銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。

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 †††

 五棟という吸血鬼の毒牙にかかった貴子は、再び意識を失いかけ、その目は焦点を失って彷徨っている。
 貴子から吸った血液はすでに一升瓶の半分を過ぎたところだ。そこら辺の計算は昔からみすずの血を吸ってきた五棟には容易なことだ。
 しかし、五棟は血を吸い続けながら考え込んでいた。
 今、この貴子の血を飲み尽くして死なすのは勿体ない。できれば、みすずのように毎週血を捧げるように仕向ける方法があればその方が好都合だ。

 その時、ドアが勢いよく開けられる音が響いた。

「五棟!」

 天野助教授の鋭い声に、五棟は貴子に刺したゴム管から口を放した。
 薄暗かった照明が最大に明るくされた。

「これは、天野先生!
 特急列車には間に合わなかったと思ってましたよ」
 五棟は動揺も見せず、薄ら笑いを浮かべた。
「海軍に頼んで、広島から偵察機(*1)でとんぼ返りして来たのです」
 そこへ、朦朧とした意識の貴子が目線の定まらぬまま問いかける。
「その声は天野さん?」
 天野助教授は嬉しそうに答えた。
「貴子さん、帰って来ました。
 もう安心です」
 天野助教授が元気付けると、五棟が笑った。
「ハハハッ、それはどうかな。
 こう見えても私は武家の子。
 幼い頃より一通りの武道は叩き込まれました。
 剣道、柔道、合気道、併せて八段」
 五棟はマントを脱ぎ捨てると、「いざ」と声を上げた。
 そして足を肩幅より広く開いて、左手を肩の高さ、右手を目の高さに構え、天野助教授に向け、気迫のこもった視線で睨みつけた。
「天野先生が私に勝てる見込みはありませんよ」
 そう言われた天野助教授はあっさりと認める。
「たしかに、私は運動は苦手です。
 素手では勝つ見込みはなさそうです」
 五棟は微笑んでカーペットの上を足で擦りながら、じわりと天野助教授に近づいてゆく。
「天野先生を気絶させたら、また貴子さんの血を飲ませてもらいます」
 すると天野助教授は怒鳴った。
「それは許しません」
「なんなら、死なない程度にして、みすずのように毎週、先生と私で貴子さんの血をすすることにしませんか?」
 五棟のふざけた申し出に天野助教授はいよいよ声を高く言い放つ。
「お前など、二度と貴子さんに触らせん。
 貴子さんは私の最愛のひとだ!」
 天野助教授が叫ぶと、貴子は小さく「天野さん」と名を呼んだ。
 そして上半身を起こそうとしたが、横滑りに再びベッドに倒れる。

「ふふっ、貴子さんは気を喪くしたようです。
 とにもかくにも、天野先生に勝ち目はない。
 天野先生は貴子さんの血の味を知らぬのでしょうが、これがなかなか美味しい血なのです、考え直して私の仲間になりなさい」
「黙れ、気違いが」
 そう言って天野助教授は、突然、ステッキを突き出した。
 五棟は少しのけぞって笑った。
「ハハッ、素人の振り回すステッキなど当たっても私は痛くもありませんよ。
 一瞬で、天野先生を床に叩きつけ、骨をまとめて何本も折りますよ」
 五棟が言うと、天野が言い返した。
「それは無理です」
「フフッ、もはや正常な判断力もなくしましたか?」
「警告します、これはただのステッキではない。
 このステッキに巻きつけた銅線には高圧電流が流れています」
 なるほど、天野助教授の構えるステッキには太い剥き出しの銅線がぐるぐると螺旋状に巻きつけてある。そして銅線はステッキの手元ではゴムに覆われて、その先をたどると天野助教授が背中にしょっている箱状の器械につながっている。
「軽く触れただけで、あなたは感電死しますぞ」
「……ふん、こけ威しだ」
「これは前々から暴漢が屋敷に侵入した時のために準備しておいたもの。
 これがあなたを撃退するのに役立つとは予想もしませんでしたが。
 ほら、うちの大学で実験用にサルを飼っているのはあなたもよく知ってるでしょう。
 あのサルにこの棒を当てたところ、高圧電流の電撃にしばらく痙攣して、一分後には黒焦げになって死にましたよ。
 自分でもあまりの威力にびっくりしました」
 そう言って天野助教授がステッキを軽く振ると、さすがの五棟もあとずさりした。

「さっきの勢いはどこに行ったんです?」
 天野助教授がステッキをさらに振ると、五棟は大きく跳びのいた。
 そして、ベッドの頭側の鉄枠の向こう側に立ち、意識をなくしている貴子の喉もとに、何かを近づけて怒鳴った。
「それ以上、近づくな!
 近づくと、この女の命はないぞ」
 貴子の喉もとに光るのは大きな手術用のメスだ。 
「卑怯な」
「そのステッキを捨てろ!」
 五棟の命令に、天野助教授は仕方なくステッキを足元に捨てた。

 五棟が勝ち誇って笑みを浮かべた。

 が、次の瞬間、天野はベッドの足側の鉄枠を思い切り引っ張り始め、ベッドごと貴子を引き寄せようとする。
「悪あがきするな」
 今度は腕力に勝る五棟がベッドの頭側の鉄枠を逆に引き寄せた。

 と、次の瞬間、突然に五棟が悲鳴を上げた。
「ぐっわぁああ゛」

 天野助教授が捨てたステッキを素早く足側のベッドの鉄枠にあてがったのだ。鉄枠はベッドの下でつながっているから、頭側の鉄枠を握って力を入れていた五棟の体は電流に直撃された。
「ぐっああ゛あああ゛」
 五棟の体は痙攣していたが、やがておとなしくなった。

「天野教授」「大丈夫ですか?」
 そう言って駆け込んできたのは、海軍から伝言を受けて駆けつけた刑事鳶松と林田である。
「なんとか、うまくいきました」
 天野助教授は微笑んで、貴子の額を撫でた。
「そこの男は?」
「ああ、彼こそ日本で最初の吸血鬼ですよ」

 †††

 翌朝、窓から差し込む眩しい光に貴子が目を開けると、すぐ傍らに天野助教授の顔があった。
「まあ、どうしたんです?」
 天野助教授は嬉しそうに言う。
「おはよう、目が覚めましたね」
 貴子は殺風景な室内を見渡しながら問いかける。
「ここはどこですの?」
「病院ですよ」
「病院?」
「忘れたのですか?
 昨夜、五棟に襲われて、命を落としかけたんですよ」
 天野助教授が言うと、ようやく貴子はうなづいた。
「そう、そうでした。
 五棟が吸血鬼だったのです、首から血を吸われたのです、思い出すだけで身震いしますわ」
 そう言って首もとを押さえた貴子の目は不安の色に震えるようだった。

「それで、天野さんは私を助けに間に合ったのですか?」
 貴子が問うと、天野助教授は驚いた。
「そこも覚えてないのですか?」
「はっきりしないのです」
 貴子がそう言うと、天野助教授は落胆の溜め息を吐いた。
「はあ、あなたはあの時、私の名前を呼んだのに忘れたのですか。
 残念です」
「何が残念なのです?」
「昨夜、私は命がけで一生に一度言えるかどうかの気障な大見えを言ったのですよ。
 しかし、肝心の貴方が覚えていないんですから」
「まあ、なんと言ったんです?」
 貴子は真面目な顔で訊ねる。
「こんな時には、おいそれと言えないようなことですよ」
「気になるじゃありませんか」
「貴子さんがまた吸血鬼に襲われたら言えるかもしれません」
 貴子は「まあ」と言って、二人は笑い出した。
「でも、今、こうして無事なんだから、天野さんが助けてくれたのに違いありませんね。
 感謝いたしますわ」
 貴子が手を差し出すと天野助教授はそれをしっかりと包むように握った。
「しかし、あの五棟はどうなったのです?」
「気絶して、警察に連行されました。
 もともとあの電気ショックは人を殺せるほど強くありませんからね。
 だから彼の知ってる、大学で飼ってるサルの話を紛れ込ませて、話を受け取る心理に真実味を加えたのです。」
「よくわかりませんわ」
「こういう実験を知ってますか?
 火傷するぞと暗示をかけられた後、氷を乗せられた人間が火傷したのです」
「まあ」
「そこで私は五棟に『電気ショックの力で殺せるのだ』と暗示をかけました。
 それで彼はあの電気ショックで強烈な痙攣に襲われて気絶したのです」
 天野助教授の説明に貴子は頭を横に振った。
「その電気ショックがどんなものかわかりませんわ」
「ああ、そこからですか、私はかねてより屋敷に暴漢が侵入したる時に備えて、ステッキに巻いた銅線でこしらえた電気ショック装置を作ってあったのです」
「どんな仕組みですの?」
「蓄電池というものがあるのですよ」
 貴子は一生懸命に説明してくれる天野助教授を見つめながら、自分はこの男に守られたのだということを確信し、幸福な心地になっていくのだった。          完





(*1)第二次大戦以前は日本に民間の定期航空路はなかったようです。ここでいう偵察機は大正8年に佐世保~横須賀追浜飛行場間を無着陸飛行に成功し、その後200機製造された横廠式ロ号甲型水上偵察機と思われます。

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gingak
  • Author: gingak
  • 銀河 径一郎
    (ケイイチロー・ギンガ)
    好きな言葉は『信じる』。
    『地球人も宇宙人』。
    写真はッシェル・ポルナ
    レフの真似です

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