銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。

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「ご馳走さまでした」
 乙羽(おとは)が両手を合わせると、太郎の母は焼き魚の残った皿を持ち上げて形ばかりたしなめた。
「また乙羽さんはたんと残して。遠慮せんでええんよ」
「なんだかすぐお腹がいっぱいになって」
 乙羽は色白の頬に笑みを浮かべて、傍らでむしゃむしゃと焼き魚をたいらげている太郎を眩しそうに見詰めた。太郎と太郎の父が漁から帰ってから始まる、この遅めの朝食の光景を乙羽は好きだった。漁は手漕ぎの小さな舟を使って行なう村総出の追い込み網だ。
 
 ひと月前、乙羽はこの漁村の入り江にかかっている橋の向こう岸からやって来てふらふらと太郎の家の前まで辿り着いたのだ。
 そこで水を所望するなり乙羽は気を失い倒れてしまった。気が付いた乙羽は道中のどこかで頭を悪く打ったためか、自分の名前ぐらいしか思い出せなかった。
 そこで太郎と母親が気の毒がって乙羽に泊まってゆけと言ってくれたのだ。
 帰る家すら思い出せない乙羽は太郎たちの言葉に甘えるしかなかったのだが、太郎という名前を聞いてからは心の中には別な思いがあった。

 江戸時代に入って間もないこの頃、すでに浦島太郎の話は「御伽草子」により人口に膾炙していた。乙羽が忘れなかった自分の名前は親が浦島太郎の乙姫にちなんで美しく育つように付けてくれた名前だ。だから太郎という漁師に助けられた時から乙羽は運命のようなものを感じていたのだ。

 時々、こちらをちらりと盗み見る太郎の視線にも乙羽はときめくものを感じる。
 もしかしたら太郎さんも私を好いてくれてるんじゃないのかしら。
 そのうち、太郎さんに、乙羽よ、わしの嫁になってくれと口説かれるのだ。そこで乙羽は、砂浜に出るだけで暑さに倒れそうな自分に漁師の女房なんて無理ではないかと控えめに答えてみる。すると太郎は、そんなことは少しも心配することないで、乙羽は今日からわしの嫁や、と言われ抱かれてしまうのだ。
 乙羽は密かに溢れ出た想いの勝手ぶりに思わず頬を染めた。

「おう、乙羽よ、家のことはまだ思い出せねえのかい?」
 唐突に太郎の父が問いかけてくると、乙羽は慌てた。
「は、はいっ、生憎とまだ」
「早く思い出してもらいてえな、お前さんみたいな娘をいつまでも置いとくわけには」
 父親が言うのを太郎が遮った。
「乙羽さんは困ってんだ。追い出すような言い草は情けねえで」
「うん、いや、そういうつもりじゃねえで」
「乙羽さん、好きなだけいていいで」
 太郎は日焼けした顔をさらに赤らめてそう言うと、急いで外に出て行った。

 ◇

 質素な造りの家から外に出ると、ぎらぎらと強い日差しが肌を焼くように照りつけて、乙羽はそれだけで眩暈を起こしそうだった。
 太郎は浜で開いた魚を干していた。
 乙羽は草鞋がたちまち熱せられて歩くのもしんどかったが、太郎の側に近づいた。
「太郎さん、さっきはありがとう」
 太郎は乙羽を一瞥し、すぐ魚に目を移したまま言った。
「気にするな」
「迷惑かけて申し訳ないけど、私、本当に行くあてがないのです。仮にあの橋を戻ったところでどこに家があるのか見当もつかないんです」
 乙羽は涙ぐんだ。
「気にするな。今日は天気がいいからきっと向こうの浜がよう見えるぞ」
 太郎は乙羽に顎を振ってついて来るように示した。

 少し歩いて、二人は大きな松の木陰に腰をおろした。
 潮風も木陰だと心地よく感じる。
 そこからは、乙羽が渡ってきたという橋が見渡せた。
 入り江の橋が伸びる先には松林と砂浜が見えていた。小さな家も見える。
「あそこに見えるのが私の家かな」
 乙羽が言うと、太郎は首を振った。
「乙羽さんの家が浜にある漁師の筈がねえ。たぶんもっと先の大きな町の大店か偉い人の家に決まってる」
 私はは橋の向こうの先にあるその家に帰るべきなのだろうか。
 そう考えると太郎と別れる寂しさに居たたまれない気持ちになる。
 ううん、私は……。 
 乙羽は不意に自分の裡に湧き起こった激しい考えに驚いた。
 たとえ家のありかを思い出しても私はもう帰りたくない。帰らないのだ。私は太郎さんとずっと一緒にいたい。
 乙羽の頬に涙が伝った。
 太郎はそれを見つけてまた言った。
「好きなだけいていいで」
 乙羽は太郎の胸に頬を寄せて感激に震えた。

 ◇
 
 太郎の家には玄関の引き戸を開いてすぐの土間と板間、そして両親の部屋と太郎の部屋しかなかった。居候の乙羽はふだんは板間で寝起きしているのだが、掃除や洗濯の時だけ両親の部屋や太郎の部屋に立ち入ることがあった。
 初めて掃除するために太郎の部屋に入った乙羽は隅に置いてある行李の上に、漁師には不釣合いな立派な重箱があるのを見つけた。何だろうと思いつつも勝手に中を見ることは憚られ、乙羽は掃除だけ済まして部屋から出た。

 すると、その日のうちに太郎に問い詰められた。
「乙羽、勝手に俺の部屋に入ったな。散らかしたのがきちんとしてた」
「あ、はい、少しでもお役に立とうとお掃除しただけです」
「まさか、玉手箱は開けてないだろうな」
 太郎は険しい形相で訊ねた。
「ああ、立派な重箱のことですね。もちろん開けたりしてません」
「ならいい。絶対にあの玉手箱を開けるな。絶対だ。いいな」
 太郎の口調がいつになく厳しかったので、乙羽はびっくりして頷いた。
「もちろんです」
 心の中では開けると浦島太郎の話にあるように白髪になるんだろうかと思ってみたが、それなら尚更開けたくなかった。
 それからも乙羽は掃除や洗濯物を取りに太郎の部屋に入ることはあったが、玉手箱には指を触れようともしなかった。

 ◇

 乙羽が太郎の家に来て半年が経とうとしていた。
 乙羽は玉手箱に近寄らず、一方、太郎はいまだに乙羽を口説く気配がなかった。
 夜中にふと目覚めると、太郎と太郎の父親の声がした。
 二人は家の中では聞かれてまずいと思ったのだろう。寝静まった頃に家の外の浜で声を潜めて話しているらしいが、風に乗って声が乙羽の耳にまで届いてくる。

「どうするつもりだ?」
「乙羽さんには好きなだけいてもらえばええ」
「あほたれ、お前は乙羽さんに惚れてるんだろ。確かにあんな色の白い人形みてえな別嬪はこのあたりにゃ居る筈もねえからおめえの気持ちも無理もねえ。
 だがな、おめえが惚れてもどうしようもねえんだぞ」
 父親の声に乙羽は頬が熱くなるのを感じた。
「わかっとるで」
「嘘こけ、夜中に厠に行こうとして見たぞ。おめえ、乙羽さんの横に座り込んで、じいっと寝顔を眺めてたでねえか」
「見られたか。あれは、ほんの気の迷いじゃ」
 乙羽はドキリとした。そんなことがあったのか。やはり太郎は自分を好いていてくれてたんだと知り嬉しくなる。
「このままではいつかおめえ我慢できなくなるぞ。
 もし乙羽を抱いたら、おめえの命はおしまいだぞ」
「わかっとる」
 父親の言葉と太郎の返事で乙羽は凍りつきそうになった。
 どうして、そんなひどいことを言うのだ。
 乙羽は突然噴き出す涙と嗚咽を抑えようと顔をきつく覆った。
「それにあの玉手箱もいい加減に始末しろや」
「わかっとる」
「おめえがあの玉手箱を大事にするせいで乙羽さんはここに来たに違いないぞ。あれさえなけりゃ、ただ助けただけでは乙羽さんはうちに来て居付かなかったと思うで」
「わかっとる、自分で始末するから」
「うん。辛いやろうがな、乙羽さんとはそういう運命なんや、あきらめいや」
「うん」

 乙羽はそれから一睡もできなかった。
 太郎は自分に気がありながら、あえてその気持ちを捨てようとしてるのだ。一体、どういう理由なのだ。抱いたら命がおしまいってどういうことなのだ。どう関係があるかはわからないが、あの玉手箱も捨てようとしている。
 
 ◇

 漁に出かけた太郎と父親が帰る前に、乙羽は干物を焼く準備にかかった母親の目を盗んで太郎の部屋に入り、隅の行李の上にある玉手箱を抱えて床に下ろした。
 そしてごくりと唾を飲み込むと玉手箱の蓋に指をかけた。
 たとえ煙が湧き起こり白髪のお婆さんになってもかまわない。どうせ太郎さんに捨てられるんだ。
 乙羽は自棄になって蓋を持ち上げた。
 少しだけ埃が舞ったが、中は空ではなかった。
 たくさんの潰れた白っぽい破片、丸い皿のような破片。そして白っぽい太い棒、それは足か腕の骨に違いなかった。誰かの骨だ。
 乙羽はどうして太郎がこんなものを大事にしているのかと不思議に思った。
 
 そこへ太郎と父親の笑い声が遠くから近づいてきた。
 漁から帰ってきたのだ。
 乙羽は骨の入った玉手箱を抱えて板間に戻り、それをとんと床に置いた。
 家の板戸を開いた太郎と父親はびっくりして絶句した。

「太郎さん、これは何、誰の骨なの?」
 乙羽が問い詰めると太郎は呟いた。
「見ちまったのか」
「私と関係あるの?」
 乙羽が聞くと太郎は「うん」と頷いて説明しだした。

「あれは大漁の日だった。
 漁から帰った村のもんは皆、上機嫌で網元の家で酒盛りを始めたんだ。
 俺は途中でひと眠りすると断って家に帰ってきたんだが、それからも長々と酒盛りをしたようだ。いや、そこに立派な大人衆が一人でも残っていりゃあ、ふざけた真似などさせなかった筈だ。だが、まずいことに一番の札付きどもだけが最後に浜に残ってまた酒盛りを続けたらしい。
 俺が再び起きて浜に出た時は、奴らがにやにやして立ち去るところだった」
 乙羽は嫌な汗が胸のあたりに伝うのを感じた。

「俺は奴らの過ぎた場所に着物の裾が乱れたまま倒れて泣いている乙羽さんを見て『おめえら、何しでかした』と怒鳴った。
 そうしたら奴らは『大漁祝いにちょいと』なんてぬかした。
 だがその時は奴らを殴り倒す暇もなかった。
 丁度、体を起こした乙羽さんは奴らに汚された衝動と悲しみで桟橋を駆け出して、そのまま海に飛び込んでしまったんだ」
 乙羽は氷柱を心の臓に押し当てられたようにゾッとした。

「俺もすぐ追いかけて飛び込んだんだが、乙羽さんは桟橋の下の杭で強く頭をぶつけたみたいでな……。
 しばらくかすかに息はあったんだがまもなく俺の腕の中で死んだんだ。
 もちろん俺は奴らを半殺しに殴って白状させたんだが、 酔っ払った奴らは山の方から歩いて通りかかった旅の父親とすげえ別嬪の娘の二人組をこっそり追いかけて、人目のなくなったところで父親を襲い海に放り投げ、娘の乙羽さんに悪さしたということだ。
 おめえの父親の遺体はよほど深いところに嵌まったらしく浮いて来なかった。
 仕方なく乙羽さんだけ浜で荼毘にして、その骨を乙羽さんが持ってた玉手箱に収めて預かり、乙羽さんの親戚か誰かが探しに来ないかと待ってたんだ。
 それからまもなくしてうちを訪れたのは親戚ではなく、死んだ筈の乙羽さんだった。
 俺はびっくりして腰が抜けそうだったが、その前に乙羽さんが倒れた」
 乙羽は聞きたくないとばかりに耳を押えて「いやー」と叫んだ。
「嘘、うそだよ。そんなことあるわけないじゃない。私は橋を渡って向こうから来たんだよ。人違いだってば」
「おめえみたいな別嬪を見間違うわけない」
「どうしてそんなひどいこと言うの。
 太郎さんは私をお嫁にしたいんだろ?」
 乙羽は恥も忘れ必死の思いで聞いた。
 太郎は悲しそうな目線を海へと巡らせて呟いた。
「そりゃな。できることなら嫁にしたいが、死んだ人間の幽霊じゃどうしようもねえ」
「嘘だ、嘘だ。私は幽霊なんかじゃない」
 乙羽は家から駆け出した。
 それを太郎が追いかけた。

 大きな松の下まで駆けて来た乙羽はそこで崩れるようにしゃがみ込んだ。
 入り江から橋が向こう岸にまで続いている筈なのに、そこにあったのは短い桟橋で、向こう岸なんて見当たらない。沖はただ海がはてしなく広がるばかりだ。
「どうして? 私の通ってきた橋がなくなってる」
 乙羽は泣きながら太郎を振り向いた。
 太郎は呟いた。
「あれは蜃気楼って言ってな。
 天気のいい暑い日だけに見えるんだ。
 そういや、坊さんが、向こう岸は生きた人間には行けぬ極楽じゃって言っとったな。
 やっぱり乙羽は極楽から来たんだな」
「……太郎さん」 
「乙羽は何も汚れてねえ、今もきれいなままだ」
 乙羽は溜め息を吐いた。
「ありがとうございます。でもようやく思い出しました。私は向こうに帰った方がいい」
「いや、行くな。俺と一緒になれ」
 太郎は思わず乙羽を抱き寄せていた。
 乙羽は頭を左右に振ってから、そっと唇を突き出し、太郎は唇を近づけた。
 しかし、乙羽の顔は、体はみるみる透き通り掴みどころがなくなった。
 太郎の唇に残ったのは風の感触と涙の味だけだった。    了





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gingak
  • Author: gingak
  • 銀河 径一郎
    (ケイイチロー・ギンガ)
    好きな言葉は『信じる』。
    『地球人も宇宙人』。
    写真はッシェル・ポルナ
    レフの真似です

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