこへ行くんですか?》

そう聞くと返事が来る。


《今回は千葉の房総半島の海だよ。

さあ、車に乗って、ドアを閉めて、出発ーっ!》


スクロールするとちゃんと赤い車の車内の写真だ!

ディズニーランドの写真、工場の写真、海が見えてきた。

すごい演出!

《ヒロキさん、もう海が近いね!》

返事が速攻で返ってくる。


《僕たちの目的地はもうちょっと先だよ。

今、車は館山をすぎて、滑るように走ってる》

車から見た道路、似たような写真が続く。

うーん、ちょっと退屈かも。

こころはおばあちゃんの向こうに車椅子を止めた男のひとをちらっと見た。

ヒロキさんの写真にちょっと似てるかも。

でも手には携帯もノートパソコンもないからヒロキさんの筈がない。


《飽きてきたかい?》

《ううん、ヒロキさんと一緒だから大丈夫》


《ほら、道の先が黄色いよ》

《え、何?》


《菜の花だよ、ここフラワーラインは道の両脇に花が植えてあるんだ》

道の両脇が細長い花壇になってて、黄色い菜の花が続いてゆく。

「わー、素敵!」

こころは思わず声を上げて、おばあちゃんを起こしてしまい、車椅子の男のひとにも笑われてしまい、慌ててうつむいた。

《この辺で車を止めて、海まで歩こう。

こころちゃん、手をつないだよ!》


こころは想像の中でポーッとなってしまう。

松林の先に、すぐ海が見えた。


《ほら、潮の匂いがつんとしてきた。

沖から白い波が寄せてくるよ》


《潮の匂いか、波の音が聞こえてきそう。

あ、私、貝殻みっけた!》

こころはアドリブで言ってやる。


すると、次のメールで本当に桜貝の写真が出て、びっくりした。


《ほら、桜貝、お守りにするといいよ》


《ありがと、今、手品みたいだったよ》


海の青と空の青が水平線でひとつになっている。


《こころちゃんのほっぺをそっとはさむように持つよ》

《えっ、何?》

《キスだよ、

こころちゃんの唇に僕の唇を重ねるよ、そっと》


一瞬、なんて返事したらいいかわからなかった。

でも、これしかないよね。


《chu!………》


不思議なキス!

想像なのにホントにされた気がした!

私とヒロキさん、心は通じているんだな。



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月曜日。

昼前に、例によって白い忍者風の姿で佐藤先生がやってきた。

「どうだ、土日はおとなしくしてたか?」

「そうするしかないでしょ」

私の口をまげて言う。

「なんだ、そうふてくされるなよ」

佐藤先生が嬉しそうな声で言う。

「白血球上がったから、クリーンルームは卒業だ、おめでとう!」


「えっ?卒業?」


「そう、もっと喜べ!」


「やったー、サー!」

私は笑いながらガッツポーズをして見せた。

「おお、それが見たかったぞ、本場のガッツポーズ」

「あはは、それじゃあ外出してもいいの?」


聞くと、いきなり佐藤先生、口調のテンションが下がった。


「外出はまだだめ、もう少し数字が安定してからだよ」


「そうか……」

「とにかく、もう出てっていいぞ」

「え、本当?」

私は半信半疑で聞き返すが、看護士さんも既に透明のビニールカーテンを開けにかかっている。

「ありがと、先生」

「サー!」

今度は佐藤先生のガッツポーズ。

私は看護士さんと一緒に大笑いした。


私はいそいそと身の回りのタオルや替えのパジャマや下着を袋に詰め込んで部屋を出る支度をした。


そして元の病室に戻って、翔子ちゃんに挨拶すると抱きつかれた。

「よかったあ、また一緒で」

「大げさだね」

「だって入退院多いから、クリーンルームから戻ると部屋が違ったりするんだよ」

「あ、そうなんだ、てっきり一度入ったら自分の部屋かと思ってた」

「だめな後輩、今、私が窓際なんだ、お姉ちゃんは今度真ん中のベッドだよ」

「はあい、先輩」


こころは親やサトミ、カオリにクリーンルーム卒業をメールした。

そして、もちろんヒロキさんにも。


《ヒロキさん、クリーンルームを卒業しましたよ!》


《お、こころちゃん、よかったね!》

《けど外出、外泊はだめで、へこんでます》


《とりあえず前進したんだから、いいんだよ》

《そうですよね、ありがとう!》


《あとでまたメールするね》

こころはわくわくして待った。



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日曜だというのにクリーンルームの中で、退屈な時間がすぎてゆく。

この部屋にいる限り、原則として家族しか面会できない。

ただし恋人は特別に面会できるらしい。

ヒロキさんのことを考えたが、さすがにクリーンルームのガラス越しにインターフォンで初対面はちょっと遠慮だ。


昼すぎに、サトミからメールが来た。

《おはよー、起きたあ?》

あー、私が病気になろうがなるまいが、サトミの日曜は午後から始まるんだな。

あんたは幸せものだよ、と思いながら返事する。

《残念ながら病院は日曜だからって寝てられないんだ。

投薬、点滴は平日と同じ時間にくるんだよ》


《ひどいね、遠慮して遅く来りゃいいのにね》

《いや、薬は必要だし、ひどくはないから(笑)》


《どうなの、彼とは?

まだ会ったりできないわけ?》


《うん……私の状態が退院とか外出無理だから》


《そうなんだ。見舞いもだめだもんね。

退屈してるでしょ?》


《まあね、M1グランプリのDVD、何度も繰り返して観てるよ。

繰り返しても笑えるから漫才はいいね》


《でも来週には退院できるって言ってたね。

部面とカオリでパーティーしてあげるからね》

《ありがと、サトミ》

《じゃあね、また!》


私は携帯の袋を置くと、ベッドから立ち上がり、窓際から中庭を眺めた。


都会の中のささやかな緑だけれど、自分が病気になってみると、その緑の輝きがとても眩しく見える。

空を眺めると、ゆっくりと流れる雲も、おひさまの陽ざしもきれいだ。

なんだろ、この景色に生命を感じる。

健康な時は全然感じなかったのに。

そして、緑に、雲に、おひさまに、生命を感じている私の生命も、ちょっとかもしれないけど輝いているに違いない。

私はこの生命をこれからもずっと生きてみせるぞ。

この気持ち後でヒロキさんにメールしとこう。

考えてるとメールが着信した。

ヒロキさんかな?

そう思って開くと翔子ちゃんだった。

《こころお姉ちゃん、こんにちわ!

家族でレストランに来てるの。

写真撮ったので送るね》

下の写真に、レストランの席で弟らしき男の子と並んで笑っている翔子ちゃんがいた。

ふふ、こんな笑顔、病院で見たことなかったよ。

こころは、翔子ちゃんの笑顔が自分のことのように嬉しくてたまらなかった。



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こころが夕食を残して、M1グランプリの漫才のDVDを見て笑って吐き気をこらえてると、携帯がブルッた。

ヒロキさんかな、それともサトミ、カオリ、もしかしてお母さんと思いながら開けると、翔子ちゃんだった。

私より先にクリーンルームに入った翔子ちゃんは3日に一度くらいメールをよこしてたのだ。


《ヤッホー、白血球上がってクリーンルーム卒業だよ!

前の病室に戻ったよ。

明日はお家にお泊りだよ。

こころ姉ちゃんもがんばってね!》


私は速攻で返事する。

《翔子ちゃん、よかったね!

私も早く出て、退院できるよう頑張るよ!》


送ったとたんに、今度はカオリからメールだ。


《こころ、調子はどう?》

速攻で返事する。


《調子はいいところもあるけど微妙だよ。

点滴多いからおしっこは回数多いんだけど、副作用で便秘気味。

副作用でお腹はすくんだけど、無菌の食事はまずすぎ》


《ふうーん、副作用大変ね。

でも頑張ってね。

彼は告白の後、なんかまた言ってきた?》


私は照れながらメールを打つ。


《ありふれたことだよ。

ただ、彼、そういえば前よりメールまめになったよ。

前は、こっちがメールして1時間してから返事来るって感じだった。

今はさ、5分ちょっとで来るよ》


《そう、彼もこころちゃんがホントに好きみたいだね。


ボクの胸で休みなよみたいに言われるぞ!》


はっ、想像するようなこと言わないでよ。

《やだー

冷やかさないでよ》


《えへへ、のろけたくなったら、

メールしといで》


メールを終え、鏡を見た私は溜め息を吐いた。

「はあーっ」


顔はむくんで、残り少ない髪の毛がカッコ悪い。

コロコロでベッドに落ちた髪の毛を取りながらめげてくる。

私は書き上げた文章を、ちょっとためらってから、ヒロキさんに送信した。


《この土日、ヒロキさんに会えなくてよかったかもしれないです。

顔はむくんでるし、髪の毛はきたなく抜けて幻滅です。

だけど、ちょっとだけ会いたいです》


ヒロキさんの返事が来る。


《治療のために顔がむくんだり、髪の毛が抜けることなんて、

少しも恥ずかしがったり落ち込むことないんだぞ。

誓って僕は笑ったりしないから安心して。

記念に写真に撮っておけばいいよ。

そして元気になって元に戻った時、笑い話にしてやるんだ。


こころちゃんは絶対に大丈夫なんだよ!》


大きいなあ、ヒロキさんの包容力は!

こんな私でもどんどん勇気が湧いて来るよ。

そんなヒロキさんがますます大好きになってゆくこころだった。


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gingak
  • Author: gingak
  • 銀河 径一郎
    (ケイイチロー・ギンガ)
    好きな言葉は『信じる』。
    飛べなくても頭が悪くても
    地球人も宇宙人だ(笑)

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