銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。

 1666年秋の夕刻、オランダの都市デルフト。
 街の石畳の道を早足で通り抜ける一人の男がいた。
 つばの大きな黒い帽子を被り、広がった襟を出したキルティングのプールポアンを着て、四角い形の布を脇に抱えている。

 男はファン・ライフェンの館まで辿り着くと扉を激しく叩いた。ファン・ライフェンは醸造業を営んでいる名士だが、頭の回転がよく先を読むのに長けて投資でも大成功している。
 召使は覗き窓から男が当主の雇う画家だと確かめるとかんぬきを抜いて扉を開いた。
 男は召使に挨拶もせずに玄関の間から大声で主人を呼んだ。
「ピーテル。ピーテル」

 まもなく奥からビロードのプールポアンに黄色いインド更紗のガウンを着流した当主が笑顔で現れた。
「おお、我が礼拝する朝日、ヤン・フェルメールよ。大声を上げて歌の練習でも始めたか?」
「大変なことになったのです」
 そう言うフェルメールのいつもは赤みを帯びた顔が今日はやや青白い。
 当主はめざとくフェルメールの抱えたキャンバスに目をくれた。
「完成したのか?」
「ええ。この絵のために妻と大喧嘩したのです」
「ここで立ち話もなんだ。奥へゆこう」

 奥の部屋の壁にはフェルメールの絵が数点飾られている。それだけではない。フェルメールの殆どの作品はここの当主が買い上げている。
 二人は大きなテーブルで向き合った。
「さあ、その絵を見せてくれ」
 フェルメールはキャンバスを何重にも覆っていた布を解いて当主に絵を渡した。
 縦四十四センチ、横四十センチほどの四角いキャンバスから鮮やかに少女の肖像が浮かび上がった。

 黄土色のジャケットを着て体の正面を横に向けたた少女は耳に大きな真珠のイヤリングをしている。頭には千夜一夜物語に出てきそうな青いターバンと薄黄色のターバンを二重に巻いて後ろに垂らしてこちらを振り向いている。よく見ると真珠は窓と白い机の光を反射して輝いている。


真珠の耳飾りの少女_Jan_Vermeer_van


「おお、素晴らしい。これは今までない構図だ。しかもこんなに大きく顔を描くなんて初めてだな」
 当主が呟くのをフェルメールが遮ろうとする。
「それがピーテル」
「しばらくお前は黙って私にこの素晴らしい絵を鑑賞させてくれ」
 フェルメールが黙り込むと当主は絵をしげしげと眺めた。

 何よりも少女の表情が素晴らしかった。
 名前を呼ばれて振り向いた瞬間のようだ。
 不思議なことに動きと静止の両方の表情が矛盾なく再現されている。

 眉毛の形は今まさに画家に焦点を合わせて瞳を開いた影響で弧を強く残している。
 そして少女のこちらをまっすぐ凝視める瞳の中に宿る強いハイライトの光点に、こちら側にいる画家への尊敬がこもっている。
 いや待てよ。尊敬だけではないかもしれぬ。
 そうこれは愛情だ。この瞳の視線には一本の熱い恋心が貫かれているのを感じる。
 開きかけた唇のつややかな光は画家と接吻したことがあるに違いない。
 白い歯の表面は濡れてなんともコケティッシュではないか。
 当主はこの娘にモデル代は渡しても手は出してなかったが、まるでこのモデルが自分の恋人であるかのような気分にさせられる。

 さすがはフェルメール。
 これは噂に聞くモナ・リザを超える史上最高の美人画に違いない。
 当主は満面に笑みをたたえて少女の表情をしげしげと眺めていた。

 が、やがて大きく溜め息を吐いた。フェルメールの事情が飲み込めたからだ。
 そしておもむろにフェルメールに言う。
「この絵は思い入れが強すぎるのだ」
「そんなことはないと思うが」
「これを見た奥方が嫉妬して逆上するのは当然だ。お前とモデルの秘め事が暴露されてるじゃないか」
「まさかそんなこと」
 フェルメールは信じられなくて言い返した。
「お前は自分の画力の凄みがまだわかってない。俺にだけ正直に言え。この娘と寝たんだろ?」
「いや」
 フェルメールは唾を飲み込んだ。
「嘘を吐くな。この女の目と唇はお前との秘め事を心待ちにしてるじゃないか。寝たよな?」
 何度も質されては最大のパトロンである当主に嘘は吐けなかった。
 ゆっくりと頷きながらフェルメールはモデルのロッタとアトリエで繰り返した秘め事の数々を思い返してしまった。最初は妻の外出時に合わせたこっそりとしたものだったが、いつしか毎日の日課のようになりロッタをアトリエに泊めたこともあった。裸のロッタをカメラ・オブスクラで投影したこともある。もちろん絵には描かなかったが、フェルメールの脳裏にはロッタの美しい姿が焼きついている。しかし……。

「ああ、ピーテル、お願いだ助けてくれ」
「このモデルと妻のどちらが大事なのだ?」
「それは妻だ。今も身ごもってるんだぞ」
「やれやれ」
 当主は溜め息を吐いた。この時、34歳のフェルメールには九人の子供がいた。その上、住まいは妻の母の実家だ。それら全てを捨てて娘と駆け落ちなんて本当のひとでなしでなければできる筈ない。

 当主は顎を撫でてしばらく考え込んでから言った。
「奥方にはこの絵は私に依頼されたものの習作、トローニーだと言うんだ、そうだな、モデルの印象を薄めるためにこの眉は消してしまえ」
 トローニーとは想像で描いた頭部像のことで特定の人物ではないという意味になる。
 フェルメールは反論する。
「いや、ロッタがアトリエに入ったことは妻も知ってるんだ」
「召使には金を掴ませて、モデルが入ったのは最初の頃の数日だけでしたと証言させるんだ」
「そんな細工で信じてくれるか?」
「信じてもらわなければお前が困るだろうが」
「それは難しい」
「それから同じ構図でもう一枚トローニーを描くんだ」
「なんでまた?」
「私の依頼する作品の習作だ。次は実の娘に似せるんだ」
「娘に?」
「うむ。私の依頼する構図は美しい少女を一心不乱に描く芸術家の絵だ」
「ははあ、この絵は依頼ではなかったことにするわけか」
 当主は頷いた。
「ようやくわかってきたな。最初はモデルを雇ってこの習作を描いたが、どうもイメージに合わないのでモデルを娘に変更したと言うのだ。その後に本番の依頼作を描くという話の流れだ。説明できるだろ」
「うん。この絵はもともと重要じゃないことにするんだな」
 ようやくフェルメールの顔に赤みが戻った。


少女


 こうしてフェルメールは「真珠の耳飾の少女」と同じ構図の「少女」を自分の娘に似せて描いたのである。
 だから「少女」はあどけなさいっぱいで、コケットな「真珠の耳飾の少女」と対照的な出来栄えなのだ。




 それから一年後、フェルメールはもう一人の実の娘に本格的にモデルをさせて画家自身の後ろ姿を取り込んだ「絵画芸術」を描いた。
 妻もたいそう喜んだのだろう。
 この絵だけはフェルメールの死後も最後まで手元に置いていたという。
 こうしたストーリーを仮定して見ると「絵画芸術」は妻への謝罪と絵画への献身を誓った傑作と思えてくる。

絵画芸術の賞賛2_Jan_Vermeer_van_Delft_011


 自分の美術館の目玉にしようとあのヒトラーが略奪ではなくきちんと対価を払って購入したという「絵画芸術」にはこんな秘密があった、……のかもしれない。 了





久々の名画シリーズ(笑)です。
フェルメールの画集を見てたら「真珠の耳飾りの少女」の構図やトリミングがそれまでと明らかに違うことに気付いて妄想をたくましくしてみました。(画像はクリックで拡大可)



おまけの謎解き

「絵画芸術」でモデルは芸術の暗示たるラッパと歴史の暗示たる書物を持ち、視線を下に落として口には微笑みを浮かべています。

絵画芸術_少女拡大

なぜ微笑んでいるかというとテーブルの上の石膏マスクが父の顔だからなのではないか?

1656年頃描かれた「取り持ち女」の左端の男がフェルメールの自画像と言われてる。
ぼやけて申し訳ないが左がその部分のアップだ。

フェルメール比較


右に10年後に描かれた「絵画芸術」のテーブル上の石膏マスクの向きを揃えて並べてみるとどうだろう。

マスクは上からの角度になるので鼻の形は違って見えるが、10年の経過も考慮に入れつつ、唇の口角の上がり方や、すぐ隣の頬の肉付き、唇の下の顎がやや盛り上がっているところなどよく似ている。

というわけで「絵画芸術」の微笑するモデルはフェルメールの実の娘なのだと推理します。



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gingak
  • Author: gingak
  • 銀河 径一郎
    (ケイイチロー・ギンガ)
    好きな言葉は『信じる』。
    飛べなくても頭が悪くても
    地球人も宇宙人だ(笑)

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