銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。

      §6

 それから十日間ほど、トシはたまの挨拶メールの他は、用のない電話を二、三度かけてきただけ、会うことはありませんでした。

 その間、毎晩、私は薬包みを開いては、正露丸によく似ている金龍丸を眺めては、トシのことを思って、声を聞きたい気持ちが抑えられなくなると、何度か電話をかけてしまいました。
 できればトシを誘いたかったのですが、結局、(特に用はないんだけど)と切り出して、今日の出来事をとりとめなく報告しただけで終わってしまいました。
 
 さらに二日後の午前0時すぎでした。
 ドアが三回ノックされました。
 私は駆け足になりそうなのを押さえて、玄関に行きました。
「トシ?」
「ああ、毎度申し訳ない、今晩、泊めてくれないか?」
「しょうのないひとね。」
 精一杯迷惑そうに言いましたが、心は嬉しくてスキップしたいぐらいでした。
 赤らんでいるに違いない顔に気付かれないか心配しながら、ドアを開けると、トシは私にぺこんと頭を下げると、ソフアに直行し、いつものように水を1杯ねだります。
「ありがとう。」
 トシはそう言うと、ソフアに横になってしまいました。
 私はトシのスーツをハンガーにかけて、眠りに落ちてゆく、彼の顔を眺めました。
 そしてハッと思い出しました。
「トシ、コンタクト、コンタクト!外さないと貼りついて大変なんでしょ!」
 私が激しく揺さぶると、トシは「ああ」と言って上半身を起こします。
 私がスーツの内ポケットからコンタクトのケースを出して渡し、トシは慣れた手つきでコンタクトレンズを外し、ケースに収めました。
「ほいじゃおやすみ」
 トシが再びソフアに伸びて眠ると、私は毛布をかけてあげて「これでいいわ」とつぷやきました。
 トシの持ち物の中から、どれかを身に着けて、あの金龍丸を飲めば、私はトシの心の中をすっかり見通せるかもしれないのです。
 ハンカチ、腕時計、手帳など、いろいろ手にとってみましたが、結局、私はトシのコンタクトレンズを選びました。
 なにしろコンタクトは他のどんな物よりも、トシに密着しているし、その時間も他のものには比べ物にならないほど長いのですから、一番ハッキリとトシの心が見通せるに違いないと考えたのです。
 私はトシの心の真ん中に自分の姿があったら、どんなに嬉しいだろうと思うだけで、心臓がドキドキと高鳴るのを感じました。

 私はテーブルのトシの向かいに座り、彼がつける時の様子を真似て、左手で瞼を開き、右の人差し指に乗せたコンタクトレンズを目に近づけます。
 しかし、コンタクトが目に近づくと、目に固いものが入る怖さのせいで反射的に瞼が閉じようとして、コンタクトが収まる大きさまで瞼を開けていられません。
 こんなことであきらめないわよ。
 私は自分に言い聞かせて、自分の瞼と格闘を繰り返すうちに、ついにコンタクトレンズは私の瞳に納まってくれました。
 しかし、視力のいいのだけは昔から自慢だった私にとって、トシの目にあわせたコンタクトを通してみる世界は、プールの底みたいにぼんやりと歪んでいました。
 私は手探りに近い状態で金龍丸の薬包みを手にとり、コップに水を満たして、目をつぶって金龍丸を飲み込みました。
 苦味と甘味と酸味が舌に広がり、熱をもった金龍丸の塊が喉から胃に降りてゆくのがわかりました。

      §7

 まだ目はつぶったままでしたが、目の前にどこかの部屋の光景が見えてきました。
 それは私の1DKのマンションとは違う、広いリビングで、シンプルだけどどっしりした北欧調のテーブルとソフアがあり、壁のキャビネットにはヨットの模型が乗っています。
 やったあ、金龍丸は本物だったんだ。
 これはトシの心の中の夢に違いないわ。
 私は歓喜しながら、目をつぶったまま映像を見つめました。 
 視界はリビングから、キッチンへと移動してゆきます。
 ここが私の料理する場所かあ。
 広いテーブルに、圧力鍋、ハンドミキサー、ミンチマシンが並んでいます。
 私はもう少しゆっくり見たかったのですが、視界は廊下に出て、寝室に入りました。
 ダブルベッドがあり、脇の扉を開けると、ワイシャツの棚が並び、直角に向くと、大きな姿見があり、鏡に少し歳をとったトシの裸の上半身が映っていました。
 一瞬、慌てて隠れようとしましたが、これは夢の映像なんだから、トシは見ている私には気付かないのだと思いついて、トシに見とれました。
 トシはTシャツを着ると鍵を持って、玄関から出ました。
 エレベーターで地下の駐車場に降りると、銀色のスポーツカーに乗り込み、街へくり出しました。
 やがてスポーツカーはファミリーレストランの駐車場に入り、トシは店の中に入ってどんどん歩いてゆき、ボックス席の前で止まります。
「やあ、待った?」
 トシが声をかけると、そこで幼児をあやしていた主婦が顔を上げました。
 私でした!
 トシはなんだかんだ言っても、やっぱり私のことを結婚の対象として真面目に考えてくれてたんだ、やったあ!
 眺めている私は嬉しさのあまり舞い上がりそうでした。
「ううん、全然」
 そこでトシの妻であるはずの私はトシにおかしな挨拶をしました。
「ずいぶん久しぶりね。」
「ああ、唯美ちゃんも大きくなったねえ。」
「ほら、唯美、おじさんにご挨拶は?」
 主婦の私がせかすと、ふわふわの髪をした幼女が言います。
「こんちわ。」
「ちゃんと挨拶できるんだ。偉いね。」
「もう、朝から晩までうるさいぐらいよ。
 トシはまだ結婚しないの?」
「いや、もういいんだ。
 最近は結婚しない方が楽に思えてね。
 いい部屋に住んで、スポーツカー乗り回すなんて、結婚して子供できたら無理だろう。」
 眺めていた私は映像に向かって叫びました。
 冗談でしょう!トシは私を結婚相手として意識してきた筈なんだから、私と一緒にならないなんておかしいわ!そんなの納得できないよ!
 主婦の私は、こっちの気も知らずに、のんびりと言います。
「昔さあ、私がお嫁に行けなかったら、貰ってくれるって約束したの、覚えてる?」
「え、俺が?久美に?そんな約束しないだろう。」
 何言ってるの!そんな約束、しないだって!
 私はめまいで気が遠くなりそうでした。
「やーね。物忘れ激しいんだから。
 トシも考え方、すっかり変わっちゃったねえ。
 昔は和服が似合って料理がうまい嫁さんほしいとか言ってたじゃない。」
「そうだったね。
 でも料理は惣菜買えば済むし、女はほどほどの遊びにとどめた方が楽だって気づいて、今は独身主義だからな。
 とにかく家庭の幸福部門は久美に任せたよ。」
「まあ、皮肉たっぷりね。
 うちだって細かいこと言い出したらいろいろ大変なことばかりなのよ。
 でもダンナもダンナなりに大変みたいだしさ。
 でも、私もこの子がいるから頑張っていけるの。
 子供ってね、自分が産む前は面倒だなって正直思ってたけど、こうして産まれてきてくれると、もう無条件で愛しくて。
 自分の生命の分身がこの世にあるって、最高の幸せだよ。
 トシもさ、家庭の幸せに背を向けないで、思い切って結婚してみなよ。」
 主婦の私は熱く語りましたが、眺めている私はただ呆然としていました。
「そう簡単に言うなよ。
 第一、相手が必要だろ。」
「相手なんて、どこの誰だっていいのよ。
 子供が出来たら、トシの世界観がすっかり変わるよ、絶対に。」
「なんだか、説教のために呼び出されたみたいだなあ。」
 トシは笑って、運ばれてきたアイスコーヒーを飲みました。

 私は、もうこれ以上、トシの心の映像を見たくありませんでした。

 結婚できなかったら貰ってやると約束してくれたから、私は無意識のうちに、トシも心の中では私を結婚相手として意識してるに違いないと思い込んでいたのです。
 しかし、トシは私のことをまったく異性として意識していなかったようだし、結婚のケの字も考えたことなどなかったのでした。
 エミが言ったように、身近に親しくしながら、数年、何もなくすぎた男女が恋に落ちる可能性は永久凍土に閉ざされているのでしょう。
 気がつくと、トシの心の映像は終わっていて、私はテーブルに顔を伏せて、声を殺して泣きました。

      §8

 私はカーテンにしらじらと射す明かりに目を覚ましました。
 テーブルに顔を伏せたままの格好で、いつの間にか眠ってしまったようでした。
(いけない、コンタクトが目に貼り付いてるかも)
 私は慌ててコンタクトレンズを外しにかかりました。
 しかし、それはあっという間に外れました。それは私が寝ながらもずっと泣き続けていたせいで、貼り付くひまがなかったせいで、涙で滑るように外れてくれたのでした。

 昨夜の出来事を何も知らないトシは、いつものように起きて、私の用意した朝食をおいしそうに食べ始めました。
「助かったよ。いただきます。」
 トシはいつものように宿泊代を差し出します。
 私は微笑みを作って、押し返して言います。
「今日はいらないけど、この次からはきちんとルームチャージと朝食代取るからね。」
 トシは突然の私の提案に驚いたようでした。
「あ、う、うん。
 わかった。じゃお礼の食事会はいつにしようか?」
「それはもういい。
 これからはお礼の食事会はなしにしよう。」
 私は目が覚めたときから、これからはトシと距離をおいていくことに決めていたのです。
「どうしたんだ?
 あ、とうとう、いい男が出来たんだ?」
 トシが勝手な想像をすると、私は笑い飛ばしました。
「ううん、出来たら、トシにすぐ紹介するって。」
「なんか、今日の久美、よそよそしいぜ。」
 不思議がるトシに、私はズバリと。
「そうじゃなくて、今までが馴れなれしすぎたのよ。
 私たち、男と女なんだから、あまり仲良くすると、変に誤解されちゃうわ。
 それは私も迷惑だし。」
 トシはびっくりしてうなづきました。
「うん……そうかもしれない。
 わかったよ。けど、急にそんなことを言い出したのは、何か特別な理由があんのかい?」
 私の答えは大きく首を左右に。
「理由なんてないわよ。
 ただ、私も適齢期だし、結婚したいからね。」
 私はトシの独身主義に最大限の反発を込めて、もう一度「結婚したいからね」と繰り返しました。すると、胸の奥で涙が溢れるのを感じました。
 トシは「ああ」とぼんやりうなづきました。

 私は玄関で、出かけるトシに事務的な口調で念を押します。
「今度から泊まりたいときは電話で予約の確認をしてね。」
「うん、わかった。」
 迷惑だとまで言ったのですから、おそらく、もう二度とトシが泊まりに来ることはないでしょう。
 今、この瞬間、トシと私の距離がどんどん開いているんだと感じて、私はもう少しで泣きそうでしたが、なんとか涙はこらえて、乾いた笑みをこさえました。
「あ、あれ、久美?」
 トシはまばたいて私を見つめました。
「何?」
 私が聞き返すと、トシはまたまばたいて、私の顔を見つめました。
「何よ?」
「いや、なんでもない。
 じゃ、いってきます。」
 トシは玄関から出ると首を傾げて歩き去りました。

      §9

 その日の夜、トシからメールが入りました。

《どうしても今晩会いたいんだ、時間作って出てきてくれないかな?》

 でも私は辛くなるのでもうトシには会いたくありません。

《メールに用件を書いてくれれば済むでしょ》

《メールじゃ駄目なんだ。直接会って話したい》

《ごめんね。今日はなんか体調がよくないの》

《そう。じゃあ外はよそう。久美の部屋に泊めてくれる?》

 私はちょっとムッとしました。迷惑だと言ったのに、今日また泊めろとは図々しいにもほどがあります。

《ごめん。そういうの迷惑なの》

《僕のことがそんなに嫌いなのか?》

 私はドキッとして、何も返せなくなりました。
 好きでなくなろうとしているけど、嫌いと言い切るには遠い気持ちなのですから。

 なんとか返事を考えようとしていると、いきなり玄関のドアが三回ノックされました。
 私は仕方なくドアのそばに立ちました。
 するとトシの声が言いました。
「押しかけて悪い。
 でも、俺、久美に直接会ってあやまりたいんだ。」
「何をあやまるのよ?」
「久美の気持ちをきちんと確かめなかったことだよ。
 俺、そうかなって感じたことあったけど、確かめなかった。」
「何言ってんだか、わけわかんないわよ。」
「だから、それを説明するから、ちょっと入れてくれよ。」
 私はムッとした顔で目を合わせないようにして、トシを中に入れてやりました。
 するとトシはいきなり私の手を自分の両手で包んで言いました。
「僕は久美が好きだ。
 今まで久美の気持ちに気付かなかったり、答えなかったりしてきたけど、今は確かに言える。
 久美が好きだ。」
 息が止まりそうでした。
「……嘘、酔っ払ってるんでしょ。」
「酔ってなんかいない。
 本当に久美が好きなんだ。」
 トシは熱にうかれたように言いましたが、私はトシの手をふりほどいて、驚くほど冷たく突き放しました。
「おかしいわ。
 今まで六年間、そんな気配もなかったのに急に好きになるなんて考えられないわ。」
「真剣だよ。」
「嘘よ。私は昨夜、あなたの心の中を確かめたのよ。」
 私はトシの嘘の決定的な理由を言ってやったつもりでしたが、彼も言い返しました。
「俺も今朝、久美の心の中を確かめたんだよ。」
「えっ?」
 私はトシが何を言い出すのか、言葉を待ちました。
「朝、俺を玄関で見送る時、久美はぼろぼろ涙を流していた。」
 あの時は泣きそうだったけど、なんとかこらえて一滴もトシの前では涙は流さなかったのでした。
「嘘、泣いてないわよ。」
「うん、ぼろぼろ泣いてるのに喋る声は普通だからおかしいなと思ったんだ。
 そして通勤電車の中でふと目をつぶったら、久美の映像が見えたんだ。
 例によって泊まりに来てソフアで眠り込んだ俺にお前が(トシ、好きよ)って言ってる映像がくっきりと見えたんだ。」
「ま、まさか、それってまるで……」
 私はハッと思い当たりました。
 もしかしたらトシのコンタクトをしたまま、私がぼろぼろ泣いてしまったせいで、そのコンタクトをつけたトシは、私の涙と、涙にしみだした金龍丸の成分を取り入れてしまったのです。
 それでトシは私の心を見ることができたのではないでしょうか。
「久美は就職した頃から俺のこと、好きになってくれてたんだな。
 花火を見に行った時、ラブレター書いてくれてて、バッグの中にあるのに結局渡せなくて、部屋に帰ってから泣いてる久美の映像もはっきり見えた。
 プラネタリウムに行った時、お前がキスされてもいいなと思ってるのに俺は星座ばかり見ていたし、海に行った時、お前はちょっとダイエット成功して俺にほめられたくてうきうきしてたのに、俺はよく見もしないで「また太った?」なんて言ってしまったし……。
 俺は久美の気持ちを全然知らないでいた。」
 私は恥ずかしさと怒りで真っ赤になってしまいました。
「久美にそんなに慕われているってわかったら、すごく感激しちゃったんだ。
 そして俺のことをこんなに好きになってくれるのは久美だけだって思えた。
 そしたら、自分の無意識に前からあった久美への好きな気持ちが急に膨らんできてさ、実は俺も学生の時、久美にちょっと理想のタイプを聞いたことあったじゃん、そん時の久美の答えがさ、マンガだか、アイドルだかのなんたらこんたらでさ、これじゃあ俺は無理だとあきらめたんだよな。
 だけど今、俺は久美のこと……、」
 今、目の前のトシは、大きく手振りをしながら、自分がいかに私を好きなのかを、一生懸命に、熱っぽく語っています。
 でも夢見心地の私の胸には恋の報われた喜びが、鼓動より速く強く駆け巡って、トシの声が聞き取れないほどでした。
「……だから、俺とつきあってほしいんだ。
 久美の気持ちはどう?」
 トシが私に返事を求めると、私はうなづきました。
「もちろんいいわ。
 トシも、ようやく宇宙の果てまで見える望遠鏡を手に入れたようね。」
 そう言うと、トシは頭をかいてうなづきました。   <了>

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gingak
  • Author: gingak
  • 銀河 径一郎
    (ケイイチロー・ギンガ)
    好きな言葉は『信じる』。
    飛べなくても頭が悪くても
    地球人も宇宙人だ(笑)

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