銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。

 †††

 いったい椿姫は何を捧げて死んだのであろうか。
 案外、椿姫が最期の出陣を促したのかもしれない。
 想像は時空を超えた。


 羽柴秀吉の軍勢に囲まれ、井戸の水源を断たれた照葉山城。
 城を覆う鬱蒼とした緑とは裏腹に、城内に詰めている武士たちの覇気は薄い。
 甕に溜めた水はもちろん、出撃の士気高揚のために大事に取っておいた酒樽ももはや空になった。
 この七日近くで、水を口にできたのは雨が降った一日きり。
 これでは体に力が入る筈も無い。
 まして、生命賭けの合戦など、無理な話である。

 館の奥の板座敷で、五棟宣明と息子の宣忠が家老、軍奉行と話していた。
「後詰め(援軍)はまだ見えぬか?」
 宣明が問うと、軍奉行が答える。
「あいにくとまだ見えませぬ」
 家老が楽観を述べる。
「しかし、毛利輝元様のことゆえ、吉川経家様の鳥取城へも後詰めせんとお考えのはず。となれば当照葉山は通り道なればきっと来られましょう」
「しかし、水を断たれたままでは後詰めが来るまで持ちこたえられるかのう」
 宣明が訊くと、軍奉行と家老は黙ったまま顔を見合わせた。
 そこで息子宣忠が訊く。
「矢文にはなんと書いてありましたのじゃ?」
 一刻ほど前に、秀吉軍から文をつけた矢が城内に射られていたのだ。
 すると家老が答える。
「あの猿面大将めが、殿の召し腹と引き換えに、女子と兵どもを助けると騙りますのじゃ」
 途端に宣忠は顔を紅潮させて「たわけた事を」と怒鳴る。
「父上、騙されてはなりませぬぞ」
「案ずるな、宣忠。
 この領地と皆のためだけならわしの腹ひとつくれても惜しくはないが、ここは輝元様と経家様を結ぶ要の城。渡すわけにはゆかぬのじゃ」
 
 そこへ警護の武士の「今はなりませぬ」という制止の声が響き、それを振り切って入ってきたのは椿姫だった。淡い黄の袿の上に白すずしの金糸銀糸刺繍の『はつき』を腰で結んだ流行の衣装である。

「椿、どうしたのじゃ」
 宣明の問いかけに、椿姫は平伏してから答える。
「お父上、ここは討って出るしかないと思いまする」
「これはこれは、女子が軍評定に意見するか」
 そう言いながら宣明は苦笑している。
 しかし、椿姫は真剣な表情で述べる。
「今はあの猿面大将を立て、安土の城で茶を飲んでる織田信長なるうつけ大名について、先般、父上は教えてくださいましたな。
 あの信長とて、桶狭間の時は、風前の灯し火だったのだぞと」
「いかにも。
 寄せる今川義元は三万の多勢、守る信長はわずか二千五百の無勢」
「つまり、今の当家と同じような有り様でしょう。
 だとすれば当家も天運地運の加護を頼みに、討って出るしかありませぬ」
「しかしな、椿、今に輝元様の軍勢が加勢に来るかもしれぬのじゃ。
 それまではいたずらに動いてはならぬのよ」
 宣明が言うと、椿姫はきつく見返した。
「しかし、今を長く過ぎては我が兵どもの腰も立たなくなりまする。
 父上は城内の兵どもの様子をつぶさにご覧になっておいでですか?」
 思いもよらぬ娘からの詰問に、宣明はただ目を見開くのみだ。
「今まで私が見てきた戦時の兵どもは、暇さえあれば酒を喰らい、賭け事に興じており、目が合えばぎらぎらとして、何やら怖ろしきものでございました。
 然るに、今の城内の兵どもは、少しでも風通しがよい日陰を探して、目を閉じて、借りてきた猫のように、ただ寝るばかりでございまする」
「ううむ」
 椿姫の言葉は軍評定の面々を揺さぶった。

 天野助教授の脳裏で、想像がさらに広がっていった。
 椿姫の言葉がどれほど五棟宣明の決断を左右したかはわからない。もしかしたら、たいして影響はなかったかもしれぬ。
 しかし、何よりの問題は、椿姫が最期の出撃に先立って捧げ死んだという事実だ。

 その瞬間、天野助教授は怖ろしい着想に取り憑かれた。
 まさか!

「先生、すみませんが、私は今すぐ東京に帰ります!」
「どうしたんじゃ、そねーなに慌てて」
「はっきりと断定はできぬのですが、大変なことが起きていたのかもしれません」
 天野助教授は郷土史研究家の書斎を出ると、居間にいた志垣に言った。
「志垣さん、今すぐ東京に帰りたいのです、駅まで送ってください」
「そりゃあでーれーじゃ、東京行きの特急列車はそろそろ駅に着く頃じゃ」
「急いでお願いします」
 
 急いで車で岡山駅に乗りつけたが、特急列車はすでに岡山を発った後だった。

「困りたんじゃな。次の特急列車は明日じゃ」
 天野助教授は志垣に頼み込んだ。
「なんとしても今夜には東京に帰りたいのです」
「そう言われても無理じゃが」

 天野助教授は焦燥に満たされて東の空を見遣った。

(吸血鬼ドラキュラ13につづく)





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gingak
  • Author: gingak
  • 銀河 径一郎
    (ケイイチロー・ギンガ)
    好きな言葉は『信じる』。
    飛べなくても頭が悪くても
    地球人も宇宙人だ(笑)

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