銀河径一郎 小説、物語の部屋

銀河径一郎による不思議な物語、怖い話、面白い小説、ファンタジーなど。

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   姫の本懐


 天正二年五月、武田家奥近習の武藤喜兵衛は、一人の武者を伴い本拠、躑躅ヶ崎館を訪れた。武藤喜兵衛という名は、智謀の武将として有名な真田昌幸が、信玄の命令により武藤家を継いだ時に貰った名である。
 もっとも、この時、武田信玄は一年前の春に病没しており、武田家は家督を相続した諏訪四郎勝頼のもと体制の立て直しを計っていた。

 喜兵衛は武田家の棟梁である武田四郎勝頼に謁見した。
「喜兵衛、いかがした?」
 勝頼は笑みを浮かべて聞いた。信玄存命中に、知略迷うたる時は武藤喜兵衛の意見を聞くがよいと申し渡されていたから、勝頼は喜兵衛を信頼していた。
 喜兵衛は後方に控えている武者を振り返り口上する。
「これなる早坂季之助なる者、いささか鉄砲の腕が立ちます。願わくば勝頼様護衛の役に加えていただきたく参上いたしました。」
「そうか。早坂季之助とやら、面を上げよ、」
 季之助は久しぶりに勝頼の凛々しい顔を見て、滲み出る涙をこらえた。
 小柄な季之助は灰色の頭巾で忍者のように顔を覆っていたが、目のまわりが火傷で爛れているのが見てとれた。
「うむ、その傷は、いかがした?」
 勝頼の問いに季之助はすぐ声が出ず、代わりに喜兵衛が答える。
「先の箕輪攻めの際に受けたもの、いささか声も聞き苦しいことをお許しください。」
「なんの、名誉の負傷の聞き苦しいことがあろうか。
 喜兵衛の推挙とあらば、わしも心強いわ。
 季之助とやら、せいぜい奉公してくれ。」
 勝頼の目に優しい光が宿ったのを見て、季之助は喜びに震えた。
「もったいな、お言葉、い、命に賭けて、と、殿を、」
 気持ちの高ぶった季之助の舌がもつれると、喜兵衛が助け舟を出した。
「はは、こやつ、無類の感激屋でございまして、前々よりお屋形様の近習になりたがっておりました、必ずや殿をお守りすることと思います。」
「うむ、頼んだぞ、季之助、」
 季之助は「はは」と言って平伏してさがったが、その目から涙がしたたり落ちていた。 それには深い訳があった。


 話は一年ほど前にさかのぼる。
 信玄は「人は城 人は石垣 人は堀」を標榜し、みずからの本拠である躑躅ヶ崎館を堅固な城には構えなかった。その方針を勝頼も踏襲した。
 その館は、敷地の中は用途により、いくつかの曲輪(くるわ)に仕切られており、その敷地の一番奥に人質曲輪があった。
 文字通り人質のための敷地であり、その館には、忠誠の証として諸将、土豪から差し出された人質達をまとめて住まわせてある。
 作手に勢力をなした奥平家からも人質四人が従者とともに入っていた。
 奥平貞能の側室おふう、二男仙千代、奥平勝次の五男虎之助、奥平久右衛門の娘お早季である。嫁入り前の早季姫は色は淡雪のように白く、腰に届く髪は漆黒の美しさ、瞳はつぶらで大きく、口は小さく、なかなかの美姫である。
 早季姫とおふうの方はさまざまなことを語り合い、軟禁生活の寂しさをまぎらわしていた。
「今朝、作手のお城から文が届きましたの、」
 おふうが言うと、早季姫がうなづく。
「それはようございました、おふう様は心待ちにされてましたものね。」
「早季様にも聞かせてあげます。
 おふうには息災であるよう聞いて安心いたした。何かと心寂しいこともあろうが、お早季と手を取って耐えてほしい。夏にはそちらに行けるであろうから、おふうも逢うのを楽しみにしておられよ。」
「まあまあ、おのろけの文を、ご馳走様です。」
「まだ、続きがあるのです、よろしいですか、お聞きなさい。
 かつて時期早々と断られた勝之進が久右衛門殿へ早季を嫁にとまた申し入れたようだ、久右衛門殿も今度は前向きに考えておるらしい、お早季に申しておくがよい。
 ほうら、早季様もそろそろですよ。」
 おふうがからかうと、早季は急に目に怒りの色を浮かべた。
「嘘です、私は勝之進など、絶対いやだと父上に申し上げてあるのです。」
「そう。では早季様はどんな殿御が好きなの?」
「そんなことまだ考えたこともありません……、」
「では会ってみたい殿御は誰?」
「若殿の武田勝頼様はどんな方でしょう、」
「たぶん蛸のような顔ですよ。
 私は信玄様の顔を一度だけ見たことがありますが、恐ろしい大蛸のようでした。」
「まあ、大蛸ですか。
 では若殿は蛸なのですね、私は蛸は苦手です。」
「早季は蛸が嫌いですか、それでは仕方ありませんね。」
 おふうはしばらく思案して言った。
「では決めました。
 早季様は徳川の狸殿の嫁にやるとしましょう。」
 おふうが悪戯っぽく言うと、早季は手を振って、
「そ、それだけは堪忍してくださいませ。」
 十七歳の二人は屈託なく笑い合った。

 ある晴れた日の午後、早季姫は人質曲輪の裏庭、味噌曲輪につらなる草むらを歩いていて、びっくりした。
 草むらの中に殿方が仰向けに倒れているのだ。
 早季姫は急いで駆け寄る。
「どうなさいました?」
 おそるおそる声をかけたが、返事がない。
「大丈夫でございますか?」
 早季姫は慌てて殿御の肩を揺すって声をかけた。
「大丈夫ですか、どこか苦しいのですか?」
 すると殿御は目をこすりながら、
「うるさいな、なんじゃ、」
 と、体を起こした。
 ひとが心配して声をかけたのに「うるさい」とはとんだ挨拶だ。
 早季姫は怒りを込めて、精一杯の小言を返した。
「このようなところで昼寝など、私はてっきり死人かと思い肝を冷やしました。」
「うむ、許せ、棟梁など継いだばかりに昼寝する場所までなくしたのじゃ。」
「と、棟梁と言われますと、まさか、」
 早季姫は男の風貌をじっと見つめた。
 蛸とは似ても似つかぬ美男子で、目から鼻に抜ける凛々しい武者ぶりは相当の家柄と見えた。
「武田の若殿、御屋形様?」
 思わず呟いて早季姫は羞恥に染まって襟を手で重ね押さえて土下座した。
「とんだ御無礼をいたしました、」
「かまわん、起きたとたんに叱られ、母に逢うたような心地がしたわ、」
 そう言って勝頼は笑った。
 母湖衣姫は勝頼の幼い頃に亡くなっていたから、勝頼には精悍な表情とは裏腹に母への強い思慕がいつもあったのだ。
 もっともそんな心根をうっかり口に出した勝頼は慌てて言った。
「いや、姫はそれよりずっと若く美しいな、気を悪くするな、」
「も、もったいないお言葉で、」
 早季姫は平伏したまま言った。
「姫は、名はなんと言う?」
「奥平久右衛門の娘、早季と申します。」
「ほおう、奥平の娘か、もう一度顔を上げて見せてくれ。
 さっきは寝ぼけてよう見えなんだわ。」
「御屋形様にお目にかけられる顔ではありません、」
 早季姫が言うと、勝頼はなんとしても顔を見てやろうと言いつけた。
「よし、では目覚めに茶を一杯持って来てくれぬか。」
「か、かしこまりました。」
 早季姫は急いで人質の館に戻ると、おふうやお付きのものに茶をいれてくれるように頼んだ。
「どうしたのです、そんなに慌てて?」
「味噌曲輪の近くで武田の御屋形様に所望されたのです。」
「武田の御屋形様ですって」
 部屋中に緊張が走った。
「まずいお茶をいれて、お手討ちにでもされたらかなわないわ。」
「そんな、おふう様。
 おまき、そちまで逃げるのですか……、」
 皆に口々に断られ、仕方なく早季姫は自分でお茶を点てて戻った。

 早季姫はうつむいたまま茶碗を運び、勝頼の前に差し出す。
「私が点てましたので、お口に合いますかどうか。」
「ほう、姫自ら点てたのか、馳走になる。」 
 勝頼は茶碗をまわすと一気に飲み干した。
「うまい、毒味役抜きの茶は格別じゃ、」
 そう言われて早季姫はようやく自分のうかつさに気づいて震えた。
 こともあろうか、人質の自分が武田の棟梁に毒味抜きで茶を献じたのだ。
 早季姫は慌てて勝頼の手から茶碗を取り上げて、真剣な口調で言った。
「大事なことに気がつかず申し訳ございません。
 もしもの時は、私ごときではなんの足しにもなりませぬが、御屋形様のお供をいたします。」
 早季姫は底に残っていた茶の粉を指ですくい口にふくんだ。
「ふっ、なんとも面白いことをする姫じゃ、」
「何とぞお許しを。」
「それに麗しい顔もしっかり見届けさせてもろうたわ」
 早季姫の美しい顔立ちと、けなげな心に、勝頼はたちまち惚れてしまった。
 その時の勝頼には正室がなかった。
 以前、迎えた正室は遠山夫人は信勝を産んでまもなく亡くなっていた。
 しかも政略結婚により迎えた織田信長の養女であったので、勝頼の気持ちに淡白なところがあったのだ。
 しかし、早季姫は違う。
 正真正銘、勝頼自ら気に入った相手なのだ。

 これより勝頼は足繁く人質の館に通うようになった。
「早季殿、そなたの茶を飲みたくなった。点ててくれ。」
 そう言って勝頼が奥平の部屋を訪れると、他の者は気を利かせて外へ出た。
 最初は戸惑っていた早季姫だったが、今では勝頼の来訪が嬉しくてたまらない。
「私の茶がよいなどと言う方は若殿様がはじめてです。
 おふう様や奥平の皆には一度も誉められたことがございませんのに。」
「ふむ、それは、かの者たちが、わしのように早季殿に惚れてないからだろうて。」
「あ、それは…」
 私の茶がまずいということですねと笑って言い返そうとしたところを、早季姫は勝頼にきつく抱きしめられた。
「御屋形様、」
「早季殿、わしは本気でそなたに惚れたのだ。わしの妻になってくれ。」
「私は人質の身です。」
 早季姫は勝頼に唇を奪われた。
「構わぬ、わしの母上も人質に来て、父上に見初められたのだ。
 これが武田流らしい。
 早季殿はわしをどう思う?」
 早季姫は顔を真っ赤に染めて答えた。
「私も、私も勝頼様をお慕い申しております。」
「よし、では早々に祝言をあげよう。
 よいな?」
「はい、嬉しゅうございます。」
「早季は美しいのう、わしはもう我慢できぬ。」
「あ、それは堪忍、」
 勝頼は大胆にも早季姫の着物の中に手を入れて、二人は燃える想いを結び合ってしまった。
 
 翌日、勝頼は補佐役である跡部勝資を呼び出した。
「御屋形様、何用にございましょう?」
「いや、たいしたことではない。
 奥平が人質に差し出しておる姫に早季という者がある。」
「は、それが何か?」
「勝資、鈍いのう、わしが用もなく、わざわざ姫の名など挙げるわけなかろう。」
 跡部はハッとして問い返した。
「さては、お気に召しましたか?」
「うむ、あれを正室にしたいと思う。
 さよう取り計らえ。」
 跡部は武田の惣領ともあろう者が人質に惚れるとは軽率なことだと思ったが、勝頼自身、信玄が人質湖衣姫に生ませた子であるのだから、それを非難して思い止まらせることはできるはずもない。
 しかし、正室というのは難点がある。戦国大名にとって正室は戦略の駒であり、個人の意思よりも家の戦略を優先すべきなのである。
「畏れながら、正室はちと考えものでございますな。
 わが武田家は信玄公亡き後、四方から狙われております。正室は今後、有利な同盟関係を結ばんとする時のためにとっておくのが肝要かと考えます。
 武田家の惣領として、そこは堪えていただきたく思います。」
 跡部の言葉は勝頼の想定のうちだった。
「ふむ、やはりそうか。
 しかし、側室ならよいだろう?」
 跡部は平伏して述べた。
「はは、側室ならばようございます。
 まことによき姫を選ばれました。
 このところ、奥平には徳川の調略の手が伸びておるとの噂があります。
 そこを突いて強引に承知させ、奥平の服従を堅めましょう。」
「うむ、それはよい考えじゃな。
 なるべく早ういたせ。」

 武田家は早速、長坂長閑斎を奥平家に使者として送り、早季姫を勝頼の側室に召し上げる旨を伝えた。
 しかし、奥平家には、つい先日、徳川家からも、家康の娘の輿入れと領地の拡大を約束する宛行状が届けられていた。
 そこで、奥平家では密かに一族の主だった者から意見を集め、武田と徳川を天秤にかけた。

 元亀四年七月、徳川家康は悠々と長篠城へ向け軍を進めてきた。
 この動きに対して、長篠城と並ぶ最前線の作手城の城主であった奥平はなんの手も打たずに家康の軍勢を見送ってしまう。
 これで、奥平家が徳川の調略に傾きつつある疑いが強まった。
 八月、武田勝頼は、すでに作手城に軍監として派遣していた初鹿野伝右衛門を、城の本丸に移らせ、さらに厳重な監視体制を取った。

 その夜、武田の本拠、躑躅ヶ崎館は、雲の切れ目から覗く三日月におぼろげに照らし出されていた。
 黒い忍び装束に身を固めた井岡勝之進は八名の手下に囁いた。
「皆の者、これより城内に忍び込む。」
 奥平家の方針が徳川につくと決まると、勝之進は人質救出のため躑躅ヶ崎館に侵入することを直訴し、一族が作手城を脱出するのと同時に人質を救出するよう命令されたのである。
 躑躅ガ崎館は、あえて本格的な築城を施さず、高い城壁の代わりに土を盛った簡単な土塁で囲まれている。
 そのため、侵入は容易だった。

 早季姫、今、救い出してやるぞ。
 勝之進は愛しい姫を思い浮かべ土塁をよじ登った。
その時、早馬が大手門にたどり着き、声を張り上げるのが聞こえた。奥平家の謀反の知らせが届いたのかもしれない。
 勝之進は「皆の者、急げ」と囁いた。

 深夜の館に慌ただしい足音が行きかい、まもなく跡部勝資が勝頼の寝所に駆け込んだ。
「おやすみのところを失礼つかまつる、御屋形様、一大事にございます。」
 勝頼は太刀を掴みながら起き上がった。
「入れ!」
 険しい顔の跡部勝資が戸を開けて、勝頼のそばに近寄った。
「何事じゃ?」
 勝頼には一大事がいかなるものか想像もつきかねた。
「奥平家、謀反にございます。」
「な、なんだと、奥平が。」
 勝頼は目の前が真っ暗になった。
 奥平の謀反により、勝頼と早季姫の婚儀は雲散霧消になる。
 いや、それどころか勝頼は奥平の人質全員の処刑を命じなければならない。
 そもそも謀反に際して処刑するというのが人質を取った目的なのだから、婚約者の早季姫とて例外にはできない。
 初めて心の底から愛し契った早季姫を、裸に剥いて磔にし、見物人の興味本位の卑劣な視線に晒すのだ。
 そのうえ槍で突いて殺さなければならない。
 それは、まさにこの世の地獄だった。
「ま、まことなのか?」
「作手城軍監、初鹿野伝右衛門殿よりの早馬にございます。
 奥平は一族揃い作手城を捨てて徳川方に走ったよし。」
「なんと……、」
「残念でございますが、至急、奥平の人質を牢に入れねばなりません。」
 跡部の声が非情に響いたが、勝頼は首を振った。
「それは待て。」
 跡部が声を荒げる。
「御屋形様、お気持ちはお察しいたしますが、早季姫様のことも諦めていただかぬば、家臣に示しがつきませぬぞ。」
 跡部の言うのは正論であって、選択肢は他にないのだ。
 勝頼はうなづくしかなかった。
「うむ、助けよと言うのではないのだ。
 せめて今晩は牢に入れず、そのままゆっくり休ませよというのだ。
 無論、警護は固くしてだ。」
 それが武田家の当主としての勝頼が、裏切り者の娘となった早季姫にしてやれることの全てだった。 

 (中編に続く)


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gingak
  • Author: gingak
  • 銀河 径一郎
    (ケイイチロー・ギンガ)
    好きな言葉は『信じる』。
    『地球人も宇宙人』。
    写真はッシェル・ポルナ
    レフの真似です

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