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銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。


 90年以上生きてわしは沢山の人に会ってきた。例外的な悪党も数人いたが、
大概の人々と良い思い出を作ってこれた。だがこれから話したいのは私の中で
悔やまれる出来事だ。
 その頃、わしはK大病院に入院していた。

 朝早く、わしが無人の外来に通じる廊下を歩いているとベージュのジャージ
を着た女性の後ろ姿を見つけた。病院のスタッフかとも思ったが早朝五時とい
う時刻からして入院患者なのだろう、長い黒髪を後ろで束ねて俯き加減で歩い
ている背中に私は声をかけた。
「おはよう、ずいぶん早いね」
 わしが声をかけると振り返った女性は端正な輪郭に微笑みを浮かべた。投薬
のせいだろう肌はやや強張って見えたが日本的な顔立ちに唇の形も品がよい。
「おはようございます。おじいさんも早いですね」
「リハビリかね?」
「部屋にいると病気になっちゃいそうで」
 私が「もう病気だろう」と笑うと彼女は「そうでしたね」と笑みを返した。
 
「ここはどうも消毒臭くていかん、外へ出よう」
 わし達は連れだって駐車場に通じるドアを出た。車椅子でも通れるようにス
ロープが続いてるのだがその手すりにもたれて私は話し出した。
「わしは心臓が弱いうえに猫舌だったんだが、胃にももう一枚猫舌が生えたら
しくてな」
「えっ、猫舌っ。やだ、嘘ですね」
 彼女は可笑しくてたまらない表情をした。
「冷たいのは大丈夫なんだが、ぬるいのを飲むと胃がひっくり返りそうに痛い。
これは大変だと医者に行ったら、黒くて噛み切れないうどんを無理やり飲まさ
れて手術した方がいいと脅されたんだよ」
 彼女は「うどんじゃなく内視鏡ですよね」と笑う。
「まあ医者の顔を立ててやれば、ありゃあ猫舌じゃなくて痔だな。痔がずーと
上に登って来て胃で花開いたんだよ。ガンとも言うが痔といっても大差ない」
 笑ってもらえるかと期待したが彼女は笑ってくれず急に真顔になり沈黙が間
を開けた。

 わしが見詰めているので仕方なくという感じで彼女は口を開いた。
「私も肺に転移しちゃって」
「……うん、それは困ったな、君のような若い娘さんじゃ辛いな」
「若くないです、もう四十ですよ、私」
 わしはびっくりした。
「驚いたな、せいぜい三十ちょいかと思っとったよ」
「ふっ、おじいさん優しいな。私、もう肌も内臓もボロボロです」
「だがここの医者は態度は悪いが腕はいいから、心配しなさんな。もっとも君
より旦那の方が心配しとるだろうけどな」
 彼女は頷くように見えたが答えは否定だった。
「私、結婚してないんです」
「なんだって。こんな別嬪を放っておくほど世間の男どもは目がないのか」
「それほどもてないんです、私、恋愛運ないんですよ」
「丁度わしも妻に先立たれて毒だらけの毒身だ。いよいよ君が困った時は貰っ
てやるよ」
「そんなこと言うと本気にしますよ、おじいさんはおいくつなんです?」
 もちろん冗談だというのはわかっていた。
「92だよ」
「すごいっ、私の倍以上」
「ああ、司令大隊が中国大陸にいた時に終戦でね。かといって捕虜にされるわ
けでもなく、一年後に迎えの船が来たら修学旅行のように実戦も一度もないま
ま帰って来たよ。運がよかったねえ。今は長年、軍人恩給と厚生年金を貯め込
んだおかげでひと財産あるんだ」
 そう言うと彼女は悪戯っぽい目で笑った。
「じゃあそれを目当てに、今宵は私と一緒に踊りましょ」
 それも冗談だというのはわかっていた。
「だがここは消灯が早いから困るよ。それに歳の差がありすぎだな」
 彼女は短く溜息を吐いて言った。
「歳の差なんて問題ないです、きっと余命は似たり寄ったり」
 わしは冗談で返そうとしたが彼女の睫毛が震えるのを見送っただけだ。
「本当に私、今まで一体、何をしてきたんでしょう?」
 自分に向けたその繰り言は聞く者にも辛いものだった。
 わしは彼女の背中をそっとさすって祈った、彼女が涙をこぼさないように。
 彼女は(帰りますね)と言って逃げるように去った。

 病室に帰ったわしは自分の半分以下の年齢の美しい彼女の事を考えるうちに
灰色の靄を吸ったように胸が一杯になった。少し話しただけで私は彼女の端正
な容姿を鼻にかけない態度と控えめな性格、頭の回転の良さに気付かされ好感
を覚えた。おそらく誰からも愛されるタイプの彼女が、不運に見舞われ現在、
生命を脅かされかけている。最初の肺ガンならまだ希望はあったろうが、他所
から肺に転移した場合は旗色が悪いって事は戦場での実戦経験が全くない元通
信上等兵でもわかった。
 高度医療の治療費を貸すぐらいなら簡単な事だが、適応でないと始まらない。
 それより彼女を少しでも励まし前向きな気持ちにしてあげられないだろうか?
 旅行に連れてゆき自然の眩い輝きにひたるとか、演奏会に連れてゆき美しい
音楽の調べにひたるとかして、癒しの時を与えられたらどんなに素敵だろう。
 彼女はガンの異常繁殖ごときに蝕まれていい存在ではない。美しい自然の生
命に連なり天上界の慈愛が降臨する愛の調べに包まれるべきなのだ。
 わしのような人間があたら長生きし、あの美しい人は死の不安に震えている
のだ。
 いろんなことを考えてしまい幾度も涙が溢れて私は眠れない夜を過ごした。
 
   ◆
 
 翌朝、私が出口の手すりで待っていると扉が開いてジャージ姿の彼女が微笑
んだ。
「おはよう」
「おはようございます。今日はご機嫌はいかがですか?」
「美しい恋人に会えるかもと思うと動悸がドッキドッキでね、こんなの五十年
ぶりだよ」
 彼女は口を手の甲で隠しながら笑った。

「君ぐらいの美貌なら男はいくらでもなびいて来るだろう。好きな男はいるの
かね?」
 彼女は口を固く閉じた。入院すると饒舌になるタイプもいるが、彼女はそう
ではなさそうだ。昨日は不意打ちでつい話しすぎたといったところか。
「わしに手伝えることなら力になるが、どうやらわしは役に立てないようだな」
 彼女は首を左右に振った。
「病気のことで何か問題があったのかね?」
「ええ、少しというか、かなり不安なんです」
「そりゃあ大変だな。わしは昨夜、孫からCDラジカセとかいうのを貰ってた
のを思い出してな、『爺ちゃん、この曲を聞くと元気が出てきっと早く治る』
と言ってた『負けないで』という曲を聞いてみた」
 私がパジャマのポケットから歌詞カードを出して様子を伺うと彼女は少し微
笑んだ。歌詞の隣には彼女そのままの写真が印刷されている。
「わしには最近の楽器はぴんと来なかったが、この坂井泉水さんの歌は素晴ら
しく響いた。本当に勇気が湧いて生命が輝いて来るように思ったよ。素晴らし
い歌をありがとう」
 彼女は照れ隠しなのか首を傾げて歌詞カードを眺めていた。
「一番気に入ったのはこの『揺れる想い』という曲でな。揺れる想いという言
葉が、まあ、秘めてた女心をすっと正直に出したようだ。わしは男だから誤解
してるかもしれんが」
 彼女は正面から私を見た。
「受け取り方は聞く人のものですよ」
「うん、わしはこの言葉は、この男に決めようかと悩みながらもドキドキして
いる想いか、あるいはどこまで許そうと決めていたハードルが次第に勝手に上
がってしまう想いかなと受け取ったんだがな」
 彼女はクッと笑って言った。
「おじいさん、若いですね」
「それと、この『このままずっとそばにいたい』て歌い方も絶妙だな。ここは
字余りしてるので無理だから最後で『いたー』で切るのかと思わせて伸び切り
そうな極みで優しくそっと『いたーい』と仕舞うのがなんとも柔らかくて心地
よかったわ。あんたは作詞もすごいが歌い方も天才的だな、坂井泉水さん」
 彼女は頬をポ~っと染めてはにかんで言った。
「幸子です、本名は蒲池幸子っていうんです」
「そうか、サッちゃんのような素晴らしい人と知り合えてわしは幸せ者だよ」
「私の方こそ、おじいさんみたいな幸運なご長寿の方と知り合えてよかったで
す。もしかしたら私もおじいさんにあやかって長生きできるかもしれません」
「ああ、そうとも。まだまだサッちゃんの人生は続くしきっと素敵な恋も叶う
さ」
 わしが言うと彼女も頷いていた。
 そこでわしは余計かなと思いながらも付け加えた。
「ただひとつ気なる事がある」
「なんですか?」
 彼女はつぶらな瞳で尋ねてきた。
「この『負けないで』がヒットしすぎただろ。サッちゃんはその詩を書いた自
分が負けてはいけないと思い詰めて自分を音楽に追い込みすぎたのではという
事だ。病気になったら仕事なんか放り出してたっぷり休めばいいんだよ。そう
してゆったりしたリズムに戻らないとかえって病気が長引いてしまうような気
がするんだがな」
 彼女は思い当たる点があったのか、あっと口を開いてわしを見詰めた。
「いいかね、休むことは決して負けることではないんだよ。最近の世の中は勝
ち負けばかり気にしてるが、勝ち負けのない世界の方が素晴らしい事も沢山あ
る。今度はゆっくり体調を整えてからサッちゃんにそういう歌を作って聞かせ
てもらえたら、うん、嬉しいなあ」
 彼女が小声で何か言ったがそれは途切れ、かすれて聞き取れなかった。
「また明日な」
 わしはそう言って別れた。

   ◆

 後悔というものにおよそ縁がなく幸運に生きてきたわしだが、翌日は人生最
大、痛恨の後悔が待っていた。

 わしは草木も眠る深夜に心臓発作を起こしてしまったのだ。
 だが初めてのことではなかったので取り乱さずに、ナースコールを押した。
 すぐにナースが駆け付けてくれた。まもなく医師も駆け付けてくれ適切な注
射を施されわしは集中治療室に運ばれた。幸い緊急手術せずに済みそうだと診
断されて痛みが収まってきたわしは安堵して眠り込んだ。

 ハッとして目覚めた時はもう七時をすぎていた。
 いかん、心臓発作ごときでサッちゃんとのデートを忘れてしまったわい。
 わしは近づいてきたナースに言った。
「看護婦さん、もう帰っていいかな?」
「まだだめですよ、先生から様子を見るよう指示されてます」
「サッちゃんとデートだったのにすっぽかしてしまった、謝りに行かんと」
「まあ、おじいちゃん隅に置けませんね。誰です、そのサッちゃんて、何科の
ナース?」
 私は声を低くした。
「ZARDのコだ、入院してるのは知ってるだろ?」
 一瞬でナースの顔が青ざめた。
「二日続けて早朝、スロープ出口で話してたんだが」
 ナースが嗜めた。
「しっ、今、大変なんです」
「どうした?」
「絶対口外しないで下さい、転落したんです」
「サッちゃんがっ、よ、容態はっ?」
「スロープの下で頭を打ってて意識がなくて、とにかく絶対口外しないで」
 ナースは怒ったような顔で離れて行った。
 きりきり刻まれるようで血がカーッと昇る。
 何故そんなところで、と問いかけすぐに悟った。
 サッちゃんは遅いわしを待とうと手すりに腰掛けようとしたのだ!

 サッちゃんは手すりに背を向けて飛び跳ねてみたが手すりは1メートルちょ
っとあったので簡単には届かない。そこでサッちゃんは手すりについた腕にも
力を入れて思い切り上に飛び跳ねたのだ。そうすることで腕の力と踏み切りの
力とでお尻を手すりに乗せようとしたのに違いない。その際、手すりの幅はあ
まりなかったから体の重心を正確に着地しなければならなかった。だが、ほん
の少し外れて着地した腰は手すりの外側に滑り始め……
 回転がかかったサッちゃんは運悪く頭から地面に強打してしまった。
 
 なんてことだ、わしのせいで!
 サッちゃんを助けてくれ!
 わしの命をやる!
 誰か、わしの命をサッちゃんにやって助けてくれ!
 サッちゃんもこの治療室にいるんだろ?
 わしの命をやるから絶対にサッちゃんを助けてくれ!
 お願いだ、誰か、わしの命と引き換えにサッちゃんを助けろ!

 気が付くとわしは繰り返し叫んでいた。たまりかねた医師とナース達によっ
てわしは睡眠薬を投与されみっともなく眠りに落ちた。
 


 気がつくとわしは自分の病室に戻され寝ていた。
 ナースコールを押して、ドアが開くやナースに質す。
「サッちゃんはどうなった?」
「亡くなりました。大ファンだったのに」
 ナースはわしにすがって憚ることなく泣き声を上げ出した。

   ◆

 どうして坂井泉水さんが、幸子さんがもうこの世にいないのかわからない。
 幸子さんは歌からイメージする通りのまっすぐでひた向きな女性だった。
 そのせいで頑張りすぎて病を重ねて深めてしまった点はあるだろう。
 幸子さんの傍にいて、もうここは負けない責任なんか捨てて、ゆっくり闘病
してもいいんだよと言ってあげる人がいたら、今も坂井泉水さんに会えていた
だろう。

 いや今さら過去に注文はつけまい。
 幸子さんは沢山の素晴らしい歌詞と歌声を残してくれたのだから。

 幸子さん、どうぞ天界で妙なる調べを楽しんでくれよ。 合掌。





ネット情報によると2000年以降の坂井泉水さんは病名を挙げるだけも辛いほど
次々と病に罹りその都度闘病を余儀なくされました。2004年にたった一度、全
国ツアーをされてますが、その時も万全な体調ではなく気力と応援でなんとか
乗り越えたようです。

ネットで見つけた坂井泉水さんの笑顔にホロッとしました。

ZARD_Izumi011

 この話はフィクションですが、初稿を書いてから幸子さん、あるいは幸子さ
んの守護霊的な存在と話ができました。そこで私が何か問題があれば教えてほ
しいと言うと返事が来ました。
 当初はサッちゃんが涙を流す場面があったのですが、ダメ出しがあり削除し
ました。また皆から美化されすぎてると感じてるようです。また彼女にも男性
と交際した過去があり、中には後悔すべき軽はずみな事もあったようでした。
 しかし幸子さんがあの時代に数多くのファンの共感を得て癒しとなってくれ
た事は無条件に称賛されるべきで、どんな悪意の憶測や中傷も彼女の誇りを傷
つけることは出来ません。歌詞の通り彼女は最後まで走り抜けたのです。

 この世に生きていれば当然のように様々な問題や感情のぶつかりがあります
が、それに拘りすぎたり過去を後悔したり自分を責める必要は全くないのです。
 どんな問題も転生の課題の一部であり、過去の自分を責めるのは、試験問題
に解答せずにクレームをつける過ちなのです。
 私たちがこの世に生まれた答えは、魂の成長、それに尽きるからです。

 広い愛を届けてくれた幸子さんの全てを心から敬い誇らしく思います!




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gingak
  • Author: gingak
  • 銀河 径一郎
    (ケイイチロー・ギンガ)
    好きな言葉は『信じる』。
    『地球人も宇宙人』。
    写真はッシェル・ポルナ
    レフの真似です

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